時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

あたたかな共生

2014-12-30 | essay



「ここへおはいり」 って聴こえるような・・・?



ほっこり安心・・・な 温かな共生。 ?


2014年も、もう終わりますね。

さまざまな出来事がありました。
2015年も、まあきっとそりゃあイロイロあることでしょう。

反省はあれど、悔いはない と言える一年にしたいものだなと思います。


これまでも、これからも 本能と感性まかせ~~な わたくし。
この場所は、わたしには こころの風通しの場。

毎度すき勝手なことを一方的に綴っておりますが、
自分は、書くことでニュートラルな状態の自分にリセットできる、ということが
いつの頃からか解ってしまったので、
きっとしばらくは、こうして撮ったり綴ったりしたものを
この場所で風に吹かせる作業をしていくのだろうな、と思います。(^- ^*)

「時間のしずく time drops」に、たまたま いらしてくださった方々、
また、以前より懲りずに訪れてくださっている稀有で貴重な皆さまに
一年の終わりに、こころの底より感謝申し上げます。


どなたさまにも、

あたらしい年が、穏やかで健やかで
温かくすてきな一年でありますように !(ちょっとヨクバリ)☆


 


なぞの張り紙

2014-12-27 | essay

 ん??

思わず声に出して読む。ふしぎな張り紙。

パン屋さんのガラス窓。
一緒にいたともだちmさんと 共に首をひねる。

「今年も」? 「はじめません」宣言?

ふしぎだ~。
この言葉の奥を探ったら、短編小説が一話できそうね。

 ディスプレイに弦なしバラライカ。。。



 
なぞの人形~。
そして いただいて帰ったパンはとってもおいしかった~。



この日は、スローないい空間で
mさんとあれやこれやとおしゃべり。
そういえば、去年出逢ったばかりのmさん。
思い返せば、mさんからある日ふいに渡された一本の架け橋は、
この一年、そこから網目のようにあちこちへと桟橋が架かり、
思い掛けない出逢いも生み出しました。

ひととひとのつながり。ありがたいタカラモノです。

年末のせわしさは何処へやら?
スロウなカフェで、とってもスロウな時間を過ごせました。

 


潜入探査

2014-12-26 | essay





 

カッコイイ木のうろを見つけた。
中へ入ってみたいものだが
ちいさくなる術は持っていない・・・ 
ならば・・・とカメラを木のうろに差し込んで撮ってみました。

お~まるでグランドキャニオン!!(行ったことないけどー)
幻想的な世界が拡がっておりました。



この木のうろの中でした~。

夏はやめとこう。ゼッタイいろいろ這っているはず。



なんともいい味わいの桜の老木です。


アノ子のこの子のスキなヒト

2014-12-25 | essay



もうこちらの世界にはいない、たいせつな親友だったアノ子。

アノ子の娘は、今ではもう わたしのおおきなムスメのようなもの。

ギターを弾くカレシは、ライブのステージ上で姿を何度か見たことはあったものの
逢ってほしいな というKちゃんのリクエストに
ちゃんと会うのは今回が初めてのこと。
吉祥寺のカフェで3人でランチ。

最初はちょっとキンチョー気味だったカレシも
その、持って生まれたふんわりとした柔らかなお人柄が
すぐにその笑顔に現れてきた。

おばちゃんとしては、娘と息子のようなふたり。
ただただ、いとしくてかわいいよ。。
大きなゆめを「現実」にしようと走り出してるふたりの
そのエネルギーと若さ・・・!まぶしいわあ。
すべてがまだまだこれから!すきなことをすきなようにとことん頑張ってほしいな。

 「やってみなはれ!」 ってモンだ。

パパさんを差し置いて ちょっと申し訳ないのだけれどね、
きっと空の上のアノ子もそう言うに決まってる。

おばちゃん、ままの分も3倍、応援します♪

 

 


街の青

2014-12-24 | essay

 

きれいな青いひかり。

雑踏のひとの波の中を歩いていて
ふと おもう。

 「あのこは 今 わらっているだろうか。」

ふと 思いがけず ふいに誰かを想う時

その誰かもその瞬間に わたしのことを思い出してくれているのかもしれない。

なあんて。

またそんなドリーミーなことを。 もうひとりのわたしがわたしを笑い飛ばす。

でも、そんなこともないとは限らない。かも?


クリスマスネオンは、ひとを ちょっと オトギノセカイ へと引き込むものです。


どなたさまにも Very Merry Christmas ☆



 


アール・デコのお邸 「アーキテクツ/1933 Shirokane」

2014-12-23 | 古い建物 のこと





1933年(昭和8年)に建てられた「旧朝香宮邸」 現:東京都庭園美術館
三年間の改修工事を経て、さらに美しくなった御邸へ。

ここを最初に訪れたのは、二十代の頃。
「デ・キリコ展」を観に来た時。
ジョルジョ・デ・キリコの絵の中には、とても印象的な直線の建物とアーチの連続が描かれている。
その絵の中の世界観と、この建物が不思議なほどシンクロしていて
絵の世界と現実の世界の境界線が曖昧になって行くような・・・
奇妙な感覚がとても面白かったことをよく覚えている。

あれから、年数を置いて、度々訪れるたびに
新たな発見があり、年齢を重ねると見え方も変わるのだなあ・・・と実感する貴重な場所。

いつからか、ここのラジエーター・カバーのうつくしい文様にとても魅かれるようになった。







新館では、改修の様子のドキュメンタリー映像が上映されていて
腰を据えてじっくりと観る。

建物の保存は、たくさんの職人さんたちの職人魂に支えられている。
ラジエーター・カバーの修繕の熟練した職人技。
ラリックの芸術品のシャンデリアの解体・清掃・組立も大勢の手で慎重に。
外壁の塗装も1933年当時の施行方法を忠実に再現。。。

ひとの手の生み出すものって・・・!
とても感慨深い。

今回は、「内藤礼」さんの「ひと」も巡りながら建物の中をくまなく歩く。
あまりに長い時間を過ごしたので、来た時とは窓からの光の入り方が変わり、
思いがけなく美しい影の芸術を発見!





この影の出方もちゃんと計算されつくして制作されたのでしょうね。
(この陽だまりソファーでまったり本を読んで、うたた寝してみたい・・・)
と思うのはわたしだけではないでしょう。

そうそう。影といえば。

 

この度、新しく建てられた「新館」へ続く渡り廊下は観モノ。

この陰影によって硬い大理石が柔らかな革ソファーのように見えるから不思議です。

 仕掛けの主は凹凸を付けた大ガラス。

光の入り方によるので、これも時間限定アートですね。まんまるじゃないところがいいなあ。
角度によっては、ちょっとハートになるのね。

東京都庭園美術館 旧朝香宮邸  は、見どころがあり過ぎて
古いモノ好きな、写真バカとしては、もう きりがありません。

ぜひ一度この建物の中に身を置いてみてください。きっとまた来たくなります。







古い建物が、こうしてたいせつに保存され
後世に残されてゆけるのは
世の中が平穏であってこそ。

古き良きものは、永遠にそのままであってほしい と願います。

保存の御尽力に
そして、こうしてまた訪れることができることにも、こころより感謝です☆

 


内藤礼 「信の感情」 東京都庭園美術館

2014-12-20 | 展覧会・アート のこと



三年間の改修工事を終えて、東京都庭園美術館がリニューアルオープン。
そのこけらおとしの展覧会、 内藤礼 「信の感情」 へ。

内藤礼さんの作品、「ひと」に出逢ったのは、
去年の資生堂ギャラリーの展覧会「初心」にて。

ひとりぽっち、ぽつん と佇むそのちいさなちいさな「ひと」の
途轍もない存在感につよく魅かれました。

確か、家に帰ってからじっくりとその作品解説を読むと
震災後生まれだした「ひと」はもう何十体にもなっている。というようなことが記されており、
そのちいさな「ひと」の存在感の重さの意味がよくわかりました。

その「ひと」たちが一緒に集っているところを観てみたいなあ。と思ったことを覚えています。

今回、以前からこころ魅かれるこのすてきなアール・デコの御邸の中で
「ひと」と再会できるとは、なんともコトバに出来ぬほどうれしいことです。

旧朝香宮邸の部屋のあちこちに、
やはり ぽつん と佇む「ひと」は
その部屋の過去の空気を、「生きたもの」に変えているように感じられました。

今回、平日のみ撮影可能ということで、
この「ひと」たちにレンズを向けることができたのですが、
なぜか、撮りながら
レンズを向けることは御法度な、神社の「鏡」を写してしまっているような・・・
どこかからやってくる軽い罪悪感を覚えている自分の感情に気づきました。
それほど、この「ひと」たちは神聖なもの・・・ということですね。

「信の感情」 ・・・・ そうかア。
なにが そうか? コトバにはできませんが。
自分にも説明の出来ない「そうか」ってのが あってもいいんじゃないかな、とも思います。

以前、「ひと」がいっぱいいるところをみたいな、と思ったものですが
今回も、「ひと」は ひとりずつ佇んでいます。 
ほとんどの「ひと」が鏡と対面しながらも、
見ているのは自分の姿ではなく、鏡の中に映り込む外の世界。

わたしたちが「ひと」を観ているのと同時に、わたしたちも「ひと」に見られているのです。





 「ひと」「人生の可能態」(鏡)



窓辺の「ひと」。 この日、底冷えのする寒さに結露した窓の向こうには・・・

 中庭のペリカンが。
(今まで、あひるだと思い込んでいましたが。)

 毛糸の帽子をちょこんと。



この御邸のなかでも、特にすきな部屋のひとつ、「書庫」にも ひとり佇む「ひと」。
哲学しています。(?)


改修工事と共に、オープンした新館は、白い白い四角い空間。
そこに掲げられた、「color beginning」が、その空間にあまりにマッチしていて
この部屋は、もうずっとこのままにしておいてほしい・・・ という気持ちになってしまいます。



内藤礼「信の感情」は 2014年12月25日までの開催です。
「アーキテクツ/1933/Shirokane」 御邸の他の写真はまた後日UPしまーす!


クリスマス×ドレミファブック

2014-12-18 | 「ドレミファブック」 のこと


子どもの頃、クリスマスが近づくと ドレミファブックのクリスマス号のレコードを何度も回したものです。


いまでも、本を開くとその頃のクリスマスムードがふわあっと浮かび上がってくるので
とてもふしぎな気分。



「もろびと こぞりて」
以前もここで書いたことがあるのだけれど、
わたし「もろびと こぞりて」の歌詞の「シュワキマセリーシュワキマセリー」を
随分大きくなるまで外国のコトバだと思い込んでおりました~。わたしも!ってひと、他にもいるはず?



「サンタクロースが やってくる」
おもちゃは欲しいけれど、うちの中でサンタクロースに遭遇してしまうのは
ごめんこうむる・・・と恐れていたコドモでした。人見知りの激しい女の子だったものでね。(ほんとよ)



「あかはなの トナカイ」
このページはだいすきでした。いわさきちひろさんのやさしいこの絵がだいすきでした。
そして、この歌のトナカイが、なぜいつもわらいものになっていたのか理解ができず
可哀想で可哀想で、なんだかわからないけれど、役に立ててよかった・・・とほっとしたものです。



そして!「ママとふたりのクリスマス」

クリスマスの歌といえば、今でも真っ先にこの歌を思い出します。
暖かさ、愛情、しあわせ、憧れ・・・こころを照らす温かな感情が凝縮されたようなこの絵と
哀愁のあるやさしい曲調が子どもごころに、とてもここちよかったのだと思います。

実は、毎年クリスマスが近づくと、「ママとふたりのクリスマス」のキーワードで
過去の記事に辿り着いてくださる方がたくさんいらっしゃいます。

それは、きっと、わたしと同じように
幼年期にドレミファブックにお世話になった元こどもたちの皆さん。

たくさんのひとびとのこころにも、
長い間たいせつに息づいている歌なのだということがよくわかります。

ドレミファブックを懐かしく思って、メッセージを送ってくださる方々もいらっしゃり、
あの時代、影響を受けた元こどもたちがこうしてオトナになっても
こころの中に様々な1ページをたいせつに抱いているということに
なんだか、勝手ながらとてもうれしい気持ちになってしまいます。

そして、先日、同じく「ママとふたりのクリスマス」で
ここへ辿り着いてくださった方から、遠くスウェーデンよりお便りをいただきました。

彼女のブログを拝見して、驚きとともにじんわりと温かな気持ちに・・・!
「ワンダーブック」(これも懐かしい!)に掲載されていた「ママとふたりのクリスマス」に、
同じ作家、「柏村由利子」さんの男の子バージョンの挿絵が!!
知らなかったなあ~。

40数年越しに観る新しい、けれど既に懐かしい、その挿絵を

あの頃と同じあたたかな憧れのまなざしで観ている自分がこれまた不思議でした。

「北欧絵本 子供と一緒に 世界中の本を読もう」
http://hokuoehon.blog59.fc2.com/
スウェーデン在住のkanelさんの素敵なブログへぜひ飛んでいってみてくださいね。

ドレミファブックで繋がるご縁・・・これまた嬉しいミラクルです。
憧れの北欧。いつか行ってみたいなあ。

☆☆ どなたさまにも、温かなクリスマスが訪れますように ☆☆

 


ひっくり返し

2014-12-17 | essay



ひとを幸せにしたい というキモチは
ひとを幸せにしたいと望む自分の欲望を満たす ということ。

そんな文章を目にした。

なんだかなあ・・・・
どんな善行も、それじゃあ全部自分のため??

突き詰めていけば、そういうことなのか。

それで、ふと
数十年前に、耳にして、驚いたコトバを思いだした。

それは、初詣での出来事。

あるひとが、「今年も俺が幸せでありますように!」 ぱんぱん!と柏手。

「え~~!何それ~?」 と非難がましく言うわたしに

「俺が幸せってことは、周りの誰にも不幸がないってこと。
 だから、俺が幸せであるように って拝むことは、すべての平和を拝んでいるのと同じこと!」

目からウロコのその発想に、
なあるほどなあ~ と感心したことをよく覚えてる。

でも、どうも まず自分ありきなその拝み方を
自分がするか・・・っていうと わたしはしないけどネ。

発想の逆転。

たまには、自分の考え方をくるっとひっくり返して
逆方向からモノゴトをみるってのも
必要なのかもしれませんね。





うやむやのもやもや

2014-12-16 | essay




過去最低な投票率・・・。 そんなんで 「国民の合意を得た!」とか勝手に思われちゃ困ります。


柔和なコトバで、うやむやに、闇の中でモノゴトをどんどん推し進めていく独裁政治モドキ。
語れるほど政治に明るくないワタシでも、この歯痒い現状の危うい恐ろしさは肌でわかる。

国民は、ただ、平和な生活を
日本の未来の子どもたちの幸せを 望むだけなんだけれどな。 


大きな歯車

2014-12-13 | essay



もう 今生では廻ってこないのだと思っていた大きな歯車がぐるりと
音を立てて廻ってきた。

40年前、子どもながらに
「もう逢えないヒトになったんだ」 と こころの中に封印した懐かしい温かいヒト。

思いがけず40年振りに電話越しに聞く声は
とてもやさしく、変わりなく穏やかで
わたしは
瞬時に八歳の自分に戻ってしまった。

89歳になった伯父。
だいすきだった亡き「ちゃこのおばちゃん」の伴侶だったひと。

わたしのなかでは、今でも特別な存在のちゃこのおばちゃん。
今日はおばちゃんの40回目の命日。

同じ誕生日生まれの伯母が
今のわたしの年齢で、今日この世に別れを告げたんだ・・・と思うと
言葉にならない。

早過ぎる今生との別れ。たくさん思い残すことがあっただろう。

子どものなかった伯母は、わたしを子どものように愛しんでくれた。
3人姉弟の真ん中だったわたしは
小さいながらに、
「うちは3人もいるのだから大きくなったら
わたしはちゃこのおばちゃんの子どもになろう」と、真剣に考えていたくらいだ。

そんなたいせつなひとを喪った八歳のわたしは、
その若さで伴侶を亡くした伯父のこころのうちを
想い測ることは到底できなかった。やはり子どもだったのだ。

伯母を亡くした後、故郷に戻って再婚した伯父とは、
わたしの一家の引越しも重なり
もう会うことはなくなってしまった。

40年越しの、声の再会。

近いうちに、遠いあの街へ逢いにいくよ。
あの頃の、たくさんの愛で包まれていた時間。。。
ちゃんと逢って感謝を伝えたい。

逢いたいひとには、どんなに時間がかかってもまた巡り合える。

大きな大きな歯車でも、待っていれば必ず廻ってくる。

もしも、大き過ぎて今生で一回転しなかったとしても・・・
きっとどこかで逢えるように
縁というものはそういうふうにできているものなんだ・・・と思うのです。

 わたしの中のちゃこのおばちゃんにも感謝です。


 


混在する時空

2014-12-12 | essay









ここには、いろんな時空が混在して漂っている。
いつもそう感じる。

冬の不忍池。

江戸の風情を感じさせる柳の木。(江戸からあったのか知りませんが^^;)

明治の頃の鴎外の足跡も。(雁を見るたび思い出します)

大震災、大空襲の頃・・・(コトバにはできません)

たくさんの時間が浸み込んだ池。

ほとりに立つと、時空のねじれたフシギな空気に捲かれる。・・・ような気がするんだなあ。

そのうち、ひょいっと
別の時空へ通り抜けちゃうかも?



 


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