時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

20年前の港町からのおくりもの

2015-04-30 | essay



二十代の終わり頃、ひょんなことから
地方都市の再開発ビルのネーミング募集に一枚のハガキをだした。

後にも先にも、ネーミングに応募したのはこの一度きり。

ご縁とは不思議なもので、あれよあれよという間に
とうとう名付け親に。

初めて訪れる能登のまち。
オープニング・セレモニーにテープカット。。。
怖れ多くも知事やら市長やら地元出身の有名人の方々と
肩を並べ、光栄ながらも身の縮む思いだったあの経験は、
既に夢だったような気がするほど非現実的な遠い記憶の世界。

先日、ネットでふと検索してみたら
なんとこの春20周年!

遠くの隠し子がハタチかあ~!ってな気持ち。

感慨深くおもって、お客様の声のコーナーに
20周年おめでとうございます。とメッセージを残してみたら
当時ネーミング決定からオープンの運びを
ずっと担当していらしたという女性の方より丁寧なお返事が送られてきた。感激。

あれから、能登へ行くこともなく月日は過ぎ。
あっという間の20年。
されど思えば、あれからたくさんのことがあったものだ。

三人の子をこの世に送りだしたり
たいせつなひとたちをあの世へ見送ったり・・・。

ここでの20年。
あの町での20年。

同じように時間が流れているんだよねえ・・・。
しみじみと20年という時間を感じていたら

ある日、我が家へ届いたのは、20周年記念品の能登の美味しいものセット。

わあ~。過去からのタイムマシーンみたい!
20年前のあの町から届く贈り物。

夢じゃなかった~(笑)

ぶらっと今すぐにひとりで行ってみたくなってしまった。

あのまちを思い出すと、
いつも、夕方の薄いブルーの光景がこころにひろがる。
そこには、海の匂いが濃く立ちこめていて
見知らぬ遠いまちに降り立った「旅人」のあの気持ちを
ここに思い出すことができる。


あてのない旅に 出たいものだなあ。


 


おとなの味

2015-04-29 | essay



子どものころは、食わず嫌いだった山菜。

近頃やっと、その美味しさがわかるようになった。やっとオトナか?

写真は、タラの葉。 あまりに繊細できれいだから写真を撮ってみた。

これは、義父が摘んできたもの。これはてんぷらに。美味。

先日、亡くした親友の、田舎のおかあさんが
摘んだばかりの春の山菜をいろいろ送ってくださった。

なかでも、はじめてだったのは
「こごみ」という、くるくる丸まった葉っぱのあかちゃん。

あまりにカワイイ姿にくるくるを伸ばしてみると・・・シダ??

電話でお話していろいろ訊いてみると
こごみは、やはりシダの新芽なのだそうだ。

美味しい食べ方は、さっと茹でて酢みそや
そのまま天ぷらがおすすめとのこと。
早速天ぷらと、おひたしでいただきました。

春の恵み。
あたらしい生命の恵み。
ココロとカラダに いいエネルギーが入ってきたような気持ち。

自然のものを旬のうちにいただく。。。 最高のご馳走です。

つくづく、おとなになってからわかることって
たくさんあるんだなあ。

 


「夢」の録画

2015-04-27 | essay



夢の色合いや鮮明度って、ほかのひとと比べようがないけれど
わたしのみる夢は、後から思い出すと映画さながらに鮮明な映像であることが多い。

夢の途中で、醒めたくないって望むほど
オモシロイ、たのしい世界にいることもある。
反対に、怖い夢をみても
「これは夢だから大丈夫」と夢の中で自分を安心させたりもしている。

夢の中で「夢をみている」と自覚するのを明晰夢というのだそうだ。

目覚めてから、
忘れないように録画できたらいいのにな
と思うこともしばしば。

先日、深夜にたまたまつけたTV番組で
ものすごく興味深い話をしていたので
どっぷり聴き入ってしまった。
Eテレの「ニューヨーク白熱教室」。
ずっと以前もこの番組の他のシリーズでやはり観入ってしまったことがあったような。

この日はニューヨーク市立大のミチオ・カク教授のお話。
著名な最先端の理論物理学者、とのこと。(ま~ったく縁のない世界です)

ひとの「意識」の話のなかで、
「意識」の映像化はもう実現している、とVTRを流していた。
ひとが、脳に描く映像をモニターがおぼろ気ながら映し出す。

この先、デジタル映像のように解析度を上げていくらしい。
科学ってすごい。

そして、ミチオ・カク教授によれば
「眠っているひとの脳から、夢を映像化することも将来十分可能である。」
というようなことを仰られていた。

わあお。なんと!

「夢を録画したい」なんて我ながら夢みたいなこと・・・と思っていたのに
こうして、現実に夢を映像化する研究を大真面目にしている方がいらっしゃるのね。
なんだか、うれしい。

以前、「ゆめ」は、科学者に言わせれば
ただの脳内の電気信号に過ぎない と書いてあるものを読んだことがある。
そのくだりに興醒めしたものだが
たしかに、電気ならデジタル化も可能ってことか・・・?

こういう研究が物理の分野だというのもオドロキ。
昔、「物理」の授業なんてダイキライだったものだけれど
ガクモンって、こうして興味のあるいいとこ取りなら
めっちゃオモシロイんだけれどなあ。

この教授の授業なら、ぜひガッツリ受けたいものだ。

あ。翻訳機持参しなきゃだけど!


金太郎飴なヴィンテージボタン

2015-04-24 | essay


お世話になっている国立の雑貨屋さんへ新作バッグを納品したあと、
おともだちmさんと久しぶりにカフェで待ち合わせ。

例によって方向音痴のわたくしは、道を一本間違えておろおろ。
誘導メールをもらってなんとか到着。

おいしいランチのあとは、おしゃべりしながらあっちのお店こっちのお店と
魅惑的なお店を覗いて歩く。

おもしろいもので、
探していたわけではないのだけれど
この日は、すてきなボタンへと導かれるボタンの日?



気に入ったボタンをひとつづつ買う。
わたしのボタンの使い道は、制作するバッグの飾りがほとんどなので
たいてい一個買い。
洋服を作る人は、きっと5個とか?

この日みつけたボタンの中のお気に入りNo.1は!
フランス1950年代~70年のデッドストック・ヴィンテージボタン。




かわいい~~。

裏から見るとどうやら、この構造は・・・!
金太郎飴状態!?
イタリアのベネチアン・グラスのアクセサリーの実演で
ストローみたいな細い色ガラス棒を合わせて柄を作って
後でぶつ切りにしていたのを見たことがある。
いずれにしてもやっぱり金太郎飴状態ということだなあ。

ボタンも、ひとつひとつがアートだ~。

このかわいいボタンを主役に据えたバッグ。
さあ、どんなの作ろう♪


 


ハーフ・センチュリー

2015-04-22 | essay



四月生まれのともだちが50歳に!
同級生では50歳一番乗り。

高校時代の友人三人で半世紀祝いの会♪(といってもいつもの飲み会)

15歳で出逢ったころと、
お互い中身は全然変わらないんだけれどな。

相変わらず、おんな三人で笑い転げて更ける夜。

気づいたら、もう35年もこうして時々顔を合わせて
一緒に笑っているんだね。

おめでとう 生誕半世紀。
おんなは50からよ!?

これからも、こうして
笑い転げながら いつの間にか
みんなでおばあさんになっていけたらうれしいな。

半世紀といえば・・・
今唄いに来てらっしゃるポール・マッカートニー氏。
ビートルズ初来日はわたしが生まれた年、1966年。
半世紀もステージに立ち続けているとは・・・!
これぞまさに生ける伝説!Living legendです。


    


共通点

2015-04-21 | essay

大学生の長男が
駅からの帰り道に電話をしてきて

「一眼とチャリの鍵!玄関に用意しといて!」と早口で捲し立てる。

「おっけー!」
なぜだかは、聞かなくてもわかるよ。

空の色がいい感じなんだね?

うちは、ビルの谷間にある一軒家なので大きな空が見えない。
いい空の写真を撮るなら、チャリで急いで移動する必要アリ。
それも、いい色は待ってくれないから時間勝負なのだ!

空好きは、遺伝か???

おもしろいなあ。


そして、その日彼が撮ってきたベスト・ショットは コレ!
間にあったみたい? いい空です。


すまん、息子。勝手に載せちゃたよ~ん。




「いってらっしゃい」

2015-04-20 | essay



子どもたちを送り出すたび
一日に何度も

「いってらっしゃい!」

土曜の昼前。バイトへ出かけていく長男に
「いってらっしゃーい」と声を掛けたあと

ふと。
「あ~~~! いってらっしゃい、ってあの子にも言いたいなあ~~~」
と大声でつぶやく。

うちのもうひとりの男子、真ん中っ子16歳次男坊はお昼なのに夢の中。
彼には久しく「いってらっしゃい」と言う機会がない。
相変わらず自分のトンネルのなかで遭難してる。

わたしのデッカイぼやきを聞いて
「いつかそんな日がくるよー」と、夫が店の中からのんきに応える。

夫はわたしの上をゆく楽天家だ。
(というより、このモンダイをもう手離している・・・?)

ちょっとそのコトバに救われつつも・・・
ソレデイインカ?スクワレテルバアイ?
と、遠くで小さく警鐘を鳴らす別のわたしがいる。


どんなことにも、それぞれに「必要な時間」がある。
十二分にわかってはいるんだけれど。

ニュースが告げる、17万人を超える不登校児。
一絡げに17万人って言わないでほしいよね。
ひとりひとりがみんなちがう。

17万人いれば、17万通りのストーリーがあるのだから、
ひとりひとり最善の道も異なる。

といっても、本当のところ、このような状態の我が子に
親として何をすべきで、何をすべきでないか・・・
時間が経ってみないと正解がわからないことが
時に酷くもどかしい。

母として、彼の明るい明日への望みを持ち続ける強さが消えてしまわないように
自分にエネルギーを注ぐ。
いろんな方法で。

共倒れにならないように、自分がしっかり立っているパワーが必要だ。
親もそりゃあ苦しいけれど、
なんといっても、一番苦しんでいるのは本人なのだから。

いつの日か、彼にも
「いってらっしゃい!」と背中を見送る毎日が訪れると信じよう。

母にできることはいつだって
忍耐強く信じて待つことくらいなものだ。


もしも同じ想いのオカアサンがたまたま読んでいたら
ひとりじゃないよ~ って言いたいな。

小さなs.o.s.をキャッチするアンテナの感度だけは鈍らせずに
自分の時間をこそ、たいせつにしよう。
良くも悪くもどんなことも永遠には続かない。
一瞬一瞬をたいせつに。。。


 


きのこの絵の展覧会

2015-04-18 | 展覧会・アート のこと



吉祥寺の雑貨屋さんに革コモノ作品の納品へ。

ついでに素材の買い出しをしてちょっとぶらりぶらり・・・としていたら
あ。吉祥寺美術館、今なにやってるのかな?
と思い立って寄ってみました。

これはこれは!!すてきなきのこの絵の展覧会が!
「小林路子の菌類画展」。
入ってみました。

きのこマニアでなくとも
これはいいわ~。とても美しいきのこの絵の数々。

苔ずきとしては、大いに共通点アリ。
苔の上にきのこの図、気に入りました。

作品リストをみると、70作品すべて違う70種のきのこ!
きのこの世界は深いのですね~。

すごくこころを魅かれた絵は
「アカヤマドリ」という ふっくらどっしり存在感のある赤茶色のきのこと
「コガネキヌカラカサダケ」という 肩を寄せ合う妖精たちみたいな薄きみどりのきのこ。

まさに図鑑の絵のよう。
とても細かく緻密に描き込んであって、
たくさんのきのこをじっと見ていたら
今すぐ森の中を歩きたくなってしまった!

これは、きのこ好きなうちの長男にもぜひ薦めておこう!
それから、森の家のともだちの
アンティークのボタニカルアート好きなご主人にも教えてあげよう。

ミュージアムショップには、きのこグッズもありました。
息子が以前からいくつも買ってきていたきのこのガチャも設置されている!!

きのこずきさん、吉祥寺美術館へGO!2015年5月17日まで開催中です。

買い物ついでにひょいと寄れる「吉祥寺美術館」は
武蔵野市立なので、入場料はなんと100円ぽっち。大いなる価値ある100円です♪ 



 


「ガリヴァー旅行記」ジョナサン・スウィフト著

2015-04-17 | 本 のこと



先日。
夢の中で訪れた、聞いたこともない町の名前「ラグナダ」をネットで検索したら・・・
実在の町は存在しなかったのだけれど
ガリバー旅行記の中には出てくる国の名前だということがわかり
興味深々、図書館の端末で本を調べてみた。

絵本から、上下巻に渡る長編のものまでいろいろあったのだけれど
すぐ借りられるものは一冊だけだったので
ジジジジ・・・と印字してカウンターへ持って行くと
書庫まで取りに行ってくださり、差し出された物は・・・
岩波書店発行 大型本「ヴィジュアル版 ガリヴァー旅行記」

これがなかなか。とてもおもしろかった!
そもそも、「ガリバー旅行記」は子ども向けに書かれたものではなく
1726年、アイルランドのジョナサン・スウィフトという作家による風刺長編小説とのこと。

日本のわたしたちがよく知っている小人の国のくだりは
本の中のほんの一部分。
小説中では、ガリバーはたくさんの不思議な国を旅して廻り
巨人の国や、天空にあるラピュータ、その他、なんと日本にも立ち寄っている。

この「ヴィジュアル版 ガリヴァー旅行記」は、
クリス・リデルという風刺漫画家のイラストで視覚的にもわかりやすく、
原作の要点と味わいを完全に収めながら圧縮したもの、なのだそうだ。

300年読み継がれているだけあるなあ・・・。
なるほど風刺の効いた深い物語。

特に物語の後半、「フウイヌム」という国でのストーリーには
なにやら風刺を通り越した鋭さがこころに刺さる。
ここでは、馬が高等な生き物で国を治めており、
ヤフーと呼ばれる野蛮で下等な生き物がニンゲンもどき。

高等な馬たちの正直で嘘を知らない高潔な生き方に
自分が卑しいヤフーの種族であることを酷く嘆くガリバー。。。

わたしが読んだこのヴィジュアル中心の圧縮版だけでも深く考えさせられるのに
長編でどっぷり読んだら人生感変わっちゃうかも?

ところで、わたしのゆめに出てきた「ラグナダ」という国。
この本では「ラグナグ」。ラグナダと訳されている本もあるみたい(?)

ラグナグという国は、日本の近くにある島国とされている。
ここには、時にストラルドブルグという不老不死の人間が生まれるのだが・・・
これがまたさすがの風刺小説。
不老不死とは、健康長寿ならず、
年老いても死ねない生ける屍として不吉な存在とされている。

よって、この国の人間たちは、
死を自然な尊いこととしてまったく恐れていないのだ。。。なあるほど。

わたしの夢の中に出てきたラグナダは海の近くの港町。
ここは、昔 ボート置き場だったところを埋め立てた土地だと 説明してくれた町のひと。
あのひとは、ストラルドブルグではなかったか・・・???


いずれにせよ・・・・
夢の中に出てきた知らない地名から
本へと辿りつくこのフシギ。

「ガリバー旅行記」は、
おとなにこそ面白く奥深い風刺小説であった・・・と ひとつ学びました。

 

 


生きていた正義

2015-04-14 | essay



久しぶりのブラボー!なニュース。

福井地裁が高浜原発の再稼働を差し止める仮処分を発動。
判決後、掲げられた垂れ幕がニュースに映し出されたとき、
なんだかわからないけれど泣きそうになっちゃった。

「司法はやっぱり生きていた」というコトバ。


「正義」が全然みえない近頃のニッポン。

なにが正しくて、なにが間違っているのか。

間違っているとしか思えないことが加速しながら進んで行き
正すべきことは曖昧になるばかり。。。

常に国民は煙幕を張られて目くらましにあっているような
そんなふうに感じてしまうのは
わたしが勉強不足なせい?
いやいや、きっとわたしだけではない。

今日のこの明るいニュース。
「正義」はまだこのニッポンから消え失せてはいなかった。

とはいっても、まだ地裁の段階だから道程は長いのでしょうけれど。
それでも、とても大きな「待った!」には違いない。

大いなる英断に拍手です。

 


 


忘れもの階段

2015-04-14 | essay



ここ、「稲荷山公園」は
戦後ジョンソン基地として米軍に接収されていた場所の跡地。

いわゆる「米軍ハウス」の名残の階段が今も残っている。

空想拡がる階段だなあ・・・

どんな家がここに建っていたのだろう?
どんなひとがこの階段を駆け上がって
どんなドアを開けていたのだろう?

 ちいさな女の子が走ってきた。

そうだ。

小さかった子どもたち3人を連れて
電車に乗って何度かこの公園へ遊びにきたことがある。

子どもたちもすきだったこういう「忘れ物」みたいな階段に座って
写真を撮ったことがあったっけ。
この階段だったかもしれないなあ。

いろんな みえない積もった時間。。。

ここにも
そこにも

あの写真、プリントしたかなあ・・・探してみよう。

 


「みどりのクラフト」へ

2015-04-13 | essay

 霧雨から青空に。

「みどりのクラフト」というイベントへ。

上質ですてきな手づくりの品々をみることは
とてもべんきょうになります。

糸を紡ぐところから作られたBAGや
木や陶器、鉄の作品などなど

自然の素材のなかから生まれる様々な作品は
どれをとっても味わい深く
手の込んだ一点もの。。。

こうした上質のいいものだけを
身近に置いて、愛着を持って長い時間使い込んでいきたいものだ・・・・

と、おもうにはおもうのだけれど~これがなかなか。
わたしの雑多な生活のなかには、埋もれてしまって活かせそうにない。

午後にはみるみる青空が広がって
芝生に座って
徳島からいらしたコーヒーやさんのコーヒーをまったりと。。



今回が初開催だったようですね。 またの開催もたのしみです。



 


トビラの向こう

2015-04-11 | essay




自分で開ける扉。
誰かが開けてくれる扉。

いくつもいくつも
あたらしい扉を開きながら

ひとは一生を過ごす。

自分で閉める扉。
誰かに閉められる扉。

開けるべき扉。
開けてはいけない扉。

ひとつひとつ
見定めながら進む。


時に、間違えちゃうけれどね。
それもまた いい経験です。



映画「6才のボクが大人になるまで」

2015-04-09 | 映画 のこと



「6才のボクが大人になるまで。」(原題:Boyhood アメリカ2014)
監督はリチャード・リンクレイター

人生を早回しで観ているみたいな・・・

主役の「メイソン」が6才から大学入学の年齢までの成長を
12年間に渡り時間を追って撮り続けた映画。

12年間という長い長い時間の積み重ねを
166分の映画でみる。

いろいろ・・・実にいろいろ、ものを思わされる映画です。

巣立っていく息子を前に
母親が言うコトバに、図らずもぽろぽろ涙が。

そういう気持ちがよくわかる年齢に
いつの間にかわたしもなったということなんだな。

一緒に映画を観に行ったのは、長男の公園デビュー以来の友人。
昨年大学に入学した我が子たち。
この、最初は6才だった主人公と、我らの子はドンピシャ同年代。

この主人公と全く同じ時間が我が子らの上にも流れていたわけで。。。
映画を観終わったあと、
ともだちとふたりして、これまでの自分の12年間も同時に
圧縮されて目の前にぽんと投げ出されたようなキモチになってしまった。

自分は、子どもたちの中に何を残してあげられただろう???

子ども時代のきらきらとした一瞬一瞬の時間。
その一瞬はずっと連続しながら今もここにあるはずだけれど
わたしたちは、その一瞬を 一瞬たりとも手の中につかまえることもできず
時間は矢のように過ぎてゆく。

あ~~!「母」はせつない!

時はうつろいゆくもの・・・。

「諸行無常」 を 想わせる奥深い映画でした。

 


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