時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

サルものは追わず来るものは拒まず

2016-12-31 | essay

2016年。
日本でも世界でもさまざまな出来事がありましたね・・・。

わたくし的には、
50歳の大台に乗っかった2016年。
半世紀生きてこられたんだなあ~。ありがたい。

今年は、園児たちと過ごすあたらしい世界に飛び込んで
何だか たのしくて笑ってばかりいる時間が増幅したような気がする。
ありがたいことだなあ~~。

あたらしい年も、こころの向くまま風の吹くまま
自分らしい歩幅でのんびり歩いていけたらしあわせだな。

自分の持ち時間がどのくらいあるのか
わたしもあなたも、誰も知らない。。。

貴重な持ち時間、まだ起きてもいないことを憂うことなく
今日をちゃんと味わって生きていけたらいいな。

サルものは追わず来るものは拒まず。
わたしのココロのドアはいつでも解放中です。Come on in~~!

あたらしいハーフセンチュリー。
開拓の年です。

******************************

2016年、今年も「時間のしずく」を読んでくださりありがとうございます。
いつも寄ってくださる方、たまたまのぞいてくださった方も
本当にありがとうございます。
相変わらず、一方通行的な雑文ではございますが、この先もこんな具合に
すきなように綴っていくことと思います。

気の向いた時に、どうぞのぞいてくださいね。
コメント欄は設けてございませんが「メッセージ」からのお便りは大歓迎です♪
お気軽にどうぞ(^▽^)/

あたらしい年がどなたさまにも
穏やかで健やかな一年でありますように☆☆☆

時間のしずく timedrops   *miko*


夢に現れるひと

2016-12-30 | essay



夢をみた。
学生時代のともだち、minaがプールで泳いでる。
卒業してから一度も逢っておらず、いつの間にか消息もわからなくなった旧友。

ぜんぜん変わってないなあ。若いなあと眺めてる。

言葉を交わすこともないまま夢が終わる。
だんだん目が覚めて、ぼんやりとminaのことを考える。

スラリとした長身で、ダンスがだいすきだったmina。
よく一緒に当時流行りのディスコに踊りに行ったものだ。
あれは18歳か19歳の頃。はじけていたものだなあ。

ともに50歳の今、彼女はどうしているだろう。

日常、思考に上らないヒトを夢にみるのは
ココロの奥で、潜在的に会いたいと思っているから?

それとも近いうちにばったり逢えるのかも。そうだといいな。
踊りにはいかないけどね~♪
 


つながるみえない糸

2016-12-29 | essay


亡き親友の夫だったパパさんに年賀状を書き終えたその時に
ケータイが鳴った。

電話の主の名前をみて、一瞬時間が止まる。

それは亡くなった親友のアノ子の名前。

いや、ないない。
電話に出ると、アノ子の息子Yくんだった。
いつも携帯電話からなのに
家電からかけてきたからだったんだなあ。

開口一番、「ママの名前が出て焦ったよ~~」というわたしに
なにビビってんのー!と あっはっはと笑う。

次の春には留学先へと旅立つ彼。
アノ子のムスメとはちょくちょく会うけれど
息子Yくんとは去年の命日以来なんだなあ。

留学前に家に遊びにいくよと約束して電話を切った。

一瞬間、もういないアノ子と
電話が繋がったようなフシギな感覚。なんだかうれしかった。。。

もう アノ子とはこうして電話で喋ることはできないけれど
遺した子どもたちや田舎のおかあさんとは繋がる回線。

きっとね、空のアノ子ともみえない回線は繋がってる。そう想っておこう!




図書館ノスタルジー

2016-12-26 | essay



図書館員さんに書架から出してきてもらって借りてきた本をパラリと開くと
わあ~なんだかタイムトリップ。
そうそう、昔は図書館といえば、図書館員さんがこうやってゴムの日付印を押して
カードを抜いて貸し出ししてくれたっけなあ。

小学生の頃、なぜかこの一連の作業にとても憧れて、
おとなになったら図書館のひとになりたいなあと夢想していたものだ。

この本は「リルケ詩集」
書架にしまい込まれていたこの詩集、最後の日付は昭和54年だ。
眠っていたこの本を起こすことになったのは
先月観に行った「デトロイト美術館展」で とても惹かれた一枚の絵がきっかけ。

パウラ・モーダーゾーン=ベッカーの「年老いた農婦」という絵に
何だかとってもタマシイを魅かれて、初めて聞いた作家名だったので
何処の国のどんな女性だったのかな・・・とちょっと調べてみた。

すると、友人だったという詩人リルケが彼女の死をうけて
「或る女友のために」という鎮魂歌を残していることを知り
読んでみたくなった・・・という訳なのであった~。
(わたしのすきな詩人・立原道造はリルケの影響を受けていたというし。)

昔々、文芸部だった中学生時代に
ただ難しい文学への単純な憧れから、図書館で著名な詩人の詩集をぱらぱらと開いてみたものだが、
古い日本語で和訳された外国の詩は、ニホンゴとして全く理解できず
見なかったことにして本を閉じたものです。
そのまま、リルケの詩集を手にする機会などないまま、すっかりここまできてしまいました。

というわけで、一枚の絵からのオモシロイご縁で、今ふたたびのリルケ。

「鎮魂歌」は、この詩集ではなく一緒に借りた岩波文庫のほうの詩集に載っていました。
充分おとなになった今、難解な和訳が果たして
するするとココロに入ってきてくれるのかは謎ですが。。。いってみます!(笑)


赤いブーツみっつ。

2016-12-23 | essay



例年になく妙に生ぬるい気温に、クリスマスがやってくるという気がまったくしないのであります。
20℃あったという今日は半袖で走り回る小学生を何人も見掛けるほど。
地球の健康が心配ですねえ。

子どもも大きくなると、サンタさんももう来てくれないし
クリスマスは特別な日ではなくなってくるけれど
(いやいや、本来のクリスマスはそういうことじゃありませんね)
毎年この赤いブーツのお菓子詰めは準備します。

このブーツは、子どもたちが小さい頃に姉がプレゼントしてくれたもの。
毎年三人分贈ってくれたものです~。(さんきゅ~~!)

取っておいたブーツにお菓子を詰めて準備するようになって
一体何年経つかしら~。
もう14歳なのにいつまでも楽しみにしてくれている末娘のリクエスト。
来年はもう高校生だから、いらないって言うかな~。

というわけで、今年も三人分のブーツ、出来上がりです。

どなたさまにもメリークリスマス♪

 


川霧の中を歩く。

2016-12-22 | essay

夢のなかで。
ものすごくきれいな川霧の立ちこめる岸辺を歩いてる。
川からもくもくと真っ白な霧が生まれ続けていて
岸辺と川の境目が全然見えなくなって足元が怪しい。。。

霧がうれしくて浮かれてるわたしに
気をつけて! と一緒にいる誰かが注意してくれる。

一緒にいたのは 誰だったろう?
気をつけなきゃいけないことは 本当は なんだろう。

たとえ夢でも、あんなにきれいな景色に身を置けて、キモチあがるわ~。


「高慢と偏見、そして殺人」 P.D.ジェイムズ

2016-12-19 | 本 のこと



ともにジェーン・オースティンファンの友人に
「高慢と偏見」の続編のミステリーが出たの知ってる?と聞かされたときは
えええ~~なんてことを~と感じたものだけれど
作者がP.D.ジェイムズと知ってビックリ、即買い!!

P.D.ジェイムズは、わたし、十代の終わり頃にめちゃハマったイギリスの女流ミステリ作家。
クリスティに続いてハマったものだから、現世にいらっしゃる作家だとは思いもせずに読んでいたので
ダブルでびっくり。
彼女の描く「高慢と偏見」のその後なら、もうぜひ入り込みたい!

「高慢と偏見、そして殺人」P.D.ジェイムズ 発行:早川書房 2012年
原題は「DEATH COMES TO PEMBERLEY」

これはこれは、新鮮で面白かった~。
高慢と偏見がお好きな方にはオススメです。

作者覚書からも、ご本人がいかにジェーン・オースティンの作品を
愛してらしたかよ~くわかります。
作中にて、登場人物たちに愛情込めて息を吹き込んで、
200年前の当時そのままに見事に生き生きと彼らを立ち動かしてくださっています。

「高慢と偏見」は、ジェーン・オースティンの代表作。
1813年に発表されたイギリスの小説。
200年後に、別の女流作家の手によって甦るとはなんともすばらしいことだなあ。
P.D.ジェイムズ、なんと92歳の作品ということ。
あっぱれです!
執筆の二年後、2014年に94歳で亡くなられたそうです・・・。


それにしても海外ミステリを読むのはとっても久しぶりのこと。
昔読んだ他の作品もまた読み返したくなっちゃったな。
ハヤカワミステリのP.D.ジェイムズの作品、本棚に眠ってるはず。
最初に読んだ「女には向かない職業」再読してみよっと!


子育て、一丁上がり! と感じる瞬間。

2016-12-18 | essay

本能と直観優先に生きてるわたし。

「あ、この子の子育て、もう終わったんだなあ」
と直観する瞬間を二回、息子二人分既に体感している。

長男は、高校生の頃に家族で行ったキャンプで
完全にひとりで火おこしから皆が食べられるところまでをさっさと準備してくれた時。

寝不足だった父親が川のせせらぎを聞きながらグースカたっぷり昼寝できるほど。
母のわたしがちびっ子だったムスメと川に潜って遊びほうけていられるほど。

ああ、このこ、いつの間にかこんなに成長してたんだ。。。
子育て一丁上がりだな。と実感したものだ。

次男坊は18歳になったばかりのついこの間。

夕食の支度をしようとしたら、包丁が怖ろしくよく切れることに気づいた。
驚いていると 「よく切れるでしょ!」と、したり顔の次男坊。
家中の包丁を全部、いつの間にか研いでおいてくれたのは彼だった。
料理好きが高じて道具にも拘るようになったらしい。

知らぬ間に息子が研いでくれるようになるとはなあ。。。

よく切れる包丁を手にしながら、「このこも、一丁上がりだ!」と実感。

いずれも「食べること」に起因しているとこがオモシロイなあ。
いつか一人前になって自立するためには、まず「食」だものね。

二十歳と18歳の息子たち。
まだ学生だし、「我が子」には違いないけれどね。
子としての育ちは終了しました。

あとは、各々ニンゲンとして自ら育っていってもらいましょう。

残るは現在中三の末ムスメ。
彼女の「いっちょあがり~!」を直観するのはどんな場面なんだろうなあ。
その時はちょっと寂しく想うかもしれないなあ。


もくもくのくも

2016-12-15 | essay


夕方前。二階の窓から小間切れの空いっぱいにもくもくの雲の列が流れていくのが見えて
カメラをつかんで、大きな空が見える場所まで足早に急ぐ。


きれ~やなあ~ レンズを向けながら思わず独り言。

 風が強いせいか
雲が白い波みたいに 並んで流れてく。

高台にある神社から西の空をみていたら
なんだか感謝のキモチがふつふつと。今年もなんとか無事にここまで来られたなあ…。



空に連れ出されてここまでついつい歩いて来ただけなのだけれどね。
「今年もありがとうございました」と、ついでにお礼参りを。
けれど、持って出たのはカメラだけ。お賽銭も入れずにごめんなさーい!


すきだけど、聴けない唄

2016-12-14 | MUSICのこと


カーラ・ボノフの「Goodbye My Friend」を久しぶりにyou tubeで聴いた。

もう大丈夫って自分には言い聞かせているけれど

この唄みたいに
「I'm O.K. now」
って潔く言えない自分を知っている。

親友のSが逝ってしまったのはついこの前のようなのに
来年にはもう七回忌なんだね。

こころのなかに、今もぽっかり空いてるアノ子の居場所。
埋めようとは思わないそのエンプティーな空間を
わたしは自分の番が来るまで
大事に抱えていくのだろうな。

この唄みたいに
「You can go now Goodbye my friend 」って
わたしはまだ言えないよ。

 


絵本「THE ARRIVAL」に想う。

2016-12-12 | 本 のこと



絵だけで語られている本、「アライバル」。

この本に出逢ったのは数年前。

緻密でシュールな絵がすきな長男(当時高校生)への
誕生日プレゼントとして買ったのだけれど
実は、ほぼ自分が欲しかったから!(同じ誕生日だしね)

この本は、コトバが一切なく、すべて細やかなタッチの絵で物語が進められていく。
いつの時代とも、どこの国ともわからない架空の物語なのだけれど・・・

やむにやまれぬ状況に、故郷を捨てざるを得なかった人々の苦難の旅、
そして安住の地を見つけるまでが描かれている。

現代の移民・難民問題・・・
この本のように、安住の地を得ることが段々難しくなっている。

近年、世界がひとつになるどころか
次々シャッターを降ろしていくような・・・
時代を逆行するような今の風潮はひどく哀しい。

もちろん受け入れる側にもたくさんの事情があるのはわかるけれど。

愛国心もたいせつだけれど
国で括らず、みんな同じ地球人・・・と考えられたらいいのにな。
子どもじみた理想論でもね~。


コスモスじゃない秋桜「アキザクラ」

2016-12-10 | essay







上野の西郷さんのそばに、サクラを見つけた。
淡いピンクとイチョウの黄色のコラボレーションがとてもかわいくて引き寄せられる。
木には「アキザクラ」と札がかかっていて
同じようにピンクの花を見上げていた一人のおばあさんとにっこり言葉を交わす。

たまたまこの日同時刻にココロを惹かれて一本の木の下で出逢う見知らぬヒト。
なんでもないことなんだけれど
実はなんでもないことじゃないかもしれない?

ふしぎだなあ。
この世にはフシギがあふれてる。


「デトロイト美術館展」上野の森美術館

2016-12-08 | 展覧会・アート のこと

いい絵にめぐり逢いたいなあ。
と、時々無性に美術館に行きたくなる。

ちょうど日暮里の革問屋さんへ用事があったので、ちょっと足を延ばして上野の森へ。
「デトロイト美術館展」を観てきた。


おもえば、「上野の森美術館」に入るのは初めて。

なんとこの日は全作品撮影OKの日。(月・火限定)
日本の美術館で撮影可能って!! これも初めて。

ルノワール、ゴッホ、セザンヌにピカソなどなど著名な作品が
たくさん並ぶなか、
今回めぐり逢えた、ココロにめり込むような絵は・・・



パウラ・モーダーゾーン=ベッカーの「年老いた農婦」(1905年頃)

今までわたしは知らなかった作家なのだけれど、
なんだかなあ~。ほっとする絵なんだな。



胸元にクロスされた働き者の両手。
膝に置かれた小さな黄色い花。

たくさんの苦労があったにせよ、
この女性が人生をたいせつに生きてきたことがちゃんと絵に表れている。

このパウラ・モーダーゾーン=ベッカーという女流画家の作品、
他にも観てみたいものだな。

この日、ほかにココロに残ったのは
ピカソの「読書する女性」

この絵は、ほかのピカソの絵と違ってこじんまりと
とてもコンパクトにまとまっていて、珍しく可愛らしさのある絵。
(この絵は撮影はOKでも写真公開は禁止)

それから、ゴッホの「オワーズ川の岸辺、オーヴェールにて」の絵の中の水のタッチ!
この筆運びがすきだなあ。



それにしても
撮影OKとなるとつい欲張って撮りたくなっちゃって駄目ね。
ちゃんと目で観ることが疎かになってしまってもったいない。

絵を観るというよりも、なんだか順番にカメラを(スマホを)構える撮影会みたいになってしまって
シャッターの電子音ばかり響く美術館はどうも落ち着かない。

撮れるのはうれしいけれど
これは一長一短ですね。

「デトロイト美術館展」は2017年1月21日まで
上野の森美術館にて開催中です。

 


木のうろをみるたび・・・

2016-12-07 | essay



木のうろを見つけるたびに
条件反射みたいに昔ばなしの「こぶとりじいさん」を思い出すんだなあ。

木のうろで雨宿りしているうちに、うっかり夜中まで眠り込んでしまったお爺さん。
すぐそばで鬼の宴会が始まってしまい、見つからないように木のうろの中にじっと隠れてるんだけれど・・・
鬼の宴会があまりに楽しそうで、じいさん、ついつい浮かれて一緒に踊りだしちゃうんだよねえ。

小さい頃「木のうろ」に入ると、じいさんの疑似体験みたいでなんだかドキドキしたものだなあ。
オトナになると図体が大きすぎて、入れるうろはもうめったにないけどね。



歩いてたら、たまたま見つけた「うろ」。
のぞいてみると・・・わあ~トンネルになってた~。
ここをくぐると別の世界へ行けたりして。
なあんて。狭すぎて子どもでも通り抜けるのは無理ねえ。


「Hold On Tight」 ELO

2016-12-05 | MUSICのこと

人生の道中、ときに自分を持ち上げてくれる特別な曲に出逢うことがある。

わたしにもそんな歌がたくさんある。
15歳のわたしを元気づけて持ち上げてくれた歌は
「HOLD ON TIGHT」ELO
1981年にヒットしたアルバム「TIME」からのシングルカット曲。

夢をあきらめるな!夢をしっかりつかまえてろ!
と連呼するアップテンポの超前向きなこの歌、
だいすきだったなあ。15のわたし。
そして・・・確実に、若かったなあ。

「TIME」のレコードを久しぶりにかけていたら
そんな頃のキモチをそのまんまに想い出してしまって
もうすぐ15歳、受験生のムスメにも聴かせたくなった。

「ちょっとコレ聴いて!おかあちゃんがあんたくらいの時にめちゃアゲてもらった曲!」
と、押し付ける。
「ふ~ん?」と気のない返事。
そりゃそうやな。
「ノリもいいけど歌詞がいいんだよ~~!」と
大まかな、超テキトー翻訳の歌詞を書いて見せると

へええ、なんかいいね と納得のムスメ。
その後、ネットでちゃんとした訳詞を探しておりました~(笑)

Hold on tight to your dream
Hold on tight to your dream
When you see your ship go sailing
When you feel your heart is breaking
Hold on tight  to your dream

「君の乗る船が行っちゃっても」ってとこがいいんだなあ。
なにごとも、なんとかなるもんだ~って思えてくる。

35年も経ってても、改めて元気づけられちゃった。
フィフティーンのココロを持つ?フィフティーなのでありました~。



 


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