時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

父と歩く古い道

2015-06-29 | 古い建物 のこと



母のお墓参りの鳥取の旅。
姉とわたしは羽田から。父は大阪から。

ほんのひと月前に大阪の病院で手術を受けた時には
しっかり病人らしい顔をしており
まさかこうして翌月に一緒に鳥取の地を踏めるとは思いもしなかったのだが。。。
さすが、悪運の強い父!
毎度危ないところを切り抜けて
奇跡的に快復を遂げる父の「鳥取、早く日程決めて!」というツルの一声に
つい乗せられてしまう姉とわたし。(弟は残念ながら都合がつかず。)

でもね、そうね、行ける時に行っとかないとね。
さすがの父も、高齢の親戚たちも、そして自分も、持ち時間は永遠じゃない。

待ち合わせた鳥取駅で
遠くに見つけた父に大きく手を振る。

あれれ? 近づいてくる父のそばにはもうひとりオジサンが。。。?
姉と小声で 「え?だれ?きいてないよ?」 ??
それもそのはず、父もびっくり!駅でばったり出くわした父の従弟とのこと。
仕事で東京から来ていた従弟にバッタリ会うとはなんという偶然。

わたしたちは初対面。
二十年以上前に父の伯母夫婦である、今は亡きご両親にはお逢いしたことがあった。
幼少時、父はその家でも育てられていた時期がある。
「あんたのお父さんは苦労したんや・・・」と呟いたそのお爺さんの言葉を思い出す。。。

次の飛行機で羽田へ帰るというそのおじ様とともに駅の喫茶で暫しのお茶の時間。
並んで座るふたりを見ながら、血の繋がりのフシギ・・・をまたも想う。



父方のお墓に三人でお参りしたあと、
父が子ども時代を過ごした城下町を親子3人でそぞろ歩く。
へび道みたいな細い路地。山裾の鬱蒼とした墓地。




変わるものと、変わらないもの。。。

子どもの頃、ともだちが住んでいたという家。
いつも通っていたという路地。
勉強しにきたという山の岩穴。

80歳の父の子ども時代があった町。
ほとんど姿の変わらないのんびりとした静かなこの町。
それでも戦中、戦後という激動の時代、ここにもやはり違う空気が漂っていたのだろう。



 


 
父の親族はもう随分前にこの町を離れ、東京へ。
現在はお墓が残っているだけ。

赤ん坊の頃に満州で父親を亡くし、母親とは引き離され
小説になりそうなほど複雑な半生を送った父。
父が祖父母や親戚たちと共に暮らした想い出の家も今はもう影形も無く、その土地は今では駐車場に。
 かつて暮らした土地に立つ、年老いて尚、少年のような父。

ユカイな不良オヤジ。呑みトモダチはほとんど20代~40代だと云う。
毎日をたのしんで、いつまでもいつまでも元気でいてほしいものです(^-^)

 

 

 

 


太陽一族

2015-06-27 | essay


母の十年目の命日、思い立って父と姉の3人で
母の里、鳥取へお墓参りの旅に。

わたしは七回忌以来の4年振り。
父と一緒に母のお墓を参るのは
紆余曲折、悲喜交々、10年という時間を経て初めてのこと。

わたしたちが帰郷すると聞いて
母の実家に懐かしい人々が顔を見せに来てくれた。
母は10人きょうだいの末娘。
昔からひとの出入りの多かった賑やかな母の里。
今もひとが集まると、高らかな笑い声と温かさに包まれて
まるで太陽一族。笑いすぎて汗かいちゃう。

母の10年目の命日はとてもとても賑やかな一日となりました。
きっと母も空の上で
天空の親族みんなと共に喜んでくれたんじゃないかな。

あたたかな太陽一族。
子どもの頃、毎夏を過ごした頃と変わらずに
そこに建っていてくれる築100年を超える古い家。
こうして居合わせるフシギ。血縁のフシギ。。。
つくづく、エニシのフシギを想う旅となりました。

母がすきだった砂丘の日の入りを観に従姉妹たちと向かったものの。。。
曇り空に諦めかけたそのとき!


あっかんべーみたいな太陽が雲の間から降りてきました。


ピンクに染まる空と海。。。
ちらちら揺れる遠くの漁火。

このきれいな夕焼けは、母が空からみせてくれたのかもしれません~!?


 


こころに広がる風景

2015-06-19 | essay



ひとにはそれぞれたくさんの想い出があって
こころのなかに
どこまでも広がる自分だけの風景をもっている。。。


母の遺した古いアルバムを入れたダンボール箱を久しぶりに開いた。

子どもの頃から
古い写真を観るのがすきで
母のそばで古いアルバムを広げては
このひとはだれ?これお母ちゃん何才?ここどこ?
と母をよく質問攻めにしたものだ。

写真を一緒にみながら、
母がしてくれる昔の話に聴き入ることもとてもすきだった。

幼い母や、親戚のオトナたちの青年時代を写真の中にみるフシギ。
母も子どもだった・・・というフシギ。
だいすきだった伯母の若き新婚時代もそのままそこにある。
想像を膨らませて
ひとりで時空を行き来することがすきな子どもだったみたい。

大人になってからも
時折、古いアルバムを引っ張り出しては
母に「またみてるわ~」と笑われたものだ。

母が逝ってしまってからもう10年・・・。
この10年ほど、早かったことはない。

68年の母の人生が
ぎっしり濃縮されて綴じられているアルバムは
わたしには眩しすぎて開くことができなかった。

十年前にダンボール箱の中に
アルバムと一緒に仕舞い込んだものの中に
鳥取砂丘の絵葉書セットを見つけた。
観光客向けの紙製のケース入りの土産物だ。
鳥取に生まれ育った母がなぜ絵葉書セットをわざわざ購入したのだろう。

開いてみると。。。
懐かしい母の文字。S48.8.7という日付。
郷愁を綴った短い文章も。
わたしは7歳、大阪で暮らしていたころだ。
毎年わたしたち子どもを連れて帰省していた夏休み。
そんな日々に、母が自分自身のために買ったささやかな想い出の欠片。

砂丘から眺める、海に落ちる夕陽のうつくしさを
話してくれたことがそう言えば度々あった。

心根のきれいな女性だった母。
母のこころの中には
いつでも
遠き夏の日の、砂丘の日の入りのうつくしい風景が広がっていたのかもしれないなあ。。。


 


並行走行

2015-06-17 | essay

ふたつの電車がほぼ同時刻に駅を発車して

電車同士が同じ速度で並行して走る時、
ガラス越しの隣の電車の中のひとと目が合いそうなほど近づく。

そして、ほぼ同時にホームを挟んで次の駅に滑り込み
ひとが乗り降りするとホームを離れ、並行走行。
またもや車両同士がぐんと近づく。

一定区間、そんな状況を繰り返して走る電車。

当たり前な日常の光景をぼんやり眺めながら
まるで人生みたいだな。 と思う。

近づく。 離れる。 それぞれの場所へと運ばれていく。

近づくけれど交差することはなく
ただ並行走行しているだけ。

ひとのタマシイもそんなものなのかもしれないな。
ひとりにひとつ。

個々のものだから
融け合ってひとつになることは永遠にない。

だからといって、寂しく思う必要もない。
今も昔も
誰だって
この世にやってきた時も
そしてこの世を去る時も
みんな「ひとり」なんだから。

諸行無常。。。を想うおとしごろ。
すべてが移ろいやすく留まるものは何もないと感じてしまうけれど
それはひっくり返せば、日々がすべてあたらしいということと同じ。
自分の中の細胞も知らぬ間に作りかえられてあたらしい自分になってる。

同じに見えても日々新生!

諸行無常=諸行新生 なのであった~!?


たからさがし。

2015-06-16 | essay



あっちとこっちがつながる瞬間。

人生には、キツイことも多いけれど
思い掛けないところに用意されている ひととひとの縁は
サプライズのごほうびみたい。

探しているつもりがなくても
行きあたったらそれが「宝」だとわかる。

人生は宝さがし。
なにをタカラと思うかは・・・
ひとそれぞれなんだなあ~。

 

 

 


杉田玄白生誕の地

2015-06-14 | 本 のこと

訪れてみたいと思っていた場所。
小浜藩邸跡 杉田玄白の生誕地。

先日神楽坂にあるギャラリーに行くついでに
ちょっと遠回り。

静かな住宅地の中の矢来公園。
ここに、ぽつねんと記念碑が建っています。





ひとり この地に立ち、しばし、意識を江戸時代へ飛ばしてみる・・・。
超能力は持っていないので、残念ながらカケラも江戸を感じることはできませんでしたが。

玄白の父は小浜藩に仕える藩医。江戸詰めの時期に
杉田玄白はここに生を受けました。
しかし、玄白の出産で母は命を落としたと云われています。。。

歴史を遡ると、さまざまなドラマがみえてきそうです。
今は閑静な住宅が建ち並んでいるけれど、辺り一帯、広大な大名屋敷だったことでしょう。

250年近く前のニッポン。
オランダ語の辞書などない中、決して諦めることなく
手探りでオランダの医術書「ターヘル・アナトミア」を翻訳し
「解体新書」の発刊に至った杉田玄白。

日本の医学史を切り開いた 好奇心溢れる彼の85年の人生のはじまりは
この地から。

杉田玄白が古希の祝いを受けて子孫に残したといわれる「養生七不可」のなかの
「昨日の非は恨悔すべからず」「明日の是は慮念すべからず」などなど
ふむふむ…なるほど~。と感慨深いものですが

わたしは、彼が詠んだ歌のひとつが
とてもすきです。

 「過ぎし世も 来る世も同じ夢ならば
   けふの今こそ 楽しかりけれ」

この歌が彼の人となりをよく表しているようで
わたしのからだのどこか深いところでシンパシーを感じます(笑)

人生は夢、また夢なり。




空の事情

2015-06-13 | essay



同じ雲は決して無いのだけれど

「似ている空」に出会うことはあって。。。

あの日も 風が巻いて、上空にたくさんの雲のカールを作っていた。

あれからこの夏で4年。
どこへも行き場のない気持ちを抱えて眺めたあの日の空は
とてもきれいで とても青くて
上を向いてもなみだがこぼれた。あとからあとから。

似ている「空」が ふいにあの日をここへ連れてくる。

こうして、
もう決して手の届かないところにいってしまった大事なヒトを
ふいに思い出して何かを感じるのは、
わたしのココロの作用だけでなく
向こう側からのメッセージでもあるのかもしれない とも思う。

いつでもわたしの回線は解放してあるから
言いたいコト 伝えてよ。
みえなくてもいいよ。みえたらコワイしね。
みえなくても たいせつなものはこの世にいっぱいあるってことももう
じゅうぶん知ってるから。

いきてるひとも、もういきてないひとも
想えば繋がる回線があったらいいのにね。



 

 


6月の色

2015-06-11 | essay



運転しないものにとってはアウェイな異空間。駐車場棟を歩く。



近頃、空の写真にはまっている長男が教えてくれた 大きな空の見える場所。

雲が群れをなして
まるで意志を持っているみたいに ぐんぐん去っていくのを ながめていた。

6月の空。

 

 


いきていること

2015-06-09 | essay



古いともだちのひとり。
毎年 年賀状で「今年は会いたいね」って文を交わしつつ
四半世紀振りに再会が果たされたのは・・・
白い箱の中に横たわる 痩せて小さくなった彼女だった。

ハタチ前後。
毎年女子5人で車を飛ばして伊豆の海へと繰り出した。
あの年代にだけ許される縦横無尽な暑い暑い夏休み。

あの頃のまま、彼女との時間、彼女の面影はわたしの中で止まってる。

互いに生活が変わり、
なんとなく疎遠になる。 誰にもありがちなこと。

それぞれの上に流れる
それぞれの長い時間を過ごした後に
それでも、いつかまた笑って集まれる日が来ると
漠然と思ってた。

いつのことだったか
最後に久しぶりに彼女に会った日、互いに顔を見合わせた瞬間
なんだか ただただ可笑しくて、ふたりで笑いがとまらなくなったことを
今もよく覚えてる。

彼女の49年。
わたしの49年。

交差したのはそのうちのほんの数年だったとしても
これまでも、これからも
わたしはずっと友だちだと思ってる。


自分がまだ「いきていること」を
あらためて噛みしめて
生かされていることに感謝しなくちゃね。。。

「いつか」なんて、甘い憶測。ただの幻想。

待っていないで
逢いたいひとには
逢いに行こう。



絵本「根っこのこどもたち 目をさます」

2015-06-06 | 本 のこと



以前、図書館で見つけて、とっても気に入ってしまった絵本「根っこのこどもたち 目をさます」
このたび、古本屋さんでまた出逢いました。

原書は、1906年に描かれたドイツの絵本。



100年前でも、自然の営みは同じです。

春がきて、目を覚ました根っこのこどもたちは「土のお母さん」に見送られ
外界へと出て、野原を彩り、たのしく夏を過ごします。

冷たい秋風が吹き始めると
根っこの子どもたちは、みんな「土のお母さん」の元へと急ぎます。


秋風に追われ慌てて家へと帰る子どもたちの表情がなんともいいのです。

お母さんに出迎えてもらってほっとする子どもたち。。。

この絵本に最初に出逢ったとき、じんわりしてしまって
このおかあさんのようでいよう!!と思ったものです。

子どもたちも成長し、出迎えて抱き寄せる小さな子はもううちにはいないけれど
ココロは、いつまでも「土のお母さん」のようでありたいと
やっぱり今も思います。

娘が小学生のころ、遊んで帰ってきた夕方に
「おかあちゃん!今日まだだっこしてないよー!」と
ふいに思い出したようにぎゅーっと抱きついてきたことを
昨日のことのように覚えています。
懐かしくなって
中学2年になった娘に
「ついこの前までそう言ってたよね~!」と言うと

この前なんかじゃないヨ~!何年も前! と照れつつ訂正されてしまいました。
でも、覚えてはいるのね~。

親には、「ついこの前」 なんだけれどな。

子どもの手が離れていくのは自然なことだし
頼もしいことなのだけれど・・・

いよいよ、末っ子までもがおとなへの入口に立つ背中をみると
やっぱりちょっとサミシイものです。

この絵本を久しぶりに手にしたら

今度は秋風に心細くなる根っこの子どもの気持ちのほうに
ココロがシフトしてしまったようです。

「土のおかあさん」の域に達するには
まだまだ修行が足らないようです!?

 





 


今ふたたびの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」

2015-06-04 | 映画 のこと



次男がレンタルしてきた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」1と2のDVDを
娘と一緒に観る。
映画「Back To The Future」 は、1985年制作のアメリカ映画。

うわあ~~。改めてちゃんと観ると懐かしいなあ。
TV放映で何度かチラ見してるけどね。
この映画は、十代の終わり頃、まだ真新しかった有楽町マリオンで
ともだち3~4人で一緒に観た。
面白すぎて、連続2回観たことも覚えてる。(入替はなかったのかな)

30年経った今こうして娘と観ながら、映画と同じようにまるでタイム・スリップ気分。

続編の「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で、未来へタイム・トリップする先は
なんと、2015年。 まさに今。
17歳の役だった主人公とその彼女は、すっかり老けて50歳手前。
今や、こっちが現実ですね~。

それにしても、「現在」は、過去の未来にかなり近づいてる。
水素をエネルギーに動く車だって実用化されたし、近い将来ゴミで動く車も出てきそう。
空を飛ぶ車・・・ってのはどうかな。

主題歌の「The Power of Love」も懐かしいなあ~~。
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース。(ヒューイは映画にもカメオ出演)
このブレイクの1年程前に、「Do You Believe In Love」が入ったアルバムにめちゃハマって
音楽雑誌に載っていたアメリカのエージェントに
「日本にもライブに来てください!」と綴ったエアメールを送ったら、
なんと
ヒューイからご丁寧に返事をいただいた。今でも大事に仕舞い込んであるタカラモノ。

このブレイク以来、彼らは毎年のように来日し、もちろんほぼ毎回ライブへ出掛けたものです~。

そんな忘れかけていた逸話を次男坊にしたら
「それ、スゲーじゃん!!」ってすっごく驚かれて、おどろいた。

挙句、「その手紙、売ったらいくら??」 と目が$マークになってる。
知らんわー^^; 売らんわー!

 

 


オアシス

2015-06-03 | essay

 
地下鉄の出口を間違えて
まあ、とりあえず。 と 上りエスカレーターに運ばれて地上へ出てみると
そこには静かで涼しい森が広がっていた。

ここはどこ???
こんな場所、あったんだ。
まだ、新しそうな大手町の森。

木々の向こうはビルのジャングルだけれどね。

いいね、ここ。
覚えておこう。 といっても
また方向を間違えて辿りつけそうにない。都会のオアシス。

 


 


古い2葉のロシアの絵葉書

2015-06-01 | essay



バラライカを弾くクマ の古い絵葉書。

はじめから2枚あるんじゃないんだなあ、これが!

夫は中学時代、アマチュア無線にハマっていたようで、
世界各国(?)のアマチュア無線技士から送られてきた
交信証明みたいなハガキがたくさん家に残っている。

その中に、ロシアの(当時はU.S.S.Rか!)かわいい絵葉書があるのを
数年前にみつけて、気に入って部屋に飾っていた。
それが左の一枚。

右のもう一枚はなんと!!
つい先日、ともだちkさんから戴いた「東京蚤の市」のおみやげなのであ~る。

蚤の市の、たくさんの古い絵葉書の中から、
「これだ!」と思ってわたしに選んでくれたのがこの1枚だとは!
なんという こわいほどの偶然。

普段からすきなものが互いにとても似ているとはいえ、
蚤の市は一期一会。
まったく同じ古い絵葉書をチョイスするとは!
マジックですか~~~?というほどの驚きでありました。



ロシア語の文字ってなんだかかわいいよね。なんてかいてあるのかしら。

それにしても、アマチュア無線も・・・当時流行していたとはいえ
改めて考えたらすごいことかも。

中学生時代に、国家資格の技士免許をがんばって取得して
英語で何百人もの世界中のひとと交信していたわけだもの。
夫のあの超マイウェイな動じなさは(イイ意味でのね)、
そういう少年時代に培われたのかもしれないなあ。


時代を超えた不思議な偶然のおもしろさ・・・!
二枚並べて、たいせつにします♪

 


メッセージ♪

コメント欄は設けておりません。お便りはこちらからどうぞ♪

ブログ村

にほんブログ村 写真ブログ フォトエッセイへ
にほんブログ村

心象風景写真へ。

人気ブログランキングへ