時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

生物学者さんのコトバ

2013-06-29 | essay



土曜の朝。
高校へ行く長男を送り出した後
サワコさんの番組を観るともなしに観ていたら。

生物学者・長沼毅さんの話にぐいぐい引き込まれた。

生き物には「はびこる力」が備わっている。
そこに生命の本質がある。
生命は逞しい。

う~~ん。
北極・南極・砂漠の果て、はたまた深海へ
生物の探求に飛び回る科学界のインディージョーンズと
呼ばれているというこのお方のコトバには
ずっしりとした重みが感じられるね。

生物学を学ぶ道を考えている長男にも観せよう、と
慌てて録画ボタンを押す。

宇宙飛行士の夢に敗れ、挫折経験も持つ長沼毅氏のコトバに、
わたし ガツンとやられました。

  生き物としてのこの体は脆弱かもしれない。
  でも、体を動かしている生命力は逞しい。
  それが自分の内部にちゃんと宿っている。
  ひとりひとりの中に。

世の中が豊かになっているのに、
生きにくい、もうだめだ、と思う人が増えている気がする・・・という阿川さんの問いかけに

  それは、「脳」がそういうことを考えているのであって、
  体、生命力そのものはそんなことを望んでいない。
  このボディには、指の先から足の先まで生命力がみなぎっている。
  はびこりたい、生きたいと思っている。

わたしゃ、朝から泣きそうになっちゃったよ。
ニンゲンは、どんだけ頭でっかちになっちゃってるんだ。
体のコトバを、もっと聞かなきゃね。

  地球の生き物を調べてきて、そういうことがわかってきて
  皆さんにも、生命力を、内部にあるものの素晴らしさを知ってほしい。

そう、やさしく語りかける 長沼毅氏。
とてもたいせつなことを改めて教えられました。
なんだか、こころがザブンと洗われて、あたらしい気持ち。

番組の終わりに「今、心に響く曲」として挙げた一曲は
歌詞に元気をもらっている、という
THE BOOM 「風になりたい」! いいよねえ。

魅力的な生物学者:ニンゲン長沼毅氏に注目です。
惚れた!

  


  



空想癖の根源 : ドレミファブック「おへそ」

2013-06-27 | 「ドレミファブック」 のこと



1970年代の「ドレミファブック」に多大なる影響を受けた元子どもたち(現40代)は
きっと、想像以上にたくさんいらっしゃるはず。

わたし、子どものころから空想癖アリ。

元を辿っていくと、ここへ行き着いた。

ドレミファブックの「おへそ」だ。

レコードでこの歌を聞きながら、穴が開くほどこのページを眺めていた幼少期。

どんなモノやどんなコトにも、
こうして深い深いストーリーや謎が隠されているのかもしれない・・・
と、空想を巡らすコドモに成長していったのは
この「おへそ」の歌が根源な気がするよ。

幼い頃に出逢う絵本や童謡、遊び、周りのひとびとの言動・・・。
いろんなものが詰め込まれて、ヒトって出来上がっていくのよねえ。

 
      


         


「14歳」息子のこと。

2013-06-25 | essay



うちの真ん中っ子・次男坊。

学校に行かないという道を選んでからもうすぐ一年。
自動的に学年も上がり義務教育最後の学年だ。

[ 学校に行かない子の親 ] となってみて
またもや、たくさんのことを学んだ。
何しろ初めての経験。若葉マークつきの初心者だ。
当事者になってみなきゃわからないことって、すこぶる多い。

この一年、手探りしながら行きつ戻りつ
息子は息子で、わたしはわたしで、時に一緒に、道を探していたような気がする。

関連本を読みあさり、専門家の話を聞きに行き、
心理相談員さんとも定期的に話をし、同じ状況の親御さんたちとも話した。
学校に行っている友達の親御さんたちともよく話す。
もちろん、バトルを経て当の息子とも近頃はいろんな話をする。

結果、わかったことは。
学校に行かない子どもをひとくくりに考えてはいけない ということ。
ひとりひとりみな違う。
ひとりひとり人格が違うのと同じこと。
なので、おのずと解決の道もひとりひとり違う。

そして、誰でも「不登校」になりうる ということ。
みんな特別な子どもじゃない。
ただ、総じてみな自分に厳しく一生懸命生きているってところは共通している。
いい加減に生きることが不得手な不器用さを
持ち合わせているところは大きな共通点だね。

学校に行かない子どもは、サボっているわけではない。
サボって気楽でいられる子は「不登校」にはならない。
逃避しているように見えて、その実、そうではない。
逃避にも器用さが必要だ。
逃避できるくらいなら、そんな楽なことはない。
逃避することも出来ずに苦しんでいる。自分からは決して逃げられないのだから。。。

大人からみれば、自分で自分を生きにくくしているようにしかみえない。
不器用でムズカシイ子どもは、
ただでさえフクザツな思春期特有の波に自ら翻弄されてしまう。

言葉にすると大袈裟に聞こえるけれど、
見ていると可哀相になるくらい不器用で真摯な生き様だ。
それでも、そうすることが彼の生き方なのであって・・・。


ここまで書いて読み返したら、
我ながら、不登校を必死に擁護する親バカ って感じだなあ。

でもね、「不」登校に縁のない親御さんにまで
理解してもらおうなんて全然思っていない。
わたしだって、我が子がこうなって初めて理解しているんだもん。
しかも、我が子の場合オンリーの理解だから。
というより、理解できているのかも怪しい。
今でも、「キミにわかるわけがない」ってのが彼の口癖だから。

それにしてもわたし、「不登校」という言葉はあまりすきじゃない。
どうしても「不」や「un」がつくと、否定的なニュアンスを感じてしまう。

本当は行きたいのに行けない理由があって行けない子。
行きたくないから行かない子。
こころとからだの不具合で行けない子。いろんな子がいる。

「不」登校という言葉は、学校サイドから見た呼び方でしかない。
一昔前の「登校拒否」のほうがまだ収まりがいいかも。

ひとと違う道を行くのは、そうせざるを得ないこころの作用。
本能的にそういう道を選んだ我が子を前にして、
親は何をどうしたらいいのか・・・戸惑い、途方に暮れるのは自然なこと。

親として出来る事はなにか。。。。
今振り返ってみれば、始まりの頃、わたしの取った行動は
親としてニンゲンとして本能のままに動いていたとしか言いようがない。
 (本能のままなのはいつものことかな・・・)

休み出した当初、朝、迎えに来てくださる担任の先生。(プレッシャー!!)
玄関を出る 苦しげなあの子の背中。。。

「今、この子の背中を押したら、もうこの手に戻らないかもしれない・・・」
そう直感して、気がついたら全力で彼を守る側に立っていた。

とても怖かった。
この子を失うかもしれない。と、わたしの本能が警報アラームを鳴らしていた。
それは、彼のタマシイの無言の救助信号だったのだと思う。

原因探しなんて後回しでいい。
なんだかわからないけれど、
ひどく不安定でまるで消えかかったロウソクみたいにみえる我が子を
保護してやれるのは親しかいないもん。

こころとこころの見えない通信回路を
つなぎっぱなしにして気持ちを共有すること。
「大丈夫。あんたはあんたのままでいいんだよ。」
ってことを、コトバとココロで伝え続けること・・・そうするしかなかった。

もちろん気持ちが届かないことも多いし、
自分の行動が正しいのか間違っていないか模範回答はないし、
本能が良しとする方向へコマを進めるしかわたしには選択肢がなかったのだけれど。

うちの子の場合、今のところ学校に戻るという選択肢はないので
生き易い生き方を生きられるように
これから彼自身が択びとっていくしかない。。。キツイだろうけれど。

一年経つ今でも、わたしには正答は見えない。
きっとずっと先にしかわからないことなのだと思う。

わたしにできることは、諦めないこと。ぶれないこと。
根気強く待つこと。
息子のことは横に置いといて わたしは今までのわたしらしくいること。

そんなことぐらいしかできないよ。
だって、確かにわたしが産んだ子どもでも
あの子のタマシイは、あの子のもの。
わたしは君じゃないし、君はわたしじゃない。

ゆらゆら揺れる子どもの態度に
一喜一憂しすぎず、ありのままを静かに受け止める。ムズカシイけど。

親だって弱っちいニンゲンだもの、へこたれちゃうことも
泣けてきちゃうこともあるよね。
幼い頃のおどけてる彼の写真を眺めて、ため息が出ちゃうこともある。

彼が制服を着て、学校や部活に
忙しくしているパラレルワールドを想像してしまっては
自分を戒めたり。。。
同級生たちが我が子より立派に
成長しているように思えて切なくなったり。

我が家の次男坊は、小さな哲学者だ。
頑固で慎重。物事を深く深く考える性質なんだもの。それは持って生まれたもの。
でも、わたしは彼の心根のやさしさや、根底にある強さを知っている。

外からは「停滞期」に見えても、
彼の中では、日々再構築が進んでいる。
大きな大きな変換期なんだと信じてる。

この時期が、いつかきっと彼の「底力」になるよ。

信じることしかできないってのも
もどかしいのだけれどね。

わたしは、わたしの時間をたいせつにわたしの道を行くよ。

いつか遠い先に、オトナになった君と
今の時期を振り返って
ふたりで笑い飛ばせたらいいな。

それが母としてのわたしの 大きな目標です。

     
          

 


てくてくと。

2013-06-23 | essay



日々、いろんなことがある。
それはみんな同じこと。
多かれ少なかれ、UPもあればDOWNもあるよね。

久しぶりに集まった気の置けないともだちと
あれやこれやと互いに喋る喋る。
長男が一歳の頃の公園デビュー以来の仲間。

それぞれの初めての赤ちゃんも、
あれよあれよという間に高校三年生。

離乳食のこと、夜泣きのこと、オムツのはずし方のこと。
そんな話をしていたのは、ついこの前のようなのにね。

おんなじ顔を突き合わせて、今ではその子たちの大学入試の話をしているフシギ。
それぞれ無事ここまで大きくなったことを感謝しなくちゃね。

出逢いは子ども絡みの「ママ友」でも、17年もこうして一緒に笑っていられたら
そりゃあ本当のともだちというものだねえ。

それにしても、子育ての時期の10年やそこらって
どうしてこんなに早いんだろう。

その分、知らぬ間にわたしたちも確実に年齢を重ねているわけで。

この17年で、それぞれに周りの状況も
夫婦間の位置関係も微妙に変化している。

ともだちのひとりが、もしも離婚して老後ひとりになったとしたら
一軒家をシェアして住もうって職場の仲間と話してるんだ~という。

 なんかそれ、たのしそうだなあ。 とわたしが言うと。

「いいよ、おいでおいで。面倒見てあげるから!」と彼女。

太っ腹な言葉に、彼女が一瞬後光の射す仏様に見えたよ~。
ありがたや~。

こんな話で笑っていられるのは、
まあ・・・平和なんだってことなんだよなあ。。。

でもね、お互い笑っちゃいられないようなことが起きたとしても
なんだかなんとかなりそうだ。そう思いたい。いい加減だけど。

そりゃあ、生きてる限りいろんなことが起きる。
道に迷ったり、落とし穴に落っこちたりしたって
なんとかいつの間にかまた、前を向いて てくてくと歩いてる自分がいる。

Life goes on.

わたしの持ち時間の続いているところまで見に行こう。 てくてくと。

そして、バチが当たらないように、日々のちっこいしあわせに感謝しとこ!






 


ちいさなアート

2013-06-20 | 展覧会・アート のこと




切手の中のちいさな世界。

ちいさな紙片のなかに凝縮された別世界。
きれいな景色やすてきなデザイン、生き物たち。
ミニ絵画のようだ。

この切手は小学生時代に集めていたコレクションから、旧チェコスロバキア時代のもの。

雑貨屋さんでみつけたこのかわいいフレーム。
これはこれは!切手にぴったり。
ちいさな一枚一枚が主役になれていいね。


      




本からヒカリを放つコトバ

2013-06-19 | 本 のこと



この四月から独学で新しい勉強を始めた。
道は遠いけれど、何かを学ぶことに遅すぎることはない。と思う。(いや、思いたい?)
うちの中三反抗期次男には「おばさんが今さら勉強してど~すんだよ」って
言われるけれどね。
いいんだよ。ひとは、勉強したいときにするもんです。

教本の中で、たまたま貝原益軒先生のコトバに出逢って
またまたゴ~ンとこころを打たれてしまった。

江戸時代の教育思想家、貝原益軒先生。

 人間の尊厳は「人の道」を学ぶことによって確保される。
 
 子どもが持つ成長力の発現を待ち、子ども独自の世界を尊重する・・・。

とかく結果を急いてしまいがちな、世の母のひとりとして
たいへん耳の痛いコトバ。

その子の持つ成長力の発現を待つ!!!

やはり母は信じて待つのみ、なのですなあ。

自分探索遭難中の次男坊も
成長の発現を辛抱強く待つといたしましょう。
(・・・いつまで待っていて良いのやら・・・は未知数ですが)

ところで、この貝原益軒先生、先日図書館で借りて読んだばかりの
赤瀬川原平氏著「祝!中古良品~アカセガワ版養生訓」(2006年発行)の中で
ちょうどお目にかかったばかり。
(益軒先生の養生訓を赤瀬川さん流に読み解いていく本です)

こうして、あっちとこっちが繋がるってオモシロイなあ。
この本も、とてもおもしろかった~。

本の中で、一際ピカ~っと光を放つコトバは自分用の処方箋のよう。
いいコトバを見つけることは、読書の醍醐味です。

  
     







「Neither one of us」

2013-06-15 | MUSICのこと



「Neither one of us」  
だいすきなDaryl Hall が唄うバージョンはすごくいい。

ふたりの人間の微妙な機微を唄った歌詞に
深くて心地よい彼のvoiceはジャストフィットなんだなあ。

近頃、この曲を聴きながら眠りに落ちる。
すきなオンガクは、とてもいい具合に
ふかふかのクッションになってくれるよね。

いろんなことがあってもね、いい音楽はこころを修復してくれるクスリです。

 

 


ショーウインドウの紫陽花

2013-06-15 | essay





すてきなワンピース。
ショーウィンドウの向こう側。
銀座にあるここのウィンドウ、わたしすきなんだ。
誰かの部屋のように物語があって
ゆめに見るよなすてきなお洋服が飾ってある。


紫陽花模様の清楚なワンピース。
憧れちゃうなあ。わたしがオネエサンだったら着たいなあ。
小学生の娘はこの写真を観て
リカちゃん人形に着せたいな、とつぶやく。(なんでもリカちゃん)


いつだったか、やっぱりこうしてここのウィンドウで
見惚れていたワンピースを

TVの中のお天気オネエサンが可愛らしく着こなしていた。

気が付いたら、わたしとっくに圏外。

オネエサンの時代にもっともっと
すてきないろんなタイプの服を着てみればよかったなあ。

こんなふんわり清楚なワンピースなんて、着たことあったかいな?
昔はワンピースといえば、ボディコンの時代だったからねえ。

高級品には手が出ないけれど、
いつかうちの娘っこも、ウィンドウの中の
すてきなワンピースの似合う清楚なオネエサンになってくれたらうれしいな。
母の密やかな楽しみです。

 

 


資生堂ギャラリー「椿会展・初心」を観る

2013-06-13 | 展覧会・アート のこと



資生堂ギャラリー 「椿会展:初心」を観てきました。

実は過日の赤瀬川さんの講演会に応募するも抽選に外れがっくり。
近年、わたし赤瀬川原平さんの大ファンになってしまって
ぜひ一度お話を拝聴してみたかったのです。

「椿会展」やっと観に行くことができました~。
資生堂ギャラリーは
とても品のある、小さいけれどフシギな開放感のあるギャラリー。

赤瀬川原平さん、畠山直哉さん、内藤礼さん。すきなひとが御三方も!!

赤瀬川さんの生の作品。初めてお目にかかれてたいへん光栄です。
千円札・・・!
そして「ハグ」という名の、剥がされたダイニングテーブルとイスの作品。
う~~ん。おもしろいなあ。

畠山直哉さんのホテルの部屋の写真シリーズもすきだなあ。
旅した世界中のそれぞれのホテルの部屋の壁に映るランプシェード越しの灯りと影。

そして、この日、一番こころを惹かれたのは
内藤礼さんの 「ひと」
 
ちっさいちっさい木彫りのひとが壁にちょこんと。
ちいさいのに、壁に映るそのちいさな影がすごい存在感があって・・・。

あまりに惹きつけられて、
「これ、かわいいですねえ・・・」と思わずスタッフの方に話しかけてしまったら
大きな虫めがねを貸してくださいました。

虫めがねでよくみると、ちょっと切ない表情をしていたのが印象的。。。
帰ってから、作品リストの裏に書かれた解説を読んでみると、
2011年6月より制作を開始して200人ほども「ひと」が生まれているとのこと。
震災へのいろんな想いが込められているのかもしれないね・・・。(勝手な解釈ですが)

ぜひ観てみたいものです。たくさんの「ひと」「ひと」「ひと」・・・(妄想中)

同じく内藤礼さんの「color beginning」にも なんだか ハッとさせられました。

他にも、大きな刺繍の作品や、馬とひとのスケッチなどなど
興味深い作品が盛り沢山の展覧会でした。

赤瀬川さんには、ぜひすこぶるお元気になられて
じゃんじゃん講演会や作品展を開催していただきたいものだなあ。
たのしみにお待ちしております。

 (もうすぐお別れの松坂屋からの一枚)



 


ドレミファブック 「トマト」のうた

2013-06-11 | 「ドレミファブック」 のこと

ドレミファブック 16巻の「トマト」

小さい頃、この歌すきだったなあ。

 ♪ 「トマトってかわいいなまえだね うえからよんでもト・マ・ト したからよんでもト・マ・ト
    トマトってなかなかおしゃれだね ちいさいときにはあおいふく おおきくなったらあかいふく 」

たったこれだけの歌詞なんだけれど、こどもにとっては
ものすごい大発見を教えてくれている たいへんインパクトのある歌。

大阪で暮らしていた小学校低学年のころ、
遊んでいた空き地にトマトが生えていて(いま思えばなぜトマトが?不思議な光景だ)
まだ青く固い小さなトマトを、ふたつみっつもいで家に持って帰った。

そのまま忘れて子ども部屋に放っておいたら
いつのまにか真っ赤に変身しているのを発見し、
あのトマトの歌の通りに「生きてる!」って実感したものだ。

ドレミファブック。
4歳ごろから8歳ごろまで毎日のようにかけていたレコード&絵本。
本を開くと、そのページに綴じられたさまざまな思い出が浮かび上がる。
ドレミファブックは、ふしぎな玉手箱みたい。

で、そのトマト、食べたかどうか。。。
それは覚えていないのだなあ。

トマトのおいしい季節になりました。




 


映画「BONBON」

2013-06-10 | 映画 のこと



久しぶりに、なあんだかとても平和な映画を観たなあ。

映画「ボンボン」2004年アルゼンチン映画

朴訥で お人好しで おとなしめなひとりのおじさんが主人公。
リストラされて、仕事も住むところもなく状況は悲惨なのだけれど
おじさんの目には怒りや焦りはひとつも映っておらず、
悲哀ときらきらとした純粋さだけが光る。

大きな白い犬(ドゴ種のボンボン)との出逢いで、(押しつけられたような状態なんだけれど)
風桶+わらしべ長者(?)状態に運気が上昇してゆく。

それでも全然浮足だったりせず、ありのままを静かに享受する、控えめすぎるこのおじさん。
こんなにいいひと、こういう風土に暮らしてこそなのだろうなあ。
都会でこのペースじゃ、ひとに踏みつぶされちゃうだろうな。
でもこういう、別次元を生きるひと、世の中には絶対必要枠。

ニンゲン味あふれる淡々とした平和な映画が観たいひと!

見終わったときに、ほんわかと温かくなる映画「BONBON」をどうぞ~。
一度観たら、おじさんの無垢なまなざしが脳裏から消えません~。
こころに住み着かれてしまいます。

       

 

 


こころの仕様

2013-06-09 | essay



こころの仕様って、ひとそれぞれ違うよね。

痛みに強いひと、弱いひと。
我慢のきくひと、そうでないひと。
どこが標準で、何が普通なのか
そんなこと誰にも測れない。

自分のとる道が、正しいのか間違っているのか
答えが出るのはずっと先のこと。

こころのままに~~~。

今現在、こころが良しとする方法を選び取って進むしかないよね。
後で、違ったみたいだ って思ったっていいやん。
そのもっともっと後では、やっぱり正解だったって思わないとも限らないし、
途中でどこかの角をひょいと曲がって違う道を行くことだってできる。


モノゴトはなるようになっているもの。

自然な歩幅で ムリをせずゆこう。


時には へこたれたって全然構わないよ。
一晩ぐっすり眠れば、こころの みえない細胞も
ちゃんと新しく生まれ変わってる。ダイジョウブだよ。


          




魅惑のUSED BOOKS

2013-06-07 | 本 のこと



古本の魅力に引き寄せられる~。

大量の古本に出逢える古本市、すきだなあ。
どんな本に出逢えるかな。って思うとワクワクしちゃうね。

とはいっても、わたしはすこぶる遅読タイプ。(だって本はゆっくり噛みしめて読みたいもん)
なので、前回の古本まつりで出逢った本もまだ全部は読み終えていないのだ~。
読みたい本が列を成してわたしを待ってる状態だ~。しあわせ。

それでもやっぱり、古本市があると新たな出逢いを求めていそいそと足を運んでしまう。

今回出逢えた本の一冊は、小林秀雄著「続文芸評論」(昭和23年発行)
小林秀雄の本は、どうしてもわたしは旧仮名遣いの古本で読みたいのだなあ。
古い本の香り。昔の紙質のざらっとした手触り。いいですねえ~。
この本もかなり傷んではいるけれど、昭和23年の初版本。(でも300円)
戦後たった3年の世の中って一体・・・。
昔の本って、手にするだけで、想いは拡がるなあ。

もう一冊面白い本を見つけた!
「縮刷丸の内今と昔」 という昭和27年発行の本。

 この本、すごく丁寧な装丁でできている。
丸の内界隈の歴史や建築物の移り変わりが詳しく書かれている模様。



当時の貴重なパノラマ写真まで折り込まれていて、すごく興味深い。
かなり専門的で、一体どういうひとが書いたのかと思ったら
発行は三菱地所株式会社。非売品と書いてあるので社史のようなものなのかな。
「今と昔」といっても、ここでいう今は約60年前のことかあ!面白い。
昔の建築物にはたいへん興味があるので、これも読むのがたのしみ~。

古本市って、本好きには宝探しのようなもの。
大量の冊数の中、ふと目に止まって手が触れる一冊。。。
千載一遇の奇跡的出逢い!って言ったら大袈裟かな。
探していたわけではないのに、出逢っちゃう面白さ。そういうのって、すきだなあ。





リカちゃんの聖地

2013-06-05 | essay

  

年齢を重ねると、「すきなもの」の幅がどんどん拡がる。

「すきなもの」のひとつ、リカちゃん。
リカちゃんは、わたしの原点。モノゴコロついた頃からずっとだいすき。

とっても久しぶりに自分のために人形を買ってしまった!
リカちゃんとジェニーの問屋さん「TOTOCO」さんへ
娘と一緒に初めてお邪魔してきた。

わたしは、リカちゃん好きだけれど、マニアでもコレクターでもないただのプレイヤー(?)。
こんな素敵な聖地があることを
最近までまったく知らずにいたのだ~。もったいないことを~。

現在の人形はもとより、さまざまなデッドストックの人形や小物でいっぱい!!

これはこれはたまりませ~ん。
これまたお店のおじさんがとても優しいお方で、
浮かれちゃってるわたしのいろんな問いに答えてくださり、
貴重なアニバーサリー商品などなどを解説と共に見せてくださった。


噂には聞いていたスマイルリカちゃんのファミリー勢揃い版!
みんな笑っているし~~。
しかもワンコのしっぽは植毛バージョン。(稀少なのだそうです!)

 所狭しと夢がぎっしり詰まってる店内を
娘とあっちへこっちへフラフラとさんざん迷ったあげく、わたしはこの子に決めました。

1999年日本製のリカちゃんのおともだち「きらちゃん」。

 娘はジェニーのスクールコーディネートシリーズの「ジュリアちゃん」日本製。

出掛ける前には、ふたりで一体だけ選ぼうねって決めていたのに
やっぱり好みは違うもので・・・それぞれ妥協はできず!!

近年のリカちゃんは、すっかり中国製になってしまって
日本製と比べると顔もボディーも全然ちがうのだ。
日本製の子は、なんというか品があるのよね。

わたしがモノゴコロついた頃から持っているリカちゃんたちは、
2世代通して遊び倒して色褪せているけれど、やっぱりいい顔をしているのだ。
わたしの初代&ニューリカちゃんたち、従姉やご近所からのお下がりリカちゃん、
そして現代のリカちゃんたち。
娘は相変らずヒマさえあれば新旧入り混じりの「リカちゃん遊び」に興じている。

わたしのリカちゃんたち、手放せないまま大事にしてきてよかったわ~。
数えたことはないけれど新旧のママやらおともだちたちやら全部で数十体はいるかも?

すきなものって、遺伝するのねえ?

人形の他には、靴とバッグのバラ売りと、てづくり用の小さなボタンやフックなどの服飾品も購入。
こんな小さなボタン、そうそう売ってない!さすがお人形の問屋さん。

気がついたら、あっという間に2時間も経っていて
「長々とすみません~~!」と恐縮していると
「いえいえ、大丈夫ですよ。みなさん、平均2時間です。」と、にっこり笑顔のおじさん。やさしい~。
本当にありがとうございました。たのしいひと時でした~。

 浅草橋にある「TOTOCO」さん。

ここは、時間を忘れる夢の国でした~。

リカちゃんよ、永遠に~

 

 


モッサンの冒険

2013-06-04 | essay



モッサンが行方不明になった。
次男坊が飼っているイモリのモッサン。
かなり高さのある水槽から一体どうやって?

以前イモリの飼い方の本に、脱走名人だと書いてあったっけ・・・。
油断してフタをしていなかったのがいけない。

イモリは両生類。脱走後10時間見つからなければまずダメなのだそうだ。
行方不明に気付いた夜9時ごろから一家総出で捜索開始。(いつ脱走したのかは不明)

諦めかけた12時前ごろ、やった~!捕獲!
夫が勝手口のタタキの隅っこに、埃だらけでうずくまるモッサンを見つけた。

なんと体は半分近く縮まって干上がる寸前の状態・・・。
急いで次男が丁寧に体の埃を洗ってやり、ひたひたの水にしばらく入れてやると
少しづつ動き出した。ぴったり閉じてくっついた目蓋は、開くまで数時間かかったらしい。
次男坊は、無事をちゃんと確認するまで寝ずに観察していたようだ。

あ~~~生きて見つかってよかった。
たかがイモリ、されどイモリ。
モッサンとモリーの二匹が家に来て数カ月。
イモリだって毎日一緒に暮らせばもう家族だ。
長生きしておくれ。

深夜の大捜索のお蔭で隅々の埃まできれいになりました~~。(今だけ~)

                


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