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時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

オールOKな気持ち

2025-08-29 | essay
今日、ひとつのお別れをしてきた。

次男の妊娠中から足掛け27年お世話になっている婦人科クリニックの院長先生が引退される。
Y先生はみんなのやさしいおかあさん的なお方。
婦人科検診で年に一度お邪魔するたび、先生の変わらぬ穏やかな笑顔にホッとするジブンがいた。
そして、何だかカラダだけじゃなくココロも全部オーケーな気持ちにしてもらえちゃうのだ。

わたしがそう言うと
Y先生は「私はあなたに会うたび何だか元気をもらってたのよ」とにっこり笑う。
うえ〜ん。

涙があふれそうなのをなんとか堪え、固く握手して診察室を後に。
帰りの電車であれやこれや思い出して泣きそうになって困った。。。

第一子の長男は病院で出産したものの、お産の医療行為にどうも納得が行かず、二人目、三人目は自然なお産が出来る助産院を選んだ。
信頼のおける助産師さんが医療担当としてタッグを組んでいたのがY先生だった。
(その後、助産師さんは助産院を畳んで沖縄へ移住〜!)

あっという間の27年。
この間に婦人科系の心配事を抱えた友人知人いったい何人にY先生のことをお勧めしただろう!

亡き心友をひっぱって連れて行ったこともあったし
彼女亡きあと親代りになって彼女のムスメの診察に付き添ったこともあったなぁ。

まだ元気なうちに引退することに決めたのよ〜!と先生。

ずっとご多忙だったことでしょうから、これからの自由時間をめいっぱい楽しんで、いつまでもお元気でいてくださいますように!こころから願います!

ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。


さみしいなあ。




綿毛休憩中

2025-08-28 | essay

芙蓉の蕾の上でのんびりとひとやすみしている綿毛に出会った。

風もなくカンカン照り。
こんなに暑いんだもん。
綿毛だって旅の途中に休憩したいよねえ。

かく言うわたしも自転車通勤途中に公園にヨリミチして水分補給です〜。

8月もようやく終わります!






Dreamer 同志

2025-08-16 | essay
奄美の友人、M画伯の絵をいただく!

彼は積年の友人。若い頃から共にドリーマーなり。

いつもの突然の上京の知らせになんとか時間をやり繰りしてランチ合流。

ちょこちょこ連絡を取り合ってはいるので久しぶりな気がしないのだけれど、思えばコロナ禍以前に会ったきり。
軽く6年は超えている。
相変わらず東京滞在中はハードスケジュールで音楽仲間と連日Live三昧らしい。

短時間でも互いに「よう生きとった!」と生存確認が出来てよかったよかった。

彼が持参してくれたこの絵は、私が以前撮った写真を描き起こしてくれたもの。
こちらが写真。
早起きしてウォーキングした日の朝のヒカリがとても美しかった瞬間。
わたしが以前インスタに載せたこの写真を見て「描きたい!!」と言ってたっけね。

すばらしいなあ!
昔から彼はしゃしゃっと気負いなく筆を走らせることの出来るひと。
仕事が忙しくても益々腕を上げている彼を尊敬しているのだ。

元は昔の会社で知り合った友人だけれど、何だか従兄のニイチャンみたいな存在の彼。

つい先日「非日常の偶然」に記した南の国の友人とは彼のこと。
またもや偶然が引き寄せた再会なのであった〜!

互いに元気でいよう!相棒!




非日常の偶然

2025-08-07 | essay
先日、諸用でいつもと違う大きな病院へ。
大きな病院は待ち時間がえらく長い。

待合室で高齢男性の車椅子を目にして
以前父の車椅子を押して付き添った大阪の病院を思い出していた正にその時、患者を呼ぶアナウンスが
「〇〇ダ〇〇オさん7番診察室へどうぞ」
なんと!父と同姓同名!!

こころの中で「え〜〜〜!?」と叫んで7番診察室へと向かうヒトを目で追う。
びっくり。もちろん見知らぬ他人。当たり前だけど。

その後、読んでいた本の中で「内田」という名を目にした途端今度は看護師さんが「内田さ〜ん内田さ〜ん」と呼ぶ声。
なんやろなぁ。。と
今度は本を閉じてぼ〜っとしていると、受付で話す男性の患者さんの声とイントネーションが南国で暮らす友人のそれとそっくりで思わず目をやる。
もちろん本人なわけはなく、同じお里のお方なのねえ。
と遠い友人を思い出しつつスマホを開く。
すると一番に目に飛び込んできたのはなんと彼のSNS投稿だった〜。

どれもこれもたまたまの偶然ではあるのだけれどね。

非日常の病院の待合室では
非日常な偶然が起きやすいのかもしれない。
それともピリピリと神経が研ぎ澄まされ過ぎて普段気付かないことに気付いてしまうのか。

いずれにせよ
偶然はオモシロイ。大好物なのである。




夢でつながる

2025-08-04 | essay
夢をみた。

亡き父の運転する車の助手席に座っている。
深海魚展のチケット売場ギリギリに車をつける。
私がそれほど観たくないなあと言うと
広い公園へと車を走らせる。

大きな公民館みたいな場所に入る。人が大勢いる。絵がたくさん飾ってある回廊を歩く。
何かの式典が始まる前に
父が「今のうちや。抜け出そう。こっちや」と出口へ。

私は赤い長靴に履き替えて先に芝生の広場へ出る。
側にいるひとを父と勘違いして話しかけるが、見知らぬ外国人だった。その人は困ったようににっこり笑う。

あれ、お父さんは?
出口を振り返るが誰もおらず
目覚ましのアラームで覚醒。

目覚めてしばらくまだ父が近くに居るような気がして起き上がらずに想いを巡らせる。。。

父と以前話していたことを思い出した。
「お父さん、あの世へ行ったら、向こうからコミュニケーションとる手段見つけて何かわかるようなサイン送ってよ」といつだったかわたしが言うと、
「そうやな、なんか方法見つけとくわ!」と父。

そんな話をしたのは、父が何度目かの手術から無事生還した時だったと思う。亡くなる数年前のこと。

運転がだいすきだった父。
車に乗ってわたしの夢に降りてきてくれたのかな。
(それが手段?笑)

お父さんの助手席。懐かしかったな。
またあっちからクルマを飛ばして降りてきてよ。
今度はお母さんも乗せて来て!笑






消えゆく木々

2025-07-31 | essay
最近街のシンボルとして保存樹木に指定されていた巨木が次々と姿を消している。

いつまでもそこにあるものと
思っていたのに
ある日突然姿がないことに気づく。

この街に暮らして早くも30数年。
順繰り順繰り、仕方のないことなのか…?

樹齢150年の大ケヤキ。
キミがもう居ないとは。。。


子どもたちが小学生の頃、授業の町探検で必ず立ち寄るスポットだったこの大樹。
同じ町内でもこの道を普段通ることはほとんどなく、いつ伐採されたのか全く気づかずにいた。

コロナ禍、よくウォーキングの通り道にしていた頃にはしっかり立っていたことは覚えているので、ほんの1年余りの内のことか。

隣の町内のお寺の門番のように立つ二本の銀杏の巨木もいつの間にか姿を消してしまったし、昔から子どもたちと毎年実を貰いに通った大きな桑の木も去年伐採されてしまった。


何れも近隣に危険が及ばないようにと樹木医の判断なのだろうけれど、何とも淋しいものだ。

巨木たちは少なくともジブンよりも長くそこにいるものと思い込んでいたけれど、ヒトも木も同じ。。。
あのだいすきな木もあの想い出の木も永遠ではない。

遠回りしてあの木に会いに行こう。





ささやかな夏のしあわせ

2025-07-25 | essay

毎夏恒例、楽しみな赤紫蘇ジュース作り。

すでに何回か作ったのだけれど、今年買えるのも最後かな〜と買って帰り葉っぱをザブザブ洗っていると。。。

ん?今なんか指に掴まった??
慌てて手を引き抜くと
ええ〜〜〜!
元気なカナブンが一匹!
びっくりしたなあ。

急いで庭に逃がしてやりました。
もう居ないだろうけれど
一応外で虫干し。

時期的にスーパーではもう赤紫蘇の葉を見かけなくなっていて、今回たまたま見つけたのはデパ地下の無農薬食品コーナー。

もう今季最後と奮発して少しお高い無農薬の奈良産の赤紫蘇を購入したのでありました。
茎は取り除かれほぼ葉っぱだけぎっしり詰めてあるので、結果お得感アリ。

生きたカナブンが一緒とはさすが無農薬ですな。
しかし、奈良から連れて来られたこのカナブンくん。
気づいたら見知らぬ土地に放り出されご本人もびっくりしたことでしょう。
アウェイな関東の暑い夏、がんばって生きてね

それにしても虫嫌いなお宅に買われて行かなくてよかったね!

あ〜きれいな〜
美味しいしあわせです。




よそのおウチの香り

2025-07-13 | essay
「なんかいい匂い」
ムスメが言う。
うちに帰ってきていた長男が側を通った時だ。

ん?長男のポロシャツの肩口辺りの匂いをかぐわたし。

あ〜ほんと。
よそのお家の洗濯物の匂いがする。
奥さまNちゃんの使う柔軟剤の香りなのね。

ジブンの子だけれど
もうよその家のひとになったのだなあと
こういう時にしみじみ実感する。

彼が結婚して1年半。
ふたりで暮らし始めてからは3年弱くらいか。

長男は幼少期に喘息と様々なアレルギーがあり、洗濯洗剤を石鹸素材のものに変え日用品も口に入るものもなるべく無香料無添加のものを選んで暮らしてきた。

そのせいか長男は匂いのあるものに敏感で、体に良いアロマオイルなどをわたしが使ってもその匂いを嫌がっていたものだが。。

なんと今やオシャレな柔軟剤の香りにも順応している〜

なぁ〜んだ!大丈夫なんじゃん!とわたしが言うと

「そんなに匂う?気づかなかった」と長男。愛だ。

ヒトは変われる。如何ようにも!
ま、母はちょっとさみしいような
頼もしいような。
まあ、ふたりがしあわせで何よりなのである。






蓮の花の香り

2025-07-10 | essay
朝5時前に目覚めてしまい
またもや近所のお寺の蓮の花の様子を見に朝さんぽ。

おはよう〜と
そ〜っと
近づいてみると
目覚めたばかりの純白のお花が薄曇りのやわらかな朝日を受けてとてもとてもうつくしい佇まいで綻んでいました。
朝6時の蓮の花。
花弁の奥を覗いてみると
仄かに甘く上品な香りが。。。

生まれ立ての蓮の花の香り。
思えばこんなに近づいて香るのは初めてのこと。。

こんな穏やかな朝を
永遠に迎えていられたらいい。。地球上の何処ででも。

世界的な異常気象。
地球は熱せられ過ぎていつか住める星ではなくなってしまうかもしれない。
地球の温暖化を加速させたのは紛れもなくニンゲンの文化。

同じ地球上で、健気にジブンの生を全うする植物や動物たちに申し訳ない気持ち。。

ニンゲン同士で争っている場合ではないのに、こうしている今もミサイルを落とし落とされる国々…。

地球はこんなにもうつくしいものたちで溢れているというのに。



蝉たち声を上げる

2025-07-09 | essay
この暑さにあっという間にクチナシの花もほぼ咲き終わり、幽かな甘い香りだけを遺してもう百日紅にバトンタッチだ。

数年前は確かクチナシと蝉の声は時期が重なっていたはず。。。
と、思っていたら
今日仕事前にヨリミチした公園でようやく数匹の蝉の合唱が聞こえてきた。
6月の異常な高温にいよいよ地中のセミやカブトムシなど夏の昆虫の幼虫たちの安否が心配になっていたところ。
ヨカッタヨカッタ!
生きて出て来れておめでとう!

梅雨明けの発表があろうがなかろうがもうどうでもよくなる。
蝉たちが夏だと鳴いている!

万全の熱中症対策を忘れず
これから数カ月続くであろう酷暑を一日一日気をつけて乗り切りましょう!




日本がしてきたこと

2025-07-07 | essay

かつて日本がしてきた戦争について学びの場へ。
スェーデンから帰省しているお友だちとその息子くんと。

15才の息子くんの提案で私も一緒に初めて訪れる靖國神社「遊就館」


古代〜江戸時代の刀剣や鎧の展示に始まり日清日露、太平洋戦争…
知らずにいた数々の史実とその生々しい戦いの道具、また遺品の数々に言葉を無くします。

最初の写真はC56型31号機関車
太平洋戦争中タイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ「泰緬鉄道」に使われたものとのこと。SLを真上から見るなんて初めてです。


戦争を歴史の事実として認識することは大切なことだとは思いますが
ここの展示では原爆被害やその周辺の史実があまりにもサラッと短く述べられているのみであることや
何より「第二次世界大戦」または「太平洋戦争」を今でも尚「大東亜戦争」と明記することに正直なところ違和感を覚えます。

靖國を後にし、すぐ近くの戦傷病者史料館「しょうけい館」へ。
こちらでは地に足のついた国民目線の戦争が語られていました。。
こうして見ると、わたしが子どもだった昭和40年代辺りはまだ戦後20年余り。。
街へ出ると白い服を着た傷痍軍人さんが路上に座って募金を募っていたことをよく覚えています。側を通るのが怖かったことも。

調べてみると終戦後昭和21年にGHQにより軍人への恩給が廃止となり
その後傷痍軍人会の活動により恩給が再開されたそうです。
しかし、恩給再開は昭和28年とのこと。
わたしが都会の駅前などで白い軍の病衣を着た傷痍軍人の方々を目にしていたのは既に昭和50年代に入っていた頃のこと。
国は充分な補償をしなかったのか???
いろいろと疑問が湧いてきます。

いつの時代も国が始めた戦争に巻き込まれ傷つけられるのは上層部でなく一般の国民。

Noと言える唯一のチャンスは民主主義の国に於いては政党を選ぶ選挙のみ。
物価高対策にばかり目のいく今回の選挙。
不穏な世のこれからをどう見据えているのか、そこもよく勉強すべきですね。


しょうけい館。
戦争を学ぶために子どもたちにもぜひ訪れてもらいたい場所でした。
(野戦病院の再現等かなり痛々しい場面有り。小さなお子さまは成長してからの方がいいかな…と思います)

この夏、終戦80周年。
日本は戦争をしないと決めて80年。
このままその「約束」を後世まで繋ぐことが私たちひとりひとりの役目です。

これまで一度も来ようと思わなかった場所へと導いてくれた遠くスェーデンからのBくんとCさん。
いい経験になりました。ありがとう!
人生幾つになっても知ること、学ぶことは大事ですね





「すき」のたいせつさを想う

2025-07-06 | essay

ふと、ジブンのブログを遡ってみたら綴り始めた頃は長男はまだ中学生で次男末っ子長女は小学生だったんだなぁ。と改めて積もった時間を想う。

先日、一年半前に結婚し来年30歳になる長男と都内の蚤の市に初めて親子コラボで出店。
わたしは革コモノのクラフトを、長男はアンティークウォッチを担当。

普段は一般企業のサラリーマンの彼だが最近時計修理に目覚めて、時々週末に実家に戻って時計修理を生業とする父親にアドバイスをもらいつつ修理の腕を少しずつ上げている。
趣味の釣りといい、ハマるととことんハマる質なのも父親譲りだ。
幼稚園位の頃よく時計を修理しているお父ちゃんの側で時計の部品をピンセットで仕分ける遊び(シゴト?)を飽きもせずコツコツ続けていたことを思い出す。

オモシロイものだなぁ。
「すきなこと」は探さなくてもカラダが知っている。

ココロとカラダはひとりにひとつ。意識せずともちゃんとコンビネーション良く機能しているんだなぁ。

昔、在籍していた通信大学のスクーリングの確か行動心理学の授業で
「やりたいことが見つからないと思う人は子どもの頃ジブンが何がすきだったか、何に夢中になっていたかをよく思い出してみるといい。そこにヒントが隠れている」という教えを聴いたことをよく覚えている。

そしてそれぞれノートにジブンが子どもの頃にすきだったことを書き出してみたんじゃなかったかな。
子どもの頃にすきだったことは今もすきだとその時実感したからこそこうして記憶にしっかり刻まれているのだろう。

もの凄く知識欲に衝き動かされて通信大学で学んでいたのは結婚後の28歳の頃のこと。長男の出産で一時休学し再び復学して卒業した。
気がつけば30年前のことなんだな。
学びの面白さに気付くのは、ジブンが学びたいとココロから強く思った時。
それが本当の学び時なんだなぁ。
あの頃スクーリングで受ける授業が本当に面白かったもの。
遊びたい盛りのティーンではなかなかムズカシイ。笑

そんなこんなで、その頃生まれた長男が正にその頃のわたしの年齢になったわけで。
彼も彼の中の子どもの頃にすきだったものが今もすきだと本能で気付いたのかもしれない?

先のことは何もわからないけれどいくつになろうと「すき」と思えることには無条件で素直に向き合う姿勢はとても大事。

本能に耳に澄まそう〜。









地面の下の虫のこどもたち

2025-06-21 | essay

葉っぱの落とす影が
ふいに目に飛び込んでくる。
梅雨とは思えないほどの暑さに影の濃さも夏仕様。

こんなに暑くても一つ足りないのは蝉の声。

いつも気象庁の発表を待たずとも
蝉が鳴いたら「梅雨明け」と勝手ながら決めている。

この暑さに土の中までも高温になってしまい根野菜が軒並み地中で傷んでしまうという。。。

土の中で眠っている虫の子どもたちは大丈夫だろうか。

絵本「根っこのこどもたち目をさます」をふと思い出す。

蝉の子どもたちも
地面の下でどうかがんばって。




あたらしい朝

2025-06-18 | essay
雨上がりの早朝のさんぽがすきだ。


SNSに投稿した朝のヒカリの
この写真を観た南の国のともだちが「描きたい!」とすぐ絵にしていた。
若い頃から趣味でイラストを描いていた彼は今ではすっかり南国の画伯だ。

遠くてもつながってる。
ありがたいことだな。

いつもの森もあたらしい朝のヒカリを浴びて大きく伸びをしているよう。

ねぼすけヒメジョオンも起き出す時間。



今年もメタセコイアの新芽が輝かしい。

こんなに地球はうつくしく
植物たちは懸命にその命を輝かせているというのに。
ニンゲンは。。。
と、ニュースに憂う。

憂いでいても埒が明かないので
さぁ!今日もよりよく生きよう!






だいすきというコトバ

2025-06-11 | essay

独学で3年掛かりで保育士資格を取得した49歳から
気づいたら10年。

50歳の春に幼稚園の預かり保育の新米先生になってからなんともう10年目に突入だ。
この10年いろんなことがあり過ぎて正に光陰矢の如し。
気持ちはまだ新米先生なんだけどな。

最初の頃から「せんせいなんさい?」の質問に常に「500さいだよ」と答え続けているうちにあれ〜?そろそろ「600さい」に更新しなきゃね。

想うところもあり何度も転職を考えたものだが、
家業の仕事、モノづくりの仕事と幼稚園の仕事、三足のワラジを履き続けるには、今の職場のように融通の利く場はそうそうない。

おまけに義父母の介護が毎日のルーティンとなり綱渡りのような日々の現在、ちびっこたちと過ごす時間はすっかりエネルギーチャージタイム!と化しているのが現実。
時にハード過ぎて脳疲労状態となる日もあるけれど〜。

まだ幼児時代の子どもは変な忖度もなく本能優先だ。
真っ直ぐな瞳で周りのオトナをよ〜くみている。
だからこそジブンもひとりのオトナとして、正しくそしてやわらかなこころを忘れないニンゲンで有りたいと思う。というよりもそう有りたいと思わせてもらっている、という方が正しいかも。

毎日のように真っ直ぐな瞳で「せんせいだいすき!」と皆からのダイスキシャワーを浴びていると、自ずとジブンも周りにダイスキシャワーの余剰分をわけてあげたくなるもの。

髪型をちょっと変えただけでもすぐ気づく子どもたち。
「せんせいカワイイ!」などと褒めてもらって、素直にテンション急上昇な還暦手前のわたくしです。笑
ニンゲン、オメデタイくらいが丁度いいのかも〜?

この9年間にもらい続けた「だいすき」というコトバはわたしにしっかりしみ込んで熟成されていくよう。
日々成長し3年間で園から巣立っていく子どもたち。。
わたしも共に幾つになっても成長していたいものであります。




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