時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

平成~江戸の秋。

2014-11-29 | 展覧会・アート のこと

 

東京ミッドタウン内のFUJIFILMスクエア。
土門拳の写真展示を観に立ち寄ったら、
隣の部屋では色鮮やかな「蜷川実花」写真展が。
目が覚めるような天然色!カラー、カラー!




撮影OKだったので、撮ってみました。
すごい。色彩の洪水だ~~。



モノクロ写真の昭和から、突然超現代に引き戻されました~。

まだ時間が早かったので、お茶でも・・・
と、ふと思い立って
この界隈で時間の自由のきく仕事をしているともだちに連絡してみる。
 
 あらそう残念、これから会議かあ。 前もって連絡せい! としかられる。

もうひとり、もしかしてオフかも?と思いついて連絡してみると、連絡つかず。
介助の仕事で東京ドームの傍のプラネタリウムにいたよ と後からメール。

ひとり行動は、たいてい思いつきで出かけちゃうのでね~。
思いつきで誘ったって、平日昼間にほいっと出られるともだちはそうそういません。
それでも、もしかしてちょうどヒマだった!ってこともあるかもしれないので
懲りずに声を掛けてみるのがオモシロイのです。

まあ、いいや。小春日和の気持ちの良い昼下がり。
屋内でひとりでお茶するのはもったいないので
ミッドタウンに隣接する公園をぐるりとお散歩。

ここの近くに昔、グランドピアノを弾いてくれる父のお気に入りのJAZZバーがあって、
よく飲みに連れて行かれたっけなあ。。。と昔を想う。

昔、と言えば、ここミッドタウンは、防衛庁跡地。
でももっと遡れば、かつては大名屋敷のあった場所なんだよねえ。

高層ビルと紅葉を見上げながら、
暫し江戸の頃に想いを飛ばしてみる。
その頃にも、同じように人々はこうして色づいた木々を見上げていたのでしょうね。



 都会の紅葉もそろそろ終盤ですね。


  街はもうクリスマス色。

今年もまた、一年が駆け足で過ぎていこうとしています。 年女もまもなく終わりです~。

 


 


むかしのこども。今のこども。土門拳の写真におもう。

2014-11-29 | 展覧会・アート のこと

 

チューリヒ美術館展を観たあと、FUJIFILMスクエアへ。
新美術館へ行くと帰りにはいつもここへ立ち寄る。わたしの中ではセットコース。

土門拳の写真は、たくましい昭和のこどもたちがありのままにそこにいるようですきだ。
どこでだったか他の写真展で出逢ってから、すきな写真家のひとり。

力いっぱい遊んで、力いっぱいわらって、力いっぱい泣いてる子どもたち。

こうして観ると、昔の子どもは屋外の全ての場所を「遊び場」にしてしまえてたんだよね。
そういう暮らし、幸せだなあ。

今の子どもと決定的に違うのは、子ども同士の距離が密なこと。
常に触れ合って押し合ってぎゅうぎゅう遠慮なしに遊んでいる感じがする。
近所の子も、兄弟もみな同じ、みたいな。

今の子どもたちは、昔と違って親の目の届くところで
小ぎれいに遊ぶし、ぎゅうぎゅう感かない。
小さいうちから子ども同士でも一定の距離がある感じ。

こういう、子ども時代の、遠慮なしの「ぎゅうぎゅう感」が
実はひとのココロのぬくもりの根っこを作る材料のひとつなのかもしれないなあ・・・。





チューリヒ美術館展*国立新美術館

2014-11-28 | 展覧会・アート のこと

 国立新美術館へ

ここは建物がとてもすき。
外観の清々しさもさることながら、内部のゆったりとした開放感がいいんだなあ。

なぜかここへ来る日はいつも快晴。
波打つ美術館が青い空によく映える。





お休みの小春日和。
思い立って「チューリヒ美術館展」へ

宣伝通りに大御所の代表作揃い。豪華な見本市のような展覧会。

有名な画家の絵が多い展覧会とはいえ、
観るほどに既視感がつのる・・・。

あれも、これも、 あれ?これも。 全部じゃないのだけれど
わたし、観たことあるかも ??

絵のいくつかは以前ポストカードを買って持ってる。

家に帰って昔のポストカードを確かめたら、あらまあ、まさにこの美術館でした~。

昔20代の終わり頃にヨーロッパを鉄道で貧乏旅行した時
滞在した街の美術館は必ずと言っていいほど立ち寄っていたので
わたし、チューリッヒ美術館も観ていたようです。
記憶ってものはいいかげんなものだなあ。

昔の旅のノートを久しぶりに引っ張り出して紐解くと、
ちゃんと自分の字で書いてありました。

1994年 11月6日 チューリッヒ。 ぶらり、美術館へ。
「KUNSTHAUS ZURICH」 の入場券まで貼ってありました~。

そっか。「チューリヒ美術館」って日本語としては記憶がないから
余計に覚えていなかったのか?
ここでは、ジャコメッティの細い細い彫刻と
セガンティーニの山の風景に感銘を受けたことはよく覚えてる。
だいすきなマグリットも数点あったような。

ところで、この旅の記録ノート、当時の切符や入場券、
チョコレートの紙やらチーズのラベル、お店のレシートまで
ありとあらゆるものが行程とともに添付してある。
紙モノ好きのわたしらしい仕業だなあ。
後で旅を思い返して楽しもうって思っていたのね、自分。
大事に仕舞い込んだまま、開いたのはもう10年以上ぶり。
せっかくだから、ちょっとこの手帳であの長い旅をこころで再現してみよう。

1994年かあ。。。
あれから、三人の人間をこの世に送り出したり
たいせつな人を見送ったり・・・。

あれよあれよと言う間にちょうど20年経ったんだ・・・・・・・。
おそろしい~~。光陰矢の如し。

それにしても、当時こころを魅かれた絵はちゃんと覚えているものなんだなあ。

今回話題のモネの大きな絵「睡蓮の池、夕暮れ」は、なぜか全然記憶にない。
今回観ても、やっぱりわたしのこころには入ってこない。
絵も、なにごとも、「スキかそうではないか」で
本能的に記憶の箱に入れるか入れないかを割り振っているのかもね。

モネは、今回 「陽のあたる摘み藁」の光と影の中のたくさんの色遣いにこころを奪われました~。

今回の展覧会に来ている絵の中で
20年前にも気に入ってポストカードを買っていたのは
ホドラー 「日没のレマン湖」
シャガール 「ヴィテブスクの上で」
ジャコメッティ 「広場を横切る男」

今観ても、やっぱりすきなものは目を引く。
おもしろいなあ。

本能的にすきなものってのは、一度すきって思ったらきっと一生すきなのね。



「チューリヒ美術館展」 国立新美術館にて 2014年12月15日まで。


削ぎ落とされたあとに残るもの

2014-11-27 | essay



ともだちと集まっておしゃべり。
何にあんなに笑ったんだっけ って 翌朝には忘れちゃってるくらいに
他愛のないおしゃべりに大笑いしながら
夜が更けていく楽しい時間。

少女の頃も、思春期にも
「ともだち」 ってものは
欠かすことのできないとてもたいせつなもの。

でも、「ともだち」が居てくれることがより重要になってくるのは
もしかしたら、これから先のもっと年を重ねていくほどに・・・なのかも。

「妻」「母」「娘」「嫁」・・・ 頭に載っけてる みえないいろんな冠。

これから先、いろんなものが削ぎ落とされてきた時に
みえてくるもの。。。

そのときに、こころが一番必要とするものは、
ここちよいひととの関係。こころやすい本当のともだち。。。なのかもしれません。

縁あって出逢った、現在逢えるたいせつなひとびと。
あちら側へ逝ってしまって今は逢えないアノ子も
これから出逢う未来のともだちも 
わたしのこころのタカラです。 d(^-^*)

能天気な上にややこしいわたくしではございますが
みなさま~末永くよろしくお願いしたいところであります。

 


ちいさい秋の見つけ方

2014-11-26 | essay

 

ちいさい秋みっけ。

紅葉で有名な観光地で壮大な紅葉の山を観ることもそりゃあすきではあるけれど

ひっそりと 街角で色づいてる葉っぱを見つけるのも すきだなあ。

年齢を重ねると、何処かへ行かずとも今いる場所で
ちいさいシアワセをみつけることが上手になる。 ような気がする。



みどりの時も、ここはすきな場所。
ひと月半前はまだ、緑のグラデーションレースだったのね。



身近な場所で自生しているこうしたツタ系の植物ってとてもすき。

実は、いつも通る近所の駐車場の柵にも絡まる植物があり
とてもすきだったのだけれど・・・。

夏の終わりにごっそり引き抜かれてしまった。

毎年春には可愛い葉を芽吹き、
夏にはこれでもかと どこまでもツルと葉を伸ばす力強い生命力をみせてくれる。
秋にはぶどう色のかわいいまんまるな実をつけて、だんだんと色を変えて行く・・・。

ここの植物をいつも目にしながら
勝手に季節の移り変わりを感じていたのになあ。

まあ、管理者にしてみれば雑草なんだよね。
でも通行の邪魔もしていないし、柵が緑に彩られて目にも優しいし
出来ればそのままにしてあげてほしいなあ。

こういう身近にあるちいさな自然ってたいせつ。

「雑草」って呼ばれる植物でも、
通りがかりのひとにこうして思わぬ潤いを与えているかもしれないのにね。
きっとわたしだけじゃないと思うなあ。
今頃はあのかわいいまんまるの実が生っていたのにな・・・ってざんねんに思ってるひと。

次の春に、残った根からまた逞しく芽吹いて
ぐんぐんツルを伸ばすことを、こっそり祈っています。

 


温度のある写真のチカラ

2014-11-25 | essay

もう何年も観るのが日課だったblogがもうすぐ終了してしまう。
奄美のともだちが10年来続けてきた写真ブログ。amaminmin。
OCN自体のサービスが終わってしまうのだそうだ。

長いこと、彼の撮る朝陽や夕陽には、どんだけココロを照らしてもらったことか。。。

潮風や空気の温度や湿度まで伝わってくる写真の数々。

写真には、撮るひとのタマシイの温度もちゃんと重なるんだ・・・と、初めて感じたのも彼の写真。

うつくしい空と海と風。さまざまな木々。。。
わたし、何度救われたか知れません。まじ。

自分の内側に嵐が吹き荒れる日も、ココロがどしゃ降りの日も、
写真の茜色の太陽や光るさざ波に何度もココロを持ち上げてもらいました。

温度のある写真には底知れぬチカラが潜んでいるのです。

今月30日までは観れるそうですので
写真のすきな方はぜひ覗いてみてください。http://amamimasu.blog.ocn.ne.jp/



(最後だから、一枚コピっちゃったよ Mっち!
コピー出来ちゃうことも今知りました。)

本当に本当にありがとう。
Facebookは始める予定がないけれど
観れるようにしたいと思います!


追記*******
12月1日。OCNのブログが終了したらコピペ写真も消えちゃいました。ああ、無情。
gooブログへ過去の写真はお引っ越しするそうです。




 


赤の季節におもう。

2014-11-25 | essay



 

 期間限定スター、降臨。

子どもたちが小さかった頃は、競ってキレイな落ち葉を拾って
おばあちゃんにプレゼントしていたっけなあ。。。

季節は廻る。ぐるぐるぐる。幾度廻っても毎年ちゃんと間違えることなく赤く色づく。

自然はすごいねえ。。。
ニンゲンも自然の一部なんだってことを
街にいると忘れてしまいがち。。。

時には地面を手で触って
体の奥の方に太古の時代に刻み込まれた本能に耳を澄ますことも必要かもね。

木の肌を触ってみると、寒い日でも思いのほか温かい。
ニンゲンは地球を我が物のように思っているけれど
植物やさまざまな微生物に比べたら、全くの新参者なんだよね。

ニンゲンの身勝手な行動でこれ以上地球を汚さないように
ひとりひとりが考えなきゃいけないよね。


雨上がりの森の匂い

2014-11-21 | essay

久しぶりにともだちの森の家へ。

雨上がりの午前の森はしっとりとした新鮮な空気が立ちこめて
濃厚な森の薫りに満ちてる。

光を浴びた葉っぱから淡い靄が空中へ昇っていく。



森を見渡す静かなリビングで まったりお茶をいただいていると
もう車通りの多い我が家へは戻りたくなくなってしまう。。。

 玄関に住む大きな女郎蜘蛛。
わたしもこの蜘蛛みたいに、ここに居候しようかな~。



いい感じの苔。いい感じの切り株。。。
あたらしい空気を深呼吸。 リフレ~ッシュ。

カラダの中の酸素が入れ替えると
ココロまでパリッと新鮮な・・・感じ。気のせい?いえいえ、木のせいです(笑)

 

 


厚かましい自己肯定

2014-11-21 | essay

光のつぶつぶを掬って
透明なビンに詰めたら
永遠に消えない光の瓶詰ができるかな


なに言っちゃってんの~。
てなことを、

写真の中のたくさんの光の[まる]を見ているうちに
いつの間にかそんな夢想をしている自分に気づいてあきれる。

中学生の頃の自分とちっとも変ってない。 ま、いいか、それもわたし。

自分の中の乙女、健在です。
アラフィフの、厚かましさが混じるようになった自己肯定、 おそるべし?

 


久しぶりにみた!

2014-11-20 | essay

 昔ながらの字体で 昔ながらの針金で。

全国ペンキ協会(?)とかでこの貼り紙、規格が決められているのかしら~~?
変わらなすぎて、なんだかほっとしちゃうな。
吉祥寺の路上にて、思わず立ち止まってパチリ。

モノクロにしたら昭和20年代!? 

 


時間が経ってからやっとわかること。

2014-11-18 | essay



突然降りかかる 辛いことや かなしい出来事。

それは、「強くなるために与えられる試練」だとか
よく云われるけれど

わたし、ちょっとわかってきた。

それは 試練とかテストなんかじゃない。
カミサマとか誰かに試されているわけじゃないんだよね。
それは生きているうちに起きるたくさんの「出来事のひとつ」。

ハードルの高いキツイ出来事を一生懸命自分なりに乗り越えることで
些細なうれしいことや、小さなたのしいことを
何倍にも 増幅して享受できるチカラを得る。

自分以外のひとの抱える痛みも、身をもってわかるようになる。

確かに、何かを超えるたびに強くはなれる。ような気がする。
それはきっと誰でも。

「試練」なんだと、躍起になって無理をして
急いでテストをクリアしようなんて、思わなくていい。

自分なりの歩幅と速度で
前進したり、ちょっと休んだりしながら一歩一歩行ければそれでいい。 

というより

息切れするほど急いで駆け抜けようとしたって
転んで振り出しに戻る・・・ってなことになったりしちゃうんだな。(経験済みです)

結局、なるようにしかならない。


「ココロ」って、シーソーみたいに
大きく傾くこともあるけれど
生来、上手いことバランスがとれるように出来ているもの。

出来事によって振れ幅が違うだけ。

マイナスが大きければ
プラスだって大きいんだよ。発想の逆転!


なあんてことを
時間が経つほどに だんだんわかってきました。
まだまだ道の途上ではありますが。

ものごとには、それぞれに必要な「時間」があるのですねえ。。。


その気になれば。

2014-11-17 | essay

 びっくりするほど薄い建物!

うわあ、この建物なんだろ??と近寄ると・・・
立派なラーメン屋さんでした。
たまたま側面から遭遇してしまったから驚いたけれど
通りから見ればきっと普通のお店。
だって通りの反対側の歩道は何度も通っていたのに気付かなかったんだもん。

その気になればどんなことも可能なんだなあ。
奥行きは一畳ほど?
それにしても、2階もあるみたいだけれど
中はどうなっているのでしょう???ハシゴかな?

今度、ラーメン食べに入ってみようかな。




天然リース

2014-11-16 | essay



赤い実の代表格。ハナミズキの紅葉が見事です。

写真でみると、ぽっかり空がまあるく抜けて 天然のリースみたい。

ちょっと気の早い、期間限定のクリスマス・リースです。

 このピンクは何の花びらなんだろう。

あたり一面がピンクのてんてんの敷物のようになっていました。

沈黙の冬を前に、秋の木々はおしゃべりです。

 


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