時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

365日のカラフルな雫

2013-12-30 | essay



今年ももう終わりますね。

年々加速していく時間。。。一年があまりに早く経ち過ぎて、置いていかれそう。
いっそのこと、ちょっと置いていかれてみようかな。
時間に置いていかれたら、特別な時間が生まれるのかな?

なあんて。
忙しい忙しい!と子どもらに言いつつ
いつの間にやら、こころでは ポケラ~ン とそんなことを考えているいつものわたしなのでありました。


今年もいろんなことがありました。キッツイことやツッライこと(?)も。
ここには書けないような壮絶
バトルも大いにありました。

それでも、それ以上にたのしいこと、うれしいこと、たくさんの出逢いもあって
廻りのすべてのひとびとや、様々な出来事に
わたしの時間の、しずく一つ一つ、どれもがちゃんといろんな色に彩られていました。

今年は、このブログを「ブログ村」などのサイトにも初めて参加させていただきました。
サイトからお越しくださるみなさまにも、今ここで改めて、ありがとうございます!

またまた、以前からご縁あって訪れてくださっていたみなさま、ともだちのみなさま!!
一年の終わりに改めて、こころよりありがとうございます!

今年は、なんとこのブログをきっかけにブログを超えてリアルなおともだちを授かるという、
なんだかコワイと思っていた未知のネット世界の
素晴らしいプラス効果版のお手本!みたいなご縁もいただけました。(mさんホントにありがとう
とてもフシギな繋がりに感謝しています。

先日、いつからこのブログを始めたのだったっけ?と調べてみると、遡ること4年半前。
ブログを始めたきっかけも、今のコンセプトも、「こころの風通し」です。

4~5年前、母を亡くして3年後くらい・・・。
喪ったものがあまりに大き過ぎて、ぱらぱらとこころが乾燥して
自分が散り散りに分解してしまいそうな、
妙な焦燥感に駆られることが時にありました。

そんな心もとない自分を、ちゃんと掻き集めて向き合いたくて
ひとつひとつ、こころの引き出しを開けて自分の存在を確かめていくという作業を
したくなった・・・というわけなのでした。
書くことは昔からすきでしたが、自分の書いたものを
どなたかが遠くで共感してくれているかもしれない・・・と
いう想いは、
わたしにとても大きな勇気とチカラを注いでくれるものでした。

『自分のこころとちゃんと向き合うこと。』
このことは、わたしをちゃんと「わたし」として安定させてくれました。
その上成長もさせてくれたように思います。
この、書くというこころの風通し作業は、
自分を立て直すために必要な作業だったのだろう、と思います。


好き勝手なこと綴ってるだけじゃ~ん!

というお声も聴こえてきそうですが、まったくそのとおり!
それでもわたしには大事な時間だったのですねえ。


ブログを始めてからも、たくさんいろんなことがありました。
ほんとうのところ、キャパを超える出来事もありました。ありすぎかもしれません。
ま、それでもなんとかなるように押したり引いたり足したり掛けたり??
そして、何よりまわりのひとびとの温かさに助けられてきました・・・。(ありがとうっ)

どんなことも、なるようにしかならない。って思えば、ひとつひとつなんとかなるもんです。

いい加減な性格で、めでたしめでたしです。(?)


わたしの拙い思いつくままの散文を読みにいらしてくださり本当にありがとうございました。
これからも気の向くままに書いてゆくのではないかな・・・と思います。
どうぞ、気の向いたときに、いつでも読み流しにきてください。

コメント欄は設けてございませんが、もしも物申したい!という方がいらっしゃいましたら
お便り欄からどうぞお気軽にお越しくださいね。
(gooのメールシステムは3月で終わってしまうらしいですが^^;)



どなたさまにも、2014年が、明るい希望の一年でありますようこころよりお祈り申し上げます。

       時間のしずく timedrops    ~~ miko ~~

                                       

 
                       



斬る!

2013-12-28 | essay



たまたまつけた深夜のTV番組がすごく面白くてじっくり観ちゃった。

建築家の安藤忠雄さん、このひとのイキザマはかっこええなあ。

トークの中で、教育について

「偏差値教育に囚われすぎて、できる子もできない子も勉強しすぎ。
できない子はすっぱり諦めて他のコトやったらええんです。」

スパッと斬る。

気持ええなあ~~。安藤さん、すっきやわあ。

されど・・・学歴社会のニッポン。
かなしいかな、なかなかムズカシイところです。

学びたいことを、学びたくなった時に学ぶのが
一番オモシロくて、身につくものだと思うのだけれどね!本来はね。


安藤さんのお人柄、建築物にもちゃんと出てるよね。
自分のしたい確固たるコトを若いうちに見つけること。 それも一種の才能なのでしょう。

    

 

 


写真展「植田正治のつくりかた」

2013-12-26 | 展覧会・アート のこと



浅草橋の革問屋さんへ仕入れに行った折に
あ!そうだ!と思いつき、今年最後のこころの栄養補給へ。

東京ステーションギャラリーで開催中の「植田正治のつくりかた」

山陰の写真家、植田正治さんの写真はすきだなあ。

植田正治さんの撮るモノクロームの風景もすきなんだけれど
このひとの撮るこどもやお年寄りの写真もいいよねえ。
ファインダーを覗く視線のやさしさが写真に照り返されて写り込んでいる感じなんだな。

展示の中のご本人のコトバに、こころを惹かれる一文があった。

「ファインダーというのはピントを合わせることや、瞬時に対象をとらえるための小窓としてだけでなく
自らの心の世界を展開する目として使うことができたら、また新しい世界が生まれることもあろうではないか」

植田さんの写真がこんなにストレートにこころに入ってくるのは
ご本人のこころを正直に写真にのせて観せてくださっているからなのかもしれないね。

展示の最後のほうにあった、ただならぬ寂寥感の漂う風景写真の一枚に
こころを奪われてしまった。
最期のフィルムに遺された写真なのだそうだ。

静かな静かな、音を感じさせない写真。
亡くなる前に、こういう写真が撮れるということは
しずかなしずかなこころでいらした ということなのでしょう。。。

自分も、いつかはそういうふうでありたいな・・・と
ぼんやりとそう思う年の瀬なのでありました。

 (ギャラリーの回廊から見降ろす改札口は
音のないドラマをみているようで結構すき。)




踊る木

2013-12-25 | essay

 

久しぶりに、ゆうやけに間に合った。

丘の上から西の空を見る。

うわ。 動くわけないけど、この木、ダンシング?



風もないのに、この躍動感はなに。

木って、その日その日で違う表情を持つんだよね。



こちらはそっと寄り添う木。

静かな静かなイヴの夕暮れでした。





黒い瞳

2013-12-23 | essay



二年前に亡くした心友の娘kちゃんと、時々逢ってあれこれおしゃべり。

先日 吉祥寺で待ち合わせて、彼女の大学の授業の時間まで
ぶらっと歩いておひるごはん。

あれ?なんか、化粧変えた?
何処かなんか、違うよ?

小さいころからもともと可愛いけれど、なんだかいつもよりもっとカワイくなってる。

なんだなんだ?何が違う?? まじまじと見つめるわたしに、
「あ!カラコンのせい?」と、kちゃん。

そっか!それだ!

自分の黒目より円周が大きい「黒いカラーコンタクト」なんだそうな。
確かに。黒い大きな瞳クッキリ。お人形のようだよ。

それって、世界がダークに見えちゃわないの?
というわたしの愚問を笑い飛ばして、ぜんぜん!クリアだよ!と彼女。

ツケマとかアイラインとかの目のお化粧するより
カラコンの方がラクで簡単にカワイイのだそうだ。なあるほど~。
ピンクのと、ブルーのカラコンも持ってるという~。

バンドでボーカルをしている彼女、夜は連日のようにスタジオで練習。
女の子ボーカルは、見栄えもそりゃあ重要なのかも?
でも、素のままで十分可愛いから、あんまり変わらないでね。
ずっとおばちゃんのカワイイkちゃんでいてください。

それにしても、現代っ子は色んなカワイイ道具があって楽しそう。

わたしもカラコンはめて可愛くなっちゃってみようかしら? (…すみません。)
はめてみたところで、きっとだあれにも気づかれないことでしょう。

それ以前に、実は普通のコンタクトも怖くて未経験なわたくしなのでありました~。

     どなた様にも☆ Merry Christmas☆


レコード少年

2013-12-22 | MUSICのこと



うちの次男坊、レコードにハマる。

しかも、日本の歌謡曲。
「相棒」でファンになった水谷豊のCDを聴いてみたら
近年再録音したものだったらしく、
「当時のレコードで聴いてみたい」と
懐かしい「カルフォルニア・コネクション」のシングル盤をネットで見つけた。
「やっぱり当時のレコードはちがう!」と、少年感激。

15歳。彼の趣味は渋すぎ。
「西部警察」のDVDにハマってからというもの、
なんと石原裕次郎を聴いては、「シブイねーいいねー」。。。
う~~ん、わたしを通り越しておばあちゃんの時代のアイドルだよ?
懐かしの歌謡曲みたいなTV番組で寺尾聡の「ルビーの指輪」にもはまり、(これは懐かしい)
彼はすっかり昭和の少年化しておる。

先日、古本まつりのレコードコーナーで、
 「ルビーの指輪」のシングルを250円でみつけたので、彼におみやげ!

ついでに、お!ラッキー!と見つけたのは
S&Gの「明日に架ける橋」のシングルレコード。
この不朽の名曲は、深い深~い人間愛を感じる応援歌だ。
ワイワイぐいぐいと応援するのではなく、
 「大丈夫。そばにいるから。」って静かに安心させてくれる唄。

なので、「これはキミへ捧げる応援歌だ!聴きたまえ。」と、無理矢理プレゼント。

「え~、少女に向かって歌ってるんじゃん~。」 と歌詞カードを読んで不満気に言う彼に
「そこは、boy と置き換えて聴きたまえ」と、いい加減なわたしは言い放っておく。

うん、まあまあ いい曲だね。 と息子。

ま、今のところは、それでよし! 
いつかキミのこころの底へと沁み込んでいくことを願おう。
そして、いつの日か出逢う「girl」を
この唄のように、安心させてあげられる懐の深い男子になれるといいね~。

 このドーナス盤の三角穴のタイプ、懐かしい!

 



 


トマソンみっけ。

2013-12-22 | essay

 久しぶりに見つけました。
トマソン物件。空中ゆきの無用ドア!in くにたち。
ここは建物の2階の壁。開けても空中があるのみ。



いやあ、おもしろい。あのドアの向こう側から開けてみたい~~。
知らずにビックリしてみたい~。


コトバの薫り

2013-12-21 | 本 のこと



森鴎外 「舞姫」を読む。

先日久しぶりにお逢いした高校時代のT先生が
「鴎外の恋 舞姫エリスの真実」という本がすごく面白かったよ、と話してくださった。

お恥ずかしながら「舞姫」はちゃんと読んだ記憶がない。。。
いつだったか、読み始めて途中で脱落した覚えはあるのだなあ。
先生は、高三の現国で習ったはずじゃないかな~とおっしゃるのだけれど??
(ちなみにT先生は英語の先生です)

で、うちにある古い文学全集の中から、森鴎外の巻を探し出してしっかり読んだ。

なんて・・・なんてせつない物語なんだろう・・・・。
やっぱりちゃんと最後まで読んでいなかった。 (日本人なのに!)
だって、読んでいたらこんな物語忘れるわけがない。 (授業を聴いていなかったのか、わたし?)

なんだか・・・「ジェーン・エア」の、あのかわいそうなバーサを思い出してしまった。

後日、先生が送ってくださった「鴎外の恋 舞姫エリスの真実」六草いちか著は、
舞姫の真実に迫る謎解きのお話。


憐れなエリス、豊太郎のこころの底の想いは・・・?
物語がこころから離れず、「舞姫」を読み終えた翌日、すぐに
読み始めた。
これはこれは~!すっごいおもしろい。のっけからぐいっと引き込まれてしまった。

わたしは遅読派なので(!)じっくりゆっくり読ませていただきます。この先がたのしみ~。


それにしても、「舞姫」。。。昔の文語体の文章はなんとも気高く美しいですね。

遅ればせながら、こうして「舞姫」の薫り高き文章に浸ることができたのも先生のおかげ!
15のころから、わたしの人生にたくさんの文化的影響を与えてくださるT先生には
こころから、こころの底から感謝しています ☆

 


白いカーテン

2013-12-20 | essay

初雪予報の出た朝。
見上げた空に
雲のカーテンがかかっていた。

ここから先は冬空です。
って看板でも掲げてありそうなくらいに
くっきり仕切られたカーテン。
空のうえから誰かがこっそり引いているみたい。

このあと、すっかり厚いカーテンに覆われてしまいました。
いよいよ真冬の到来です。

 

 


ねむるカメラ

2013-12-19 | essay



父から、嫁ぐときに譲られたブロニカのカメラ一式。

メカニックなものに弱いわたくし故、すっかり冬眠したままに。

そしていよいよ、20年の冬眠から覚める時が!

最近ご縁あって出逢ったmさん。
撮影のお仕事もしてらっしゃる関係で、カメラの知識も豊富!
そんなわけで、うちの冬眠ブロニカを診てくださることになった。

昔、父が、運動会でも旅行でも日常でも、いつでも抱えていた黒い大きなカメラ。

mさんが、たいせつそうにケースから出して
そっと何処かを押すと、シャキーンと、上から覗き込むファインダーが現れた。

うわあ、懐かしい。そうそう、そうやって父も覗き込んでいたっけ。
カシャカシャカシャとフタをたたんでしまい込む音も何だか聞き覚えがあるよ。

mさんのお蔭で、このカメラも、自分がカメラだってことをきっと思い出したことでしょう。

「きっとすてきな写真が撮れますよ~」と、
まだちゃんと使えると診断がくだされたので、
今度、大阪から父がやってきた時に、フィルムを入れて撮り方をレクチャーしてもらうことにしよう。

どんな写真が撮れるかな?
きっと行こう!と、mさんと約束した撮影散歩、今からもうたのしみです! 





ふゆの紅色

2013-12-18 | essay



冬に咲くこういう赤い花は全部 つばき だと思い込んでいた。

これは「サザンカ」なんだって。公園の木に名札が提げてあった。

子どものころよく歌った「たきび」の中で咲くサザンカは
こんなにもこんなにも赤い花だったんだねえ。

昔ヒットした「さざんかの宿」って演歌にもこんなに赤い花が咲いていたんだな。

おとなになってからへえええって知ること、結構多いものです。
そういえば、「たきび」の歌の中の「オチバタキ」ってコトバが
「落ち葉焚き」だって知ったのも大人になってからなんだな。
じゃあなんだって思っていたんでしょうねえ。
なんか知らねど、「オチ・バタキ」ってコトバがあるんだと思っていたのね。コドモのわたし。

そういう思い込みが多いわたくし。
きっと今後もへええ!って驚きの発見があることでしょう。
でも、「へえ!」ってキラっと閃く瞬間って、めちゃ脳の活性化にいいらしいんだよね。
年をとるほどにアンテナを高くしておきましょかね。

ところで、わたしの中に咲くサザンカはずっと
何故か白い白い花なのでありました。








ストレスのすっ飛ばし方

2013-12-17 | essay



とことん話し合うことは、互いを認めるために大事なことだけれど
出口のない不毛な議論は、ねじれの元。

堂々巡りの、良くない思考のスパイラルに巻き込まれてしまいそうな時は
渦から出られなくなる前に
その場を離れて物理的に距離を置くに限る。

こころの大波を鎮める方法。

好きな音楽を大音量でイヤホンで聴きながら外を歩く。
ひたすら歩く。
どこまでもどこまでも歩く。

歩き疲れたら、ちょっとひとやすみ。
自動販売機で熱い甘いミルクティーをゴトンと買い、
ふうふうしながら飲む。

飲みながら見上げた空が抜けるように青かったり
いい形の雲が浮かんでいたりしたなら
もう それでいい。

夜ならば、きれいな月をみつけよう。

こころのぐちゃぐちゃは、空の向こうのあさってまですっ飛ばして
家へ帰ろう。

空はちゃんと受け取ってくれる。投げ落としてきたりしない。

帰り着くころには、いつの間にかこころが静かに凪いでいる。。。


これがわたしのストレスのすっ飛ばし方、簡易版!


 


525,600minutes

2013-12-16 | MUSICのこと



♪ Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes ♪

毎朝、娘が小学校へ登校する時間ギリギリに
いつもTVから流れてくる曲。 缶コーヒーFIRE のCM。

「心に火をつける言葉」という日替わりの名言がこのBGMと共に流れる。

「もうファイアーの時間だよ!急いで急いで!」と言いつつ
今日の名言を、うんうん、そやな、そやな~。と、ありがたく読む。

この元気な曲が耳について、なんだか朝からちょっとテンションが上がる。

Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes 
1年365日。 分に直すと52万5600分。なんだって。

このゴスペルっぽいミュージカル曲、「Seasons of Love」 いいねえ!
早口言葉みたいな英語のフレーズ、
娘と、どっちが早く間違えずに口ずさめるようになるか競争です。

歌詞の内容もいいね~。

 How do you measure a year???

 


 


わたしの中のあたらしい窓

2013-12-13 | essay



 なんにもない「無」ってどんなんだろうね?

我が家の次男坊がわたしに言う。

  ビッグバンが起こる前は、「無」だったんだってさ。
 「無」って感覚、わかんなくね??

忙しく掃除をしているわたしの背中に
彼が続ける。

学校へ行かなくなってから一年と半年。
流石に時間を持て余すようになってきたようだ。

さまざまな質問をわたしにぶつける。
政治のしくみ、消費税のこと、選挙法について、
昔の徴兵制のこと、戦争で負けた日本が植民地にされなかったのはナゼか?
かと思えば、臨死体験って本当かな?などなど。

ふしぎに思った時が学び時。

わたしに解る範囲は、かいつまんで解説。
わからんところは、わたしも知りたくなって
彼がネットで調べたページを横から覗き込んで、ふむふむ。
インターネットって、こういう時、ありがたいね。

おかげで、わたしまで「へええ!」ってことを初めて知ったり
世の中には、まだまだ解明されていないことがゴロゴロ転がっているってことを
改めて認識したり、日々あたらしい視点論点が繰り広げられております。

おもしろいなあ。
これまでの47年の人生で一度も思考に上らなかったことを、
我が子に言われて初めて不思議に思うってこれまたフシギだわ。

学校に行かないということは、一般的にはマイナスなことかもしれないけれど
そこから生まれるあたらしい時間は、大いに「プラス」だ。 (と思いたい)

数年先に振り返ったら、こういうなんでもないような時間も、
彼には必要なプロセスだったんだなあって確信できる、のかもしれない。(と希望します)

ずっとずっと先に、彼が親になって、わたしがこの世に居なくなった頃
ああ、あの時はお母ちゃんといろんなこと話したっけなあ
って、懐かしく思ってくれたらそれでいいや~。(いやホント)


子どもの目を通して世の中を見る。物事を考える。。。

子どもと一緒に成長するって、
自分の中に別のあたらしい窓が開くってことなのかもしれないね。




メッセージ♪

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