時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

DO WHAT YOU WANT,BE WHAT YOU ARE TOUR 2011 ☆ホール&オーツ 

2011-02-28 | MUSICのこと


待ってました!ホール&オーツのライブ!

 

明るいタマネギ。明るい武道館の看板。だって開場が4時!早っ。

久しぶりの、待ちに待った、6年ぶりの来日公演。
わたしは「Do It For Love」のライブ以来だから8年振りくらい。
今9歳の末娘が赤ちゃんだったころだもの。長かったよ~!

Live From Daryl's House で、歌う姿は、PCでよく拝見しているので
久しぶりな感じはしなかったのだけれど、やはり生は違うよね。

年を重ねて益々味わいを増した生の歌声は素晴らしかった。
しょっぱなから「Maneater」!アリーナの方々は即立ちでしたね~!

わたしは、二階のステージ横。
うずうずしながらも、後方を思うと立てずにいたのだけれど、
「I Can't Go For That」で、前のひとが立ち上がったのを機にやっと解禁!
すっかり気分は80’s!
忘れていたよ~この気持ち。踊った~跳ねた~

観客の約八割はわたしと同年代、40代~50代くらい。
一同、総若返りナイトですね!
武道館が天井までびっしり埋まり、同じ気持ちで彼らの来日をこころ待ちにしていたひとが
こんなにたくさんいると思うと、勝手ながらたいへんこころ強く嬉しく思うのでした~。
(だって、なぜか周りには名前も知らないってひとが多い。若さ・・・??)

一緒に行ったのは高校時代のともだちE。
彼女は近頃なんでもチャレンジしたいお年頃!?なので、喜んでつきあってくれた。
高校時代は、わたしがホール&オーツの話をしても全~然興味なかったのにネ。

ひとはいくらでも変化するものだね。って、ライブの後ふたりで池袋で飲みながら
ひとの繋がりのフシギを語り合ったのでありました。

昨今のライブに比べて、全部で1時間40分余り、とちょっと短かったけれど、
彼らの素晴らしさを余すところなく、たっぷり味わえたライブだったんじゃないかな。

最初の2曲の、機材トラブルかなんかで、ダリルがスタッフに大声で何か訴えていたことが
ちょっと心配だったくらいかな。
あとは、そりゃあ、欲を言えば・・・「Wait For Me」も歌ってほしかったけれどネ。

でもね、リップ・サービスとはいえ、
「長いこと日本に来てなかったからホームシックになってたよ」ってなことを
言ってくれたから、(言ってたよね??)もうその言葉だけでファンとしては大満足です。
日本のファンをたいせつにしてくださってありがとう。
今度はすぐに来てね~!

それにしても、渋くてすてきだ~~。
Tシャツの腹がちょっとたぷたぷしてても彼なら許しましょう。
国際フォーラムも行きたかったよ~。
今夜の最終公演に行かれる方は楽しんできてくださ~い!

   

 


やさしい時間

2011-02-26 | essay


高校時代のだいすきな恩師T.Teacherとランチ。
今回は神楽坂のスペイン料理のお店へ。

       

先生とは三年ほど前に再会してから
時々お昼をご一緒させていただいている。

先生に出逢ったのは15歳の時だったから、
ときどきわたしは30年前と現在を自在に往ったり来たり。

あのころは、う~~んと大人で、雲の上のひとだった先生。
今こうして、同じテーブルについてお喋りをしていることを
ふと、とてもフシギに想う。

 わたしも早く大人になって、追いついてみせる!って願っていた16歳のわたし。

自分がオトナになって分かったのだけれど、先生は、たいへんカワイイ少年のようなオトナ。(失礼!)
やっとわたし、追いついた??まだまだ? というところ。

これからもこうして、このふんわり優しい時間をたいせつにしたいな。

ひととひとの縁って、ほんとうにふしぎ。

出逢いって、ほとんど奇跡に近い。
ほんのちょっとの時空の動きの違いで大きく変化する。
出逢ったり、すれ違ったり、また巡り合ったり、二度と会えなかったり。

直感と感性だけを頼りに生きているようなわたし。
すてきな「縁」は人生の「ごほうび」、ってこころから想うよ。

 

子どもたちへのお土産までいただいちゃった。
こちらのどらやき、素朴な味わいでとっても美味しいです


 


The Riddle

2011-02-25 | MUSICのこと

     

忘れていた唄が、こころのなかで少しずつカタチになって
鮮やかに鳴り響くことがある。

わたしの中に沁みこんでいったたくさんの音楽。

このまえ、何かで「ニック・カーショウ」の名を目にして
突然こころの中で、レコードを回すみたいに、イントロから鳴り出した「The Riddle」

この曲、曲名通りに謎めいている曲。
メロディーも、荒野を彷徨っているような、なんだか心もとなくダークな感じ。
でもとても惹かれていたんだ。

どこかに残っているはず。と昔のテープをあさったら、やっぱりあった。
レコードをレンタルしてテープに録音していた時代。
A面にCon Funk Shun B面にNick Kershaw 

懐かしい~。「The Riddle」はアルバム全部聴き応えがあるんだよね~。
今聴いても、全然古臭くない。

PVもなんだか謎めいていたんだよなあ・・・とYOU TUBEで探してみたら、
ひえ~ありました。なんでもあるんだねえ。

ごちゃまぜシュールな、安っぽいけど凝ったPV。
懐かしい~と思う方がいらしたら探してみてね~。


なくした靴

2011-02-23 | essay

 

夢のなかで。

自分が脱いだショート・ブーツを片方、たくさんの靴の中から探している。
似たようなのはいくつもあるのに、いくら探してもみつからない。

夢占いでは、「靴」は社会的立場を表す。
また、靴を失くす夢は、「なにかで時間を無駄にしている証拠」だという。

こ、これは、思い当たる。かなり。

フロイト的な夢占いはすきじゃないんだけれど、
これは、当たっているぞ~。

自分から自分への警告なんだなあ。





虹のおもひで

2011-02-22 | essay




昔、東京湾の見えるマンションで暮していたころ、
13階のベランダから、スゴイものを見てしまった。

それは、雨上がりの光るテニスコートから立ち昇る大きな虹。
虹のたもとを初めて見た奇跡の一瞬だった。

その頃、よく一緒に飲みにいっていた東北生まれのともだちにその話をしたら、
田んぼで遊んでいたころ、大きな虹を見て、みんなで虹を追いかけたことがあるんだ。と話してくれた。
追いついたと思ったら、後ろにあって、また走ってくぐったと思ったらもう前にあって
すごくフシギで貴重な体験だった、と懐かしく思い出す彼女。
ああいう体験は都会じゃ無理だね~、と笑った。

そうだ、「だから、いつか子どもを育てるなら、東京じゃなくて田舎がいいんだ~」って
言っていたんだっけ。
そういえば、彼女のその希望は叶ったんだなあ。
それから数年後に都内で結婚したけれど、今は彼の実家のある滋賀で、
ふたりの男の子の子育てに奮闘中だ。
彼女のことだから、どろんこになって一緒に遊んでいることだろう。


虹を一日に何度も見た日が一度だけある。

大阪~東京間の新幹線。
当時大阪に住んでいた両親の家から、ひとり暮らしの東京への復路。

天気の変動の激しい一日で、流れる景色とともに天気もくるくると変わる。

車窓の空の彼方に何度も現れる虹。
現れては、視界の隅に流れていく。

いつものように本を読むこともせず、
ウォークマンを聴きながら、ただ外ばかり見てひとり虹を数えていた。
まだ、ふわふわとゆめの中にいたあの頃のわたし。

あの時わたしは、結局虹を幾つ数えたのだろう。
あの時聴いていたウォークマンのテープは誰の歌だったのだろう。

遠い空の遠い虹だけが音もなくわたしのこころに今も浮かぶ。


近頃、虹をひとつもみていない。
ためいきが出るほど大きな大きな虹をみたいものだなあ。

     

 


うつくしい翻訳

2011-02-21 | 本 のこと

             

ジェイン・オースティンの小説のなかに、
こころに残る一文があった。

しばらく前にメモ帳に自分で書き取っておいたものを見つけて
またまたハッとしてしまう。

   「 絶望が希望に席を譲る。 」 

パーっと、雲の陰からお日様が顔をのぞかせるのを見ているような
陽転する一瞬を共感できる一文だ。

原文ではなんて書いてあるのだろう。。。

 


東京芸術劇場

2011-02-20 | 展覧会・アート のこと

  

「全日本学生美術展」へ。

絵の教室に通っている次男の作品は残念ながら展示には至らなかったのだけれど、
子どもの描く絵を観るのはすきなので、小3の娘を連れていってきた。

小学生の絵はのびのびと楽しい色使いで、こちらまで気持ちが伸びやかになる。

中学生の油絵は、これまたぐんと上手!
高校生の作品ともなると、もはやゲイジュツに年齢は関係ない、という感じね。

一区切りづつ、娘とお気に入りを選びながら鑑賞する。
ふたりで審査員になった気分で、わたしならコレ!アタシはこれ!と小声でしゃべりながら進む。

すばらしい絵がたくさん~~。なかでもわたしが一番気に入ったのは、
女子高校生の描いた、細かな石畳の路地と空き地に低い陽の差す油絵。

油絵が描きたくなっちゃったなあ。
習ったこともないくせにね!

ミュージカルを見た後に、自分も身軽に踊れるような錯覚がするのと同じね。

     

東京芸術劇場を出て、前から行ってみたかった本のお店「ポポタム」へ。

案の定、道に迷った末に辿り着いた~。
ちいさなすてきなお店。

ちょうど、素敵な紙のコラージュの個展の最終日。ちょっとのぞかせていただく。


じっくりと本を選ぶ娘。買うことに決めたのは、谷川俊太郎の「これは のみの ぴこ」。
以前、図書館でも読んだ絵本。わたしもすきな絵本だ。

図書館で借りて読むだけでいい本と、自分のものにして何度も開きたい本の
自分なりの尺度が分かり始めてきた様子。
少し前は、なんでも「欲しい欲しい」ばっかりだったのだけれど。

いいコトだねえ。まずは、自分の尺度でモノゴトを考えることは大事だよ。
こころの声をたいせつに。

  ブックギャラリー 「ポポタム」
                                 ☆東京都豊島区西池袋2-15-17☆ 



デュシャンのコトバ

2011-02-19 | 展覧会・アート のこと

芸術家 マルセル・デュシャンが言ったというコトバ。

「芸術は思考を表現する手段。いや、それどころか思考そのものが、まさに芸術にほかならない。
 単なる眼の問題でなく、頭脳の問題なのだ。」   
                            



あと数日で十五になる息子が撮った写真。
先日、ちょっと貸して、とわたしのケータイを持っていったと思ったら、この写真が入っていた。

サイコロをデッサンしていて、「影の出方を観たかっただけ」なのだそうだが。
ちなみに左側からの照明は自分のケータイのライト。

わたしには思いもつかない写真。無造作感がなんだか、イイ。
オレンジ色が効いている!って思っちゃうけど、
実際、サイコロのほかはたまたま一緒に写り込んだだけのものらしい。

芸術って、芸術とは気づかないところにある・・・? 無垢ゆえの創造?


「思考そのものが芸術にほかならない」という、デュシャンの言葉を思い出した。


「親の心得」

2011-02-18 | essay


子どもは、いつまでも「かわいい坊や」ではいてくれない。

どんどん人間らしくなって、親のそばから離れていくもの。

それでも、「親」はつい口を出してしまうし、心配してしまうものと昔から決まっているのだ。

以前訪れた、秩父の「秩父神社」で
こういう立て札を見つけた。
そのときも、ふうむ。と思ってケータイで撮ったのだった。

わたしよりも子離れのできない我が夫。
息子に邪険にされて、かわいかった頃を想い、意気消沈する。。。かわいそうに。

そこで、「これをお読み。」と印籠のように差し出した。

       

「ははあ~」と、ひれ伏しはしなかったけれど、こころに沁みたであろう。

親の心得 「赤子には肌を離すな 幼児には手を離すな
        子供には目を離すな 若者には心を離すな」 

ごもっとも。
難しいお年頃の若者には、確かに、親の手も目もましてや肌など “ウゼエ” だけのもの。

「若者には心を離すな」  覚えておこう。

 


幻のチア

2011-02-17 | essay

   

歌って、つくづく、記憶の付箋紙みたい。

その曲がふいに流れると、その記憶のベージが開かれて鮮やかに甦る。

その曲は、18歳のわたしの汗と涙のチアリーダー!のページの付箋。

イベントで有志10人くらいでチアをやることになって、毎日猛練習。
ダンスの振りもみんなで考えて、初めてのスコートに、お揃いのVネックのサマーセーター。

う~ん。あの頃は確かに間違いなく、若かった~~。

振りがなかなか覚えられないわたしの為に、ともだちがうちに泊り込んでくれて
寝ないで練習したあの夜。。。

振り付けの覚えは悪いけど、柔軟性だけは一番だったわたし。
ラストの決めポーズは、最前列でジャンプ&開脚! ひえ~。
今やったら、間違いなく整形外科へ直行だ。

まぼろしのチア。
VTRを残しておかなくてよかった~。

何グループかの中で、惜しくも2位に終わり、みんなで泣いたっけなあ。

写真の中で笑うわたしたちは、いっぱしのチア・チームだ。


 ♪♪♪ 「Don't Try To Stop It 」 ROMAN HOLIDAY ♪♪♪

 


SNOW MAN

2011-02-16 | essay



思いがけない、街の雪。

朝、夫とふたりで店の前の歩道を除雪。
ほんの7~8センチ足らずの積雪でも、全部どかすのはちょっとした運動だ・・・。
とりあえず、人が通れるスペースだけでいいよ、あとは溶けるし!という夫。
せめて歩道半分くらいはどけようよ。とわたし。

まわりの商店を見回すと・・・、面白いなあ、それぞれ違う。
う~んと早くから除雪したらしく、雪のかけらもない店先や、
そのまんま手付かずな店先。一本道だけ作ってある店先。
こういうところにも性格って出ちゃうのねえ。おもしろい。

でも、きっちり自分の敷地前の歩道だけくっきりってのは・・・
なんだかちょっと寂しいなあ。

なので、お隣との境もまあ、なんとなく、って感じにあいまいな除雪にて終了。
ま、これもうちの性格か~。なんだかテキト~だけど、まあいっか。

子どもらも学校へ行ってしまっていないのだけれど・・・、
雪を見ると、作らずにはいられない。

雪だるま。

ちょっと控えめにちびだるま。
時間限定の看板娘ならず、看板だるまでした。

 

 


映画館の記憶

2011-02-15 | 映画 のこと

ふと甦った、人生で一番最初の映画館の記憶は、
鳥取の古い映画館。おじちゃんや従兄妹たちと観た「ゴジラ」だ。

影絵みたいな記憶しかないからモノクロだったのかなあ。
それとも暗かったせいで、影絵のような印象しかないのかな。
しかも、はっきりと覚えているのは、大きな黒ずんだ金網に囲われたストーブに
あたりながら、チラチラと遠くのスクリーンを観ていたこと。
多分、幼稚園にも上がっていないくらいの頃。
小さかったから映画をちゃんとは観ていなかったのだろうな。

それでも、映画が終わったあと、本物の人間の頭がひどく小さく見えて
妙ちくりんで可笑しかったのだけはよく覚えている。

以来、映画を観終えるたびに、その感覚だけは毎回同じ。
きっと、スクリーンの大きい映像と実寸の人間との差を急激に認識することに、
子どもの脳は上手く慣れていないせいなのかもしれないなあ。

それとも、その妙な感覚を楽しんでいたのは、妙な子どもだったわたしだけかな。
いつの頃からか、あの独特な感覚はなくなっちゃった。

映画って、いまはDVDなどで家に居ながらにして観れるけれど、
いい映画もヘンな映画もしっかりと記憶に焼きつくのは
やはり足を運んで映画館で観た映画だ。

このところ、ミニシアターが次々閉鎖していると聞く。
それはとても残念なこと。

映画は文化。いろんな国の文化の窓みたいなもの。

しかし・・・もう少しお手頃だと嬉しいんだけどなあ。

 


旧東京音楽学校 「奏楽堂」

2011-02-13 | 古い建物 のこと

上野公園内にある木造の古い建物 「奏楽堂」

先日、通りがかりに公開されているのを知り、見学してみた。
明治23年に東京音楽学校(現東京芸術大学)の校舎として建造された建物。
日本最古の洋式音楽ホールとして国の重要文化財に指定されている。

昭和62年に現在の場所に保存のため移築されたそうだ。

この建物も、すきだなあ。
けっして豪華でなく、質素な中に気品が漂う。
身だしなみのきちんとした昔の学生さんが静かに歩いていた気配を感じる。

 


   

階段裏の小さなドアがわたしを誘う~~。
掃除道具入れらしいけれど、ハリー・ポッターの部屋みたいだ。



2階にあるホールではリハーサルが行われていて、写真は禁止。残念。
見学はOKだったので、そっと椅子に腰掛けて、束の間、うつくしい演奏にこころを委ねてみる。

日本最古の音楽ホール。。。
このステージで、滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕作が歌曲を歌ったとパンフレットにある。
派手ではない艶やかさのある美しいホールだ。パイプオルガンもとても綺麗。

この小さな素敵なホールで、ボチェッリの歌声を間近で聴いてみたいものだなあ。ありえないけど!

天井の角の三角状の飾りの梁のデザインがかわいらしくて、とってもすきだなあ。

同じ系統のデザインが廊下の電灯にも。

   

近頃またもや、「ひとり《立原道造》ブーム」なわたしは、
このホールの椅子に腰掛けて天井を眺めながら、
きっと、音楽好きだった立原道造も、この講堂で音楽を聴いたはず。と妙に確信していた。

そうしたら・・・!
評論家小川和佑著の「忘れがたみ」の中の立原道造の年譜に、
昭和12年6月 今井慶明作曲の歌曲「ゆふすげびとの歌」の発表会が
上野の音楽学校講堂で開かれる。と、記されていた。
それって、もちろん移築前のことだけれど、ここのこと?だよね。

なんか、呼ばれた?? なわけない?

でも、すきなものって、思わぬところで繋がっていて、時に驚かされる。

これもきっと縁。
古い建物に惹かれなければ、素通りしているはずの場所だもの。

 

日本の古い建物はどれも、震災や戦災や人災(?)を潜り抜けることのできた、
建物自体の持つ強い運と、陰で保存に尽力してくださる、たくさんの人々の
強い想いに支えられて、こうして今もこの現代に存在している。

縁あって、古い建物を訪れて、こうして実際に歩くことができるって、
ほぼ奇跡に近いことなんだよね。 

いろんな時代の、いろんな見えない力に感謝しなくちゃね。





  「旧東京音楽学校 奏楽堂」  台東区上野公園8-43
                      JR上野駅徒歩10分
                      (公開日は日・火・木)
                     

                  


吉祥寺美術館

2011-02-12 | 展覧会・アート のこと


おともだちにおもしろい展覧会があるよ、と誘われて
「100かいだてのいえのひみつ」展へ。

 

そういえば、本屋さんで見かけたことのある絵本。
細かい100階分の部屋の絵が、じっくり観るとオモシロイ。

この絵本の作者は岩井俊雄さんというメディア・アーティストなのだそうだ。
ウゴウゴルーガなどのCG制作も手掛けた方とのこと。懐かしい。
そして、すてきな「おとうさん」。
娘さんと一緒に暮らしの中で制作を楽しんでいらっしゃるのが伝わってくる。

シリーズ第2弾の「ちか100かいだてのいえ」を娘に買ってかえった。
学校の図書室で、地上100かいのほうは読んだらしい。
「わーい!こっちは女の子なんだね!」と大喜び。(地上は男の子、地下は女の子が主人公)

わたしは地下51~60階のミミズの部屋が気に入ったわ~。


この武蔵野市立吉祥寺美術館は初めて。(入館料100円!)
常設の記念室ものぞいてみたら・・・、こりゃまた素晴らしい!

全然知らなかった版画家お二人のそれぞれの記念室。
木版画家の萩原英雄氏の色合いもすてき。

浜口陽三氏という銅版画家の作品もなんともモダンで、モチーフがこれまた可愛らしい。
カラーメゾチントという技法を開拓した方なのだそうだ。
銅版版画って、気が遠くなりそうな作業だけれど、こういう緻密な仕事って
縁遠いからこそ憧れちゃうな。

世の中には知らないことがいっぱいいっぱい、いっぱ~いある。

たくさんの中からなにかを知る、なにかをすきになるって、「縁」あってのことだよね。
これまでも、これからも。

ヨクバリって云われても、わたしはたくさんのことを知って、
たくさんのことをすきになりたいな。

     

          [1/4レモン] 浜口陽三 1976年 (ポストカードより)

 

 


青一色

2011-02-11 | essay

 


春のいろを思わせる 一月の陽射しの下

草に寝ころんで 空をみる


青一色の空は どこまでも高く澄み

硬い蕾をつけた桜の枝のほかに 視界に入るものは何もない


いまここで わたしはひとりだ

どこまでも ひとりきりだ



この日、こんなに寂しい気持ちになったのは、何故だかわかっているんだ。
読んでいた、立原道造の最晩年を辿った本、「立原道造 忘れがたみ」小川和佑著 (1979年)に、
入り込み過ぎてしまっていたから。

立原道造は、肺結核のために24歳という若さで夭逝したのだが、
亡くなるその前年に盛岡と長崎へと長い旅に出ている。

その旅先から、恋人水戸部アサイ氏に宛てた15通の書簡が
この本の中に記されている。

命を縮めるような旅になぜ出てしまったのか。
残された恋人はどんな気持ちで旅の帰りを待っていたのだろうか。

遠いひとたちの、しかも今となっては、すべてが遠い過去の話。

それなのに、
今、彼らの時代にいるように、気持ちに寄り添い過ぎてしまったのだ。
それほどに、立原道造の言葉は生身だということだ。

  
   


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