時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

みどりのキツネさま

2021-07-31 | essay

わたしのすきな
この神社の小さいキツネさん達。

近年、神社の庭があちこち整備されて、小さいキツネさんたちが鎮座していた古い小さな社がすっかり新築に。

以来このキツネさんたちも薄暗い小さな社からお日様の元へ移され、たいへん開放的で気持ちが良さ気に見える。


お日様も浴びれば
風雨にも晒されるわけで。
気付けば薄っすらと苔をまとい、いいお色に変わってきた。

散歩で立ち寄るご近所の氏神さま。
本殿をスルーしてキツネさんたちにだけご挨拶することの方が実は多い。
(散歩はお財布もってないしね)

キツネさんたち、この日本をどうか総力上げて御守り願います!




異なる二つの世界

2021-07-30 | essay
東京オリンピックの世界と
コロナパンデミックの世界。
テレビをつけると、異なる別の世界みたいだ。
かなしいかな、ニンゲンはラクな方へと流されやすい。
何も起きていないと思い込みたい心理が働いてしまう。

頑張っているアスリートの方々に束の間感動をもらいつつも、かつてないほどの感染爆発の入口にいるのだという現実の世界にちゃんと目を向け足を地に着けて歩きたいものです。。。

眩しい金色の光の残像に浸っていられたらいいのだけれど。

どなたさまもどうぞお気をつけて。










コトバとカタチ

2021-07-27 | essay

先日、古いともだちZちゃんから
近くに行く用事があるから会えない?と連絡が入った。

20代前半、エネルギーに満ちた仕事場で出会った仲間。
コロナ前まではたまに都内で落ち合ってランチしたり、OB飲み会をしたり、互いに顔を見て近況報告をしていたものだが…。

やっぱり久しぶりに顔を見てお喋りするのはたのしいな。

この30余年いろんなことが互いの身の上に積もったけれど、彼女のバイタリティと向上心の高さは今でも少しも変わらない。
常に変化して進化を遂げる彼女の意識の高さには、昔から常にいいバイブレーションを浴びさせてもらっている。

ステップアップするための努力を怠らない彼女は、必要な資格取得のために今また大学に在籍中。
プロフェッショナルな仕事もこなすシングルマザーでもある。

ちょっとお茶、のつもりがあっという間に数時間。
このところ、興味が湧いて学びたいと漠然と考えていた事柄も、彼女に話しているうちにカタチが見えてきた。
やはり「自分の中で思う」のと
「コトバにして人に話す」のでは次元が違う。
あやふやなモノがぐっと具現化してくる。
この感覚、ちょっと忘れかけていた。
危ないアブナイ。

若い頃互いのアパートで皆で雑魚寝しながら語り合ったあの頃のユメは少しずつカタチを変えていったけれど、みんなそれぞれ一生懸命に一歩一歩歩いてこんな遠くまできたんだなぁ。。。と思うと感慨深い。

何も成していないように思えても、ここまで歩いてこられたことだけでジブンを誉めてあげてもいいと単純にそう思えるようになった。

とりあえず健康な今があることをなにものかに感謝しなくちゃね。

変わらぬ友情にもココロから感謝です。





メランコリックな夕暮れ

2021-07-22 | essay

シゴト帰りに夕やけに間に合う季節になった。
大きな空の見える場所へちょっとヨリミチ。

夕やけはやっぱり始まりが一番すきかも。
色濃く焼ける直前のまだ淡い水色を残した空。

この角度から夕やけを撮すといつもこのシルエットが船に見えるからふしぎ。

ただの建物がこの時刻だけ船に変身する。
正にマジカルアワー?

きれいな夕陽が日本をやさしく包む。
ガーゼのような柔らかな闇が隙間なく覆いかぶさってくる。
自然の中にいにしえから存在しているのであろう神さまのようななにものかに
祈りたくなる夕暮れ時。。。



今日のキミ 明日のキミ

2021-07-16 | essay

保育のシゴトをしていると、子どもは正に今、身もココロも成長しているのだということを肌で感じる。

ほんのちょっと前に出来なかったことが今日はもう出来ることに驚き、頼もしく思う。

ともだちと関われずわたしにくっついてばかりいたあのこも、気づけばごっこ遊びの中心で皆を仕切っていたりもする。

走り回ってじっとしていられなかったあのこもいつの間にか他の子を思いやって自ら手助けしてあげているのを見て感動したり…。

当たり前のことなのだけれど子どもは日々成長しているのだ。

トラブルの多いいわゆるグレーゾーンと云われる子どもも同じこと。
ついこの前までできなかった「じゅんばんこ」が今日は出来たりする。

子どもはひとりひとり生きる回転数が違う。
成長の速度にはそれぞれ自分のペースがある。

真っ直ぐ走るように進む子、ぶつかりながら転げるように進む子、ゆっくり進む子、休み休み進む子、ひとりひとり違って当然なんだよね。

子どもをひと括りにして、はみ出した子を問題視するのは全くもってナンセンスだとわたしは思う。
それはオトナのモノサシでしかない。

「普通」なんてない。ひとりひとりみんなちがう。
正に金子みすゞさんの詩のコトバの通りだ。

けれども、初めて持つ子どもと向き合う母親にとって我が子が少しでもはみ出しているように見えてしまうと…
これはなかなか冷静な目で見ていられない気持ちもよくわかる。
(わたしも新米母ちゃんの時はそうだった)

個人差があることを頭では解っていても、心配になったり焦ったり。
それでも、忘れないでいてほしい。
昨日と今日が違うように
今日と明日も違うこと。

子どもは今この瞬間も成長しているということを忘れずに自分の子どもを信じて待ってあげてほしい。

保育に関わりたくて、独学で保育士資格を取得したのは49歳の時。
幼稚園の預かり保育を担当して早5年と半年。

わたしも子どもたちに学ばせてもらう日々。
学んだこと、体感したことをちゃんと循環して生かしていけるようにもっともっと器の大きい懐の深いニンゲンにわたしも成長していきたいと切に思う。





虹と鐘の夕暮れ

2021-07-13 | essay

どしゃ降りの夕立のあと
虹が出るかもなぁと考えながら夕食の下ごしらえをしていたら近所の友人から「虹がでてるよ」というLINEが届いた。

エプロンを投げすてて
スマホをジーンズのポケットに突っ込んで
傘を差して走り出る。
うちはマンション渓谷の谷底にある戸建て故、四方の大きな空はまるで見えないのである。

夕立に洗われた空は明るい陽が差し始めているけれどまだパラパラと大粒の雨が落ちてくる。

ええっと、西陽が差しているってことは虹は東の空だ。
彼女のマンションから視えるなら裏のお寺へ向かおう。

小走りで駆けながら彼女のマンションを見上げると、六階の窓を明けて空を見ている彼女とご主人の姿が。
ふたりはとても仲の良いご夫婦なのだ。
ふたりの姿にほっこりしながら、「おーい!ありがとうねー」と下界から傘を振る。

お寺の境内。ここまでくれば大きな空が見える。
グレーの空に大きな大きな虹の橋が架かっている。
どうしてこう虹っていつも無条件にしあわせなキモチにしてくれるんだろうね。

しあわせな気持ちで東の空を眺めていたら
ご住職が夕刻の鐘をつきに鐘撞堂へ現れた。

虹に気づいていらっしゃらないようなので、
「虹がすごいんですよー」と空を指して声を掛けると東の空を振り仰いでおお〜と驚く住職さん。

一つ鐘をついたあと、つきますか〜?と声を掛けてくださったので
「わぁいいんですかー!」と鐘つき堂へいそいそと小走りで駆け上がり二つ目の鐘をゴーン。

お寺の鐘をつくのは、何十年ぶりだろう。この街に嫁いできた頃に夫と除夜の鐘をつきに並んだことがある。
あれ以来だ。
そんなこんなを初対面のご住職とお話しながら、ついた鐘の音と振動にココロまで震える。

それにしても随分長いこと架かっている虹である。
そして西陽が強まるほどに虹の色がどんどん鮮やかに発色していく。

「まるで子どもが絵に描いたような虹ですね」
とご住職。
「ええほんとうに!」
虹のうつくしさと鐘の音の清らかさにこちらは相乗効果の感動である。
続けてどうぞと仰るご住職のお言葉に甘えて六回の夕刻の鐘のうち、五回もわたしが鳴らしてしまった。
いつも夕焼けを背に聞くあの鐘の音を今わたしが世間さまに鳴り響かせているなんて、なんとも畏れ多いこと!

最後にご住職が釣鐘に合掌される姿に、わたしも慌てて倣う。
貴重な体験を本当にありがとうございました。

気さくなご住職に感謝ひとしお。。。
そしてこの特別な時空間へとわたしを運んでくれた友達の一本のLINEに、ひいては虹を観てわたしを思い出してくれた彼女の友情にしみじみと感謝する夕暮れなのでありました。






秘密

2021-07-10 | essay


ここは
パラレルワールドへの
秘密の入口

くぐるには
ひとつまみの勇気が要る
それと
揺るがぬ決心

空想 夢想 逃避
なんと呼ぼうと構わない

束の間の愉しき異世界を游ごう



For what?

2021-07-07 | essay

For what?
オリンピックはなんのため。


パンデミック下に
そうまでしてオリンピックを開催する?
オリンピックは平和の祭典だったはず。
がんじがらめで身動き取ろうともせず、挙句なし崩し的にに事が進む。
日本の政治家の古くからの悪癖は令和の今も蔓延る。
歴史はカタチを変えて繰り返す。

大人の事情がいろいろあるのはわかるけれど
何が優先なのか たいせつなのは何か 子どもにだってわかるよ。

特に今の日本の政府には
血が通っていない。
こころもなければ熱量もない。

誰にも命の責任なんてとれないよ。




緻密な設計図

2021-07-06 | essay

イキモノのそれぞれの設計図の緻密さには感服いたします。
トンボの羽根をアップにしてみたらまるで繊細なレース細工のよう。

池のほとりでは、トンボが主に挨拶をしているようでした。

それぞれのイキモノの時間。
昆虫もニンゲンもサカナもそれぞれの役割りを担いながらジブンの持ち時間を生きる。

わたしも、緻密な設計図によって形作られているジブンのカラダとそしてジブンの持ち時間を大事に今を生きよう
と、改めて思うのでありました。


雨粒とダイヤモンド

2021-07-03 | essay
雨上がりの雨粒がとてもすきだ。
かわいい宝石一粒みっけ。

ダイヤモンドも雨粒も同じ地球の自然物。どちらも同じようにうつくしい。
わたしには寧ろこうした一粒の雨粒の方が特別なものにみえる。

ダイヤモンドと雫といえば、夏のプールを思い出す。
子どもの頃従姉妹がプールの中で両手で水をすくっては宙に放って水しぶきをあげ、
「水のダイヤモンドー!」とはしゃいでいた光景がなぜか強く目に焼き付いている。
暑い夏の陽射しのもと、落下する直前一瞬空中で静止したように視える水の雫は、本当にダイヤモンドみたいに光り輝いていた。

後々その魅惑的な光景を自分でもよく再現するようになったのは言うまでもない。
自分の子どもたちが小さい頃にもそうやって見せたものだが果たして彼らのココロにも水のダイヤモンドが今も光っているだろうか。

夏のプールに行ったらば
ぜひお試しいただきたい。
海では海のダイヤモンドをどうぞ。笑
こちらもすてきな芸術品。







明日の地図

2021-07-01 | essay

シゴト先の園庭で
ひとりのおんなのこがおおきな葉っぱをわたしに突き出して
「これは ちず なの」と言い放つ。
「どれどれ」と屈んで一緒に葉を見る。
「ほら、みちがかいてあるでしょ!これでいけるんだよ」
楽しげに説明してくれる。

葉脈を地図という、この柔軟な発想!
久しぶりに目からウロコだよ。
こどものココロはどこまでも自由だ。

すてきだなあ。
この地図を頼りに彼女は明るい明日を歩いていくんだなあ。



メッセージ♪

コメント欄は設けておりません。お便りはこちらからどうぞ♪

ブログ村

にほんブログ村 写真ブログ フォトエッセイへ
にほんブログ村

心象風景写真へ。

人気ブログランキングへ