時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

止まる時間・動く時間

2015-08-31 | essay



昨日は親友の命日だった。

今年で4年。
日常の時間とは別の 止まった時間がそのままそこにある。

彼女の遺したふたりの子どもたちとお墓参りへ。

いつもアノ子が車で拾いに来てくれたあの駅へ
今はアノ子の息子が迎えに来てくれる。

免許をとったばかりの息子Yくんが運転する車に初めて乗る。。。
すごく すごく不思議な気持ちになる。

おとなしい赤ん坊だったこの子。
ちいさなバッタさえ怖くて逃げ回っていた怖がりのチビッコだったこの子。
突然母を亡くし、号泣していた15歳のこの子。
「オレもう最強の高校生だぜ」って笑った三回忌の時のこの子。。。

あれから
難関大学に難なくするりと入り、
家庭教師先では「先生」と呼ばれる立派な大学生に。

ハンドルを握る運転席の彼の髪の寝ぐせを後ろから見ながら
いろんなことを想いだして、なんだか泣きそうになって困った。。。

姉弟の仲の良い掛け合いに笑いながら、
「ふたりともこんなにりっぱになったよ」 って ココロでアノ子に話しかける。

三人でお墓を前にしても、ここにアノ子が入っているなんて未だにまったく思えない。
何かの冗談みたいだよ。振り返ったら笑ってるアノ子がこちら側に立っていそうだ。

久しぶりに会った愛犬も大歓迎してくれて
あの家の中にいると、つくづくアノ子だけがいないことが
フシギに思えてならない。

今にもその階段から降りてきて
台所に立ってお茶を入れてくれそうだ。

もうこの世では会えないけれど
わたしたちそれぞれの中に大きく存在している彼女は
いないけど いる。
矛盾しているけれど
いないけど いるんだなあ。

ひとは誰でもいつかは死を迎える。
あの世からこの世へ
この世からあの世へと居場所が変わるだけで
眼にはみえないタマシイは何も変わらないのではないか???

「Yくん、忙しくしてるかな。ちゃんと食べてるかな・・・」
わたしがココロで心配していると
決まってYくんからメールがきたり、うちにぶらりと立ち寄ったり。
それは、空でアノ子が
みえない糸を結びつけてくれているから。なのかもしれない(笑)
否定は誰にもできないから
そういうことにしておこう。

アノ子の家から、遠く山陰の山に暮らすおばあちゃんに電話を掛けて
みんなで代わる代わる喋る。
わたしがこの子たちの側にいることで、心底安心してくださるアノ子のおかあさん。
こどもたちと時々会って喋るだけで、何かしてあげてるわけでもないので
恐縮してしまうのだけれど。。。

そしてわたしも、アノ子のおかあさんの安堵の声に、とてもとてもほっとする。
実の娘に先に逝かれる心情は、想像しても想像しきれない。
束の間でも、安堵してもらえるなら・・・そんな嬉しいことはない。

この子たちがまだ小中学生だった頃、他愛のない会話の中で
“あたしに何かあったらあの子たちよろしくね!” と 言って笑ったアノ子のコトバ。

何年も前のアノ子のコトバが、そのままわたしの中に生きている。
コトバはイキモノ。
みえないタマシイと同じくらい、みえないコトバの持つチカラは大きい。

気持ちの上では、ふたりはとっくに我が子のようなもの。
人生はジェットコースター。
泣いたり笑ったり上がったり下がったりしながら
あわせて5人の子どもたちの未来をたのしみに見守っていけたらいいな。

止まったままの時間、動き続ける時間。。。

時には、止まったままの時間に身を沈めて、
アノ子がもうこの世にいないことに号泣したっていい。

時計も見ずに何かに夢中になる時間。
誰かと大笑いして過ごす時間。
憲法違反の法案に憤る時間。(反対集会デモには参加できませんでしたが~)
そして、まっさらな、何も考えない時間があったっていい。

ひとりひとり、自分サイズのいろんな時間を自分のペースで進んでいく。
それでいいんだと、この頃だんだんわかってきたように思います。

 



 


吉祥寺美術館「永沢まこと都市画展」

2015-08-28 | 展覧会・アート のこと

すきな街、吉祥寺。
吉祥寺をはじめ、都市を描く永沢まこと氏の「都市画展」へ。

最初から耐水性ペンで迷わずスケッチ!すごいなあ。
その潔さ、いろんな意味で見習いたいと思います!

緻密な街の風景を、描いたり消したり、消したり描いたりせずに
眼で見た通りの配分で描けるなんて
それはそれはたのしいことだろうなあ~。

こういう身近な街の絵を観ていると
自分もささっと描けそうな気がしてきちゃう。

ミュージカルを観たら自分も踊れるような気がしちゃうのと一緒かな。

そうだとしても、ちいさなスケッチ帳を手に
今すぐにスケッチして街を歩きたくなるような展覧会でありました。



吉祥寺美術館のこの↑ロゴも永沢まこと氏作 なのだそうですよ~! 

 

 

 

 

 


映画「あなたを抱きしめる日まで」

2015-08-26 | 映画 のこと



「あなたを抱きしめる日まで」(2013年イギリス映画)

いろんなかたちの親子。いろんなかたちの愛。

50年前に引き裂かれた親子の絆をたぐり寄せると・・・・。


宗教と、時代に翻弄された実話です。
こんなことがあっていいのか??? と憤りも感じつつ

だんだん、じんわりと感動に包まれるロードムービーです。


ジュディ・デンチの燻銀の演技にはいつも魅了されます。

少し前に観た「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」でも
すてきな年の取り方の女性を演じてらしたっけ。
(この映画のビル・ナイがまたカッコイイ。)

イギリス映画って すきだなあ。

 

 

 

 

 


聖域のぶどう

2015-08-25 | essay



ぶどうの里へ巨峰狩りに。

様々な果物にアレルギーのあるわたしにとって
葡萄は聖域の果物。

巨峰狩りははじめて!


意気込んで入ったはいいが・・・
食べ放題とはいえ、大きなひと房を食べたらなんともうお腹いっぱい。
娘は半分でギブアップ。うう。

入園料ひとり千円也。食べ放題で千円は安い!って思ったわたしが甘かった。
これは・・・微妙な金額ですなあ。
欲張ってもうひと房もいで夫と半分こ。満腹超え。

いっぱい摘んで、帰ってからゆっくり食べたいところだなあ。
たわわに生るだいすきな巨峰たち。
しか~し、持ち帰りは1キロ1500円というこれまた微妙なお値段。
上のふたりの男子におみやげにふた房持ち帰り。ちょうど1キロ也~。



この日はとても涼しく、ぶどう園を渡る風がとても心地いい~。

夏休みとはいえ、平日なのでひとも疎ら。
風景だけはまるでイタリアの休日?



 

あっちもこっちもたくさんのぶどう。葡萄。ブドウ~!

葡萄好きには夢のような光景でありました。

 

 

 

 


「月のお下がり」にびっくり

2015-08-23 | 展覧会・アート のこと

知らないことって
幾つになってもいっぱいあってオモシロイ。

旅の途中、山梨県立博物館「大化石展」にちょっと寄り道。
ここに展示されていた 「月のお下がり」 というものにびっくり。


現代人なら、貝の化石かな。とわかるけれども
「化石」を知らなかった大昔の先人たちは
この石を発見した時に
「お月さまがひと休みした時に用を足したものだろう」 と考え、
不思議な力の宿った神聖なものとして崇めたのだという。

なんともロマンのある なんてかわいらしい発想なんでしょう!
おさがりってコトバもまたなんと品のよろしい言い回しだこと。
色の違うものに、「日のお下がり」というものもあるらしい。

月も太陽も信仰の対象だった時代のハナシ。
正体のわからないものはすべて神様と直結して捉えていたのでしょうね。

シンプルな世界感。ちょっとうらやましいくらいです。

 恐竜の骨格標本はほぼレプリカでしたが
なかには、本物の恐竜の骨の一部も展示されていて
それがなんと!素手で触れてもいいと書いてある!
え~?いいの~?

トリケラトプスの上腕骨に、人生で初めて触ってしまいました!


 トリケラトプスのホネ!!

今回の旅に長男・次男はあいにく不参加でしたが
彼ら、小さい頃はふたりとも恐竜に大ハマり。
わたしも当時はすっかり恐竜通になってしまったものです。
トリケラトプスは、次男の一番のお気に入り恐竜だったっけなあ。

ふたりの兄に影響されないわけはなく
娘も小さい頃はよく恐竜のおもちゃで遊んでいたクチ。
この「化石展」も娘の希望で寄ったものなのでありました。

 山梨県、その昔は海だった・・・!

長く続いた恐竜たちの全盛の時代は
大量の隕石が降り注ぎ太陽光が遮断され地球が寒冷状態に陥ったことで幕を降ろしました。
(諸説あり!)

栄枯衰退。
同じこの地球の上で起きたさまざまな出来事。。。

束の間、何千万年もの昔にキモチを飛ばしてみるのも、なかなか面白いものです。

 山梨県立博物館「大化石展」は2015年8月31日まで開催中です。

 夏は博物館!

 

 

 

 

 


蒼鷺

2015-08-22 | essay





大きな野鳥。サギ。
山梨県。泊まった温泉宿の庭の池に舞い降りた。
サギをみたのは久しぶり。

うちの近所ではまったく見かけないけれど
こんな巨鳥が自由に空を飛べているって
なんだかすごい。
本来は当たり前なことなのだろうけれど。

こういうことが、ずっと当たり前なままであってほしいものだなあ。

街ではすずめの個体数も減少しているというし、
ツバメも以前ほど見かけなくなったような気がする。

いろんなイキモノが暮らす地球。

ニンゲンだけのために地球は回ってるわけじゃないのだから
ニンゲンも、もうちょっと「自然」に足並み揃える努力を
すべきだと思うんだなあ。

 

 

 

 


おいしい湧水のような本*「偶然の装丁家」矢萩多聞著

2015-08-18 | 本 のこと



ひょんなご縁で、本の話をするようになった方から薦められた本。
「偶然の装丁家」矢萩多聞 著。


時に、とてもおいしい湧水を飲んでいるような気持ちになる本がある。
この本は、そういう感じ。

するすると 自然にこころとからだに沁み入って来るような
穏やかでやわらかな流水のような文章。

こころのままに自然体で生きるって
こういうことなんだろうなあ・・・。

この著者は中学一年で学校へ行くことをやめて、
14歳からインドで暮らし、絵を描き続け、
現在装丁家。その他いろんな活動をしていらっしゃるようだ。

この本は「就職しないで生きるには」というシリーズの中のひとつ。
といっても、ノウハウ的な本ではありません。

こういう生き方もあるんだなあ。とか
こうやって、ひととひとの間に生きてこそ「人間」なんだよなあ。とか
元来、ヒトはムズカシイイキモノなんかとちゃうやんなあ。とかとか

いろいろと、ニンゲンの
とても根っこ的な部分を思い出させてもらえたような気がする。。。

本を薦めてくださった方は
わたしの息子が中学2年から学校へ行くのをやめ、
16歳の今も生きづらさを抱えていることを知らない。

モノヅクリの仕事のご縁で出逢ったその方に
息子の話をする機会がまだないだけのことなのだけれど。

それでも、偶然にも、わたしにこの湧水のような本を
薦めてくださった「フシギ」に感謝です。

こういうふしぎなご縁を
ひとつひとつ丁寧にありがたく受けとめて
たいせつにして生きてゆきたいものだなあ と しみじみ思うこの頃。


自分らしく生きるために、自分で自分を生きづらくしている若者たち。

ひとりひとり、みな違うけれど
それぞれに、それぞれのココロが なんとなく心地良いと思える「居場所」を
だんだんに見つけることができたら・・・と ハハは願います。

 

 



 

 

 

 


戦艦「三笠」に乗船す。

2015-08-17 | essay



先日、久しぶりに横須賀の姉の家を訪問。
娘とふたり 電車で日帰りの旅。

横須賀・・・
う~ん。海以外の名物といえば
どうも軍事モノがほとんどなんだなあ。あとは、海軍カレー?

数年前に訪れた横浜の「氷川丸」内部をたいそう気に入っていたムスメに
「三笠」は軍艦だけど・・・行ってみたい?
と訊ねてみると船の中を歩けるなら行ってみようと云う。
というわけで、せっかくなので観光地としても有名な「三笠公園」へ。
「記念艦 三笠」に乗船してきました。。。


歴史の勉強・・・と思って入ればみえてくるものも違います。
日露戦争時、東郷平八郎が指揮を執ったこの大きな戦艦。。。



 
戦争の足跡を感じるものには・・・いつもざわざわと心を揺さぶられます。
勝とうが負けようが、いつの時代も戦争は殺し合いの狂気。

船内に展示されていた戦没者の写真や遺品・・・。
「英霊」と呼ばれようが、たいせつな命を理不尽に奪われたことに変わりはない。
ひとりひとりにご遺族がいらっしゃるわけで・・・。
それぞれの後世に想いを馳せます。

こうして実存しながら黙って歴史を物語っている110年前の戦艦は、
何にも変え難い生き証人。
本物からは、迫力を伴ってそのままの真実が伝わってきます。





急遽、勉強不足のままに訪れてしまったので、
帰ってからHPで戦艦の歴史を改めて紐解いてみると
大正14年、この場所に記念艦として固定された後、
この戦艦もまた、時代に翻弄されたことがわかりました。

太平洋戦争後、アメリカ軍の指示の元、マストや大砲などはすっかり取り払われたそうで・・・。

横須賀市から管理を委託された民間企業は、それらをすっかり売り飛ばしてしまい
なんと、甲板上にダンスホールや水族館を建て、遊興施設にしてしまっていたとのこと。
そんな時代もあったのですねえ。

現在の姿が復元されたのは昭和33年になってからなのだそうです。
今あるマストや煙突は正確に復元されたものなのですね。


船内で、とても印象的だったもののひとつに、部屋いっぱいに広げられた軍艦旗が。。。

終戦時に、アメリカ軍によって持ち去られていた巨大な軍艦旗が
戦後70年のこの夏、誠意により返還されたとのこと。
そういえば、ニュースで観たことを思い出しました。

「三笠」ではなく「戦艦 朝日」に掲げられていたという大きな旗。
展示されていた巨大な実物の旗は
なんだかとても生々しく、とてもカメラを向けられませんでした。

 しばし、もの想う・・・真夏の軍艦体験でありました。


 
 

 


 


目線があがる夏

2015-08-12 | essay



久しぶりに部活が休みの末っ子ムスメと吉祥寺へ。

髪型や着るものがとっても大事な中2女子。
そういうお年頃にいつの間にか なったのねえ。

去年の夏の終わりに買っておいた大きめのサンダルもピッタリサイズに。

ムスメの横に並んで歩き出して驚いた。

うわあ。
目線が近い!サンダルを履くとほぼ同じ身長だ~。

来年、一緒に高校見学へ行くような夏が来るころには (それはそれでコワイな^^;)
わたしの目線はもっと上がっていることだろう。

末っ子だけは、いつまでもかわいいチビッコでいてほしいものだなあ。。。
おおきくなっていく末っ子を前に、
世の母は皆、多かれ少なかれきっと同じようなことを思うのだろう。

自分もそうやっておおきくなってきたんだなあ・・・なんて
自分の中学時代を振り返ってみる。。。
そういえば、わたしも中学でぐんぐん背が伸びて
あっという間に母より10センチ以上大きくなってしまった。

わたしが母の背を追い抜いたとき
母はどんな気持ちだったのだろうなあ。

幾つになっても
母に聞きたいこと、話したいことがたくさんある。。。

もう叶わないけれどね~!
お盆だし、「帰ったよ~!」って
ちょっくら顔を見せにきてくれてもいいんだけれどなあ(^▽^)






ヒカリをみる

2015-08-10 | essay




空はいつでもそこにある。

何処かへ行かなくても、いつでもだれでも体感できる大自然。

駅を出て通りを歩いていたら・・・
束の間の ひとすじの白いヒカリ。

こ、これは!! いい前兆だ~!

と、勝手にいい気分。

ココロをアゲる要因は、どこにでも転がっているもの。

それに気づくか、気づかないか。

オメデタイヤツ と言いたいヒトには言わせておけばいいのです~。

 

 

 


おとなのはなしから学んだこと

2015-08-07 | essay

昔、小学生のときに大阪から移り住んだ住宅街は
皆がそれぞれに引っ越してきたばかりの新しい町だったこともあり
ご近所付き合いがとても密で、家族ぐるみでホームパーティーをしたり
数家族一緒に旅行に出掛けたりしていた。

ご近所に、成人しているふたりの息子さんを持つ仲のよいご夫婦がいらした。
とてもゆとりを感じる豪華なそのお宅のリビングには
見たこともないような異国のタペストリーや
不思議な外国の置物がところ狭しと飾ってあり
子どもだったわたしには、まるで宝物だらけの博物館。
異空間なそのお宅は、わたしのお気に入りの場所だった。

そのご夫婦には、かなしい過去があった。
三人息子のうちのひとりを幼い頃に事故で亡くされていたのだ。
わたしは、大人たちの話を端っこで黙って聴いている子どもだったので
その時の奥さんの話を今でもよく覚えている。

事故でお子さんを亡くされた時、
周りの人々に、「息子があと二人もいるんだから」と何度となく言われたのだそうだ。

子どもが何人いようと、あの子はひとりしかいない。
慰めの言葉だとわかっていても、
「あと二人もいるんだから」と言われることが一番辛かったの。。。

そう言って涙ぐむそのおばさんのコトバが
子どもだったわたしのココロに深く深く降りてきた。

三人きょうだいの真ん中で
あまり親の眼も届かず、甘えることもヘタだったわたし。
あの頃、だいすきだった伯母を亡くしたばかりで
益々もの想うコドモになっていたわたしは、
子どもゴコロに、親にとってわたしは
いてもいなくてもどっちでもいい存在なのかもしれない、とぼんやり感じていた。

でも、そのおばさんのコトバがココロに降りてきて以来、
自分の愚かさに段々と気付かされたような気がする。。。

親にとって「子ども」はだれでもかけがえのない存在なんだ・・・。
「自分」もそうなのかもしれない・・・
たいせつなことに気付かせてもらったあの日の「おとなの話」。10歳のわたし。


三人の子の母である今、あの時のコトバをふいに思い出すことがある。

そして
あの町のあの奥さんは、年老いた今でもきっと同じ気持ちでいるのに違いない
と確信する。

子どもは、ひとりひとりが特別な存在。代わりはどこにもいないのだ。

そして、それは大人だって同じこと。

自分の存在価値とか、存在意義とか
そんな頭でっかちなことを考える前に
今こうして地球の上に生かされている自分の確かな「存在」を
自分で指差し確認(!?)して、有難く思うことが
時には必要なのかもしれません。

「おとなのはなし」から学べた時代。。。 さて今は????
昔のオトナはもっとちゃんと「オトナ」だったよなあ~ とちょっと反省します(笑)

 

 



 


冷凍と解凍のリフレイン

2015-08-05 | essay

図書館が冷凍庫並みに寒すぎる。
体の芯まで急速冷凍状態。
それでもしばらくいると慣れてしまうところがこわい。

図書館から一歩外へ。
クラクラするほどの太陽の日射しと熱波が
寒い日の湯船みたいに心地よいほど。

でもそれは、ほんの一瞬のまやかし。カラダの勘違い。

ものの1分も歩くと・・・!
冷凍されていた体がじわじわっと急速解凍。
止まらない汗!気化熱のせいか、しばらくは火照って仕方ない。

これは体に相当よくない~。
と思いつつ・・・
ホームと電車内
歩道とスーパー などなど
連日35度を超える街と、冷房の効いた屋内との温度差はどこでも同じようなもの。

ますます細胞が劣化しそうだ。
図書館でせっかく無理矢理 脳細胞に詰め込んだにわか勉強も
解凍されて一緒に溶け出してしまいそうで困る。

急速冷凍&急速解凍の夏は続きます。
みなさま、体調管理にはくれぐれも気をつけましょう( ^-^)/

 

 


 


灯りのような花

2015-08-04 | essay



真夏に咲く薄紅色の花。
さるすべり。

緑深い真夏、ひと際色鮮やかに咲くさるすべりの花は
毎夏、灯火のように感じます。

生きとし生けるもの、
そして空の上のみえない別の時空のひとたちにもよく見えるように
灯火を高く高くささげます。

 

 

 

 

 


りっぱな雑草

2015-08-02 | essay



「よかったねえ~」 と 葉っぱに近づいて思わずひとりごと。
去年の夏はすっかり引き抜かれてしまったこのツル草。
今年は抜かれずに成長し、緑の実をつけ出した。



なんてかわいいつぶつぶなんでしょう!
よく通る道端の駐車場の柵に絡まるこのツル草。
勝手ながら、もうずっと前から毎年
この緑に染まる柵とかわいい実を目にするのをたのしみにしています。

あちこちの雑草と呼ばれる草たち。。。
夏を謳歌してせっかくのびのびと生きているのだから
「雑草」と一絡げに呼ばずに
そのままどこまでも茂らせておいてあげたいものだなあ。

 
目にみえる、わかりやすい生命力。

ツル草系の植物って、そこに魅かれるのかもしれないなあ。

 




 


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