時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

みえない いと

2014-05-31 | essay



なにかとなにかが繋がって
縦糸と横糸が編み込まれるように
知らぬ間に日々の自分が織り上げられていく。

いろんな みえない糸。

ひと と ひと

ひと と ひとの手から生まれたモノ

ひと と 場所

ふしぎなエニシで あっちとこっちが そっちとこっちが
水の流れのようにさらさらと合わさって融けあう。

さらさらとわたしも流されて

アラ、此処へ出るの?


すべてのことに全部、正答が用意されているわけではないんだよね。
なんだかワケわからなくてもいいんだな。

「そうそう。」ってこころが勝手に納得することがたいせつだよね。

本能と感性。。。
やっぱコレだね! (?)

  




碧いみずうみ

2014-05-30 | essay



こころの底に
みずうみがある。

深い深いブルーで
それでも時には光が湖底まで届くような澄んだ静かなみずうみ。

とおい記憶も
あたたかな想い出も

かなしい涙も
懐かしいあの歌も
ぜんぶ、ぽちゃんと 沈めておくのだ。

こころのみずうみは、すべてをそのままに
瑞々しく保っておいてくれるから
必要なときには
湖底へ潜っていって掬いあげることもできる。


沈めたかなしみは・・・
ナイフの刃のように
湖底で反射して
思わぬときにわたしのこころをキラリと射す。

それでも
そのかなしみは、わたしのもの。

忘れてしまいたくはないから
静かに
碧いみずうみにそのままたいせつに沈めておく。




それぞれの1ページ

2014-05-27 | 「ドレミファブック」 のこと



1970年代初頭に幼い日々を過ごしたひとの中で
小さい頃を振り返ると、ドレミファブックのページが浮かび上がる・・・って方々。
意外に多いのではないかな。

ビデオもゲームもなかったあの時代の子どもにとって
レコードと絵本が一体となった「ドレミファブック」は
上等で優雅な遊び道具でもあり、いろんなことを目の前に広げてみせてくれる、
世界への窓みたいな存在だったように思う。



先日、「ドレミファブック」を検索してここへと流れてきてくださったCさんからのお便りに
「アップンおねんね」が一番印象に残っているとあり、
早速探し出してみました。 (動画とかUPできなくてごめんなさい!)

ドレミファブック第10巻。

 懐かしいね~やさしい子守りうた。。。。

この巻では、わたし、おなかのへるうた が印象深いんだなあ。
歌詞の「おなかとせなかがくっつくぞ」ってところを一生懸命想像してみたり
どんな感じかなって、幼児体型のぽっこりおなかをへこませてみたりしてたっけな。
ページを開くとその頃の記憶が空中にぽわんと浮かび上がるようだ。

ドレミファブックの、それぞれの想い出の1ページ。。。
普段は「生活」に埋もれてみえなくても
ひとりひとりのこころの底に眠っているたいせつなうた。
その頃の小さな自分、部屋のぬくもり。
そばにいてくれたひと。。。

それぞれのたいせつな1ページ。

ドレミファブックは、あの頃のコドモたちにとって
人生最初に出逢った「せんせい」だったのかもしれないね~。

たくさん、たくさん、たいせつなことを教えてもらったような気がします。


 (「このあし たん」のちひろさんの挿絵)

 



 


スピーチ・バルーン

2014-05-26 | MUSICのこと



次男坊が、密閉型の大きなヘッドホンをお小遣いで買った。

な~んか、懐かしいなあ。
昔、こういうデッカイ黒いヘッドホンですきなレコードをよく聴いていたっけなあ。

というわけで、久しぶりに昔のレコードをいろいろ引っかき回す。

久しぶりにみるとどれもこれももう懐かしいねえ。
うわ。アバもある。これはお姉ちゃんのだな。
ニニ・ロッソ・・・母のとてもお気に入りだったレコード。
これは・・・まだ聴けないよ。
いつか、ただ懐かしく穏やかな気持ちで聴ける日がくるのかなあ。

おお~。
大滝詠一。。。。「LONG VACATION」
これ、わたし持っていたんだ?すきだったなあ~。

懐かしさに針を落とすと、ヘッドホン越しに甦る80年代。

そうだった。
わたし、このアルバムのなかの
「スピーチ・バルーン」がとってもすきだったんだ。
この唄、いいよねえ。。。

まだ失恋も知らないコドモだったのにさ、
この唄を聴くとなんだかひどくせつなかったなあ。

  吐~息~ひ~とつ スピーチバルーン・・・

このスピーチ・バルーンって、
漫画とかの白抜きの「吹き出し」のことなのだと
大人になってから知った。
その頃は、何なのか考えもしなかったのがふしぎだ。

それにしても、このアルバム。
つくづく、ニッポン代表みたいな名盤だよね。

もう あたらしい唄は聴けないけれど
大滝詠一さんの唯一無二の唄声は、透明な永遠のタカラですね。

     





 


空のさかな

2014-05-25 | essay



空へと泳いでいくさかな。

 水の中の天の川



森をおよぐ。

自分が本当はどこにいるのか
うっかりわからなくなりそうな感覚がすきだ。
そこにあるものはホンモノか。

空も水も木も、さかなもわたしも。

本当の空を写したら不思議なヒカリが写っていた。

 

 


収穫祭*ものづくりのたのしみ

2014-05-23 | essay





うちの時計店の店舗前にて、年に2回だけ開催しているてづくり雑貨イベント。

日焼けしそうなくらいに晴れた!と思いきや、大粒の雨。
急遽店内に作品を運び入れ、店内&店先という新しい展開での開催となりました。
スペース的にもゆとりが生まれ、ちょっとまったりいい感じ?

またまた晴れてはザーっと通り雨、という不安定な天気でしたが
たくさんのお客様にご来店いただき、またまたたのしい一日となりました。

写真はオープン前の作品の一部。
オープン後は、いろんな方々とのおしゃべりが楽しくて一日があっという間なので
ついつい写真を撮るのを忘れてしまいます(笑)

今回は、しばらくおやすみしていたCちゃんの手づくりパンの復活で、より彩り華やかに。
午後にはコーヒーを挽いてお客様にふるまう新しい試みも!
コーヒーの香りに包まれた「雑貨屋さん」もなかなかいいものだなあ。

なにしろ、一日だけのことなので・・・年に2回の「お祭り」ですね。
最近出逢いのあった方々が初めて来てくださったり
毎回この日だけお逢いできるひとがいらしたり。
車からたまたま見て、近くに駐車してわざわざ来てくださったり。
本当にありがたいことです。

仲間と創めたこのお祭りも、もう9年目・・・?
ひとりではできないことも、みんなが一緒だから出来るんだよねえ。
それぞれにいろんなことがあるけれど、それはそれ これはこれ。
たのしいモノヅクリの時間もささやかにたいせつにしていきたいものです。

メンバーの皆との出逢いはコドモの幼稚園のバス停だったけれど
子どもらもすっかり成長し、一番ちびのうちの娘も中学生だもの。。。

たのしい一日。
これからも細々と、幾つになっても(!?)皆で楽しんで続けて行けたらシアワセだなあ。

おきゃくさまに、メンバーに、こころから感謝です。

            

 

 


あの子とこの子

2014-05-21 | essay



空の上の親友の 娘kちゃんとはたまに逢ってしゃべる。

弟のYくんは、大学に入学してひと月余り。
どうしているんだろう、逢いたいな。
どっかで落ち合って三人でごはんでも行こうヨ。って
kちゃんにメールを送ったのは朝のこと。

そして、その日の夕方。

久しぶりにYくんから電話。うちの最寄りの駅から。
「友だちとの待ち合わせまで時間余ったから寄っていい?」とYくん。

もちろんさ~。
そんなときの「みこおばちゃん」よ。

てっきり、kちゃんとやりとりがあって
わたしに連絡してきたのかと思いきや、
まったくの偶然。。。いやあ。。おもしろいなあ。

どうしてるんかいな~。あいたいな~。って気持ちが宙に舞って
空の上でアノ子が、あっちとこっちの回線を繋げてくれたのかな。
なあんて思っちゃうよね。

半年振りに逢うYくんは、すっかり大学生らしくオシャレになってる。
初めてパーマをかけた髪が可笑しくて、笑い転げちゃったよ。(ごめんごめん)

うちのキッチンで、あれこれ喋る。
ほんの少し前には、あなたのママとここでこうしてお喋りしていたのになあ。
アノ子にそっくりなこの子が
同じようにここに座って笑ってる・・・ウレシイふしぎ。

次の夏でもう三年。

アノ子は空から。
わたしはここで。

みえないけれど、想いの回線ってもんは必要なときに
あっちとこっちでちゃんと繋がるようにできてるみたいだよね。 フシギです。

     

 


Nobel Peace Prize

2014-05-19 | essay



「憲法9条にノーベル平和賞を!」

発案者はひとりの女性。

平和憲法を保持してきた日本国民に授与を、という活動に
支持の輪が拡がっている。
すでに推薦受理され正式に候補となっていて
わたしもあなたも日本人すべてが候補者!
発案者の女性は、みんなが候補として、平和を考えるきっかけになったら・・・と語る。

目のつけどころが素晴らしい!
ありがとうございます!
ひとりひとりのチカラは小さくても、合わせれば大きなチカラになるよね。
(ネットでも署名ができるよ~)

戦争は、なんだかんだ言ったって 「殺人」だもの。

どんな正論を掲げたって 戦争は狂気。
そんなものを容認することはできないよ。
わたしは、子どもたちの未来にも「平和」を残してあげたい。

せっかく、文明人として進化してきたのにさ。

時間軸を後ろ向きに歩くような、今のニッポンのソーリ。
国民の声どころか、自分に同調するひとの声以外は
なんにも聴く気はないのではないの?
民主主義は何処へ?

もっともらしいコトバと柔和な表情で
わたしたちを生ぬるく煙に巻くけれど

ふう~っと思い切り煙幕を吹き飛ばして
そこにある正体を自分の目でちゃんと見て
自分のココロでモノを思わなきゃね。

生ぬるい風ってのは心地いいんだけどねえ。
うっかりしてると、道に迷ってもう戻れなくなるよ。 くわばらくわばら・・・。

   

 

 

 


いなせなニッポン

2014-05-16 | 展覧会・アート のこと



はじめてのことってのは、幾つになってもワクワク。
人生初の歌舞伎を観てきました。



すっかり白くお化粧された歌舞伎座。以前の建物を取り壊したのはゆめだった?
というくらいそのまんまのいでたち。上を見なければ、の話ですが。(上方はめちゃ高層タワー)

昔、東銀座の駅をよく利用していた時期があり、歌舞伎座の前を通りながら
いつかちゃんとした大人になったら中に入ってみたいなあ。 と、若人のころに思っておりました。

ようやく機の熟す時は来た!?
「ちゃんとした大人」には永遠になれそうにないのでそれはおいといて。
ある日、ぽんと飛んできたともだちKちゃんのお誘いにひょいと乗り、
昔馴染みの三人衆でとうとう歌舞伎鑑賞とあいなりました。

いやはや~~~。
これはやられました。
日本の伝統芸能、カッコイイ。
うまく語れないから語らないけれど!
三味線はもはやロックでありました。

客席のあちこちから飛ぶ ナントカ屋! とか 五代目! とか 待ってました!とかいう
ご年配者の掛け声がまたまた粋で、イナセなニッポンの真髄をみた想いでした。

それにしても、ほぼ4分の1日を歌舞伎座で過ごしていると
何だか自分がいつの世にいるのかわからなくなるような・・・。

ふわふわと平成と江戸とを行き来しているような妙な気分になりました。
途中でうっかり居眠りをしたせいかもしれませんが。(しかも最初の演目で。一瞬ね、一瞬。 )

そして花形スター海老蔵氏は、ほんもののスターでした。
菊ノ助さんの舞いにも圧倒。
そして音(&声)を奏でる方々の素晴らしさといったら。。。!

日本の魅力再発見!ブラボー歌舞伎!
すばらしい体験でした。
正に「百聞は一見にしかず」とは、このことのようです。

   以前の歌舞伎座の屋根瓦 (屋上庭園にて)


 


蝶の道

2014-05-14 | essay



  「ちょうちょって、いつも同じ場所を同じ時間に通るんだよ。」

いつのことだったか、虫博士だった息子が教えてくれたこと。

洗濯物を干しに庭に出るといつも
同じ(かどうかは勝手な妄想だけど)アゲハさんに出逢うから
不思議に思っていたんだ。

すごいねえ。
自然ってもんは、誰にも教えられなくても
自分の行く道、自分の居場所、自分の色、
迷いなくちゃんとわかってる。

にんげんも、たまにはちゃんと本能に耳を澄ませてみなくちゃね~。 

 


思い込みも大事。

2014-05-13 | essay



キリンファイアーのCM「心に火をつける言葉」を久しぶりに観た。

娘が中学に上がって登校時間が大幅に早くなったので
この時間にTVの前にいることが少なくなり、すっかり忘れていたのだ。

久しぶりにこのCMソングを聴くと
黄色い班長旗を手にランドセルを背負った娘の姿がそこに見えるようだ。
毎朝、CMの今日の言葉を聴いてから慌てて靴を履いていたっけ。
だんだん制服とスクバが馴染んできたけれど
ほんのひと月半前はランドセルだったんだよねえ。


で、今日のコトバはいいね。 超楽観的!

  「自分はできると信じなさい。そうすれば目的の半分は達成したといえるのだ。」

はじめての中間テストにビビっている娘に今夜教えてあげるとしよう。

この言葉は、セオドア・ルーズベルトのコトバ。
同じく、この昔の大統領さんのコトバで
前にどこかで目にしてからすきなコトバがひとつある。

  「Do what you can, with what you have, where you are.」

   (自分の場所で 自分の持っているもので 自分にできることをやりなさい)

ついでに、Daryl Hall の
  「Do what you want, Be what you are.」 というコトバもすきだなあ。

こちらは曲名なんだけどネ~!





 


もとめよさらばあたえられん

2014-05-11 | essay



ひととの出逢い、言葉との出逢い、
本との出逢い、場所との出逢い・・・

さまざまな いい出逢いは、「 幸運 」のお蔭なんだと思っていた。

すると、いつだったか

いい出逢いがあるのは、ちゃんと求めているから。
求めよ、さらば与えられん。というように、
求めているから出逢えるんだと思うよ。

と、恩師T先生。

なるほどなあ・・・・・。
時間が経ってから、この頃、先生のこのコトバをじんわり実感しています。

突然降ってきたように思える「答え」も
わたしが求めていたから、ある日ふいに降ってきたんだな。

求めていなければ、それを「答え」だと気づかない。
意味を成さないただのコトバ。


物質的な欲はもうほとんどないに等しいのだけれどね。
わたしはつくづく、精神的ヨクバリなのでしょう。


「求めよ、さらば与えられん 尋ねよ、さらば見出さん 門を叩け、さらば開かれん」
特定の信仰を持たないわたしだけれど、
いろんな善いコトバはありがたく素直に受け入れます。
(そして、よいように受け取ります!?)

     



 


たいせつなことは・・・

2014-05-10 | essay



想像すること。

自分のなかには無くても 相手のなかにある感情。
自分のなかには存在しない考えでも、相手には確かに存在する思考。

それぞれに違うニンゲンなのだから
考え方も、感情の温度もそれぞれ違う。
そのまんますべて共感も共有も出来ないのはあたりまえのこと。

それでも、せめて 
相手のこころを想像してみようという姿勢と努力。。。

歩み寄りに必要なのは、何より想像力だよね。


    

 

 

 


規格内/規格外

2014-05-09 | essay



ずっと以前、子どもたちが小さかったころ
近所の公民館の子育て講座で拝聴した ジャーナリスト青木悦さんの講演会。

その中で聴いた、忘れられない言葉がある。
親が掲げてしまう“幻の子ども像”についての話の中の言葉。

  「先生の号令に一番に列に並べる子は、校庭の隅に咲く花には気づかない。
  校庭の隅の花に感動してうずくまって眺める子はすみやかに号令には従えない。
  これをひとりの人間が同時に行うことは不可能。
  そしてここに優劣はない。それぞれが違うというだけです。」

この言葉は、子育てに悩む新米ママだったわたしに答えを授けてくださった。

集団行動が苦手でマイペースな園児だった長男に
正にぴったり当てはまり
自分が、愚かにも彼を枠にはめて世間一般の尺度で測ろうとしていたことに気がついた。
他の誰でもなく、この子はこの子。
これは彼の個性であり、長所なんだと、俯瞰から眺めることができるようになった。

子どももひとりひとり個性があって当たり前。
大人が描く理想の子どもなんてどこにもいない。

あの時、青木悦さんの言葉と出逢わずにいたなら、
もしかしたら、わたしは彼のこころの自由を奪っていたかもしれない。
他の子どもと常に比較して、窮屈な世界に押し込めていたかもしれない。

目の前の等身大の我が子を、ありのままに
自然の樹木のように伸びゆくのを見守る。。。
これは、実は本能に従えば少しも難しいことではないのに
親はつい、葉を切り、枝を矯め、
都合のよいように伸びる方向を矯正しようとしてしまう・・・。

この盆栽型の教育は、日本の学校教育の根っこにもある。
そして、学校でそういう教育を受けて育ったわたしたち大人は
それが当然のようにまたもや学校の枠に子どもを嵌めてしまう。。。

枠を造ったのは、太古の神ではなく、ほんの近代のニンゲンなのだから
枠に収まらない子どもがいたって不自然なことでは全くない。

収まれないことを適応不能な不良品の如く思ってしまう世の中のおとなも、
自分が規格外のように思わされてしまう子どもも、両方が悲劇だ。

みんなそれぞれ持ち味があることを認め合える世の中であればいいのにな。

秩序や規律は最小限に、もっと自由に
自然に枝葉を伸ばすことのできる子ども時代を
すべての子どもたちに送らせてあげたいものだな。


ひとは、自分の生きやすい時間の流れを持っている。
一日は24時間、と決めたのもニンゲンだけれど
こころの速度、生きる速度は自分なりのものでいい。と、わたしは思う。

何をゆめみたいなことを・・・アホちゃう? って思うひともいるでしょう。
敢えて、大人にこそゆめみたいなことが必要なんじゃないかな~。


 
 あの時出逢えた青木悦さんの言葉に、今でもこころから感謝しています。


 

 


つくること。

2014-05-08 | essay



すきです。ものづくり。

先日行ってきたホビーショーで手に入れたいい感じの麻生地で
麻バッグ出来上がり。

もうすぐ開催するイベントに向けて制作する時間が増える時期なのだ~。
店番しながらミシンを踏む。
晩ごはんを作りながら頭の中で構想をネル。



お! って閃いて、制作に没頭する時間って
たいへん脳とこころに良い感じがする。

こういう無になってモノをつくる時間って
わたしにとっては、タマシイが必要としている時間・・・な気がする。ちょっと大げさか。

まだ見ぬどなたかのお気に入りバッグになれたらいいなあ・・・と夢想しつつ
今日もまた布を、革を、裁つわたくしです。

                 


 


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