時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

屋根裏のペーパードール

2012-12-30 | essay



小さい頃、とてもすきだった紙人形遊び。
大事にしまい込んだまま、数々の引っ越し先を転々と。
数年前に我が家の屋根裏のダンボール箱の中から発掘されました~。

なんともレトロな少女がかわいいので、今は額に入れて飾っています。
これは「ぬりえノート」か、「お絵かき帳」の表紙裏の絵を切り取ったもの。
ハサミの切り口のたどたどしさが、幼さを物語っておりますなあ。

他のひとには、ただの紙ゴミでも わたしにはタカラモノ。
懐かしい色合い。。多分小学校に上がる前だから1960年代後半ね~。

毎年こうして懐かしいものに見入っちゃって、大掃除は遅々として進まず!!

2012年 いろんなことがありました。
2013年も いろんなことがあるでせう。

み~んな健康で一日に何度か笑っていられたら、
もうそれでオッケーよ~   

******************************

今年も、拙いわたしの雑記を読んでくださりありがとうございます。
いつまで書くのやら本人にもわかりませんが、
どうぞまた気の向いた時に読み流しにお寄りくださいね。


どなたさまにも、あたらしい年が大きく輝く良い一年でありますよう、
こころよりお祈り申し上げます。
                                     Keep Smiling!!

                                                   時間のしずく Time Drops        miko  


    




睡眠 と 永眠

2012-12-29 | essay




眠りに落ちる瞬間の記憶って 誰にもない。

きっと死んでしまう瞬間って同じに違いない。

体からたましいが抜け出してしまうところまでは、きっと同じなのね。

すぐ戻れるのが 「睡眠」 で、

戻る場所を見失うのが 「永眠」。

いにしえから云われる、玉の緒(魂の緒)が繋がっているか
切れてしまうか・・・ってだけの違い。 からだは、たましいの入れ物。。。

なんてことに、夜更けに目覚めて ふと、気付いてしまった。

この年末のばたばたの時期。我ながらのんきなことを。。。

大掃除もまだこれからです~!

 
   




「サルガッソーの広い海」 ジーン・リース著

2012-12-26 | 本 のこと



存在を知ってから、いつか読みたいって思っていた本。
先日図書館で見つけて読み終えたところ。

「サルガッソーの広い海」 ジーン・リース著
(原題「Wide Sargasso Sea」) 
「ジェイン・エア」を一度でも読んだことのあるひとは
きっと誰もが読みたくなる本。

「ジェイン・エア」の登場人物 ロチェスター氏の
西インド諸島時代の最初の妻 「バーサ」。
その獣のような謎の狂気の女、彼女の狂気の源を探るべく
彼女の半生に焦点を当てたこの小説は
1847年のジェイン・エアの出版後、100年以上経った1966年に書かれている。

ジェイン・エアの、屋根裏の謎の闇の中へと潜り込んで 時間を遡るような物語。

単に想像力だけで出来あがった「エピソードONE」的な小説ではなく、
「バーサ」と同じ、西インド諸島の英国植民地で生まれ、クレオールと呼ばれる白人としての
独特な文化の中で育った作者自身の人生と共鳴しながら書きあげられているからこそ、
このバーサ(アントワネット)が本の中で息を吹き返し、言葉を持つことを違和感なく肌で感じることができる。

こんなふうに、本の中の陰のひとりの人物が別の作家によって初めて生を得る・・・なんて。
こんな書かれ方をした本は初めて読んだ。
本の中の世界を、その世界の鏡の裏側からのぞいているような感覚だ。

このような、この「バーサ」の持つ複雑な人間像は
生粋のイギリス人のシャーロット・ブロンテには到底描ききれない部分でしょうね・・・。

本は、知らなかった世界や、様々な歴史や文化を知るきっかけになる。
奴隷制度廃止法後のヨーロッパ植民地における白人と黒人の拮抗、
その土地に根付いた独特な文化との融合。。。
本当の意味での「理解」は難しいけれどね・・・。

奴隷貿易を取り上げた社会派映画「アメージング・グレース」をたまたま数ヶ月前に観た。
奴隷制度廃止を訴える実在した政治家の奔走する姿が描かれており、
とても重いテーマだけれど、いい映画だった。。。
その映画で、あの美しい賛美歌「アメージング・グレース」は、
奴隷船の船長が作詞した哀しい歌だという事実を初めて知った。

事実を知ることは、時にひどく痛みを伴なうけれど、ひととして知っておかなければならないこともある。。。

「サルガッソーの広い海」
夜な夜な、西インド諸島の熱風に捲かれながら本の中を泳ぎ、またひとつ未知の世界を学びました。

いい本は、いい師です。 







[ アヴェマリア ] と 奈良の団地

2012-12-23 | MUSICのこと




音楽には、ひとそれぞれ 想い出が詰まってる。
その歌が聴こえてくると、条件反射みたいに映像が浮かぶってこと、よくあるよね。

わたし、「アヴェマリア」が聴こえてくると、
奈良の団地に住んでいた小さい頃の光景がありありと浮かんでくるんだなあ。

伊丹のつり池の家から奈良へ引っ越したのは幼稚園に上がる前の3歳。

思い返すと、その後5歳で大阪へ移るまでのほんの2~3年の幼い時期しか
そこでは暮らしていないはずなのに、奈良の記憶はとても鮮明なんだ。
「モノゴコロ」のつく、こころが一気に目覚めた時期だからなのかな。

わたしが生まれたのは、伯母夫婦の営む「つり池」の上に建つ家。
ここに一家で同居しながら、父は大阪の会社へ出勤し、母は姉夫婦のつり池を手伝っていたようだ。

ひとの出入りの多い賑やかな家から一転、はじめての家族だけの静かな生活。
白い白い奈良の団地。

長い坂の上の、はじめての幼稚園。姉の小学校入学。
母の大きなおなか。弟の誕生。ミルクの匂い。
だいすきなドレミファブック。
新しいことだらけで周りがいつもキラキラと輝いていたんだ。

そんな頃、父がプラスチック製のグランドピアノの形をしたオルゴールを
どこからか頂いた。
鍵盤のふたを開けると、流れるきれいなメロディ。

小さなわたしは、すっかりそのオルゴールのとりこになってしまった。

その曲が「アヴェマリア」という名だと知ったのは、もちろんずっと後のこと。

そして オルゴールを聴くたびに、なんだか泣きたい気持ちになったこともよく覚えている。
きれいなメロディなのに、かなしい・・・。かなしくなるのに、また聴きたい。
アヴェマリアは、幼いわたしに、初めて「せつない」という感情を教えてくれた曲なのかもしれないね。

それまで一緒に暮らしていただいすきだった伯母、ちゃこのおばちゃんや

賑やかなつり池の家がきっと恋しかったのね。ちいさいわたし。

今でもアヴェマリアが流れると、黒いピアノのオルゴールと
奈良の団地の懐かしい想い出が浮かんできて
せつない気持ちに包まれてしまうのだ。。。


誰でも、それぞれたくさんの想い出が詰まって今の自分が出来上がっている。
覚えていようといまいと、その時々のいろんな気持ちが積もってだんだんおとなになったんだよね。
もう今は戻れない時間と場所。それでも確かにそこに流れていた時間。

時には、自分の中の核の部分、子どもだった自分のこころを思いだすのは
とてもたいせつなことなのかもしれないね。

マイケル・ボルトン(&ドミンゴ)の歌う「アヴェマリア」を聴きながら
ぼんやりと、そんなことを想う冬の夜でした。






ミッドセンチュリー*ムード

2012-12-22 | 古い建物 のこと



あの街ではあの店。この街ではこの店。 お気に入りのお店って誰にもあるもの。
下北沢では、「木旺館」は外せないだいすきなお店。





うあ。懐かしい!って物のおんぱれーどです。
昔のものって、なんとも味わい深くてだいすき。

ここでは、たいていレトロなボタンを見つけて買って帰ります。
この日は、アンティークなハンドバッグにも一目惚れっ!

今回、下北の西口の方の、歩いたことのない場所をぶらぶらしてみたら、
東京レトロa.m.a.store というレトロ雑貨店や、
他にもアンティーク店をいくつか見つけちゃった!

気分は昭和ミッドセンチュリーにタイムスリップです。

    この店構え、好みっ。 元は床屋さんかな?

   これからリノベーションするみたい? 何になったか今度のぞきに来よう。



かわいいかわいい帽子屋さん

2012-12-21 | essay

 

近年お近づきになった、とってもかわいくてフシギちゃんな帽子作家さん。
下北沢のギャラリーで個展をしていると聞いて伺ってきました~。

個性的な一点モノのすてきな帽子や雑貨小物の数々。
彼女のほっこりと温かいお人柄がひとつひとつにちゃんと表れています。

これはもう芸術作品です~。

 

わたしがひと目ぼれして連れて帰ったのは、ふくろうくんのポシェット。まるくてかわいいです~!

 ケータイにもぴったり!娘と兼用で~す。




驚きと脳細胞

2012-12-20 | essay



見慣れたものが急に新鮮に見えたり、
思い込んでいたことが、ただの思い込みだったことに気付いたりすることが時にある。

そんな時、きっと脳内ではあちこちに電気が走って脳細胞が刺激されているのでしょうね~。

この前、とても驚いたことがあった。
もう長年、うちの店の前の通りの向こうを歩いてゆくのをお見かけしていた中年男性。
どこの人かも知らないけれど、本当によく見かける人ってのはいるもので。
日本人なのに非常に鼻が高いのが特徴的な人。
(いつも歩いて行く横顔しか見えないので特にそう思うのか?)
しかもなんとなく見かけるたびに微妙に印象が違い、
年齢不詳な人だね~、と夫と話していたら・・・。


先日、駅前でその人を見た。別の場所で見かけるのは初めてのこと。
すると!え????
後ろにそっくり同じ顔の人がもうひとり!仲良さげにおしゃべりしてる!

あ~驚いた。
わたしが長年見かけていた人は、同じ一人の人ではなく、二人だったんだ~!
ならば微妙に印象が違って当たり前だ。
双子というより、ご兄弟という感じだったから年齢不詳に見えても当然よね。
名も知らぬその人たちを、思わずじ~っと目で追ってしまったよ~。

それだけの事といえば、それだけのことなんだけれどね。
わたしには、この長年の思い込みを瞬時に塗り替えられたスゴイ不思議体験だったのでした~。

その時のわたしの脳をスケルトンにして観察したら
きっとクリスマスライトくらい点滅して光っていたことでしょう~。








点と線

2012-12-19 | essay



先日、長男の幼稚園時代からのご近所仲間と飲んでいたら、
天然系のかわいいNちゃんが、興味深いことを言っていた。

40を過ぎてから、点が線になってきた・・・と、この仲間では最年少のNちゃん。
いろんなことが、点から線に繋がってものを考えるようになった気がする!と語る。

ん~~なんかわかるなあ。
Nちゃんも、本能派(?)。わたしもどっちかというとそっち。

やっぱり40代はものを想うお年頃なのねえ。
怒涛の子育て時代を過ぎ、子の手が離れ始めると
自分の中を占める割合が、「母親」から本来の「わたし」へと移行し始めるのかもね。

となると、50代はもっと移行するのね?
この日の集まりは、ともだちRさんの生誕半世紀祝いの飲み会なのであった~。おめでと!

「おんなは50代から輝く!」ってのは、
雑誌のコピーだけじゃなく、真実なのかも。
身もこころも「本来の自分」を磨く時期というわけだ~。

わたしも、もうすぐ47歳~。いつのまにか~。
うちはまだ小中学生がいるせいか、手が離れたって実感はまだない。
「わたし」磨きの準備段階かなあ。
トライしたいことは山ほど!想い半ばなことも山積み!
前倒しで磨き始めよう~っと。

  『人間が作り出した時間は、生かすも殺すも自分次第』

本の中で出逢った小林秀雄氏のこの言葉は、近頃わたしのメインテーマだ。

こころにゆとりを持ちながら、時間を生かす・・・
あくせくムダに焦らず、時間を有効にたのしむってことよね。
「活かす」ではなく、「生かす」ってとこがミソだね。

難しいけれど、永遠の課題かな~。

 みんなだいすき、ご近所の焼き鳥屋さん。いつも旨し!



「あかはなのトナカイ」 in ドレミファブック*クリスマス号 

2012-12-18 | 「ドレミファブック」 のこと



わたしの中の「あかはなのトナカイ」のイメージは、
ドレミファブックのいわさきちひろさんの絵そのもの。

小さい時に、こころに焼きついたものはずっとそのまま残るのねえ。
わたしが想い浮かべる[トナカイ]は、この絵のやさしくて寂しげなトナカイ以外ないんだなあ。

この本が出版された頃はまだ現役で絵を描いていらしたいわさきちひろさん。
この当時は、「岩崎ちひろ」って漢字を使ってらしたのね。

すき・きらいの感情がダイレクトな幼少期。
ドレミファブックの絵の中でも
やっぱりすきなものとそうではないものがあり、
ちひろさんの絵は、「だいすき」のカテゴリーだったなあ。

この絵の他にも、ちひろさんの挿し絵の
「おはなしゆびさん」「ママがあかちゃん」のページもだいすきだった。

もちろん挿し絵がだれか?なんて知らずに観ている小さな頃。
子どもの頃の絵のすき・きらいは完全に本能と感性によるもの。
ドレミファブックの本を、あれから40数年経った現在開いてみても、
やっぱりあの頃すきだったページは今もすき。
そうでもなかった絵は、不思議と今観てもやっぱりそうでもない。

三つ子の魂百まで。という諺は本当だ。
ドレミファブックを楽しみに開いてレコードを聴いていたのは4歳の頃からだけれど。
幼いころの自由なこころがすきだと感じたものは、
間違いなくそのひとが一生好むものなのかもしれないね。

百まではわからないけれど、とりあえず4つ子の魂、ほぼ50まで。って感じ?

「ことわざ」って、大人になって、実体験を重ねるとだんだん実感するものなんだなあ。

先人たちの遺した徳のあるコトバを大事にしなくちゃね。

 この号のなかの「ママとふたりのクリスマス」がとてもすきです。



 


保守の国?諦めの国?

2012-12-17 | essay



真面目な日本人が安定を望めば、結局こういう結果がでるのね。。。
昔ながらの政治を安定と考えれば、のハナシ。

もう期待するのを諦めてしまったオトナがこの国の多数を占めるということなのか。

わたしは、安倍氏の掲げた「国防軍」というコトバがどうしても嫌だよ。

そして公共事業の大盤振る舞いの政治には、みんな辟易していたのではなかった?
もともと、原発を推進してじゃんじゃんお金をつぎ込んだのは他でもない自民党。
「新生」自民党として、間違いを認めて正す良心と、
絡まる古い蜘蛛の糸を断ち切る力があるのかどうか。
わたしにはわからないけれど。

そして安倍サン。
またお腹いたくなっちゃって、ぽいっと荷物降ろしたりしないように体調管理の方もよろしくお願いします~~。

まあ、維新に賭けるひとが多数でなかったのには・・・ちょっとほっとしましたが。

諦めず、ひとりひとりが関心を寄せて、歴史の目撃者であるよう心がけたいものです。


           



岩牡蠣のグラタンと流星群

2012-12-14 | essay



わたしの今年のベストフード!と言っても過言ではありません。
「岩牡蠣のグラタン」美味~。
T先生とランチをご一緒したイタリアンのお店にて。
これはこれはこれは!めちゃ美味しい~~。
先生とお喋りして過ごす時間は、たいせつな「わたし」の時間。

天体にも詳しい先生!(知りませんでした~)
ふたご座流星群、今夜がピークだよと教えてくださった。
オリオン座の少し東あたり。とのこと。
で、防寒対策ばっちりで8時頃に娘と星を見に外へ。

家からは、マンションの灯りだらけで空がほとんど見えないので、
近所の暗い場所は・・・と考えて夜のお寺へ。
お寺はさすがに暗い。マンションの灯りを目に入れないように空を見上げていると
わ。みえた~!ぴゅ~とひとつ流れ星☆
娘10歳。はじめての流れ星。
一緒に眺めた流れ星。きっとずっと覚えておいてくれることでしょう~。
速すぎて、お願いは間に合わなかったけどね!

夜が更けてから、もう一度トライ。
娘はすっかり夢の中。ダンナはまだ帰らず。
一緒に行こうと思っていた次男坊は、半端な時間から寝てしまって爆睡。

わたしはパジャマの上にまた防寒着をいっぱい着込んで
高二男子の長男を勧誘。
「さみイ~のに?仕方ねえなあ」と言いつつ
ダウンを引っかけて付き合ってくれた。
近頃、反抗期を抜け出てちょっと優しくなってきた長男。
実は秘かに、ハハは君を頼りに思っているのだよ。
次男坊は険しい我が道を登山中だしね~。

で、またまたお寺の闇に立つ。(アヤシイ)
息子は立て続けに3つも流星を目撃。若いから?動体視力がいい?
わたしも、すごく大きい流れ星をひとつ。
きれい。。。満足~。

岩牡蠣と流れ星。しあわせMIXな1日でした~☆







世界の国のお勉強

2012-12-12 | essay



脱ゆとり教育元年。小学校のお勉強も進化している。

現在五年生の末娘。
上の子たちの頃にはなかったような学び方に、なるほどなあ~~と感心したりする。

学年全体の総合学習の発表会を学校の体育館に見にいってきた。
各クラス4~5人のグループで、ひとつの国について自分たちで調べ、
その国の音楽を使ってその国らしい踊りを皆の前で披露する。

各3分ほどの40カ国くらいの発表を5クラス分、全部じっくり観ちゃった。
娘が出番の時間をちゃんと伝えてくれなかったせいもあるんだけれどね。
なかなか見応えがありました~。

それぞれに工夫して衣装や楽器を手作りしたり、
子どもたちだけで一所懸命練習したんだろうなあ~というような踊りの発表会。
ほとんどの子どもたちがyou tubeで各国の踊りを調べたようだ。
現代っ子ならではの総合学習ねえ。

ちょっと失敗して笑いを誘ったりしてこれまた子どもらしくてとっても可愛い。
五年生は10歳と11歳。とってもオトナっぽい子もいれば、まだまだチビッコもいる。

最後に、先生がまとめの言葉として子どもたちに話した内容を聞いていて
またまた なあるほど~と感心してしまった。

「君たちがこうして毎日勉強したり遊んだりして生きているように、
世界中の子どもたちも今、君たちと同じように生きています。
そして、将来大人になって働くようになった時には、いまよりもっと国際社会になって、
いろんな国の人々と接する機会も多くなっていると思います。
こうしていろんな国のことを学ぶことで、その国のひとにいつか会った時に
知ってるよ!こういう踊りがあるんだよね!と話しをするきっかけになるかもしれません。
たくさんの国に興味を持って、大人になったら世界へ飛び出して行ってください。」

なるほど~!このスピーチに親のわたしまで、未来が拡がるような気持ちがしちゃったよ。
この踊りの発表会は、グローバルな教育の一環だったわけね~。
新任の担任の先生、練りに練って考えましたね!素晴らしいまとめの言葉でした。

うちの子は南アフリカのグループ。
南アフリカといえば、アパルトヘイトを真っ先に思い浮かべてしまうけれど・・・。
今回の学習は衣食住や風習、踊りに関してだったようなので、あえて触れなかったけれど
この先、こういった歴史を学ぶときには、
きっとこの子たち、我がことのように思い入れを感じながら学べるでしょうね。

お金をかけず、ビニール袋や廃材で作った衣装に、
うちから持って行ったわたしの母の木製のネックレスがとても似合って
ふしぎと、アフリカの民族衣装に見えたよ~。

それにしても、小学校は、担任の先生の方向性がこういう発表の場に色濃く出るものですね~。
賑やかで華のある発表の多いクラスもあれば、真面目で静かな発表の多いクラス。
工夫を凝らした発表の多いクラスや、なんとな~くテンションの低いクラス・・・?

底冷えの体育館でいろいろとものを想いつつ、
世界を一回りしてきたような楽しい学習発表会でした~!





 


絵の中に入りたくなる癖

2012-12-11 | 展覧会・アート のこと

展覧会に行って、じっと絵を眺めていると・・・

風景画の絵の中に、すうっと入り込みたくなることがあるんだよねえ。

へんな癖。。。なんでかなあと思いを巡らせてみると
ひとつ 思い当たる幼児体験が。

小さい頃、毎朝観ていた「おかあさんといっしょ」
奈良の団地に住んでいて弟が生まれたころだから、
4~5歳の昭和45年前後のハナシ。

番組の中で、とってもすきなコーナーがあった。
当時のキャラクターのぬいぐるみたちが、壁にかかった何枚かの絵の中に
気球に乗って飛んで入っていくお話。

それぞれの絵には、どこかよその国の風景が描かれていて
日替わりで、壁にかかった絵の中に入り込み、その絵の世界の中で物語が展開していく。
どんな絵だったかはよく覚えていないけれど、
今日はどの絵に入るのかな~?って楽しみに観ていたんだよねえ。

その絵のうちの一枚がお気に入りで、(どんな国だったかなあ?)
「あの絵」に入ってーー!って念じながら観ていたことを覚えている。

きっとそれだね。

毎日のように、気持ちは絵の中に一緒に入っていたから
いまでも、気に入った風景画を観ると、中に入りたくなっちゃうんだな。きっと。

ふわふわと夢ごこちな幼児時代。。。現実と夢を背中合わせに行ったり来たり。
あれから40年も経っているのに、わたしの夢想癖は相変らずってことか。。。

まあ、いっか。
現実だけ直視してたってラチがあかないってことも人生には多々あるもの。

あえて、気持ちをプカプカと泳がすことも、時には(時にはね!)必要なんですなあ~。









ひとり旅

2012-12-10 | essay

 

海外のひとり旅は、思えばわたしは未経験。

もうひとりの「ムスメ」Kちゃん はじめてのひとり旅 U.S.A.へと飛んだ~。
二十歳になったばかりのしっかり者の彼女、行動力とエネルギーに満ち溢れている。
旅行費ももちろんバイトで稼ぎ、往復航空券を買ってからパパさんを説得。

でも、出発前に電話で彼女と話していると・・・
「なんか~。行く前からホームシックっぽいよ~」と力なく笑う。

はじめてのひとり旅が海外なんだもん。そりゃあ不安があって当たり前だ。
自分で決めた彼女なりの度胸試し的ひとり旅。ロスとサンタモニカへ10日間。

「もっと居たかった~って帰って来て絶対言うね!」と、わたしが言うと
「そうかなあ? そうだよね!!」と ちょっと声に力が出てきた。

楽しんでおいで!!
あなたなら、だいじょうぶ。

空の上のママさんは、こういう時こそ何処へでも自由自在~なハズ!?
ちゃんとそばで守ってくれているよ。


わたしもひとり旅、秘かに計画たてようかな~
どこいこ?

     

 


図書館の魅惑の小引き出し

2012-12-09 | 古い建物 のこと



わたし、子どものころ 図書館の索引の引き出しを開けるのがとてもすきだったんだ~。

図書館員さんの手書きのカードが整然と並ぶあのたくさんの小引き出し。

子どもの頃、あの引き出しを開けるとなんだかすごい文学少女になったような、大人びた気分になったものだ。

いつからか、本の索引はどこもデータベース化されてしまって、便利だけれど味気ない。
近頃あの小引き出し 見かけないよね。さみしいな。

この前、イーストウッド監督映画の「J.エドガー」を観ていたら・・・!

豆知識~!
あの図書館のインデックスのシステムを初めて考え出したのは
FBIの初代長官ジョン・エドガー・フーヴァーなんだそうだ~。へええ~!

古い木製のインデックス棚、いっそ欲しいくらい。
一度アンティーク店で売っているのを見かけたのだけれど
高価な上に、大きすぎてとてもとても家には置けません~。

お払い箱になった、図書館のあの小引き出したち。
いろんな場所で気づかれることもなく眠っていたりするのでしょうね。。。

世の中、利便性ばかりを追求していくと、
なんだかいろんなものが削ぎ落とされていくようで寂しいね。
「必要な無駄」ってものが、実はひとのこころの幅を拡げてくれるのかもしれないのにね。


   




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