時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

「くうき」

2011-06-30 | essay



まど・みちお氏の詩、だいすき。

図書館で見つけた、詩の絵本 「くうき」。

とってもとってもたいせつなことが詰まってる。

子どもからおとなまであらゆるひとに読んでほしい絵本だなあ。

絵も とても優しい。

まど・みちお先生の詩は、わかりやすい言葉で、誰もがあたりまえに思ってしまっていることを
あたりまえなんかじゃないんだよ。って気づかせてくださる。

いつも、じつにハッとさせられて、ちょっと立ち止まって「考える時間」を与えてくれるんだ。


時間の波に流されてばかりじゃ いけないね。




    


いばらの道

2011-06-29 | essay

  


無念。。。
東電、株主総会での脱原発、否決。

なぜに、その一歩が踏み出せないのか。脱原発への道。

生命があっての経済。
未来があっての国家、 じゃない???

世界中が脱原発への歩みを進める中、
他ならぬ日本が、この放射能汚染の元凶の日本が、まだ原発にしがみつこうというのか。

既に、「死に体」と云われる、一国のリーダーさん。
いっそ、全原発廃炉!って総理大臣命令を出して、スパッと退任するっていうのはどう。
そういう正義が あってもいいって思うよ。そんな権限すらないの?

空も、海も、世界でひとつ。
すべてがつながっている。
こんなにまで地球を汚しておいて、どんな弁明もできないよ。

即刻、脱原発を約束することが、避難を余儀なくされている人たちへの、
そして、地球のイキモノ全体に対しての、せめてもの償いではないのか。

子どもたち、そのまた子どもたち、そしてすべてのイキモノのために、
大人が今すべきことは・・・?




地球のイキモノ

2011-06-28 | essay



        


植物も、虫も、動物も、みんなみんな自分に与えられた生を懸命に生きる。

ニンゲンも 同じ地球のイキモノのひと種類なんだよね。

せめて、他の生き物の懸命な生を邪魔しないように、謙虚な気持ちをもたなきゃね。


  懸命にお食事中



映画「セントラル・ステーション」

2011-06-27 | 映画 のこと

         

映画「セントラル・ステーション」(原題:Central do Brasil) 
1998年のブラジル映画。

近所に新しくレンタル店が出来たので、先日のぞいてみた。
でも、観たいと思うようなものがない。

これなら観てみたいなと見つけたのが、この映画。

いい映画でした。

主人公のおばさん、いいひとそうで そうでもない。
悪いひとのようだけど そうではない。
この、生身のニンゲンらしさが 観ていて気持ちいい。


総てが善だけで出来ている人間なんていない。
そう見えるひとがいたら、警戒したほうがいい。それは偽善者かツクリモノ、はたまた天使か?

誰だって、いろんなものがたくさん詰まって出来上がっている。
誰もが最初は無垢な赤ん坊だったはずだけれど、転がって生きていくうちに
いいもの、悪いもの、いろんなものにまみれてオトナになってゆく。
良くも悪くも、それが人間味を増すというものだ。

それでも、善の部分を信じて生きることは たいせつなこと。

自分が善であろうとするこころを 無理なく持てるか、持てないか。
そこが ひとの在りようの 大きな分かれ目なんじゃないかな。


この映画を観終えたら、そんなことを 考えていた。 


 


違和感のあるコトバ

2011-06-26 | essay

  


どうも腑に落ちないコトバがある。


それは・・・ニュースの中の「海賊」という呼び名。

これって、どうなの。
なんだか、「海賊」って呼ぶとちょっと英雄に聞こえてしまわないか?

「え!海賊って今もまだいるの?すげえ!」と驚く息子。 おいおい。

彼の頭のなかでは、ドクロの旗が潮風にはためく 古い帆船が航行しているに違いない。

「海賊」=アニメ・ワンピースもしくはパイレーツ・オブ・カリビアンだもの。

イメージを取り違えてしまいそうな、古いコトバは、
何か別の 正しい呼び名が必要なのでは???

現行の海賊は、許されざる犯罪者なのだから。

 


砂像

2011-06-24 | essay





鳥取砂丘。
砂丘の砂でアーティストが作り上げた砂像がひとつだけ展示してあった。
何しろ、砂でできているので砂像は期間限定だ。

以前従妹から写メが送られてきて、観てみたいなあって思っていたんだ。
次回の砂の美術館は、来年四月オープンとのこと。
ひとつだけでも、すごい迫力!観れて良かった。
消えてなくなるアートは、儚いうつくしさがあるよね。



さて、日本最大級の砂丘。
行くたびに違う顔を見せてくれる。
年々緑化が進み、問題になっているけれど、やはりこうして目にすると、デッカイ。
この日は、急激に気温が上昇し、ここはアラブか~~~というほど暑かった。

  

子どものころから、乗ったことはないけれどラクダだっている。 観光用馬車もあり。
あまりに暑くて、今回は裸足にもならず、ちょっとだけ歩いておしまい。
前回、子どもたちと裸足で砂丘を越えて海まで出たのは、そうだ、春だったんだなあ。

連れて行ってくれた従姉とハトコは、砂丘から車で15分ほどのところに住んでいるのだけれど、
砂丘に降りたのは何年ぶりかわからないくらいだという。近いっていうのはそういうものかもね。

 

砂丘のすぐそばにすてきなカフェをみつけて、またまた女三人おしゃべりタイム。
さわやかな風の吹き抜ける開放的なカフェ。

鳥取市内にはおしゃれでこだわりのあるカフェや美味しいお店が多いことに気づいた。
また、こころの洗濯をしに、今度は1週間くらい行きたいものだなあ。

母の七回忌も無事に終えたし、親戚が元気に顔を合わせることができるって本当にしあわせなこと。
つい、こうして母も一緒にここに座っていたらなあ・・・って思ってしまうけれど、
きっと遠い空から、みんなの無事をニコニコしながら見守ってくれていることでしょう。

帰る場所があるって、ほんとうにありがたいこと。
そしてまた、こうして戻る場所があることも。ネ!



記憶の中の白い洋館

2011-06-23 | 古い建物 のこと

子どものころ、毎年夏休みを過ごした、母のふるさと鳥取。
暑い夏の日々、従兄妹たちと連れだっていろんな場所で遊んだ。
少し足を延ばして、ひと夏に一度は訪れた、ひと際記憶に残る白い白い洋館、「仁風閣」
わたし、子どもながらに、この建物がとてもすきだったんだ。

今回、数十年振りに訪れてみた。

果たして・・・記憶の中の「白」はあのままだろうか???




ちゃあんと、うつくしい白い姿で待っていてくれました。
以前より、もっと白くなったような・・・?
保存のご尽力が窺えます。。。たいせつにされていて、なんだか嬉しくなっちゃった。
              

 

                    





  

「仁風閣」はフレンチ・ルネッサンス様式の白亜の木造二階建。
ジョサイア・コンドルの弟子、片山東熊氏による明治四十年の設計、国の重要文化財に指定されている。

特徴的な塔のような部分のなかには、うつくしい螺旋階段が内蔵されている。
この階段、支柱を使わず、木だけでぐるりと曲がって二階まで連なっている。
現在は通り抜け禁止だけれどね。

この建物は、鳥取藩主池田家の城跡に池田家の別邸として建てられたもの。
詳しい歴史に興味のある方は、詳細はHPなどをご参照くださいませ。(長くなりそうなので!)

   

白亜のうつくしい仁風閣。
子どものころの記憶のままのすきな場所。
でも、もっともっと大きく広く見えていたのはわたしが小さかったってことなのだなあ。



この日は、夏のような日差しに青い空、白い雲。
束の間、子どものころの夏休みにタイムトリ~ップな特別な時間でした。

鳥取へ行く機会があったなら、ぜひこのこじんまりと美しい洋館を訪れてみてください。





鳥取時間

2011-06-22 | essay







鳥取から、羽田に降り立つといつも
途端に、動く歩道に乗ったみたいに時間が早回しになるような感覚に陥るんだなあ・・・。

母の七回忌法要に、三年半振りに鳥取へ。

鳥取には、「鳥取時間」という別の時間の流れがある。

もちろん同じ24時間なのに、なんだろうなあ、説明のできない感覚的なものなんだ。
鳥取で暮らしたことはないけれど、両親の故郷であり、わたしのルーツ。
そして、子どものころ毎年夏を過ごした場所。

わたしの中を流れる時間は鳥取時間のほうがぴったりくる。

あたたかいひとたち。あたたかい町並み。
唯一帰れる場所だから、こんなにほっとするのかな。


従妹とその彼が、蛍が見れる場所に連れて行ってあげると言う。
街灯もない真っ暗な山道を車で登っていくと、月明かりの下、静かに流れる自然のままの川に出た。
その傍をふわふわと舞う、たくさんのホタル。そして、空にはこれまたたくさんのきれいな星!

日本の原風景ともいうべき幻想的な光景にすっかり陶酔してしまいました~。

ゆったりと流れる悠久の時間。
生活のなかにも、そんな時間を自分で作り出す努力をしなくちゃね。





めぐる思案

2011-06-18 | essay



この震災後、離婚を考えるひとが急増しているという。

また、逆に自分を必要としてくれる安定したパートナーを見つけたいというシングルも
増えているそうだ。

こういう大きな出来事は、ひとにさまざまな深い思いをもたらすよね。

確かに、普段は見えない、または見ないようにしている価値観の違いが
非常時には炙り出されるもの。

それが顕著になればなるほど、短い人生、相容れないひとと過ごしている場合じゃない
というような焦りに駆られてしまうらしい。

ふうむ。。。。なんだかなあ。
わからないでもないけれど、天変地異にこころの中まで踏み込まれて
ゆらゆらと翻弄されるのはなんだか癪だ。
もともと素因があった夫婦に多いことなのかもしれないけれど。

ニンゲン、体は限りある頼りない器だけれど、
こころだけは、枠のない 無限に広がるおおきなものでありたいものです。








片思いのススメ

2011-06-17 | essay

 

   


「青い実」


いつまで待っても

この青い実は

赤くは ならないのですか


青いまま 固いまま

いつか 誰かに もがれてしまうのですか


それとも ひとり 落ちるのですか


答えを 探してみても

空には 白く 霧が降りて

ここからは なにも なにも 見えません

 

屋根裏に眠っていた「ノート」に綴られていたもの。
どん底の片思いの詩ですねぇ。
痛々しさが懐かしくも初々しい sixteenの少女の頃。
確かに・・・青い。

でもね、十代の「片思い」ってものは、究極のこころの鍛錬になるんだよ。
切ない思いは、こころの土壌を深く耕してゆたかにしてくれる作用を持つ。
そして その叶わなかった恋は、穢れのないたいせつな想い出になるんや~。  

片手でお手軽にピッと繋がるツールを駆使する現代の若者たちよ。
たくさんのハードルを前に、躊躇うもどかしさを たまには味わいたまえ~!

十五の春の息子に告ぐ!!

 (半分は、母のヤキモチです。はい。)


  

 


取捨選択

2011-06-16 | essay



この間まで、一週間ほどパソコンが壊れて使えなくなってしまった。
思えば、ゲームだのリスモだのピグだのと
いつの間にか、子ども三人も取り合いになっていた、たった一台のパソコン。

駆使しすぎた??
しかも、なんでも入れっぱなしで、なんのバックアップもとっていなかったという無法地帯。

これからは、もうちょっと学んで使用しよう。と夫と反省。
(PCを往診してくださった、ご近所一優しいご主人Dr.Nさん、本当にありがとうございました!)

それにしても、こと 放射能汚染に関してはインターネットの情報は貴重なので、
新聞とTVだけではなんだか心もとない気持ち。
それでも、逆に走りすぎな情報をうっかり読んでしまうことがないぶん、
なんとなく少~しこころ穏やかに過ごせたような気もする。

情報をきちんと選んで学ぶことって、なかなか難しい。
「え~~~!ウソ・・・」ってゾッとするような、末恐ろしい記事を読んでしまって
悪夢にうなされてしまったりすることもある・・・。

それでも、親として 個々に心して学ぶことは必要だ。
科学も化学もすきな方ではなかったけれど、もうそんなことを言ってはいられない。

日本人一同、総有識者になるつもりで、しかと この汚染の現実を見据えよう。

でもね、それだけに真っしぐらなのも、メンタルヘルス的にはよくないので
たのしい気持ちをたいせつにすることも ちゃんと忘れずにいようよね

こころのバランスを上手にとらなきゃね。

    



すきな生地屋さん

2011-06-15 | essay

バッグの特注をいただいたので、気を良くしてちょっと変わった籐ハンドルを仕入れに
吉祥寺の生地屋さんへ。

このお店は、アメリカ、イギリス、フランスなどの生地をはじめ、
こだわりの生地が数多く並んでいるので、行く度にもうなんだかワクワクしてしまう。
カット・クロスも目移りしちゃうほどいっぱいぎっしり並んでいる。

好みの生地を本能で選ぶ!




この日は、うちの定休日。生地屋さんだけが目的だったので、
ゆっくり生地選びを楽しんで、一軒お気に入りの古本屋さん「百年」に立ち寄って
あとは、たまにはひとりでのんびりカフェ・ランチ



「cafe quatre」 なちゅらり~な清潔感あふれる店内。
店員さんもとってもいい感じ。
キッシュとミルクスープがおいしかった~。

貴重な おひとりさまタイムでした。
こういう ささやかなのんびりマイペースな時間ってとってもたいせつなんだよね。 

 

 


Time Machine

2011-06-14 | essay

        

先日、「ほぼ同窓会」の知らせがあった。
ほぼ、っていうのは、実はメインは或るヒトの還暦パーティー。
集まる面々は、人生のあれやこれやを学んだ 昔勤めていた小さな出版社の同僚たち。

懐かしい、だいすきだった女性の先輩からのメール。
彼女はとてもきれいで、男前な女性。キレのいい仕事人デザイナー。
あの頃、憧れの彼女と飲みに行くと、うれしくて浮かれていたもの。
一種の恋に近かった?? って、今ここから見ると、ちょっと乙女な世界。

次々に懐かしいひとと繋がって
なんだかケータイがタイムマシーンになっちゃったみたい。

遠方の元同僚からの電話で、大笑いしてしゃべってるうちに、
すっかり忘れていたひとの顔や名前が次々に甦ってきた。
思い出を共有するって、本当に面白いよね。
相手の記憶と、自分の記憶が、お互いの脳のシナプスに
ダイレクトに繋がるみたいですっごく驚異的!
(脳科学者のどなたか、研究してみてください)

認知症の治療のひとつに、想い出を語ってもらうことがあるそうだけれど、
それって、ホントに効果があるに違いない。
今のわたしでも、既になんだか脳が活性化されちゃったもの。

熱い会社だったから、あんなことやこんなこと、いろんなことがあったものだ。
22歳から約4年間を毎日過ごした場所。
思い返すと赤面しちゃうほど、なんだか健気に張り切っていたなあ。
全力投球で、はしゃいだり、尖がったり。(肩パットもね)
理不尽なことには我慢がならずに、上司や同僚とよく喧嘩もしていたなあ。

長男が小さいころに逢ったきりなひとがほとんどだから、十数年ぶり・・・!

その はちゃめちゃに楽しそうな「ほぼ同窓会」、すっごくたのしみだ。
それぞれにみんなが強烈な個性の持ち主の集まりだったから、
時を経た今、一体全体どんなことになっちゃっているんだろう~! 
それでもきっと、みんな中身は(だけは!)おんなじね。

こんな時だからこそ、懐かしいひととも逢いたくなるよね。
「元気で生きていられること」をたいせつに思うのは、
今の日本人みんなの共通意識なんじゃないかな。

Life is short!!
たいせつなものは、「また今度」じゃなくて 今たいせつにね! 





蜘蛛

2011-06-13 | essay





遠い雨の日。
電車の中で。
つり革につかまって立っている初老の男性の背広に蜘蛛を見つけた。

背広に同化してしまいそうな、同系色の 足だけ少し長い小さな蜘蛛。

ほんのちょっとだけ動いたあとは、そのひとの肩にじっと止まって
同じ目線で 車窓の外を流れる街を眺めているように見えた。

いったい いつから そのひとの背中にいたのだろう。

「蜘蛛が・・・。」と、
そっと払い落としてあげる気持ちにはとてもならないほどの
そのひとと 蜘蛛の奇妙な一体感。。。

わたしには、その蜘蛛が 誰かたいせつなひとの化身なのかもしれないような気がして、
なんだか 蜘蛛から目が離せずにいた。

そんなふうに
わたしが勝手な妄想を膨らませている間に、
ブレーキが軋り、ドアが開いて
蜘蛛はそのひとと一緒に 電車を降りて 行ってしまった。


雨の電車の記憶のひとしずく。

 

 


古本の匂い

2011-06-03 | 本 のこと



関東最大規模といわれる「彩の国古本まつり」へ。

なんとも味わい深い装丁に惹かれて買っちゃった「おかあさんのおひざ」
これは昭和28年発行の童話集。

たくさんの本に囲まれていると、すごくしあわせ~。
新しい本よりも、古い本って魅力を感じるんだなあ。
のんびりと本から本へと思考を移行しているうちに
あっという間に何時間も経ってしまう。

とりわけ、茶色に変色した古本の匂いに包まれるとなぜだかほっとするんだな。

昭和27年発行の「ゴッホの手紙」を読んでから、この頃すっかりファンになった小林秀雄の古い本と
これまたこの頃すっかりとりこな赤瀬川原平氏のオモロイ本を見つけて購入。
たくさんの本の中からぴかっと光る 好みの本をお安く見つけるのは 古本探しの醍醐味ですね。



それにしても、一見、小難しそうな小林秀雄氏の旧字体の本と、赤瀬川氏の面白い随筆。
なぜだかわたしにはどこかが繋がっているように感じる。
なにがどうかって文学的な説明はまるで出来ないけれど、
本能的に、同じ匂いを感じるんだな。
文章の奥にある お人柄が似てらしたのかもしれないね。勝手な見解ですが。

なので、今読んでいるのは小林秀雄著「近代絵画」と
赤瀬川原平著「運命の遺伝子UNA」と
時折、昔挫折したドストエフスキーの「罪と罰」の三冊をその日の気分で行ったりきたり。

あ、あともう一冊、以前フリマで買った、マンガ「ベルサイユのばら」愛蔵版!
久しぶりに読むと、アンドレって、ほんっとにいいやつだなあ。


 「彩の国古本まつり」は6月6日まで開催中
  所沢駅東口 くすのきホールにて。



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