時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

ずっとすきな歌

2021-05-31 | MUSICのこと

すきなうた。
「雨にぬれても」
(Raindrops keep falling on my head)

この曲を歌ったB.J.Thomas氏の訃報を夜のニュースで聞いた。

この曲は子どもの頃にテレビ放映の映画で何度も観た「明日に向かって撃て」の挿入歌。

この映画のポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのカッコ良さは今は置いとくとして、このなんだか能天気な曲調がとてもすきなんだ。
ちょっと切なくもあるけれど、元気をもらえるこの歌を今でもよく聴く。

わたしのipodに入ってるこの歌を今リピートして聴きながら書いている。

歌は聴いていた頃の想い出やその空気感を一緒にここへ連れて来てくれる。
ふしぎなものだな。

Because I'm free.
Nothing's worrying me.
この歌詞がとてもすきだ。

この「雨にぬれても」以外B.J.Thomas氏のことはなんにも知らないのだけど…この歌をありがとう。
ご冥福をお祈りします。




あかるいあした

2021-05-28 | essay

みんな同じ方角に顔を向けて
何を待っているのか

たくさんの大人がもうとっくに捨ててしまったもの

あたらしい希望
あかるいあした

その花びらに湛えるものは
無垢なヒカリ

信じることは
実はとてもチカラを要することだと
いつの間にか知ってしまった。

それでも
わたしも信じて待ちたい

黄色い花たちが待つ
あかるいあした。







薔薇とヒトリゴト

2021-05-25 | essay

バラ小路のバラたちが今年も饗宴を繰り広げている。
「バラ小路」は
わたしが勝手に命名して呼んでいるとある路地。

いつもいろんなお花が咲いているお宅の垣根のバラが満開で、思わず立ち止まって一輪の花の香りをかいでみる。
とても品の良い甘さをたたえた香りに
「あ〜〜いい香り〜〜」と小さくヒトリゴト。

ふと顔をあげると、玄関でにっこり微笑むご老女と目が合う。
自分のヒトリゴトが恥ずかしくてわたしもニンマリ。

「いつもお花きれいですね。いい香りをありがとうございました〜」と照れ笑いしながらお礼を言うと
「ありがとうございます」と
おばあさまもにっこり。

見知らぬひとと交わす「ありがとう」は魔法の水のようだ。
すうっと沁み込んでココロを潤してくれる。

ありがたいことです。

そして年々増えるヒトリゴトに気をつけようっと。




「ミーナの行進」小川洋子著

2021-05-23 | 本 のこと

小川洋子著「ミーナの行進」

なんていうのかな
おとぎ話みたいなこんな時間を
子どもの頃夢見たような気がする。

時々出会う読み終わりたくな
い本。

物語に出てくる「フラッシー」と「乳ボーロ」
子どもの頃によく飲んだお米屋さんの「プラッシー」がとても飲みたくなってしまう。
そして、「乳ボーロ」
大阪の子どもの頃、たしかにそう呼んでいたなぁ。
いつの間にか「たまごボーロ」に呼び名が変わっていた。

子どもたちが小さい頃はよく買っていたけれど、しばらく口にしていないことに気付いてスーパーで見つけてきて久しぶりに食べた。
やさしい味の乳ボーロ。
いや、たまごボーロか。

1972年、芦屋のお屋敷。
乳ボーロを食べるふたりのシュミーズ姿の少女を思い描く。
まるで実在したかのように登場人物たちをこころに描くことができる。
小川洋子氏の物語はいつも
とおくて、そしてとても近いのだ。


5分の至福

2021-05-18 | essay

夕やけのうつくしさに
家とは逆の西に向かってペダルを漕ぎ出す帰り道。

ほんの5分のまわり道。
色を変えゆく西の空をただぼんやりと眺める贅沢な5分。

たかが5分
されど5分!


共振

2021-05-15 | essay

いつの間にかバラの季節がやってきていた。
あちこちの庭で美しく咲き誇る様々な色のバラたち。

バラの季節になるといつも母の育てていた赤いバラと
母と歩いた大阪のバラ園を思い出す。
うつくしく咲き誇るバラに感動しながらふたりで歩いた長居公園のバラ園。
グレース・ケリーがすきだった母が見つけたあの可憐なバラPrincess de Monacoを初めて知ったのもあのバラ園だった。

結婚直前、都内の一人暮らしのアパートを引き払って半年間大阪の両親のマンションで暮らした。
両親の子どもとして最後に家族と一緒に暮らしたいと考えたのだった。
27歳の春から秋までの半年間。
当時わたしはねんどオブジェのフリーランスで時間に縛られる仕事ではなかったので、母とふたりで思い付く限り大阪近辺のあちこちへ出掛けた。
わたしは、ちいさい頃からよく母に付いて歩いた。
近所の商店街でも観光地でもデパートでもどこでも、母とふたりで過ごす時間がすきだったのだ。

あの特別な半年、嫁に入る前に母の娘としてたくさん想い出を作ろうとやけにわたしは躍起になっていたようにも思う。
奈良や京都などの観光地の他にもに自分が生まれた土地、たくさんの想い出が詰まった伊丹の釣り池の跡地へもふたりで出掛けた。
だいすきだった伯母、ちゃこのおばちゃんとの楽しかった想い出の積もった土地。
母としては、一番仲の良かった亡き姉との想い出の土地…。

もうとっくに埋立てられたと思っていた大きな池がそのまま田んぼの用水池として残っているのを目の当たりにした時はふたりで跳び上がって喜んだものだ。
かつてそこに桟橋が架けられ、池に被さるように家が建ち、釣り堀が営まれていたことを偲ばせるものは何も遺ってはいなかったけれど、そこに池が存在し、当時からあった木が成長して立ち並び、池に魚が跳ねるのを見ることができただけで只々わたしたちは幸福な気持ちに包まれるのだった。

こうして時間を経て思い返せば、母とわたしはものの感じ方がとてもよく似ていたのだと気付く。
わたしたちふたりの感動が共振することで様々な出来事がより大きく深くこころに刻まれていく。
すきなものをたいせつに慈しむココロを育ててくれたのは母だったのだと歳を重ねた今よくわかる。
そして、あの半年間の両親との暮らしを選んだわたしの選択が間違っていなかったことも。
あの半年間が正に家族の最期の時間となったのだから。

2年後に父は家を去り別の道を行き、その10年後には母がこの世を去ることになろうとは、この時のわたしもそして母も露ほども知らずにいた。

あれからまた長い年月が経ったけれど、今も花の中に若葉の中に母がみえる。
たくさんの温かいこころをわたしの中に遺してくれた母に感謝している。

当たり前なことは、この世にひとつもない。忘れがちだけれど。
全てが「有り難いこと」とココロでちゃんと認識して味わってあたらしい明日を迎えたいものだ。



目が合う

2021-05-10 | essay

近所のスーパー帰り
ふと目に留まって、数歩行きかけて数歩バック。

あなた、どっからきたの。
道端でポツンとひとり、凛と輝く。
とっても小さいのに…。
近づいてしゃがみ込んだら、ぱちっと目が合っちゃった。
束の間、心配事も全部忘れちゃう。
自然のチカラ、すごいなあ。
ありがとうね。

母の日に。

2021-05-09 | essay

母の言葉が残るわたしの誕生アルバム。
この表紙絵、可愛くて小さい頃からとてもすきだったんだ。


一枚の写真。
撮られた時の記憶はないけれど、この風がふくらますカーテンを見ていると、なんだか懐かしい香りがしてくるような。。。
なんでもない静かなしあわせを切り取った時間のスクラップ。
カメラが趣味だった父にも感謝しなくちゃね。

ここは生まれた頃に住んでいた伊丹の釣り池の家。
母に抱かれるわたしは1歳か2歳。

母の日。
母はもう今生に居ないから
のこしてくれたこのカラダにありがとうを言うよ。





青と白の記憶

2021-05-05 | essay
空と雲のスクリーン。
スキすぎてどれだけでも眺めていられる。

思い返せば雲の動きを眺めるのがすきなのは子どもの頃から。
空をみていた記憶映像をいくつもいくつもココロに甦らせられることに今気づいた。

自分の部屋に寝転んで窓から見える逆さまの大きな空を長いこと眺めていたあの懐かしい家。子どもの頃の家族が皆揃って暮らしていた最後の家の記憶。

遠くに海の見えるあのマンションの14階のベランダで干したふとんに覆いかぶさって鼻歌を歌いながら眺めたあの心地良い日曜日の記憶。
青い空と青い海の境界線を貨物船が滑って行くのをいつまでも眺めてた。
わたしはまだ十代で、自分がいつか何者かになりたいと漠然とユメをみていた。

ともだちと並んでブランコに座って、次々いろんな姿に変わりゆく夕焼け雲を陽が落ちるまで眺めたあの公園。
すきなだけ外で遊んでいた永遠のこども時間。

たのしいときも
うれしいときも
そしてかなしいときもさみしいときも
見上げればいつでも受けとめてくれる空。

明日はどんな空が見えるだろう。

にっこりガードレール

2021-05-04 | essay

お花が咲いてくれてニッコリ?ガードレールくん。
お花たちを守ってくれてるのかな。
さんぽの途中の五差路の交差点。
風にぶんぶん揺られながらも健気に咲いてるかわいいこたち。
思わず立ち止まって撮らずにはいられない。

西陽にほんのり照らされて
頬染めた少女たちのように見えるのでありました。




直径2ミリのしあわせ

2021-05-01 | essay

この小さな小さな可愛らしいお花。なんと三つ葉!

先日さんぽの途中で、たまたま立ち話したおばさまが庭から摘んで持たせてくださった三つ葉。

うどんに入れて食べたあと、一本水に差しておいたらいつの間にかちっちゃい白いつぶつぶができて、ある日ポッと咲き始めました。
感動。
花の直径は約2ミリ。

三つ葉にこんなにも繊細なかわいいお花が咲くとは!
幾つになっても「知ること」はたのしいなあ。

今度またさんぽの途中にあのお庭に立ち寄って改めてお礼を言ってこよう。


メッセージ♪

コメント欄は設けておりません。お便りはこちらからどうぞ♪

ブログ村

にほんブログ村 写真ブログ フォトエッセイへ
にほんブログ村

心象風景写真へ。

人気ブログランキングへ