時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

「Against The Wind」

2012-05-31 | MUSICのこと



面白いことに、ずっと前から知っている歌でも、 突然その歌の意味が
スポットを当てられたようにココロに響いてくることがあるんだよね。

ボブ・シーガーのこの曲。「Against The Wind」 
80年代によくかかっていて、なんとなくしか聴いていなかったこの歌。
何気なく聴いていたような曲がなぜわたしの ipod に入っているかというと
たまたま「フォレスト・ガンプ」のサントラ盤に入っていたから。(このサントラ、とてもお薦め!)

で、ipod をプレーヤーでシャッフルにして店でかけていたら、この歌が流れてきて。。。

最初の 「It seems like yesterday. But it was long ago・・・」
   (つい昨日のことのようだ。それでももう昔のこと・・・)
という語り口調のような滑り出しに、「え、なになに。それで?」と引き込まれ、しっかりと聴き入ってしまった。

ひとりの男の人生を詠った曲。
なんだか・・・・・・・すごく・・・ココロに沁みる。こんな歌だった???
クヤシイけれど、細い部分までは聴きとることができず、対訳を探して読む。
なんだか、いい詩だ~。


Against the wind    風に逆らってどこまでも走り続けた若き日々。

ずっとがむしゃらに、風に立ち向かい走り続けて、ある日気づく。 自分が何かを探していることを。

いつからか自分が、風から身を守れる場所を探しはじめていることを。。。
   「I found myself seeking shelter against the wind」

この主人公の男は、そのあとこう続ける。

そんな日々も昔のこと。今は考えなきゃならないことがたくさんある。
締切やら、約束事やら。 何を残して、何を捨てるか、とか。
   「what to leave in, what to leave out.」  (これ・・・実感。)

でもここで切り返し、開き直る  (?)

まあ、俺も歳をとったもんだ。それでもまだまだ風に立ち向かって走り続けてるのさ~。
   「Well, I'm older now, but I'm still running against the wind.」

カッコイイ生き様のおっさんの歌だ。 (借金踏み倒したりして無責任なヤツだけどね)


このボブ・シーガー。わたし、他の曲は多分知らない。この曲は確かヒットしたからよく耳にしていたのでしょうね。
このひと、いったい何歳の時にこの歌を作ったんだろう?実体験がなきゃこうは書けないよねえ。

こういうおっさんの心情をダイレクトに共感できてしまうほどに
わたしもいつの間にか歳をくったというわけだ。

わたしもこういうカッコイイおばさんになろう。

Bob Seger & The Silver Bullet Band 「Against The Wind」
機会があったら、聴いてみてください。

これは、げんきの出る曲です。 もっとも、うんと若い時には全然気付かなかったということは、中高年限定応援ソングですね・・・!


まあ。こうしていろんなことに気付くようになったのも、年を重ねてココロの奥行きがすこ~し 拡がったおかげですな。

 
          





とおくで咲く花

2012-05-29 | essay

               

この春に旅をした奄美大島。
ディゴの真っ赤な花が咲き始めたそうだ。

奄美の旅は、わたしのこころに 目にはみえない豊かな恵みを与えてくれたような気がしている。

奄美で感じた「なにか」の正体の片鱗を少しでも掴めないものかと
このひと月、片手間にいろいろ本を読んでみた。

図書館で見つけた本の中から 松田幸治写真集「奄美の世界」 文・水野修
                    「奄美の生活とむかしばなし」 長田須磨著
                    「奄美の暮しと儀礼」 田畑千秋著         

それぞれに、深く奄美の根っこの部分が語られており、とても興味深く読ませていただいた。
そして、わたしのココロが奄美で感じた「なにか」は、
奄美の深い深い根っこから生え出た大木の端っこのほんのひとひらの若葉の一枚分にも満たない ということもよく解った。
それほどに、この土地にはよそ者には簡単に解らない「深いもの」が内包されているようだ。
その奥深い神秘に、旅人はココロを惹かれてしまうのでしょうね。

本の中で、蝶は先祖の「みたま」として大切にされているという一節があった。
あの旅で、黒いアゲハ蝶に何度となく出逢った。
ヒラヒラと、わたしたちの行く先をゆったりと慌てることなく横切る蝶は、
とても優雅な風格があり、何度も目を引いたものだ。

それにしても、旅をした後で、こんなふうにその土地をもっと深く知りたいという強い思いに突き動かされるのは初めてのこと。

あの大きなガジュマルの下で感じた心地よさ。。。
あの時、木の上から奄美の妖怪「ケンムン」に、わたしのココロに何か仕掛けをヒョイっと投げ込まれちゃったのかもしれないね~。


                




 


もんじゅの行方

2012-05-27 | essay



ほんの少し前に、「もんじゅ廃炉も視野に」 という明るい展望のニュースを読んで
とっても晴れやかな気持ちになったのに。

以前落下トラブルがあり、新調した「炉内中継装置」とやらの据え付けが決まり
なんと順調に検査が進めば6月には完全復旧だとか・・・。

なんという ヌカヨロコビ。 廃炉案はどこへ?

しかも。。。。。。この復旧作業に費やした金額は約21億円!!! (福井新聞ONLINE ご参照ください)

この、どう考えても危険な上に、空しいほど無駄な「高速増殖炉もんじゅ」に
この期に及んで、国のお金=わたしたちの身銭を21億円だよ~~

お金は、もっともっと有効に使うべき場所がたくさんあるでしょ・・・。

今後、脱原発へと次々に好転して、「廃炉」が決定した場合、この今更費やした21億円はだれが責任を取るの?
お偉い方々には、アタマだけじゃなく、もっとココロを使って働いてほしいものですね。


      


 


くまのこうえん

2012-05-26 | essay



隣の町で、くるまの窓から 「くまのこうえん」という、
かわいいくまのイラストが描かれた小さな木製の看板を見かけた。

娘と、いったいどんな公園なんだろうねと空想を巡らせる。
ま、クマがいるわけはないとして、くまのかたちのすべり台とかくまのかたちの砂場とか??
あのかわいい看板からして、もしかして公園じゃなくてカフェとか雑貨屋さんの名前なのかも?
調べて今度行ってみたいね!と、夜になってから町名と「くまのこうえん」で検索してみると。

「熊野公園」というフツーの児童公園のようでした・・・・・・・・・。がくっ。
なんで「熊野」って漢字に置き換えるってことを全く思い付かないのかなあ、わたしの脳!
熊野神社とか、熊野さんとか、熊野古道とか、いろいろあるやんね。

それにしても看板、可愛すぎました。 妄想も暴走しすぎました~。


 


「雑貨屋さん」の一日

2012-05-25 | essay

うちは時計屋なのだけれど、春と秋の年に2回だけ定休日に「雑貨屋さん」に変身します。

  準備中。

 オープン  

  

  コドモの発熱でひとりいない

今回は第14回目。 またまた たのしい一日でした。たくさんの方々のご来店、ありがいことです~ 
そして、メンバーのみんなにも感謝! 

また、あたらしい一日、がんばろーっと。




夢が先か、思考が先か?

2012-05-23 | essay


              

日曜日の夕方、いつもは行かない遠くのスーパーに、なんとなく買い物に行ってみたら、
ともだちのNちゃんにばったり。彼女の家はそのスーパーから徒歩1分。ダンナが飲みたいというコーラをたまたま買いにきたと言う。
少ししゃべって別れたあと、あ。。。。。
[今朝 Nちゃんとご主人のKちゃんに道でばったり会う夢をみたんだった] と思いだした。

そこで。 このフシギを道々考えてみたりする。

夢でNちゃんに会ったから、無意識のうちにNちゃんちの近所のスーパーに行こうと思いついたのか、
Nちゃんに会うことを予知して夢をみたのか???

よく正夢をみるわたし。夢のフシギにはたいへん興味がある。

それでも、ぼんやりと このフシギを考えてみたところで、もちろん答えは出ない。

「謎」ってものは、つくづくおもしろいねえ。
フシギなものはフシギなままに。 正答なんて必要ないのだ~。

        



 


空の上の宇宙をおもう日。

2012-05-22 | essay

                      


金環日食、感動的でしたね。

日本中どれだけたくさんのヒトが同時に空を見上げていたのだろう・・・と思うと、ちょっとオモシロイ。

こういう、自然現象が起きるといつも思うのは。。。
今でこそ、こうして事前に知ることができるけれど、昔の人々はどんなにか驚いただろうなあ、ということ。
訳の解らない恐怖さえ感じたことでしょうね。

太陽を月が隠す・・・ この壮大なスケールの出来事をこうして地球の上に立って見上げるわたしたち・・・

おもしろい。
改めて、空の上には宇宙があるんだよな~。なんて思う。
見えなくてもおおきなおおきな宇宙の中の一点に立つわたしたち。

わたしたちが見ていたのは、道路脇の歩道。うちからは高層マンションの影になってしまうから。

道端にいると、まさに今、金環の瞬間なのに、普通に通勤途中なひとたちってのも、もちろんいらっしゃるわけで。
たまたま目が合った人には、手招きして、今です!よかったら!とレンズをお貸しして観てもらった。
一瞬のスペクタクルに、みなさん大きく笑顔になる。よかったなあ。 

あまりに夢中で見上げてばかりいて、木漏れ日の影を見るのを忘れてた~。
あのふしぎなたくさんの丸い影を自分の目で見たかったものだな~。




「SMILES TO GO」 H&O武道館LIVEアルバム

2012-05-19 | MUSICのこと

                 

CDショップで 見つけてしまった!!

2011年2月26日 ホール&オーツのライブ・アルバム 「SMILES TO GO」
よみがえる~~♪♪ あの夜の素晴らしい武道館ライブ! 至福のひと時。

あの夜、 30年間ファンでいて、ほんっと 良かった わたし!って ココロの底から思ったんだ~。
あの場に居合わせた人々みんなそれぞれに特別なライブだったって感じたんじゃないかな。

ライブ・アルバムが発売されていたなんて、知らなかったなあ。
Hall & Oates のオフィシャルHPには載ってないのに、こういうのってあるんだね。
ちなみにXAVELというレーベルから出ています。

オープニングからエンディングまで、ばっちり高音質であの空気感を再現!
歴史に残るほどのあのライブをこうしてまたそのまんまに聴けるなんて・・・。
嬉しい。

スタートは80年代のヒット曲で盛り上げ、中盤に差し掛かり、「It's A Laugh」から後は
初期のR&Bなホール&オーツの世界を惜しみなく唄い上げ、観客のココロをぐっと鷲づかみに・・・!
「I Can't Go For That」で武道館全館を最高潮の渦に巻き込んだ、不思議な一体感。
あの武道館に居ながらにして、まるで小さなライブハウスにいるような・・・とっても親密な空気感だったんだよねえ。

アンコールでは、30年の感謝を込めて、Mr.UDOをステージに呼んでギターをプレゼントするという、サプライズ!
ラストは「Kiss On My List 」 「Private Eyes」 納得のエンディングで気持ちよく締めてくれました。

このツアーのタイトルは、「Do What You Want, Be What You Are 」 
曲名でもあり、彼ら自身がチョイスした74曲入りCD BOXのタイトルでもある。

まさに、彼らのやりたい音楽を、やりたいようにありのままに聴かせてくれた、本当にいいライブだった。

ダリルの、「しばらく来られなかったから、この街にホームシックになってたよ」
ってコトバが、わたしとっても嬉しかったんだ。 


このライブのほんの10日余り後に、日本には想像もしていなかったことが起き・・・。
この夢のようなライブは、わたしの中で、本当に夢の中の出来事だったようにしか、もう思えなくなってしまった。

でも、この度このライブCDが、あの時の気持ちをそのままにここにこうして思い出させてくれました。
彼らの音楽は、どんな時でもココロに栄養とパワーを注いでくれる。

ひとそれぞれ、「すきなおんがく」ってものには、思いがけず救われることがあるものだよね。

Daryl Hall & John Oates  永遠に唄っていてほしい、素晴らしいアーティストです。
2枚組ライブ・アルバム 「Smiles To Go 」 ライブに行ったひとにも、行ってないひとにもお薦めです!(特にIt's A Laugh 以降ね♪)


                 

 

 


大きなスクリーン

2012-05-17 | essay


 

夕焼け。 
時間限定の だれでも見上げれば参加できる「空の色*上映会」 


 

こころの色まで塗り替えてくれるやさしい夕焼け

 遠い遠い空の上からの 温かいメッセージ。


この日は、Mother's Day   娘がともだちと一緒に摘んで作ってくれたブーケ  

 これは・・・沁みた~~~。うるおいました~。



 


「雑貨屋さん」のなかまたち

2012-05-15 | essay

                  

ご近所のともだち七人で年に2回、てづくり雑貨のイベントを行っている。
今月開催の回で、いつの間にかvol.14! 

なんともう8年目に突入!?

この仲間、もとは子どもの幼稚園のバス停ママ仲間。
始めた頃は、それぞれの子どもたちもほぼ幼稚園と小学生だったのが、今やほとんど中学生と高校生だ。
小学生はあと3人のみ? ひとりは、もう大学も終えてお勤め人!すっかりオトナです。

わたしたち、ちい~っとも変わらない気持ちでいるけれど・・・
子どもの成長を思うと、しっかりと確実におばさんになっているのだ。あたりまえだ。 (のクラッカー)・・笑。

近頃の、ベビーカーを押して歩くママたちは皆、オシャレで身綺麗。そしてひと回り以上違ったりもする。
ありがたいことに「雑貨屋さん」のイベントに、毎度たくさんの方々が来てくださるけれど、
「あそこで時々おばさん達がやってる雑貨屋さん」って呼ばれてたりして?と、先日打ち合わせに集まって喋っていて苦笑い。

いいのです! 実年齢はちゃんと肯定しているよ。けれど、こころに年齢はありませ~ん。
外側がおばさんになったって、おばあさんになったって、たのしいことがあるって幸せなこと。
それぞれに仕事を持ちながら、そして反抗期の中坊と日々攻防戦を繰り広げながらも、
こうして半年に一度イベントに向けて気持ちを集中させるってのは、なかなかメリハリがあっていい!

  
楽しくイベントが開催できるのも、いい仲間たちのおかげ!!
いろんな居場所に感謝しています。
あと10日ほど!たのしんで制作に励みます。
  

あんなのやこんなの 

時計店の奥は、実はひみつのバッグ工房!  一点モノ・オリジナル miko-bag  ちくちく制作中です。
糸くずだらけの時計屋の女房で ごめんあそばせ~





我が家にやってきた祖父の馬

2012-05-14 | essay

               

父は時代に翻弄された、たいへん複雑な生い立ちを持つ。
わたしたち姉弟は父方の父系の親類とはほとんど面識のないまま育ってきたのだが・・・。

自分のルーツにはとても興味のあるわたし。
何年も前から、何にも残してくれなくていいから、人生の集大成として、
わたしたち子孫に真実を伝えるために自分史を書くよう、父に勧めてきた。

近頃また病気をして少々気弱になってきた父。
先日、一年ぶりに大阪から上京してきた父は、やっと自分史を書き始め、中学時代まで進んだ、と報告してくれた。
今では書くのが楽しくなってきた とも。 ほらね。 きっと父のためにもいいと思ったんだヨ。

そして、唯一今でも親交のある父系の長老、93歳の大伯母を父と姉とともに訪ねることに。

父は鳥取出身だけれど、生家はもう今はなく、親類のほとんどが関東に散らばっている。
父の伯母、(わたしの大伯母)は、うちから小一時間ほどの世田谷区在住なのに、今まで訪問する機会はなかった。
大伯母とは結婚式などで数度会っているけれど、大伯母の家族、父の従兄弟たちとは初対面だ。

父の父系の祖先は、とある蘭学者。
父だけは、あのようにアウトローな人生を送る自由人だが、(学生時代はバイオの研究者だったらしいけれど・・・)
父の従兄弟たち、そしてその子どもたちの学歴・経歴には目を見張るほど。同じDNAを持つとは思えないほど異次元の別世界だ。

な~んでわたしたちはこうもフツーなのか?? やはり環境の影響は大、だな。

祖父は、父が3歳のころにハルビンで病死している。まだ戦前のハナシ。
この度、わたしの家にやってきたブロンズの馬の像。。。。
この馬は、祖父が満州鉄道に於けるロシアとの協定交渉にロシア語の通訳として参加した際、記念に贈られたものだという。

祖父の妹にあたる大伯母が兄の形見としてずっと大切に保管してくれていたのだそうだ。
「やっと持つべきひとの手に渡ったねえ」と、馬を磨いて包んでくださりながら 父の従兄弟が言う・・・。

そうかあ・・・。
この馬の存在は全然知らなかったのに、なぜか昔から「馬」と「ロシア」には知らずに惹かれるところがあったんだよね。ほんと。
祖母が昔、ロシア語の手遊び歌を唄って遊んでくれていたっけなあ・・・なんてことも懐かしく思い出しちゃった。

やっと繋がりました。
今まで、祖父の手に触れたものが何一つなかった我が家にやってきた祖父の形見。祖父のロシアの馬。

モノに固執しない姉も弟も口を揃えてわたしが持つべきだと言うし、我が家でたいせつに後世に残していきましょう。
  (ムスメは、これを見るなり、「リカちゃんに使える!」と喜んでおりましたがっ。)
それにしても、台座の木も結構デッカイし、さて、どこに置きましょう~?

そして、93歳の大伯母。「アラ、わたし、120歳くらいまでは生きるわよ」と、たいへんお元気。
「わたしたち、せっかくがんばれるDNAをもらったんだから、がんばりましょうね!!」と肩をたたいてくれた大伯母さん。

元気の源は、祖先を敬うココロにあり、と見た!
お馬さんとともにパワーを貰って帰りました。

 



 


受信履歴の語るもの。

2012-05-11 | essay

                    


以前わたしが使っていた空色のケータイを
娘がひっぱり出してきて、充電してオモチャカメラとして使い始めた。

データを空にした覚えはなかったので、
メールの受信履歴を開いてみると・・・。
3年ほど前のメールのやり取りがそのままに残っており、
一瞬にして過去に引き戻されてしまう。

去年の夏、突然 あっち側へ逝ってしまった、たいせつなともだちからのメール。。。

今にもこうして送信されてきそうな、何気ないいつものやりとりを
こころの準備もなく思いがけず読んでしまうのは・・・結構キツイね。
もう、こんなふうに アノ子からのメールは二度とこない。

突然、リアルな悲しみが目の前に立ちはだかって、久しぶりに号泣してしまった。
「悲しみ」ってやつは、普段はなんて隠れ上手なんだろう。
日常の中では、見えないようにひっそりと上手に隠れてくれているものだ。

生きていれば、誰の上にも降ってくる たいせつなひとを喪う痛み。
痛みは消えてなくなることはない。それでも、痛みに慣れて強くなることはできるよね。
もしもその痛みがすっかり消えてなくなるとしたら・・・、それはそれでサミシイこと。

ナミダにすぐに気づいて飛んできて、わたしの背中を黙ってぽんぽんと たたいてくれるムスメ・・・。
いけないいけない。ナキムシな母でごめんよ。おとなでも、泣かなきゃ収まらないこともあるのさ~。
こういう時、娘の中に「母」を感じるんだなあ・・・フシギだ。

ひとしきり泣いたあと、ちゃんとこっちへ戻ってきたよ。 ありがとう。

ケータイのメールは、手紙みたいに物質としては残らないけれど、
電子の文字でもやはりコトバの重さは同じなんだよね。

そのひとなりのメールの温度。コトバの並べ方。
ココロの中に、消えないように大事にしまっておこう。

泣いたり、笑ったり、怒ったり。 映画のセリフじゃないけれど、人生はまさにジェットコースター。
いろんなことがあるけれど、あれもこれもそれもぜんぶ、限りある自分の持ち時間。
たいせつなこと、たいせつなひと。 後回しにせず、今 たいせつにしようね。

自分に気合い! (合気道の演武会もがんばったしー!?)  気合い 入りました!



         

 

 


街の上のおつきさん

2012-05-09 | essay

 

ともだちとの待ち合わせに向う道で、突然視界に飛び込んできた大きなお月さん。
街の上にぽっかり浮かぶ大きな満月は、ちょっとした異空間。
しばし立ちどまって眺めていたくなる。

でも、街中でおもむろに立ち止まって月を見るというのは、通行人に迷惑でもあり、
少々アヤシイヒトムードを醸し出してしまう怖れアリ。
なので、立ち止まらずにゆっくりめに歩きながら「きれいや~~」とココロで想いつつ眺める。
大抵、ビルの向こうに隠れてしまうので、再び見えるところまでは足早にさささっと。

う~ん、客観的に見れば十分アヤシイヒトだ。
ま、いいや。誰もいちいち見てやしないしね。

待ち合わせた店に入るなり、先に来ていたともだちふたりに、月みた?みた?とキレイな満月だと教えてあげると、
ははは!さすがマイフレンド。Kチャンもしっかりケータイに収めてありました!



飲んだ帰り道の青い月。

やっぱりのぼりたての月と高い漆黒の夜空の月とは
おおきさ、絶対違うよね~。 

ここちよい五月の夜風に吹かれて、首が痛くなるほどおつきさんを眺めながらひとり歩く帰り道。。。 いい晩でした~

   (この夜の月は、「スーパームーン」! 知らなかったなあ~~なんでも後から知るわたし・・・!)


 


よつばのクローバー

2012-05-08 | essay



連休のなかの晴れた午後。 

退屈していた娘を連れて、お気に入りの場所へ。

東久留米の駅を降りて10分弱。ここは湧水の川の流れる緑のオアシス~。ここも東京です~。

 

 

そして、時間の流れがここだけ たおやかな別世界。きみどり色の五月の竹林公園。



                  

この川と竹林、電車で来られる「自然のある場所」なので、
子どもが小さい頃は、よく三人を連れて電車に揺られてやってきたものだ。
魚網や虫カゴ、着替えにお弁当・水筒。どこへ行くにも大荷物だったなあ。
今や、おニイたちはもちろん付いては来ないし、末娘とふたり、おしゃべりしながら身軽に散策。
こんなふうに、のんびり娘と歩くのも小学生の今のうちかな。

帰り道、突然路地の隅にしゃがみ込んだ娘、「あった!!」と見つけたものは・・・わあ!四つ葉のクローバーだ!

  ラッキー☆

わたし、子どもの頃どんなに探しても四つ葉のクローバーを見つけられなかったんだよねえ。
はじめて自分で見つけたのは、なんと30代半ばくらい!! ともだち一家と一緒に行った河原でのバーベキューの時。
それでもすごく嬉しかったものだ。

「すごい!お母ちゃんより25年も早く見つけたじゃ~ん!」 と言うと、ニンマリ得意気なスマイル。

10歳記念のクローバー、だいじにしまっておこうね。 
あなたのしあわせ。 あなたのミライ。 母はとてもたのしみです 

 

 

 


いのちの洗濯*奄美の旅   [ 最終回 ]

2012-05-04 | essay

 

最終日の朝も良い天気です。(ホテルの部屋からの眺め)

4日間の奄美の旅。かなり凝縮して綴ってみましたが、奄美で感じたものはこんなもんじゃまったく収まりきれませんっ。
披露宴で同席した、彼の大学時代の女性の先輩が、もう何度も奄美に来ていると仰っていらしたのを思い出します。
今となっては・・・!その気持ちがわたしにもよ~くわかります~。

さあ、いよいよ泥染め! 龍郷町の大島紬村へ。

 これが大島紬になるのか~。



  ↑ が染色法だそうです。へえ~~。そうなんだ~。

  これが、シャリンバイの木。だそうです。

わたし、「シャリンバイ」って、「灰」のバイかと思った。 って口走ったら、
梅に似ている花が車輪のように丸くつくから、「車輪梅」と書くのだと、職人のおじさんが教えてくださった。
「梅」のバイかあ~!なんでも聞いてみるもんだね。
しかも、なんか聞いたことがあるなあ・・・と思ったら
子どもらが見ている「ナルト」にでてくるコトバに似ているんだな。あれは、シャリンガン?
それは言わずに黙っておきました。
で、いよいよ泥染めのはじまり! まず、持ち込んだ綿のシャツに模様をつける作業開始! 

デザインは、なんにも考えてこなかったので、思いつきでさくさくと。
綿の糸や、輪ゴムを使ってぎゅうぎゅう締めたところだけが白く残る、絞り染めというやつです。
灰色の液体に、何度か浸けて、ゆすいでをくりかえし、いよいよ田んぼへ入ります。

 

田んぼの感触、久しぶりだ。いつだったか、子どもたちと田植え体験に行って以来だなあ。
でも、泥の手触りが全然違うね。とろとろととっても滑らかな泥なんだ。これを生地に揉んで摺り込みます。結構この感触、楽しかった~。
しかもイモリが側で泳いでる。自然の中にいるイモリって初めて!なんだか嬉しくって手のひらに掬ってみた。水槽の中でみるよりもずっとカワイイ。

 確か田んぼのあとは、おじさんが何か作業をしてくださって、

次の工程は、煮る!10分くらいだったかな。  これでだんだん濃い茶色に。

ここでも、泥染めのお客はふたりきりで、じっくりのんびり教えてもらえて良かったな~。って話していたら、
おじさんが、午後には中学生が100人来るから午前中に来てよかったねえ、とのこと。ぎゃ~100人!あ~よかった!
この旅は、ありがたいことにずっとなんだか間がいいんだなあ。(日頃の行いがいいからね)

  

仕上げ作業をしてもらっている間に、大島紬が出来上がるまでの作業工程を係の方が説明してくださる。
たいへん時間のかかる手仕事なのね。大島紬は何工程も繰り返して織り上げるため、両面表で裏がない、ってところだけしっかり覚えました。

 はい!できあがり!ふたりとも大満足の仕上がり。ありがとうございました。

あと、ココロ残りなのは・・・鶏飯!ケイハン! 最終日までなぜか食べ損ねており、お昼に食べるお店を探さなきゃ!って思っていたら
大島紬村を出る時に、ちょうどメールが。。。

「鶏飯は空港に向かう途中にある ばしゃ山で きれいな海を見ながらたべてみたらどうだろう!」とMっちから。
ケイハンケイハン言うわたしたちの言葉をちゃんと覚えていてくれたのね。
そして、泥染めが終わる絶妙なタイミングでのメール!これはこれは!さすが元ADだけありますな!

 お陰様で「ばしゃ山」でついにありついた鶏飯!美味しかった~。

そして、ゆったりときれいな海を見ながらの奄美最後のお食事。しあわせ~。

 

このあと、Mっちお勧めの「田中一村」の絵を観に田中一村記念美術館へ。これがまた、ぐぐっと胸にめり込むようなスゴイ絵だったんだ・・・
このひとの絵のことは、またの機会にちゃんと書くことにしよう。
そうそう、ここを訪れたおかげで、名前のわからなかった果実が、「アダン」という名だということや、
どんな姿の鳥なんだろうって空想していた「アカショウビン」も、絵の中ではっきりと教えてもらいました。

4日間お世話になったレンタカーをお返しして空港へ。
一日一便の羽田行きは、14:50発。さて時間がちょっと余ったなあ。って思っていたところに
ケータイが鳴る。

「あやまる岬はいったか~?ちょうどいい時間だから今から行くぞー!」 とMっち。

お疲れなんだから見送りは来ないでね!って前日に念を押しておいたのに、あらまあ、空港まで見送りにきてくれた。
兄サンってば、そういうひとなんだよねえ。そのやさしさとこころ遣い、頭がさがります。
ジープに乗せてもらって、空港から10分くらいの笠利町「あやまる岬」へ。

 

うわ~こりゃまたすごい。ぐるっと全部が海だよ!眼下に見えるのは、天然の海プールなんだって。これならコドモも安心ね。
空は黄砂の影響で少し霞んでいたけれど、快晴の空、青い青い海。。。奄美の旅のおわりの〆にぴったりの場所でした。
ありがとう!Mっち、アナタは今回の旅で、わたしの中では「ともだち」から 「頼りになる親戚の兄チャン」に更新されました!

旅のおわりは、いつも少しさみしい。
でも、この奄美の旅は、もう既にわたしの中にそのまますう~っと自然に沁み込んでしまったようで
終わっても終わっていないような、なんだか説明のつかないフシギな感覚なんだな。
奄美というところは、来るものだれにでもやさしくて、一度訪れたら、もうふるさとのような気持にさせてくれる島なのかもしれないね。 

「披露宴」という、奄美を旅するチャンスを与えてくれたMっち&Wちゃん。本当にありがとうございました。また逢いましょう!
上京する時はまたF社のともだちを集めて飲みに行こ~!

今回の旅の道づれ、30年来の親友eme、シングルの頃はよくハチャメチャな旅をした仲間。
こんなにココロを全開放できる旅ができたのも、気のおけないアナタが一緒だったから。本当に楽しかった!
静かに感動をこころに受け止めるアナタと、感動は、ココロ全開でひとと共有したいワタシ。。。(時に、ひとりになりたかったかもしれないね)
わたしには、静かなひとり旅は向いていないということが、この度よーくわかりました。。。懲りずにまた一緒に旅をしてね。
そして・・・わたしの「撮りたい熱」のために、何度も何度も車を止めてくれてありがとっ!スマン!

そして、家族のみなさん!ひとりの夫と三人の子どもたち、ヨメに来て以来久しぶりのともだちとの旅、お母ちゃんはチョー楽しかったよ~!
夫君、店&家事ご苦労さんでした! 「羽のばしておいで~」って送り出してくれてありがとう。感謝してるよ。
三人とも!大きくなったら、奄美へ行くべし!(自力でな!)


[奄美の旅紀行]は、これで完結です。 最後まで旅にお付き合いくださり?まことにありがとうございました 


( ご縁あって Mっちのface book からここへ来てくださった方々、拙いわたしの奄美紀行を目にしてくださりありがとうございますっ。
 face book は、わたしには未知の世界なのでここでお礼を言わせていただきます! )


さあ、タマシイをちゃんと体に納めて、奄美のあったかさを胸に、母ちゃんは日常に戻りま~す!

 さっと戻れるかなあ??         
                                                                           「 お わ り  」






        


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