時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

「明治のこころ」展

2013-10-31 | 展覧会・アート のこと



両国にある江戸東京博物館、「明治のこころ」展へ。
近代建築&古いモノ好き仲間のKさん、Yさんと。

130年前のニッポン、ここにあり。
というような、当時の暮らしを偲ばせる品々、写真、イラストなどなど
見どころ満載の展覧会でした。

このモースというお方(大森貝塚を発見した学者さん)の、
異邦人ゆえの物珍しさからの蒐集のお蔭で
こんなもんまで!!いう展示品の数々に驚くばかり。

130年前のお茶、海苔、イナゴの乾物、鰹節、お菓子!(貝の研究者だけに貝殻形!)
今開けて食べてみたいようなかわいい砂糖菓子もあったなあ。
お歯黒の道具、歯磨き道具、化粧道具、おもちゃに食器、火打ち石などなど、
ありとあらゆる庶民の生活道具の数々。

当たり前すぎる生活道具だったこれらの物を、当の日本人が
後世までとっておこうという発想はそりゃあなかったでしょうから
今こうして実物を観れるのは、モースさんがあらゆるものをコレクションして
アメリカへ持ち帰ってくださったおかげです。
この度の「The Edward Morse Collection」は、
ピーボディー・エセックス美術館とボストン美術館、両館所蔵のものだそうです。

何しろいろいろ驚かされる展覧会ではあったけれど
ラストに飾られていた「生き人形」・・・・等身大のニンゲン。これはリアル過ぎて怖いほど。
この「生き人形」、普段着の庶民七体と武士一体を自ら注文して
アメリカへ持ち帰ったというモース氏。。。

壁の解説ボードに
「モースは、日本人の標本として持ち帰りたかったのだろう」と書かれており、
う~~~ん。いっそ本物を持ち帰りたいほどの「ニッポン・コレクター」だったのね・・・。
と、コレクターの真髄を見てしまった想いがした。

しかし、この生き人形。蝋人形より生きてる感アリ。
子どもの頃、大阪の「ひらかたパーク」で観た「菊人形」を思い出しちゃったよ。
きっと、流れを汲む伝統人形なのかもしれないね。


モースのコトバのなかに、
「日本ほど子どもがたいせつにされている国はない」というものがあった。
どの写真の中でも、子どもたちはしあわせそうに屈託なく子どもらしく笑っている。
多くを望まない暮らし・・・質素でも、ありのままの幸せをたいせつにする暮らしが 
その満面の笑顔の中にしっかりと根を下ろしていることが窺われ、ある種の羨望さえ感じてしまった・・・。

今の日本は?? 
我々現代人は、いつの頃からか、たいせつな、こころの真ん中にあるべきものを
すぽんと抜け落としたことにも気づかずに、ここまで来てしまったような・・・。

「明治のこころ」展。このタイトルは絶妙ですね。
130年前の「日本人のこころ」を、手にとれるほど目の前で見せていただきました。

先人に学ぶところ多し!! です。

 
       




みずたま

2013-10-30 | essay



水玉一個。知らん顔して仲間入り。

こういうの発見すると なんでやろなあ。
「お♪」 って、すごくたのしい気持になるよ。

ありがたいなあ。いろんなこと。
いろんな、わたしのココロを持ち上げてくれる些細なコト。



 


「オカアチャン」と「オフクロ」の狭間。

2013-10-30 | essay



「おとうちゃん・おかあちゃん」と呼んで育ったもので
自然に自分の子どもたちにも「おとうちゃん・おかあちゃん」と呼ばせてきたけれど。

気づいたら、わたしを「お母ちゃん」と呼ぶのは
現在六年生の娘だけになっていた。
中三次男は、いつの間にか「ねえねえ」とか「キミ」だし、
長男高三に至っては「ちょっと」、「アータ」だよ。

そんなに、「オカアチャン」はハズカシイ?

そういえば、わたしの時は
関西から関東へ引っ越してきた小学生の時点で
父に、在る日突然「お父さん・お母さん」に呼び方を変更されたのだったよ。
急に「お母ちゃん」から「お母さん」に変えるのは
相当コッパズカシく、そしてなんだかよそよそしくて
とても抵抗があったのだけれど
「ちゃん」で呼ぶと罰金10円!で、強制的に矯正させられた。

わたしは、大人になっても、子どもたちに「オカアチャン」って呼んでいてほしかったのだけれどなあ。
おっさんが「お母ちゃん」って呼ぶのってなんかかわいいし。

なんだかなあ~、今更「母さん」とは呼ばないだろうし
そのうちに、気づいたら「オフクロ」とか呼ぶようになるのだろうか???
いや、今のワカモノの間でも果たして「おふくろ」ってコトバは生きているのか?

次男に「おふくろ」って呼んでみ、って言ってみたら
「キモ。」 と返された。

ま、そんなもんだ。
「オカン」でもいいんだけれどなー。

           


また満月の夢をみた。

2013-10-29 | essay



ビルの狭間に浮かぶ大きな大きな満月の夢をみた。

月の表面の模様がくっきりと見えるのだけれど
ふしぎなことに、中央にくっきりと小さく地球がはまってる・・・。
青い海も見える紛れもなくあれはまあるい地球。

夢の中で、「え!どういうこと?」って わたし 驚いてる。

わたしは地球外からあの大きな満月を眺めていたのだろうか?

  まあ、所詮ゆめなんだけれどね~。 

いやあ、夢とはいえ、とうとう別の惑星へ行けちゃった。 
つくづく、夢っておもしろいねえ。






最後の運動会

2013-10-28 | essay



長男から足掛け12年もお世話になっている小学校。
六年生の娘の最後の運動会へ。

さっぱりと心地よい秋晴れの青空の下で過ごす一日。

こうして顔馴染みのいろんな親御さんたちと
「ひさしぶり~!」って顔を合わせて暫し立ち話をするこういう大きな行事も
もうこれでおしまいなんだな。 って思うとちょっとサミシイ気持ち。

午後になって、「小学校に入れるのも最後だからなあ」と、高三長男がふらっとやって来たけれど
馴染みの先生方は次々に転任してしまって、もう息子の知っている先生はひとりもおらず。寂しいねえ。

小さい頃を知っているいろんなおかあさんに、
「うわっ!Sくん??大きくなったねー」とさんざん驚かれていたけれど。

生まれも育ちも同じ場所。同じ地域内で成長する・・・。引っ越しの多かった自分にはない経験。

ひょろひょろと背ばかり大きくなった息子と、
こうして、12年前一年生の彼が懸命に玉入れをしていた同じ小学校の運動会の校庭を歩く・・・。
なんだか・・・タイムマシンに乗ってひとっ飛びでここまで来たような・・・
フシギな感覚に捲かれてしまった。
 (子どもは成長するけれど、わたしの中身はなんも変わってないなあ。)

いやはや感慨深いなあ。

運動会の高らかなざわめき。光。土の匂い。校庭を渡る風。
全部、覚えておこう。






しずくと花

2013-10-26 | essay


 

雨にぬれる花ってすきだ。

花は、儚いゆめ。

でも、
か弱そうにみえて
打ちつける雨に上手にしなって凛としている。

しずくを 花びらにのせて、雨上がりにきらきらとその身を飾るあたり
強かな女性を想わせるなあ。 

「花」と「女性」って
太古の昔、そもそも元は同じものだったんじゃないかな。 なんて ふと想う。




 


かわええやつ。

2013-10-23 | essay



かわいいの。みっけた。

ムスメとわたしのブームは、しろくま。

お気に入りの、上野のホッキョクグマのデアちゃん 元気にしているかな。
今日も ざぶんと潜ってしゅわしゅわの泡を生み出しているかしら。

だんだん寒くなる季節。何故か行きたくなる上野動物園。

デアに逢いに近々また行こう。
何故だかいつも冬の小春日和にしか行かないから
冬季パスとかあったら即買いなんだけどな~。

動物園好きのムスメも、次の春には中学生だもの。。。

娘が一緒に行かなくなったら・・・
ひとりでも行くかも~?



大人再確認。

2013-10-22 | essay



少し前に、無作為に送付されたという行政の意見交換会のお知らせを初めて受け取った。

この街へ嫁に来て、早20年。
子どもの頃から引っ越しが多かったので
こんなに長く暮したのはこの街が初めてのこと。
そしていつの間にか、子どもたちにはここが「ふるさと」なんだよねえ。

若い頃は行政なんて他人事だったけれど
「オトナ」として、こういう場に身を置くような年齢にわたしもなったのだなあ・・・と
なんだか、今更ながらしみじみと感じ入ってしまった。
そして、どんなことが行われるんだろう?という、ほぼ好奇心から参加申し込みを返送。

事前に送られてきた資料を読んで自分の意見をまとめ、いざ当日。
様々な年齢層、様々な職業、様々な価値観。
こうして見ず知らずの人々と、ひとつの目的の為に机を囲むって、とても新鮮な経験だ。

一般庶民が行政に直接モノ申す機会ってものはそうそうない。
わたしも、日頃感じていた矛盾や改善点、
そしてこの日話を聴いていて思いついたアイデアなどを
ここぞとばかりに話してきた。

しかし・・・。
こういう事業は毎年行われているのだそうだけれど(知らなかったし!)
行政からの報告を聴く時間が長すぎて、討論の時間が全然足りない。
いい意見を持っている方がたくさんいらっしゃるのに、
こんなに短い時間では十分に吸い上げることなんて出来っこないよ。
こういう機会って、多分もうしばらくないと思うと
この時間配分はとっても勿体ない。。。
  ってことも切に感じたので進言しておいたけれど・・・。

考えたくないけれど、残念ながら
「民の皆さんの意見も吸い上げる機会をちゃんと設けていますよ」
という行政のパフォーマンスの場なのか。。。
という捉え方をする方が、多数になってしまっても仕方がないね。
本気で一般庶民の声を吸い上げて行政に活かす気があるなら、
十二分に討論できるよう丸々一日掛かりの行程にしたって構わない。
だって、意見を出し合うために参加している人々ばかりなのだから。
一同、ちょっと不完全燃焼気味で散会。


それでもね、純粋な気持ちで意見を持ち寄るひとがこんなにたくさんいる・・・と思うと
なんだか、世の中捨てたもんじゃないなあ~と こころが温まりました。

子どものころ、人前で発言するなんて顔から火が出そうだったのに(なみだも)
言うべきことは言わなアカン! と発言できるようになった自分って、
いつの間にか「おとな」になったのねえ。
と、dreamerなだけじゃないオトナの自分を再発見。(というより、図太くなっただけ?)


家に帰ってから、シャイのチャンピオン級の娘・11歳に
「いや~、小学生の時はあんたとおんなじで手も挙げられないくらい恥ずかしがりだったけどさ、
お母ちゃん、ちゃんとじゃんじゃん意見言ってきたよ!!」 
と、胸を張って自慢しておきました。(笑)
キミも、だんだんだいじょうぶになるよ~。

なにはともあれ。
時には、視線を自分の生活を取り巻く外側へ移す、
そして外側から内側へと戻す、という作業もたいせつなことだ・・・
ということを学んだ貴重な一日となりました。 


 


じゅんぐりじゅんぐり。

2013-10-21 | essay

やなせたかしさんに続き、
天野祐吉さんの訃報。

わたし、やなせたかしさんの絵本「やさしいライオン」 ちいさい頃からだいすきだったよ。
ひととしてたいせつなことをやさしいコトバで伝えてくださる素晴らしいひと。


コラムニストの天野祐吉さん。
辛口だけれど人情のある語り口がとてもすきだった。
ずっと以前、なんて番組だったかアナウンサーの渡辺真理さんとの掛け合いが
とても軽妙で鋭く、しかも面白くて、あの頃から密やかに崇拝しておりました。

いつまでも、世の中を斬っていてほしかったなあ。 ざんねんです。

順繰り順繰り。
時代が移り変わっていく。。。
自然なことなんだけれど。さみしいね。

ご冥福をお祈りいたします。

  





いつか巣立つ日に。

2013-10-20 | essay



家族って、ひとつの共同体だけれど、
それぞれの人生はひとりひとりのもの。

わたしはわたしの人生を、すきなように生きておりますが、
うちのムズカシイ次男坊は相変わらず彼の人生を再構築中(!?)でして。

そして、学校へ行っていないぶん、時間はそれなりに在りまして。

もともと料理がすきな彼。
日々すきなように料理探求をしていくうちに
まあ、大抵のものは作れるようになってきたみたい。
わたしの、目分量適宜的料理は当てにならないらしく、
ネット・レシピ依存の調理法だけれど。

食材のやりくりも上手になってきて
いろんなスーパーへ買い出しに行っては
手堅い買い物をちゃちゃっとしてくる。
近頃は、献立を考えながら3日分くらいの食材の買い出しも
出来るようになった。

よしよし。 それも一種の生きるチカラですな。

小学生のころから、「一人暮らし」に何故か憧れている次男坊。
窮屈に育てたつもりはないのだけれどなあ。。。彼の性分なのでしょう。
自立したい。ってのは、まあ本能だからそれは素晴らしいことなのだけれど。
ハハとしては、ちょっとフクザツ。

もうすぐ15歳。このところ、ようやく彼なりの彼らしい進路が見えてきたところ。

この14歳の一年。。。
ものすごく、ものすご~く 長い道のりだったような・・・
いや、過ぎてみれば一足飛びだったような・・・?
わたしもお蔭で、鍛練された鋼鉄のように(?)強くならせていただきましたわさ~。

まあ、転んでも倒れても、自分の人生。
地に足をしっかりつけてすきなことをやりたまえ。
守ってくれるひとがいつまでもいるわけではないのだから、
この先、何処へでもすきなように巣立てるように
今のうちに、生きるチカラをしっかり蓄えておくのだよ。

ハハは、せいぜい、君が巣立つその日のために
みえないアイ を、君の中へ せっせと詰め込んでおきましょう。
(こっそり背中から~)
いつかこの先、ひとりで凹んだ時に、
ココロがすっかりぺしゃんこになってしまわないように。
その時そばに居なくても、みえないクッションになれたらいいなあ。と思うよ。


       

 

 

 

 


新入りの助っ人

2013-10-17 | essay


うちの新入りサン。それは・・・!
おにゅーのミシン。



長いこと購入を検討していた工業用ミシン。
このたび、ご縁あって思いきって購入~。

革の小物作りも、家庭用ミシンに革用針を装着して
がんばって働いてきてもらっていたのだけれど
何度もあちゃ~~~って頭を抱える事態に。

次回のてづくり雑貨のイベントももうすぐ。
新入りミシンに浮かれてないで、制作もがんばろう。

たのしい たのしい ものづくりの時間。

 本革製文庫本カバー完成。

え。キツイ。入らん!
勇み足で、寸法間違えた~。
わたしらしいミスです。なんて言ってる場合じゃないよね。
新入りミシンの意味ないじゃん!


まあいいや、これはわたしの来年の手帳カバーにしよう。





2013-10-16 | essay



水の中の、木々と空。
いつも、じっと見ていると吸い込まれそうになる。
フシギな別の世界が水面の下に潜んでいそうだ。

    

ふいに、ツイーと空を横切る鯉。
いえいえ、空じゃなくて水中だったね。

曖昧な境界線。自分と自然界の境界線も曖昧になりそうだ。

 

水面の鏡をみていたら、思い出した。

ちいさな頃、床に直に置く姿見鏡がうちにあり、
母は洋服を選ぶ時、いつもその姿見を床に置いて壁に立て掛けていて
ちいさいわたしは、その度に床にぺたんと座り込み、
鏡の中の世界を覗き込むことがとてもすきだった。

床に直に置くことで、鏡の中の世界とこちら側の世界の境界線がなくなる。
鏡の中には傾斜した同じ床がどこまでも広がる。
こちらの部屋よりもずっと広く見えるその世界は、子どものココロにはたいへん魅惑的で
なんとかしてそっち側へひょいと行けないものか。と想いを巡らせながらいつも眺めていた。

子どもってもんは、いろいろ、いろいろ、考えているものなんだよね。

自分もとっくにオトナだけれどね、子どものころすきだったことって
今でもそのまますきなこと。 
きっとそれは誰でも同じ。
ちょっと忘れちゃってるだけだと思うんだなあ。



すきな樹

2013-10-15 | essay



  

だいすきな木。
躍動感溢れるこの木。
この場所に足を運ぶようになってから・・・もう20年近く経つんだなあ。

たくさんの想い出が積もっている場所。
子どもたちをその枝によく登らせてくれたよね。

年々逞しく腕を伸ばすこの木。
誰もみていない真夜中に
きっとすきなように枝を躍らせて
こっそり筋トレでもしているに違いない。

もうすっかり、家族揃って遊びに来ることもなくなってしまったけれど
ふらり散歩にくるたび、この木に触れて声をかけてから帰る。
ずっと元気でいてよね~。


            


 


「ム」になる瞬間

2013-10-14 | essay



いくつになっても、
何かに夢中になってる瞬間っていいよねえ。

子どもたちが長いことお世話になった絵画教室。
今度はわたしが初めての油絵を習い始めた。

といっても、なかなか定期的には通えないので
月一回、のんびりペースで教えていただくことに。

夏休みの間はなかなか時間が取れなかったので
先日やっと三回目の教室へ。
あ~~!たのしいなあ。
気づいたら、「夢」で「無」で「霧」?の中。
筆の動きだけの別世界に浮遊していた。

そうだ。こういう時間がわたしは子どものころからだいすきなんだ。
そういう気持ち、久しぶりに思い出させていただきました。

二度の地塗りで、自由に色を重ねて筆遊びををたっぷりたのしんだあと、
地塗りを生かしながら構図の一部を描き始めたところ。

ほかのものづくりに於いてもなんでも我流なわたし。
作り始めてからも思いつくままどんどん変化していくので
仕上がりは別物に・・・ってことが多々ある。

初めての油絵。上手く描こうなんてそんな恐れ多いことは思っていないので
ただただ描くことをたのしみたいな。
今回の油絵も、下書きに忠実に書きあげられるとは到底思えないし~。

そんなわたしの性格をよくご存じの?お優しい先生は、
わたしを初心者の基本形にハメ込んだりせず、自由に自由に泳がせておいてくださる。

本当にありがたいことです。。。
(O先生ありがとうございます!)


いろんな、たのしい時間。
いろんな、自分が自分らしく「素」で「夢」で「無」になれる瞬間。

如何に、束の間でもそういう時間に自分を連れて行くことができるか。

いろんなことがあってもね~。
ココロの置き場所は自分次第です。

   



「匂い」と「臭い」の境界線

2013-10-12 | essay



最近、香り付き洗剤や柔軟剤の消費者センターへの苦情が増えているという。
やっぱり!? って思うひと結構いるはず。

どんなものを使おうと個人の好みなのでいいのだけれど
「匂い」ってものは、個人だけに納まらず周りにも影響を及ぼすもので・・・。

子どもにアレルギーがある関係で、なるべく天然素材系の無香料無添加のものを使うことが多く、
この十数年で、人工的な香料にはとても敏感になってしまった。

子どもの学校の給食エプロンは当番制。
週末に洗って返してまた別のひとが使うというシステム。
近年、驚くのは、いつものうちの洗剤で洗っても
アイロンをかけると、おそろしく強引に香リ立つよそのお宅の洗剤の香り・・・。
落ちない香りって・・・!! コワイわあー。

人工香料は、いわゆる化学物質なわけで
化学物質に過敏なにひとには、みえない凶器になるんだよね。

消費者センターには、隣人の干す洗濯物の臭いに体調不良を起こすひとや
電車内や暖房の効いた密室で、他人の洋服からの洗剤の香りに気分が悪くなるなど
深刻な苦情が近年多くなってきているという・・・。
実はわたしも化学的なモノで頭痛が起きるタイプです~。

CMの煽りすぎも問題だよね。
香りがなきゃ洗剤・柔軟剤じゃないみたいなCM、どうかと思う。
(匂いで誤魔化す抗菌スプレーも苦手です・・・。)

我が家が長年愛用してきた、お手頃価格なせっけん系無香料無添加洗剤にも
なんと、とうとう香り付きが!! 
お~~~い。なんでだよう~。
御社に求めているのはそこじゃないのですが~。全くわかっとらん。

香り付き流行りのせいで、洗剤難民になりそう~。(高いのはイヤだしー)

香り付き洗剤や柔軟剤は、容量をきちんと守って使いましょうね。
洋服が香り過ぎると、蜂にも好かれてしまうので山歩きなどでは十分ご注意を~!

 


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