時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

芙蓉の花が連れてきた想い出

2021-09-30 | essay
なんてかわいい色合いの芙蓉さん。

このお花の真ん中のやわらかなクリームイエローと淡いピンクを覗き込んでいたら
奈良に住んでいた幼稚園児だった頃にとてもすきだったわたしのモヘヤのカーディガンが鮮やかにこころに浮かんできた。

クリームイエローに淡いピンクの縁取りがあるふわふわのカーディガン。
ボタンも確かくるみボタンでかわいくて、多分人生で初めて特別なものに感じた自分の洋服。

あっという間に着れなくなってしまったけれど、どうしても手放したくなくて
母に「大きぃなったら子どもに着せたいから誰にもあげんといて」と頼んだことを今でも覚えている。
4歳か5歳のわたし。

しかし…引越の多かった我が家、いつの間にかあのカーディガンはよその家へと旅立っていたのだった。

久しぶりにあのかわいいカーディガンをわたしの記憶の湖から掬いだして見せてくれたこの芙蓉のお花にありがとうといいたいキモチ。
シゴト前に寄り道するここの公園の芙蓉の花たちも
秋を迎えてそろそろさようなら。
もうふわふわのタネの準備も始めています。

あ。
このふわふわたちもあのモヘヤニットの想い出を呼び起こす手伝いをしてくれたのかもしれないなぁ。

ふわふわベビーたち
次の夏にはどこかでかわいい花を咲かせてね。


「はしもとみお木彫展」へ

2021-09-29 | 展覧会・アート のこと

武蔵野市立吉祥寺美術館
「はしもとみお木彫展」
(わさおくん)

木彫りアーティストはしもとみおさんの展覧会へ。

どうしても行きたかったこの展覧会。
会期終了まであと数日!行けてよかった〜。

開催前、木彫りワークショップに応募するも落選〜ざんねん〜。








はしもとみおさんの木彫りは生きてる。

素晴らしい!のひとことであります。

胸がキュウっとなったのはこのこ、スプートニク号に乗せられて飛んだライカ犬。。。
この子に対する作家さんの想いがそのまんまこのこの体から立ち上るようでありました。

スプートニクに乗せて打ち上げられたライカ犬の話は
20代の頃に観た映画「My Life As A Dog」の中で知り、わたしも胸がつぶれそうな思いに…。

このこのつぶらな瞳。
ものを思わずにはいられません。


最後に
展示物のパーテーションの裏にひっそりと貼られていたはしもとみおさんのコトバに
表現者としての矜持を感じ、タマシイを揺さぶられてしまいました。

そして我知らず、以前こころを打たれた田中一村の「自分の良心を納得させるために描く」というようなことばを胸に思い出していたのでした。

本物の表現者、芸術家は皆そのタマシイの中に本人にも制御不可能な創作のマグマを抱えて生きていらっしゃるのでしょう。。。

「はしもとみお木彫展」は
2021年10月3日まで開催中



失敗からの副産物

2021-09-26 | essay
大好物の栗の渋皮煮に初挑戦!
面倒臭がりのわたしには珍しく、レシピ通りに何度も茹でこぼし丁寧に丁寧に作ってみる。
上手く出来た!と言いたいところだが…。
失敗!渋さが抜けきっていない〜。

残念だけれど結局全部渋皮を剥いだら、ただのほんのり甘い茹で栗状態に。

失敗ついでに
「カスタード栗クリーム」を作る。
茹で栗をカスタードクリームであえるだけのデザートなのだけれど、これが美味しくてだいすきなのだ。

このカスタード栗クリームは、大昔の高校生の時に姉が作ってくれたのが始まり。
確かシュークリームのシューが上手く焼けずに、持て余した中身のカスタードクリームを丁度母が茹でた栗に絡ませたことで出来上がったスイーツ。
失敗から出来た副産物は、時に世紀の大発見!?となるのであ〜る。
以来、何十年来秋に作る想い出の味となっております。

あ〜おいしい。

渋皮煮修行、また美味しそうな栗をみつけてこよう。


おまけに、渋皮煮の煮汁のいい色に魅せられて思い付いて白いリネンハギレを浸して煮込んで渋皮染め!
う〜ん、これも修行が必要です。








「人質の朗読会」小川洋子著

2021-09-23 | 本 のこと


小川洋子著「人質の朗読会」

紡がれたひとつひとつの物語に身を沈める。
小川洋子氏の物語を読んでいると
いつの間にか静かに静かにそのことばたちの森の奥深く、または深い淵の底へと引き寄せられてしまう。

『自分の中にしまわれている過去、未来がどうあろうと決して損なわれない過去』

ひとりひとりの人生の
そんな過去のひとコマ…

『それをそっと取り出し、掌で温め、言葉の舟にのせる』

そうして語られる九つの物語。。。


この本を読んだひとは、おそらく皆一様に思うはず。
自分なら何を、自分の中の記憶のどのひとコマにスポットを当てるだろう、と。

自分の歩いてきた長い道のりの中の特別な瞬間とは。

自分の人生にまで深く想いを馳せてしまう一冊である。


さて、わたしはどうだろう。
記憶を全部大事にしまっておきたい性分のわたし。自分の中の雑多な大量の物語をこの先どうしたものか。

物凄く物語を紡ぎたくなる本でありました。


待宵月を眺める

2021-09-21 | essay

昨夜のこと
「満月の中秋の名月なの忘れてた!」とお風呂で思い出し、
お風呂上がりにまたぱぱっと服を着て月を探しに散歩に出た。

家は高層マンション渓谷の谷底にあるので、月は探しに行くものなのであ〜る。

月が高く登る時刻なら近所のお寺まで行けば見えるので、スマホ片手にぷらぷら歩く。
お風呂上がりの体に夜風が心地よく、お風呂屋さん帰りの懐かしい夜を思い出す。

さて、輝く月が美しい。
いつだって月はやさしい。
暫し眺めて家に帰る。

そして、たまたま友達とのLINEでなんと満月は翌日だったと知る。

オッチョコチョイは母の遺伝だから仕方ない。
綺麗なほぼ満月の待宵月をしっかり見れたからラッキーだったな。

今夜はどうかな?
少し雲が広がっていたようだけど。
今夜も月を探しに行ってみよう。

世界中のあちこちで、そのまん丸おつきさんが顔をのぞかせてくれますように。


スパイダーな百合たち

2021-09-20 | essay



もうお彼岸なんだなあ。
きっちり合わせて咲くお寺の彼岸花たち。
いい仕事してます。

すっくと立つ赤いヒガンバナ。
逆さまに持ったら線香花火そのものだろなあ、と想像する。

白いこの子らは洋風な佇まい。
ヒガンバナの英名は
Spider Lily
スパイダーなユリかあ。
このカールを見るとなるほどユリだわね。

娘と一緒にお墓参り。
御先祖さまのお墓に手を合わせて、子孫皆の無事をお願いしてきました。
あ!そうか、子ども達は子孫だけど、ヨメの私は子孫ちゃうし!

オッチョコチョイのヨメもついでにどうぞよろしくと、今さらながらお願いしとこう。



紫式部乱舞

2021-09-16 | essay



こんなに自由に繁るムラサキシキブを初めてみた。

もう使われなくなって数年経つ公共施設の廃墟の花壇。
置き去りにされたことを恨むこともなく、
誰にも気兼ねすることなく自由に踊っている。

もう誰も踏まない入口のマットの上には小さくてかわいい野花が咲いている。

いつかこの場所が取り壊されてしまうその日まで
ヒトの介在しないこの空間で自由に生をたのしんで欲しい。



突如現わる

2021-09-14 | essay



唐突に出現して
毎年驚かされるよ彼岸花。

ほんの数日前通った時に
今年はこの辺キレイに刈られてしまっているからもう彼岸花も出てこないのかな。。。
と思ってたところ。

昨日通ったら、あらまニョッキリ!
今年もこんにちは〜
間もなく賑やかに咲き誇りそうです。

植物ってつくづくすごい。
ちゃんと自分の出番を知っている。
温暖化に急かされて、どのお花も少しずつ前倒し感はあるけれどね。

今年の秋は紅葉も早そうです。


百日紅の木の下で

2021-09-11 | essay


サルスベリの花って本当に長いこと咲いている。

百日紅も母がすきだった花のひとつ。
いろんな花の中に母の面影が視える。

母が空に昇ってからいつの間にかもう17年。
月日はまるで関係ないのね。
母はわたしの母のままココロに住んでいる。

未だに腰痛改善にいいマットレス、とか機能性の高い腰痛ベルト、とか。
そういうのを目にするたび、いつも腰痛を抱えていた母に使わせてあげたいなぁと思ってしまう。
もうとっくにカラダはないのになあ。

そのぶん、ジブンのカラダをだいじにするよ。

「目にはみえないたいせつなこと」をたくさん授けてくれた母だったけれど、
わたしのこのカラダそのものこそ、正に母がわたしに授けてくれた目に見えるカタチあるものだものね。

二回目のワクチン接種に向かう途中、見つけた百日紅の木の下で
光に透ける花と葉っぱを見上げて
母を想う午後でありました。


マスクON/OFF

2021-09-09 | essay
シゴト中、壁に向かってマスクを外して水筒を飲んでいたら、側に来た年長さんの男の子がわたしの顔をみて
「せんせいのかお、ひさしぶりにみた〜」と言う。

いやはや〜ほんとよねぇと改めてマスク生活の長さを実感。
マスクなしの時代がもはや懐かしい。
今の年中、年小さんは入園した時にはもうオトナはマスク生活に入っていたので、マスクなし時代のわたしの顔を知るのは現年長さんだけなんだな。。。

つくづく、なんとも奇妙な時代になったものだ。

楽しかったおやつ時間。
かつてはわたしも一緒に座ってわいわいお喋りしながら食べたりしていたものだが、今は四人がけのテーブルに二人ずつ離して座らせ、黙って食べる「黙食」がルール。
わたしは立ったまま見守り、うっかりお喋りしてしまう子に「おしゃべりはマスクしてから!」と諭す役回り。
やだなあ。おやつはたのしく食べたいよね、ほんとはね。

ちびっ子なのにみんな修行僧のようだよ。

今はこんな時代だけれど、この先きっといろいろ良くなる。
それまでは体を守るために一緒にがんばろうね、ちびっ子たち!




ココロのカラー

2021-09-08 | essay



よ〜く観るとお花の中にお花畑が!
つくづく自然の造形って素晴らしい。

あたらしい発見って
どんな時でもわくわくする。

しょんぼりした気分で
下ばかり見て歩く日も
ついでに道端の草木に目を向けてみよう。
思わぬ発見が転がっていないとも限らない。

その日のココロのカラーをすっかり塗り替えてくれる何かに出くわすかも。


白い妖精

2021-09-06 | essay

この前お寺で見つけたお花。
小さくて可憐でとても魅力的なこのお花、なんて名前だろう…と
思っていたらひょんなところから答えが降ってきた。

この華奢な花はなんとニラの花とのこと!
お寺に咲いていたからまさかニラだとは思わなかったよ〜。

そしてこの花、ヒガンバナ科なんだそうです。

なるほど〜?

雨のしずくアート

2021-09-04 | essay


植物の纏う雨のしずくがとてもすきだ。

束の間の水玉アート。
なんとも愛らしい。

そしてこうしたたくさんの雨粒を見るたびに
名和晃平氏の作品、ガラスビーズを全身に纏った鹿のオブジェを思い出す。

以前東京都現代美術館で観た名和晃平氏の作品展。
素晴らしすぎて忘れられない。
あれはいつのことだったかと遡ってみるとなんときっかり10年前の8月だった。

ついこの前のようなんだけどな。
オトナになると時間がどんどん加速する。
ゆっくりでいいのにね。

自粛に次ぐ自粛で
アート欠乏症なこの頃…。
あのうつくしい鹿をまた観たいものだなぁ。

(当時のジブンのブログ記事からの一枚)


conversations

2021-09-04 | essay



何度訪れても
未だしっくりこないんだけどな。
それでも行くよ。
アノ子の戒名の刻まれた墓石に手を合わせに。

タマシイはみえない。
タマシイは自由だ。

この冷たい雨に打たれる石の下にあるのはアノ子の抜け殻。
中身のタマシイはもうここにはいない。

アノ子の子どもたちも
アノ子の夫も
アノ子の田舎のおかあさんも
そしてわたしも
それぞれがそれぞれのココロの中のアノ子と対話する

偲ぶって
そういうこと。











佐野元春熱、再燃

2021-09-01 | MUSICのこと

わたしの中の「佐野元春熱」再燃。

この春に、小川洋子氏との対談が読みたくて買った雑誌「SWITCH」をガッツリ読んだらまた佐野さんの音の世界に潜りたくなった。


20代の頃の一時期かなり心酔していた佐野元春の音楽。
私が持っているのは94年の「The Circle」まで。

自分に子どもが生まれて生活の色が塗り変わっていくにつれ、「佐野元春の音楽」は過去に置いたまま別の道を歩き出したような。。。

最近、小川洋子氏の本を立て続けに読んだ。
遡れば昔小川洋子の本を初めて読んだのも、佐野元春の楽曲のオマージュ的な「アンジェリーナ」だった。

人生、歩いているうちに
遠くへきてしまったようにみえて、実はいろんな過去の時間が絡み合って繋がって連鎖して今があるんだな。
歳を重ねるといろんなことが解ってくる。

1994年以降の曲も聴いてみたくなり今更ながら「FRUITS」「THE BARN」「Stones and Eggs」「THE SUN」
そして「THE GOLDEN RING」までを入手して聴いている。
そこから後のアルバムもこれからゆっくり聴いていきたい。

1983年から1994年のLive音源の詰まったアルバム「THE GOLDEN RING」は素晴らしいライブアルバムだ。
昔トモダチと行った1993年の横浜アリーナのライブ…あの時の感動を令和の今ここに思い出した。

ライブ自体、なかなか行けない昨今。。。
束の間の時間旅行ライブを大音量で楽しんでいる。
イヤホンでね。

佐野さんは一流の詩人であり最高のエンターティナー!

きっと次のLiveには行く。
ひとりでも行くよ。
それとも昔一緒に行ったトモダチを誘ってみようか。
今から楽しみにしておこう。



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