時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

父のRay Ban を連れて

2024-09-30 | essay

父のRay Banを連れて
富山へ

昨年亡くなった大阪の父が最期まで行きたがっていた富山県。
仕事でいろんな国を旅し、日本の津々浦々をよく知っていた父がある時「47都道府県の中で何故か富山県だけ足を踏み入れたことがないんや」と云う。

「富山湾の旨い魚を食べに行こう!企画してくれ」
と言い出したのは亡くなる半年前のこと。
折しも雪の季節に突入しており、体の弱っている車椅子の父を連れて行くには過酷な旅になりそうで、いい季節になってから行こうと父をなだめたのだった。

春になり、昔の仕事仲間のOB会に参加するための東京行きは強行できたものの、5月に米寿にて天寿を全うした。

そんなわけで、私の中に悔いの残る富山行き。
この度思い立って父のトレードマークのレイバンを連れて娘と母娘旅へ。

初めての北陸新幹線。あっという間に富山県。北陸がこんなに近いとは!

父の代わりに旨いお魚を食べ、日常を忘れて温泉に浸かり久しぶりの海を眺め、心身ともにリフレッシュ。
(いやはやお父さん、一周回ってサンキュ〜やで!)


久しぶりの知らない町。ローカルな一車両の氷見線はなんとも味わい深い路線。

車窓に突然開けた海の景色に色めき立つ私たちに、サッと海側の席を代わってくださった地元の学生さん!お陰さまでうつくしい海を記念にパチリ。娘は動画を。
(なんてすてきな笑顔の心優しい学生さん。ありがとうございました!)

実は携行していた父の遺骨のカケラ、というか小匙1杯に満たない骨紛。
連れて行くだけのつもりでいたのだけれど、美しい海を見ているうちに波に撒きたくなり…。
父がそうさせたのだと確信している。笑。

子どもの頃から
「俺が死んだら海に撒くこと!」と何度云われたことか。
亡くなる半年前くらいに、「そんでマジな話、撒いてほしい海がある?」と聞いてみると、返ってきたコトバは近所の川を指して
「そのへんの川でかまへん、全部海につながっとる」と笑った。
そんなわけにいかんがな〜!

遺りのカケラは故郷の鳥取の海に連れて帰ってあげようと思っている。






画面の中にあがる黒煙

2024-09-24 | essay
性懲りもなく繰り返される戦争。理不尽な攻撃。

こんなに文明が進んだというのにニンゲンの愚かさは変わらない。
画面いっぱいに映し出される空爆の煙…。なぜこんなことが許されるのか。
戦争は殺人であり、最大の環境破壊。
哀しい。

ニュースの中で自国を正当化し、相手が悪いと声高に主張しているのは常に男性主導者である。

戦争を始めるのは庶民ではなく国の上層部だ。
そして、過去も現在も理不尽な戦争を止めない国のトップにいる者は皆男性だ。

世界中のトップを一斉に女性にチェンジしたなら・・・と想像してみる。

罪なき人々を、子どもたちを無差別に殺傷することを選ぶ女性主導者が多数いるとは到底思えない。

流血を回避できる道を探すべく、チカラではなくコトバで折り合いをつけることが可能となるに違いない。

性差別するつもりはないけれど、血肉を分けてその身でニンゲンを育み出産する性である女性は、殺人を正当化する戦争そのものを忌み嫌い回避する能力を本能として持っているはず。

夢想家でしかないわたしの持論だけれど。

無慈悲な攻撃がどうか一刻も早くなくなりますように。。。
地球に未来がありますように。と願うのみ。







日曜早朝のRockたち

2024-09-22 | MUSICのこと

日曜日の朝はよく階下から聞こえてくる大音量のロックのレコードの音で飛び起きた。
まだ父が日常的に家に帰ってきていた小学生の頃のこと。
早起きの父は何故か日曜の早朝にロックをかけるのがすきだったのだ。
1970年代後半頃の話。

山の中の一軒家じゃあるまいしあの大音量が隣近所に恥ずかしくて飛び起きて音量を下げに一階へと駆け下りたものだ。
機嫌良く踊る父はほとんど音量を下げさせてはくれなかったけれど。笑。

思えばあの頃父はかなりのオーディオマニアでいろんなオーディオ機器を繋げて大きなスピーカーでレコードを聴いていた。
広いリビングの壁一面の作り棚に大量のレコードと本がぎっしり詰まっており、万年不良の父があまり家に帰らなくなった頃には、中学生のわたしが片っ端からレコードをかけるようになっていた。
(本もまた同じく)

父がかけていたあの日曜日の朝のロックのうちの何曲かは、今聴いてもソワソワするキモチを連れてくる。
特に印象深いのはウォーカー・ブラザース『ダンス天国』とCCR『Down On The Corner』

あの、lalalalala〜のはじまりのフレーズを聴いただけで、あの当時のあの家の日の当たる広いリビングを思い出す。

父の巻き起こす云うに云われぬいろんな出来事があったけれど、良いことも確かに刻まれていた懐かしいあの家。

想い出のあのレコードたちの一部はわたしが今も時々聴いている。
あの頃みたいに大きなスピーカーの良い音で聴きたいなぁと思いつつも近年はトランク型のポータブルレコードプレーヤーでお手軽にかけるのみ。

大阪の父のマンションにまだ大量に遺されている古いレコードたち。。。
そのうちもう一度吟味してもらって帰ろうかなぁと思っている。

何だかんだいいながらも父には多大なる文化的影響を受けているのは否めないのである。




背中をどついてくれる曲

2024-09-19 | MUSICのこと
かつて15歳のわたしの背中をどついてくれた一曲。
「Hold On Tight」ELO

久しぶりにレコードで聴く。
(数年前に買ったトランク型プレーヤーで)
音楽ってものはつくづく
匂いと同じだ。
その時のココロモヨウをそのまんま連れてくる。

アクセルぐんぐん踏むみたいに連呼される
Hold on tight to your dream!

いくつになろうと人生イロイロ。
HighもあればLowもある。

30年以上経っていても
この曲はわたしの背中を相も変らずどついてくれるわー。

15のわたしではなく
58現在のわたしらしいテンポでがんばりまーす。





月待ち時間

2024-09-17 | essay
のぼりたての中秋の名月が見たくて自転車を飛ばす。

うちからは残念ながらビルの影になり天上に上がるまで月はみえないのだ。
早く着いてしまって
ひとり階段に座って月の出を待つ。
オーロラみたいにふしぎなピンク色の空。
月灯りのスポットライトね。
のぼりたての月
ほやほやのうつくしい月
すきだなあ。

写真はボケボケだけれど
実物はなんともうつくしい。正に中秋の名月ねぇ。
それにしてもこんなに暑い日の中秋の名月。。

カレンダーと肌感覚がズレてきているなぁ。
お月見と言っても、まだススキの穂も若いまま。

なにはともあれ今年も名月を見上げられたことに
感謝しよう。
(満月みたいなガーベラ)




TOPコレクション「見ることの重奏」

2024-09-15 | 展覧会・アート のこと

お馴染み、東京都写真美術館エントランスのアプローチ。
ここはうつくしくてだいすき。行くたび写真を撮ってしまう。

『TOP コレクション 見ることの重奏』へ。

コレクション展って
いろいろ観れてすきなんだなぁ。

今回マン・レイとウィリアム・クラインの作品以外は撮影可。

ウジェーヌ・アジェ
 アジェの階段シリーズは以前やはりここのコレクション展で観てからすっかりファンに。

奈良原一高
[デュシャン/大ガラス]
なんか、刺さる。


寺田真由美[curtain]

今回一番惹かれたのはこのcurtainのシリーズの中の一枚。
切り取られ止まっているはずの過去の中に見える時間の流れ…。

いい写真に出逢えた。
ずっと眺めていたい一枚だったなぁ。

帰り路の恵比寿ガーデンプレイスの影写真。

写真展を観た後は、日常の中の影がより色濃く視えてくる感化されやすい体質です。笑
こちらもエントランス。

思い立ってアートでフル充電の午後でありました。
夕やけ写真で一日の締めくくり!



[昭和モダーン モザイクのいろどり]板谷梅樹の世界

2024-09-15 | 展覧会・アート のこと


『昭和モダーン モザイクのいろどり 板谷梅樹の世界 』
泉屋博古館東京

うつくしいモザイクにうっとり。
色合わせもめちゃ好み。

板谷梅樹氏は陶芸家板谷波山氏の御子息。
解説文によると、父波山の砕いた陶片の美しさに魅了されモザイク作品を創るようになったとのこと。
なるほど。なるべくして生まれた作家さんなのだなぁ。

それにしても梅樹氏は末っ子の五男、五人の息子が誰も陶芸家にならなかったというエピソードにも何だか感慨深いものがある。人生イロイロだなあ。

館内で上演されている日劇内にあったというモザイク壁画の映像も圧巻。
時代に翻弄される芸術作品…
なんとも物哀しいキモチ。こうして映像が遺されたのがせめてもの救いか。。


構図や色合わせをもっとじっくり観たくなって図録も購入。

初めて訪れた泉屋博古館。
行きは六本木一丁目下車。
空へと続くようなエスカレーターで上へ上へと上り、橋を過ぎるとシンプルな景観の建物が見えてくる。
残暑の強い陽射しに陰影の色濃いアプローチがとても美しい…。

帰り路は往きとは反対の神谷町駅へ。駅へと続く遊歩道の緑がとても美しい。
初めて歩く道は暑かろうが楽しいもの。

ココもホントに六本木かー?と思いつつ木々と空と高層ビルを見上げながら歩く。案内板によるとこの緑濃い遊歩道はスウェーデン大使館に隣接しているらしい。

時間に余裕があったので神谷町から恵比寿へ日比谷線で移動。
この後久しぶりの東京都写真美術館へ〜。





モノクロ/カラー

2024-09-14 | essay
空へ続くエスカレーター

モノクロとカラー

暑さが伝わるのは
案外モノクロのほうかも?
想像力が加わるからかな。

正午過ぎの六本木一丁目。
多分35℃くらい。

熱され続ける地球。
もう9月も半分なのにねえ。







折り紙とAha体験

2024-09-12 | essay

折り紙の本を見ながら折ることがとても苦手だったのに、最近克服しつつあるような気がする。

物心がついた頃から持っている「おりがみブック」
昭和44年の日付が母の文字で書かれている。
これがなかなかいい。
園で子どもたちに教えてあげたいシンプルで個性的な折り紙が色々載っているのだ。

いすとテーブル。
できたできた!
今度コレを教えてあげよう。

以前は複雑な折り方を見るだけでムズムズしちゃって拒否反応を起こしていたのに、脳が変化してきたのかな。
それとも年を重ねて短気が解消されてきたのか。

説明を理解して折り上がった時の「YES!」な気分がいい。
茂木さんの説く「Aha体験」はコレかな。
あ!こうするのか!と突然理解出来て脳がピカッと活性化されるような?

わたしの脳は脳トレを欲しているのかも。
こりゃ苦手だったあやとりにも挑戦しようかな〜!



終わらない夏

2024-09-11 | essay


熱風の夏空にスックと立つすすきの勇ましさよ!
頼もしい〜
9月も半ばになろうというのに35℃超えの日々。。
秋を連れてきておくれ〜


酔芙蓉の花。
ころんとした蕾の中にこのフワフワの花びらが収納されていると思うと⋯つくづく生命のふしぎを感じますねぇ。

ヨリミチ公園のわたしのすきな「ヨリミチ芙蓉さん」は
なぜか今年は成長が遅い。
いつもならわたしの背丈を越えるほど大きくなってあの薄ピンクのかわいい花を咲かせている頃のはず⋯。

やはりこの異常な暑さのせいなのか??

生き物たち。
めげずに生きて。



箍が外れる。実写版

2024-09-09 | essay
『タガが外れる』
実写版!

コトバとしては数知れず聞いたり言ったりしては来たけれど、目にするのは人生お初です。
箍ってホントに外れるんだ〜。貴重なシーン。
(でも板がバラバラにはならず?)

この後、夫が直しました

この桶は昔母にもらった手巻き寿司セットの酢飯を作るためのもの。
久しぶりに出してみたらいつの間にかこんなことに〜。

昔後輩に多賀くんという男子がいて、酔うとはっちゃけちゃうから「タガのタガ外れ」なんていじっていたもんだ⋯な〜んてことまで思い出してしまった。

人生、突然タガが外れるようなことはなかなか起きないもんだ。。

たまにはジブンで外してみるってのもアリかもね。笑





発見!はにわさんの謎

2024-09-07 | essay

常設展示のはにわさん達に
ご挨拶。

以前ひと目見てお気に入りになった「にっこりさん」は今は控え中みたい。

今回ずらりと並ぶはにわを眺めていて気付いたことがある!

皆さん総じてとても鼻が高い!!
縄文時代の日本人は皆さん鼻が高かったのかしら。
それとも高い鼻を持ちたいという希望的観測の賜物か。
埴輪は見るたびに新たな発見があり、沸々と知識欲が湧いてくる。

埴輪には家や馬、犬、などいろんな形がある。
犬も馬もこの頃からもうニンゲンには身近な生きものだったんだなぁ。

東京国立博物館、常設展示もたいへん見応えがあります!
大抵、特別展でおなかいっぱいになっちゃうんだけどね〜笑
それでも、ぐるりと観ることをお勧めいたします!
ツボる。このお方。



内藤礼「生まれておいで 生きておいで」

2024-09-05 | 展覧会・アート のこと

内藤礼
「生まれておいで 生きておいで」
東京国立博物館

インスタレーション作品が
館内の空間を取り込んで展示されている。

コトバを超えた内藤礼氏の世界観の時空間に暫し漂う。。。

展示品とその名前の間には
計り知れない思惑や考察が詰まっているのであろう。

例えば、まぶたという題名を作品番号を頼りに探してみると、糸につるされた小さな銀紙だったりする。
ゆるりと風が吹くたび小さな銀紙がひっそりと揺れて光るのだ。

まぶた。。。
(ココロの中でまぶた、まぶたと唱えるうちに、小川洋子氏の小説『まぶた』を思い出したりする。関係ないのに。)

ありのままにうけとめる。

そんな中、重要文化財の土製品なども作品としてぽつんと展示されている。
ただの土くれのようでいて、よく見るとそれは縄文時代の幼児(赤ちゃんかな)の足形である。
確かに存在したヒトの証。。。
土くれがずんと重みを増す。

自然光のもと、キラキラと光る硝子玉の展示もうつくしかったな。

内藤礼氏、わたしは「ひと」の作品で初めて出会って惹かれたせいか、どうもどこかに「ひと」が置かれてはいまいかとこころが勝手に探してしまう。

ひとりだけでも「ひと」が置かれていたならなぁ⋯
などとあの空間でひとり妄想していたのであった〜。

今回は近代建築物としての東京国立博物館も改めて堪能できた。
ひかり溢れる階段
開けたくなる古いドア
モスク建築を思わせる窓とタイル


今回庭園も初めて散策。

庭園の蓮池越しに眺める本館の姿。
こんなに大きな建物だったのねぇ。
雨上がりの晩夏の風を感じる庭園はなかなかの見応え。

秋の深まる頃もきっと素晴らしいことでしょう。

次回開催は「はにわ展」
これもたのしみ!




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