エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

リバイバルの雨 Part II

2015年09月19日 | 日記

聖書に記されている初代教会の記録は、普遍的な教会の真理として、私達が教会活動の基本にすべき事柄である。それには、その活動について深く知り、それに習う姿勢が必要だが、それはごくシンプルなことである。彼らが「ひたすら(口語訳)」、「堅く(新改訳)」、「熱心に(新共同訳)」にやっていた4つのこと。(2章42節)それは、「使徒の教え」、「交わり」、「パン裂き」そして「祈り」であった。

使徒の教え
新約聖書がなかった当時、人々は使徒たちを通してキリストの言葉(福音)を聞いていた。「教え」という言葉には、「ケリュグマ・布告」と「ディダケー・教える」の二つあり、それが、「行って、あらゆる被創物に福音を述べ伝えなさい(マルコ16章15節)」と、「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい(マタイ28章19節)」のキリストによる福音宣教命令である。

福音を宣べ伝えること(ケリュグマ)と、イエスの教え・弟子訓練(ディダケー)に専念する。教会では、様々な活動がされているが、先ず何よりもキリストの教え福音を学び、その福音を人々に宣べ伝える。それが教会の第一義的な存在意義である。

交わり
福祉、奉仕、ボランティアといった言葉自体が存在していなかった当時、現在、政府や自治体がしていることを、教会が行なっていた。そのことを可能にしたのは、教会の信徒たちが目に見えるものではなく、目に見えない信仰、使命、天国の宝を共有しており、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」という霊的な交わりがあったからに他ならない。

交わりという言葉はもともと「共有」という意味で、ここで大切なことは、「交わり」とは、まず、 神と私たちとの交わりがあってこそ、信徒同士・隣人同士の献身的な交わりが可能となるという事を忘れてはいけない。

パン裂き
洗礼と聖餐は、キリストが世の終わりまで、私たちに守り続けるようにと教えた礼典である。聖餐式とは、私たちのために身体を裂き、血を流されたイエスの十字架の愛を心に刻み込むこと。そこに表わされた罪の赦しを受け、その赦しを他の人に分け与えることによって、人々を救い導いて行くのである。

 「心を開いて私を受け入れるなら、わたしはあなた方と共に食事をするだろう」と、イエスが私たちを食卓に招いていてくださっているように、罪赦され、聖められ、キリストとの交わり中に入れていただき、その交わりの中で、キリストに養われ、満たされて行く。 真の礼拝と聖餐とは、 このようなキリストとの交わりを深めて行く行為なのである。(メッセージより抜粋)



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