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MFCオーナーのブログ

グレン・フライを悼む

2016年01月23日 23時54分24秒 | 時事・社会ネタ
今年は何かヘンだぞ。年明け早々にナタリー・コールが亡くなったと思ったら、いきなりデビッド・ボウイの訃報である。これだけでも十分ショッキングなのに、今度はグレン・フライである。もう呪われてるとしか思えん。なせ、こんなに続くのか。グレン・フライ、享年67才。潰瘍性大腸炎、関節リューマチ、肺炎などの合併症で帰らぬ人となった。慎んでご冥福をお祈り致します。

グレイ・フライ、今さら説明するまでもなく、あのアメリカを代表するバンド、イーグルスの(ドン・ヘンリーと共に)創始者であり、(ドン・ヘンリーと共に)メイン・ソングライターであり、(ドン・ヘンリーと並び)メイン・ボーカルである。要するに、イーグルスの中心人物だった訳だが、いちいち但し書きがついてるのでもお分かり頂ける通り、イーグルスはグレン・フライ一人のバンドではなく、ドン・ヘンリーとの双頭バンドであった。この二人で多くのヒット曲を世に送り出し、イーグルスは全米一のロック・バンドになったのである。つまり、この二人でイーグルスなのである。ということは、グレン・フライが鬼籍に入った今、イーグルスは40年以上の長い歴史に幕を降ろすのだろう。いつかはそういう日がやってくる。寂しいけれど、仕方ない。

僕がイーグルスを知ったのは、4作目のアルバム『呪われた夜』が出た頃(1975年)だと思う。タイトルだけだと、なんかおどろおどろしい印象だが、実はイーグルスはウエスト・コーストのバンドで、とてもさわやかで明るいらしい、という事を知ったのは、翌1976年2月の初の来日公演が評判になってからだ。この頃、確かイーグルスと前後してドゥービー・ブラザーズも初来日公演を行っており、時ならぬウェスト・コースト・ブームが巻き起こったような記憶がある。当時のウェスト・コーストを代表する2パンドの来日公演が続いたのであるから、無理もない話ではある。

そう、この頃は、イーグルスはウェスト・コーストを代表するバンドだった。来日公演の直後くらいに『グレイテスト・ヒッツ』が出て、FM等でよくかかっていて、僕のイーグルスに対するイメージもこのベスト盤によって植え付けられたと言える。とにかく、さわやかで軽やかで明るくて...確かに、「呪われた夜」とか「魔女のささやき」とか、やや暗めの曲もあったし、「いつわりの瞳」なんて、歌詞の内容は決して明るくもさわやかでもないのだが、でも、イーグルスはウェスト・コーストのバンドであって、明るくさわやかなのである。実際、イーグルスはそういうバンドだと思ってたし、そういうイーグルスが実は好きだったのも確かだ。あの『ホテル・カリフォルニア』が出るまでは。

ま、とにかく、『ホテル・カリフォルニア』は凄かった。確かに良いアルバムなのだが、『グレイテスト・ヒッツ』までのイーグルスとは違う、陰鬱なムードがアルバム全体を支配していた。タイトル曲が大ヒットし、21世紀を四半世紀過ぎた今でもなお、洋楽のウルトラ・スタンダード・ナンバーとして認知される名曲になってしまった訳で、それくらい話題になり売れたのである。猫も杓子も「ホテル・カリフォルニア」。イーグルスはウエスト・コーストどころか、アメリカン・ロックを背負って立つバンドになった。そして、そこからイーグルスの転落は始まっていたような気がしてならない。

『ホテル・カリフォルニア』が出た当初、僕もテープに録音して貰って、このアルバムを毎日のように聴いてた。それまでのイーグルスとは違うような気はしてたけど、間違いなく良いアルバムではあった。けど、何度も聴いてるうちに、加えて、それ以前のアルバムも後追いで聴くようになって、ある事に気づいた。そして、『ホテル・カリフォルニア』に違和感を感じるようになった。その違和感とは....

『ホテル・カリフォルニア』には、グレイ・フライが歌う曲が一曲しかない。

何度も聴くまで気づかなかったのか、と言われてしまいそうだが、実際そうだったのだ。僕は、自分では気づいていなかったけど、実はドン・ヘンリーよりグン・フライの方が好きだったのだ。そして、明るくさわやかなイーグルス、というイメージは、僕にとってはグレイ・フライが体現していたのである。

それに気づいて以降、イーグルスに対するスタンスは間違いなく変わった。『ホテル・カリフォルニア』の後を受けて、難産の末生まれたアルバム『ロング・ラン』を聴いた時、その思いは一層強くなった。そして、『ホテル・カリフォルニア』の呪縛から解き放たれる事のないままイーグルスが解散すると、僕の興味はグレン・フライの動向にしかなかった。

という訳で、僕にとってはイーグルスはグレイ・フライなのであり、ソロに転じてからはグレン・フライはフェイバリット・ミュージシャンとなった。アルバムは一通り聴いてたし、確か1992年と記憶しているが、ソロでの来日公演にも行った。ソロになってからのアルバムは名盤揃いだ(『ストレンジ・ウェザー』を除く)。ドン・ヘンリーも、そういや何かやってたねぇ、って感じ(笑)

90年代に入って、イーグルスが再結成されると、自然とグレイ・フライに対する関心も薄れていった。ここ20年くらいのグレン・フライは、イーグルスという優良企業の経営者みたいにしか見えなかった。

そんな訳で、突然のグレン・フライの訃報はショックだった。いつかはこういう日が来る。分かってはいるんだけどね...

先日、蕨のHONEYFLASHでのクイーン・セッションで、「ホテル・カリフォルニア」が演奏されたのだが、奇しくも追悼のような感じになってしまった。あの時点では、もちろん訃報は入ってなかったのだが。

という訳で、イーグルスのアルバムを一枚選ぶなら『オン・ザ・ボーダー』か『呪われた夜』、一曲というならこれかな。

https://www.youtube.com/watch?v=QtmAHq0TKHI

ソロになってからも名曲はたくさんあるが、一曲というならこれ。

https://www.youtube.com/watch?v=qmV9vk2950o

グレン・フライよ、安らかに。僕は貴方の事を決して忘れません。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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Unknown (aki)
2016-01-24 17:32:12
>『ホテル・カリフォルニア』には、グレイ・フライが歌う曲が一曲しかない。

そうか。考えたこともありませんでした。っていうか誰が何曲とかってあまり考えたことありませんでしたけど、グレンが一曲だけっていうのはちょっと寂しい気はしますね。
イーグルスの持つそこはかとない暗さは確かにドン・ヘンリーを思い浮かべるし、対極には「陽」のイメージjのグレン・フライがいて、そこらへんでバランスが取れていたのかなぁ、というかんじもします。
あと、初期のカントリーテイストの音にグレンの声がすごくマッチしていたようにも思います。”ピースフル・イージー・フィーリング”とか”テキーラ・サンライズ”とか。癒される系な声ですよね。
本当に残念です・・・今でも信じられない。
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「過ぎた事」も良いです (MFCオーナー)
2016-01-24 21:18:34
♪akiさん

>誰が何曲とかってあまり考えたことありませんでしたけど
元々、ドン・ヘンリーとのツイン・ボーカル体制ですし、他のメンバーも歌える人ばかりでしたから、グレイ・フライが歌う曲というのは、各アルバムに2~3曲しかないのですが(笑)、『ホテル・カリフォルニア』はちょっと極端に感じました。ほとんどの曲の作曲に関わってるんですけどね。

>初期のカントリーテイストの音にグレンの声がすごくマッチしていたようにも思います
同感です。逆に言うと、『ホテル・カリフォルニア』にはその手の曲がほとんどないのです。そこが不満でもありました。

>今でも信じられない
全くもって同感です。合掌。
返信する
Unknown (かがみ)
2016-01-24 22:44:07
12年に出したカヴァーアルバムが最後になってしまいましたね(´・ω・`)
もう少しソロ出して欲しかった。
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最後のアルバム (MFCオーナー)
2016-01-24 23:35:08
♪かがみさん

>12年に出したカヴァーアルバムが最後になってしまいましたね
スタンダード曲中心のアルバムだったかと記憶してます。ポール・マッカートニーのもそうでしたけど、ルーツに帰る的な意味合いがあったのでしょうか。

>もう少しソロ出して欲しかった
これまた同感です。1992年の『ストレンジ・ウェザー』以来、オリジナルのソロ作は作ってませんよね? イーグルス再結成してからは、そっちに専念してて、ちょっと物足りなく思いました。合掌。
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