日々の覚書

MFCオーナーのブログ

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2009年06月17日 23時12分36秒 | 与太話

ロックコンサートのダイゴ味

趣味についてといっても、他人様に胸を張って言えるような趣味を何一つ持っていない私としては、何を書けばいいのか非常に迷ってしまう。しかし、プライベートでは部屋にいても、車を運転していても、音楽が流れていないと落ち着かないという位の音楽好きである。音楽といっても色々あって、演歌と民謡以外なら一応何でも聴くのだが、主として、いわゆる外国のロック系を好んで聴く。この手の音楽はレコードで聴くのも良いのだが、コンサートでの、生の音の接した時の感動も捨て難い。今までにいくつかのコンサートを観に行ったが、その中でも特に印象に残ったものを書いてみたいと思う。

生まれて初めてロック・コンサートを観に行ったのは、忘れもしない昭和五十三年四月四日、日本武道館での“フォリナー”の初来日公演である。その日はちょうど、高校の入学式の前日だった。当時は武道館へどうやって行ったらいいのか分からず、結局、東京駅から四十五分程歩いて行った。初めて経験するロックコンサートには圧倒されっ放しで、観客の数、音の大きさ等、驚きの連続であった。何より演奏自体が大変素晴らしく、それ以来、私にとって“フォリナー”は非常に思い入れのあるバンドとなった。レコードは新しいのが出ると必ず買い、全て揃えて現在でもよく聴いている。

この“フォリナー”よりも前から聴き続けてきて、それ以上に思い入れの深いのが“クィーン”である。その“クィーン”のコンサートを初めて観たのが、昭和六十三年四月二十五日であった(於日本武道館)。

以前にも五回程来日していたが、一度も観ることができず、それだけにこの時の感激は今でも忘れられない。ステージで演奏している彼らを見つめているだけで、目頭が熱くなった。それまでで一番感動的な「ボヘミアン・ラプソディ」だった。当時、解散説が飛びかっていた“クィーン”だが、まだまだ現役として頑張っている。あれ以来来日公演はしていないが、そろそろ来てほしいものだ。もちろん、会社を休んででも観に行くつもりである。

ステージと客席とが、一体になって盛り上がるのがコンサートの醍醐味だが、その味を一度知ってしまうとなかなか抜け出せないものだ。ところがここ数年、違和感を感じることがある。コンサートに集まる客の平均年齢が下がった、というより自分が年をとってしまったのである。かつてのロック少年も今や背広にネクタイのサラリーマンで、連中よりはるかに年上なのである。その事を思い知らされたのが平成元年七月三日の“フェンス・オブ・ディフェンス”のコンサートだった(於渋谷公会堂)。会場に着いてみると、客のほとんどは高校生とおぼしき女の子ばかりで、会社の帰りに行った私はひたすら浮きまくっていた。しかも、演奏が始まるとすかさず席を立って踊り出したのである。ディスコじゃあるまいし、というよりこんな音楽でよく踊れるなあ、とあきれてしまった。我々の世代とは楽しみ方が違うのだろう。それはそれでいいのだが、背広姿だと肩身が狭いというのは困ったものだ。

その点、去年観た“ローリング・ストーンズ”と、今年やって来た“ポール・サイモン”は良かった(前者は平成二年二月二十七日、後者は平成三年十月十二日、共に場所は東京ドーム)。コンサート自体質の高いものだったし、観客も比較的年齢層が高く、落ち着いた感じだった。ストーンズは三十年近いキャリアにもかかわらず、初来日ということで歴史的瞬間に立ち会えたという気がしたし、ポール・サイモンは思ったより躍動感のある演奏が若々しく、アンコールでやった「アメリカ」には泣けた。どちらも大変満足のいくものだった。もっと私と同世代以上の人達もコンサートに足を運ぶようになってほしいものだ。

今後も、可能な限りコンサートを観に行きたいと思う。今年暮れにジョージ・ハリスンが来日するので、是非観に行きたい。エルトン・ジョンとかポール・ロジャースとかも来日しないだろうか。来日公演が実現すれば、必ず観に行くだろう。しかし、大した趣味もない私だが、音楽からは一生逃れられそうにない。

PS.中日が優勝していたら「日本シリーズ観戦記」なんてものを書きたかったな。

さて、いきなりで何だが、↑の文章は平成三年つまり1991年要するに今を去ること18年前に、我が社の社内報に掲載されたものだ。もちろん、僕が書いた(笑)。かつて、うちの会社でも、年に3~4回社内報が発行されていて、その中に「MY HOBBY」というコラムがあり、社員が変わりばんこにあれこれ書いていたのである。皆それぞれに趣味があり(当たり前だ)、蝶の標本作りとか競馬とか釣りとか、様々な趣味が紹介されていた。で、ある時、僕に順番が回ってきたので、音楽ネタで攻めてみたという次第(笑)。ちなみに、この社内報だが、現在では発行されていない。バブル崩壊後に、経費削減ということで廃止されてしまった。

それにしても、↑の文章だが、なんというか、今とほとんど変わってない(爆)。この頃既に、「フォリナーの初来日」と「クイーン最後の来日」を観た、というのをネタにしてるし(爆)。もちろん、これを書いた時はフレディは存命だったが(たぶん、10月頃に書いたはず)、掲載されたのは12月で、文末に“クィーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリー氏は、十一月二十四日、エイズのため他界されました。心よりご冥福をお祈りいたします”と加筆されている。僕ではなく、社内報編集の人が書いたのだ。ちなみに、この社内報の編集は外部の広告代理店が手掛けており、そこの担当者は僕の原稿を読んで、「自分もロック大好きなんですよぉ~、ストーンズのチケット持ってたんですけど、仕事で行けなくてねぇ~、いやぁ惜しいことしました」なんて電話してきた(笑)。そして、その人の発案で、文章と共に『ダブル・ビジョン』『クイーン・ライブ・キラーズ』『ラブ・ユー・ライブ』のジャケ写も掲載されたのである。

なんで今さらこんなものを、と思うでしょうが、ある人の机の上に昔の社内報が乗っていて、懐かしいな、よくこんな古いもんが残ってたもんだ、と思って見てみたら、丁度自分の原稿が掲載された号だった、というわけ。ある人というのは、うちの若い女子社員で、間違いなく、フォリナー初来日の頃には生まれてなかっただろう(爆)。下手すると、クイーン最後の来日の頃でも生まれてなかったかも(爆爆)。怖いんで、そこいらは確認してないけど(爆)

という訳で、僕という人間は18年前と全く変わってないのだなぁ、というのがよ~く分かった(笑)。変わってない、というのは「進歩がない」のか「この時点で既に確立されていた」のか。まぁどっちでもよろしいが、若き日のMFCオーナーを知る貴重な資料であるのは間違いない(違うって)。

コメント (12)
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