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MFCオーナーのブログ

追悼:阿久悠

2007年08月02日 22時19分40秒 | 音楽ネタ

ご存知の人も多いだろうが、昭和歌謡界最大のヒットメーカーとして知られる、作詞家の阿久悠氏が昨日亡くなった。享年70歳。尿管癌だそうだ。

また一人、昭和を象徴する人が亡くなった。謹んで冥福をお祈り致します。

僕が歌謡曲に興味を持ち始めた1970年代半ば、というか昭和40年代終わり頃には、阿久悠は既にヒットメーカーとしての地位を確立していた。好むと好まざるとに関わらず、彼の曲(歌詞)は自然と耳に入る環境だったのだ。でも、子供心にも、“阿久悠ならでは”みたいな歌詞は少なかったように感じていた。「えっ、これも阿久悠なの?」というのは、たくさんあったけど。

阿久悠で思い出す話があって、中学の頃の友人が、阿久悠が書いた「作詞入門」みたいな本を持ってて、借りて読んだ事がある。作詞法をレクチャーした本というより、詞を書く時の自身の経験や思い出を書いたような感じで、内容はほとんど忘れているが、その中で強烈に覚えているのがある。当時の僕は知らなかったけど、阿久悠のヒット曲に「白い蝶のサンバ」というのがあり、その出だしの歌詞“あなたに抱かれて私は蝶になる”という部分が、発売当時かなり話題になった、というか物議を醸したらしい。阿久悠本人によると、「意味が分からない」という声が圧倒的だったそうな。「蝶になる、ってどういう事よ。説明してよ」と、会う人ごとに言われたとか。ただ、そんな周囲の反応を見て、阿久悠は「この曲はヒットする」と確信したそうな。で、その通り、大ヒットとなった。

阿久悠曰く、きちんと情景が描写された歌詞もいいが、抽象的で意味不明な歌詞だと、何が言いたいのか、と聴く人の興味をそそるのだそうだ。で、その歌詞について考えているうちに、曲が頭から離れなくなり、結局買ってしまうのだとか。これだけだと、「ふ~ん、なるほどねぇ~」で済んでしまうのだが、僕が凄いと思ったのは、阿久悠がこの「あなたに抱かれて私は蝶になる」という歌詞を狙って書いた、と言っていた事だった。ヒットするという確信のもとに、いや、ヒットさせるために書いたのだ、と本人が断言してるのだ。ヒットした後だから、何でも言えるよ、とは思うけど、この人は本気だったような気がする。「阿久悠って、プロ(職人)なんだ」と、僕は強烈に感じたのだ。

そう、彼の作品はいずれも「プロ(職人)」の作品なのだ。歌い手のイメージを損なう事なく、大衆にアピールする歌詞を書いてヒットさせる。正しくプロの仕事。彼の作品はどれも、ひたすらそんな“プロ意識”に貫かれていた。個人的な思いや感情、独りよがりな技巧等は一切感じられない。阿久悠は“表現者”ではなく、“プロの作詞家”に徹していた。彼のすごさはそこにある。

ただ、そんな“プロ意識”が強すぎて、僕は阿久悠の歌詞に感情移入する事はなかった。好きな曲はあるけど、歌詞が好きかというと、ちょっと違うような気がしていた。「いい歌詞だなぁ」と思う事もあったけど、冷めていたような気がするのだ。分かりますか、この感じ(笑)

とはいえ、今にして思うと、実に素晴らしい歌詞、と絶賛したくなるのもある。何故か演歌系だったりするのだが(笑)、「津軽海峡冬景色」とか「北の宿から」なんて、本当に素晴らしい。正にプロの仕事(やや論旨が変わってるけど、気にしないように)。

昭和のヒットメーカーとしてのなんて欲しいままにした阿久悠であるが、1980年代から徐々に名前を見かける事が少なくなっていった。本人が小説を書き始めた、というのもあるだろうが、音楽に関しては購買層が低年齢化し、底辺が拡大した事により、完璧なプロの仕事より、素人でも自身で表現する事をもって良しとする風潮になっていたのが、大きな理由だろう。アマチュアリズムにリアリティを求める時代になったのだ。それは決して悪い事ではない、しかし、現状を見ていると、“プロの仕事”も随分変わったもんだ、と皮肉を込めて呟くしかない。

阿久悠・・・単に作詞をする事を生業としているという意味だけでない、本当の“プロの作詞家”だった。今、こういう仕事をする人が、一体何人いるのだろうか?

コメント (13)
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