おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
「体罰の心理的弊害」シリーズの第4回目です。
今までの3回は、次のとおり書いています。
第1回目
第2回目
第3回目
今回は、体罰を受ける側から体罰の心理的弊害について考えてみることにしましょう。
このことは、
1月12日付けブログ 体罰のもたらすもの ― 大阪市立桜宮高校体罰事件を巡って(1)
1月13日付けブログ 体罰のもたらすもの ― 大阪市立桜宮高校体罰事件を巡って(2)
にも書いてありますので、そちらをご参照いただくとして、次の文章だけ目を通してください。
小学校4年生の1年間はまるで地獄でした。楽しいこともあったでしょうが、まったく覚えていません。
子ども心に「いつか復讐してやろう」というような気持ちも芽生えていました。反動で私は、小学校5年生から6年生の頃は、教師の手に負えない問題児になっていたようです。
ここからが私の小学校5年生の、担任がM先生(女性教諭)に代わってからのエピソードに移ります。
私は、学校で1~2を争う問題児になっていました。冬の時期にクラスのA君の椅子が壊れて、その椅子をA君を含む4人が薪と一緒にその椅子をストーブにくべてしまいました。私もそのことに加担していました。
そのことを知ったM先生は、隣のクラスのS先生(私の小学校の4年生の時の暴力教師)を呼び、代わりに体罰を振るってもらう場面がありました。
「誰がやったんだ!」とS先生。4人が手を挙げ、廊下でA君から往復ビンタが始まりました。ビンタの数は、おそらく1人当たり10発は超えていたでしょう。1人あたり数分に及ぶ体罰。
小学校5年生の友人が廊下にぶつかる音、壁に当たる音が聞こえます。
児童は、廊下に目をやることもできず、息をひそめて、音におびえていました。
2人目のB君になって何発目かのビンタの時、私は決断しました。
「俺の番になったら、ただやられるのでなく、やり返そう」と。
幸い体格は、5年生にしては大きい150センチ近くになっていました。
家では、兄たちに相撲、柔道、ボクシングで鍛えられていました。
でも、ボクシングでも勝てないかもしれない。その時は、禁じ手を使おう。
S先生の急所を狙ってケリを入れるのだ。どんなに殴られてもやり返そう。
4年生で受けた体罰に復讐する絶好の機会だと思った。
3人目のC君の何発目かでチャイムが鳴り、廊下を児童、教師が通るようになり、S先生の体罰は終わり、私が犠牲になることは免れました。
その日からほどなく、私は、M先生を困らせる大問題児になりました。注意欠陥多動性障害(ADHD)特有の行動が拍車をかけました。
以上のエピソードは、体罰を許容する心理と何の関係もないように思われるかもしれません。
しかし、今になって考えてみれば、児童が一致団結して、M先生とS先生に「やめて!」と大声を出すか、体を張るか、別のクラスの先生のところに飛んで行く方法もあったかもしれません。
怖いとか、またやられるとか、いろいろな心理が働きます。
しかし、困難の極みに発揮する活力、それが
勇気
です。
「仕方がない」と体罰を許してしまうのは、臆病です。
普段は臆病者でもいいのです。
しかし、ここ一番というときには「勇気」を発揮するのです。
体罰を横行させてはならないのです。
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