おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
毎週土曜日は原則として私がかつてヒューマン・ギルドのメール・マガジンに書いてきたことをもとに「男と女の心理学」シリーズで進めています。
今回は、そのシリーズの3回目です。
なお、1回目、2回目をご覧になりたい方は下記をクリックしてください。
1回目
2回目
2011年4月7日ヒューマン・ギルドの「勇気の伝道」コラム 第6号
岩井俊憲の「愛と結婚についてのケース・スタディ」(5)
―「ある国際結婚」(国際結婚をした夫婦のケース)
彼女には、夫の友人で大嫌いな人がいた。
それでも夫がその友人を家に招待するときは、辛抱して歓待した。
しかし、とうとう耐えられなくなって、ある時、夫に対してあの人は大嫌いなのだと言ってしまった。
夫は黙って聞いてくれていたので、彼女の気持ちは伝わったものと思っていた。
ところが、夫はしばらくして例の友人を伴って帰宅した。
彼女は、自分の気持ちをまったく無視されたので、立腹して離婚したいと言った。
これに対して、アメリカ人の夫は彼女の愛情をこそ疑うと言い出した。
友人を嫌いなのだったら、そう言うのはいい。
しかし、その後で夫としては彼をどう思うのかを聞き、それだったら、あなたの友人を連れてきてもいいが、その時には、自分は接待しないとか、あるいは、1カ月に一度くらいなら我慢するとか、2人でいろいろと妥協点を見出すようにするのが愛情のある行為である。
それを、彼を嫌いだと言いっ放しにしてしまうだけでは愛情がない、というわけである。
上の文章は『対話する生と死―ユング心理学の視点』(河合隼雄、だいわ文庫)からの引用です。
文章を読んで、あなたはどのように感じますか?
結婚生活に限らずこのようなことはあなたの身近に起きていませんか?
「あの人は大嫌いなのだ」と言いながらも、その言葉を無視された妻の立場に立ってみてどう思いますか?
次に、夫の立場に立って「大嫌い」と言いながらも具体的に「こうしてほしい」と言わない妻のことをどう思いますか?
夫婦間のこのような問題を解決するならあなたならどうしますか?
2011年4月14日ヒューマン・ギルドの「勇気の伝道」コラム 第7号
岩井俊憲の「愛と結婚についてのケース・スタディ」(6)
―「ある国際結婚」についてのコメント
前回は『対話する生と死―ユング心理学の視点』(河合隼雄、だいわ文庫)から引用した国際結婚をした日本人の妻とアメリカ人の夫のケースを紹介しました。
かいつまんで要点をお伝えすると、夫(アメリカ人)が家に連れてくる友人のことについて妻(日本人)が「大嫌い」だと夫に言ったのに、夫が相変わらず家に連れてくることを巡って離婚に発展しそうになったケースでした。
このケースに関する著者の河合隼雄氏のコメントは、次の3つのポイントにまとめられます。
1.日本人の妻は、「嫌だ」と言葉に出して言うのを「最後通告」と考えているのに対して、アメリカ人の夫は、それを「話し合いの始まり」として理解しているところである。
つまり、ここで「言語化」することに対する、根本的な態度の変化が見られるのである。
2.日本人は、黙って耐えて「言語化」するのは最後通告であり、それを言ったからには、それに至るすべてのことを相手が「察して」行動する(夫はその友人をもう連れてこない)ことを期待しており、それを破るときは、愛情の破綻を意味していると考える。
3.アメリカ人の夫は、「言語化」を始めたなら、それを続け、2人で討論することによって解決なり妥協点を見出す努力をすることを期待しており、それを続けないのは愛情がないからだと判断するのである。
コミュニケーションには、2つの要素があります。
コンテンツ(内容)とコンテクスト(文脈、状況、背景)です。
言語化して伝える内容がコンテンツ、状況や相手の表情など言語化されていないものから察するのがコンテクストです。
欧米と日本とでは、コミュニケーションでの力点の置き方が違います。
今にも残る傾向・文化として、欧米は、話し合って構築する文化=「ハイ・コンテンツ/ロー・コンテクスト」であり、日本は、察することを求める文化=「ハイ・コンテクスト/ロー・コンテンツ」です。
このことは、国家間だけでなく個人間にも見られます。
「ハイ・コンテンツ/ロー・コンテクスト」を重視する人もいれば、「ハイ・コンテクスト/ロー・コンテンツ」で察してほしい人もいるのです。
「ハイ・コンテンツ/ロー・コンテクスト」の人から論理で迫られると、「そこまでうるさく言わなくてもいいじゃないの」と言いたくなりますし、「ハイ・コンテクスト/ロー・コンテンツ」の人には「言葉にしなくちゃわからないじゃないの」とイライラすることがあります。
ただ、私たちは生まれも育ちも受けた教育も違うのですから、言葉を用いて個性や考え方の違いを違いとして認めた上で話し合わなければ相互理解が成り立ちません。
その意味でも私は、次の言葉を幸せな結婚を求める人に残します。
「すべての結婚は国際結婚だと心得るべし」
<お目休めコーナー> 4月の草花(6)
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