goo blog サービス終了のお知らせ 
アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日(5月10日)は、アドラー心理学ベーシック・コースの平日コースを10:00~15:00にヒューマン・ギルド研修室で行っていました。

少人数でも女性が揃うと、討議が活発になります。

私は、とっておきのレストランに受講者をご案内しました。

ヒューマン・ギルドから江戸川橋に向かって左側の Piatti ”CASTELLINA” でした。

コース料理にコーヒーがついて1,150円にみんな驚いていました。


さて、1週間飛ばしてしまいましたが、「男と女の心理学」のシリーズの第7回目です。

1回目から6回目をご覧になりたい方は下記をクリックしてお読みください。

1回目
2回目
3回目
4回目
5回目

6回目


2011年5月26日ヒューマン・ギルドの「勇気の伝道」コラム    

岩井俊憲の「愛と結婚についてのケース・スタディ」(13)  
 ―「理解しない夫、失望する妻」(1)

以下のケースは、私の著書『こころの壁を乗り越える生き方の知恵』(ビジネス社)の第5章「家庭と地域を見直そう」からの転載です。

天気がよい2月のある日。稔は縁側に出て、日向ぼっこをしながら新聞を読んでいた。
今日も経済面が気になる。暗いニュースについ愚痴が独り言として出てしまう。



「まったく・・・・・」

稔は58歳。会社では経理部長を務め、後1年余で定年退職になる。
一人娘の早苗の結婚式をつい1週間前に終えたばかり。
公私ともにもう少しで「やれやれ」と言えそうなところである。

妻の淳子は、「ここにお茶を入れましたからね」と言って庭に出るが、稔からは感謝の言葉もなければ、全くなんの反応もない。
新聞に目を通したままである。

淳子は、庭先の梅の木を見ながらこう言った。

「あら、梅がきれい。あなた、見てごらん」
「くだらんことを言うな。梅と日本経済とどういう関係があるんだ!」

稔から返ってきた反応は、淳子を大きく失望させた。そして、淳子のある決断を後押しさせた。

あなたは、梅の情緒がわからず、日本経済のことにしか関心が向かない稔のことをどう思いますか?
「くだらんことを言うな」と言われた淳子の立場からすると、どう感じますか?
淳子のしそうな決断は何でしょうか?


2011年6月16日ヒューマン・ギルドの「勇気の伝道」コラム  
岩井俊憲の「愛と結婚についてのケース・スタディ」(14)
  ―「理解しない夫、失望する妻」(1)についてのコメント

前回のケースは、一人娘の結婚式をつい1週間前に終えたばかりの、あと1年余で定年退職になる稔(58歳)と妻の淳子の話でした。

庭先の梅の情緒もわからず、日本経済のことにしか関心が向かず、お茶を入れても感謝の言葉がない夫に、妻は愛想が尽きそうです。

私はかなり誇張して書きましたが、一部このタイプの男性(いわゆる「会社人間」)が存在します。
家のことは妻に任せきりで、全人格から会社を除くと何もなくなってしまう男性です。
妻の淳子の立場からすると、娘の結婚までは我慢に我慢を重ねていましたが、夫婦でいなければならないのは、その時までかもしれません。
すでに実体は「冠婚葬祭夫婦」になっていたのです。

アドラーはよく夫婦の協力や夫婦間の平等を言っていましたが、この夫婦には協力も平等も無縁です。

「あら、梅がきれい。あなた、見てごらん」と言ったのに対して、「くだらんことを言うな。梅と日本経済とどういう関係があるんだ!」と返ってこようものなら、今後の結婚生活をあと何十年も続けることは、妻にとって苦痛なだけです。夢も希望も持てなくなります。

(注)『こころの壁を乗り越える生き方の知恵』では、妻が夫の稔に離婚を言い出す設定にしています。


<お目休めコーナー> 5月の草花(9)

 

人気ブログランキングへ
(クリックしてね)



コメント ( 0 ) | Trackback ( )




おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日(4月27日)は、金沢で石川県庁の職員27名を対象とした新任課長補佐研修を行っていました。

石川県庁で撮った写真はこれ。

研修終了後は、軽い夕食を済ませ、高速バスで小松空港に。


(金沢駅西口)

最終便の飛行機の出発が30分ほど遅れたため、家に着いたのは23:00近くになりました。

世間は今日からゴールデン・ウィークですが、私は連働の日々になり、大木の人たちが休んでいる日に働いていることになります。



さて、「男と女の心理学」のシリーズの第6回目。

1回目から5回目をご覧になりたい方は下記をクリックしてお読みください。

1回目
2回目
3回目
4回目
5回目

 
2011年5月26日ヒューマン・ギルドの「勇気の伝道」コラム 第12号      

岩井俊憲の「愛と結婚についてのケース・スタディ」(11)  
―「男のやさしさ」

典子は、優一の頼んだコーヒーに、いつものようにシュガー・ポットから砂糖を入れました。このやり取りは、新婚当時以来いまだに変わりません。
「調子はどうなの?」。優一は、典子の健康を気遣います。

この2人、実はもはや夫婦ではありません。しかし、月に2-3回は、2人が独身時代によく行っていた喫茶店で落ち合います。

離婚を言い出したのは、典子の方でした。予備校講師の仕事でブレイクした彼女は、家庭との両立が難しくなり、優一に離婚を申し出て、受け入れられたのです。

離婚後の典子は、気分の変動が激しく、薬を大量に飲んだり、号泣したり、寂しさを訴えたりすることがあります。
優一は、その度に花束を持って典子の部屋を訪ねたり、相談に乗るために喫茶店に出向いたりします。

さらに優一は典子のために、部屋が陰気だからと明るい色のカーテンに替えてあげたり、地デジ対策用にテレビを買い換えたりしてあげています。

さて、あなたは、やさしさに満ちた優一のことをどう思いますか?
また、離婚しても優一を頼り続ける典子のことをどう思いますか?


2011年6月2日ヒューマン・ギルドの「勇気の伝道」コラム 第13号 
岩井俊憲の「愛と結婚についてのケース・スタディ」(12)
―「男のやさしさ」についてのコメント

このケースに対して、ヒューマン・ギルドの プレミアム会員 の方々からさまざまな意見が寄せられました。かいつまんでお伝えします。

Tさん(女性):
これは優しさというよりも「ご機嫌とり」に近いかも。
(優一は)離婚した妻に執着する必要はない。あなたはいらないと言われたも同様できっぱりと腐れ縁を切るべき。
(優一に)「目を覚ませ!!」と私は言ってしまうことだろう。
妻の典子は、「自分に都合のいい男」として優一を利用しているだけ。自分の都合で自分から離婚を申し出たなら、自力でやりなはれ!

Hさん(女性):
優一は、自分が必要とされることで「やっぱりなんだかんだ言って、あいつは俺がいなきゃだめなんだ」と満足している。
それにより、典子に一方的に離婚を言い渡された優一のプライドは保たれる。
典子は「黒か白か」「0か100か」の極端思考の持ち主。
優一を利用しているという意識はないが、巧妙に優一を操作している。
そんな優一の存在に、典子のプライドもまた保たれる。
ということで、持ちつ持たれつの関係かと考えます。

Kさん(男性):
典子はいわゆる「成功」を自己理想としていて実際にそうなった。
優一は「非主張的」な人。離婚を受け入れてしまうくらい。草食系。現代の女性、男性のある種の典型のように思えます。
喫茶店で会うのは典子さんから言い出しているのかな?
夫婦カウンセリングを受けるとても良いタイミング。
結婚観を2人で再構築したほうがいい。

さて、私の考えです。

優一は「アホ」だと思います(ちょっとキツイかな)。
離婚した典子に援助的な姿勢を示せば示すほど、典子を依存的にさせ、そうしながらも自分自身の喜びを味わっているのです。
気分の変動が激しく、薬を大量に飲んだり、号泣したり、寂しさを訴えたりする典子を抱え込むことはできません。
すぐにも精神科医かセラピスト(アドラー派の)に相談させるべきです。
典子も離婚したならば、物理的・経済的だけでなく心理的にも自立が求められるのです。
これが生きる上での現実です。

人気ブログランキングへ
(クリックしてね)



コメント ( 0 ) | Trackback ( )




おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

毎週土曜日は原則として私がかつてヒューマン・ギルドのメール・マガジンに書いてきたことをもとに「男と女の心理学」シリーズで進めています。
今回は、そのシリーズの3回目です。

なお、1回目、2回目をご覧になりたい方は下記をクリックしてください。

1回目
2回目

2011年4月7日ヒューマン・ギルドの「勇気の伝道」コラム 第6号      
岩井俊憲の「愛と結婚についてのケース・スタディ」(5)  
―「ある国際結婚」(国際結婚をした夫婦のケース)

彼女には、夫の友人で大嫌いな人がいた。
それでも夫がその友人を家に招待するときは、辛抱して歓待した。


しかし、とうとう耐えられなくなって、ある時、夫に対してあの人は大嫌いなのだと言ってしまった。
夫は黙って聞いてくれていたので、彼女の気持ちは伝わったものと思っていた。
ところが、夫はしばらくして例の友人を伴って帰宅した。
彼女は、自分の気持ちをまったく無視されたので、立腹して離婚したいと言った。 


これに対して、アメリカ人の夫は彼女の愛情をこそ疑うと言い出した。
友人を嫌いなのだったら、そう言うのはいい。

しかし、その後で夫としては彼をどう思うのかを聞き、それだったら、あなたの友人を連れてきてもいいが、その時には、自分は接待しないとか、あるいは、1カ月に一度くらいなら我慢するとか、2人でいろいろと妥協点を見出すようにするのが愛情のある行為である。
それを、彼を嫌いだと言いっ放しにしてしまうだけでは愛情がない、というわけである。

上の文章は『対話する生と死―ユング心理学の視点』(河合隼雄、だいわ文庫)からの引用です。 

文章を読んで、あなたはどのように感じますか? 
結婚生活に限らずこのようなことはあなたの身近に起きていませんか?
「あの人は大嫌いなのだ」と言いながらも、その言葉を無視された妻の立場に立ってみてどう思いますか?
次に、夫の立場に立って「大嫌い」と言いながらも具体的に「こうしてほしい」と言わない妻のことをどう思いますか?
夫婦間のこのような問題を解決するならあなたならどうしますか?

対話する生と死 (だいわ文庫)
河合隼雄
大和書房


2011年4月14日ヒューマン・ギルドの「勇気の伝道」コラム 第7号      
岩井俊憲の「愛と結婚についてのケース・スタディ」(6)  
―「ある国際結婚」についてのコメント

前回は『対話する生と死―ユング心理学の視点』(河合隼雄、だいわ文庫)から引用した国際結婚をした日本人の妻とアメリカ人の夫のケースを紹介しました。
かいつまんで要点をお伝えすると、夫(アメリカ人)が家に連れてくる友人のことについて妻(日本人)が「大嫌い」だと夫に言ったのに、夫が相変わらず家に連れてくることを巡って離婚に発展しそうになったケースでした。
このケースに関する著者の河合隼雄氏のコメントは、次の3つのポイントにまとめられます。

1.日本人の妻は、「嫌だ」と言葉に出して言うのを「最後通告」と考えているのに対して、アメリカ人の夫は、それを「話し合いの始まり」として理解しているところである。
つまり、ここで「言語化」することに対する、根本的な態度の変化が見られるのである。

2.日本人は、黙って耐えて「言語化」するのは最後通告であり、それを言ったからには、それに至るすべてのことを相手が「察して」行動する(夫はその友人をもう連れてこない)ことを期待しており、それを破るときは、愛情の破綻を意味していると考える。

3.アメリカ人の夫は、「言語化」を始めたなら、それを続け、2人で討論することによって解決なり妥協点を見出す努力をすることを期待しており、それを続けないのは愛情がないからだと判断するのである。

コミュニケーションには、2つの要素があります。
コンテンツ(内容)とコンテクスト(文脈、状況、背景)です。

言語化して伝える内容がコンテンツ、状況や相手の表情など言語化されていないものから察するのがコンテクストです。

欧米と日本とでは、コミュニケーションでの力点の置き方が違います。
今にも残る傾向・文化として、欧米は、話し合って構築する文化=「ハイ・コンテンツ/ロー・コンテクスト」であり、日本は、察することを求める文化=「ハイ・コンテクスト/ロー・コンテンツ」です。

このことは、国家間だけでなく個人間にも見られます。
「ハイ・コンテンツ/ロー・コンテクスト」を重視する人もいれば、「ハイ・コンテクスト/ロー・コンテンツ」で察してほしい人もいるのです。
「ハイ・コンテンツ/ロー・コンテクスト」の人から論理で迫られると、「そこまでうるさく言わなくてもいいじゃないの」と言いたくなりますし、「ハイ・コンテクスト/ロー・コンテンツ」の人には「言葉にしなくちゃわからないじゃないの」とイライラすることがあります。

ただ、私たちは生まれも育ちも受けた教育も違うのですから、言葉を用いて個性や考え方の違いを違いとして認めた上で話し合わなければ相互理解が成り立ちません。

その意味でも私は、次の言葉を幸せな結婚を求める人に残します。
「すべての結婚は国際結婚だと心得るべし」


<お目休めコーナー> 4月の草花(6)

人気ブログランキングへ
(クリックしてね)



コメント ( 2 ) | Trackback ( )



   次ページ »