どうも私の京都散策は、時間に追われ駆け足になってしまいます。
宇治周辺の散策も京都と違わず、駆け足となってしまいます。
先に三室戸寺の浮舟碑を取り上げたので、駆け足で宇治十帖の遺蹟を巡ってみます。
5帖ずつ2回に分けようとしましたが、写真が多くなりすぎるようなので、3回くらいに分けます。
今回は源氏物語45帖(宇治1)橋姫から47帖(宇治3)総角までになります。
勝手ですがこのブログを読まれている方は、源氏物語の大筋はお分かりの事とさせていただきます。
また、私の勝手な解釈が入りますので、既成解釈と異なる部分がでると思いますが、これもご承知おきを願います。
私としては最終章での浮舟の言葉が大変印象に残るのですが、それはさておき、宇治十帖の1帖から5帖までは、物語の最終章へのつなぎとしての伏線に思えます。
宇治十帖の半分は、源氏の弟八の宮とその娘、大君、中君と、源氏の息子薫と孫匂宮との恋愛模様を描いています。
その宇治十帖(一)の始まり橋姫の遺蹟は、JR宇治駅からそう遠くない距離にあります。
駅から宇治橋を渡り、平等院参道を行くと見つけることができます。
宇治橋からの景観はとても素敵ですね。
八の宮が、この土地に隠棲を決め込んだのが分かる気がします。
さて、その橋姫碑ですが、その簡素さに驚きます。
物語から想像するやわな期待などぶっ飛んでしまいます。
宇治十帖(二)の椎本(しいがもと)の碑は、これもJR宇治駅の近くにあります。
JR宇治駅を基点とすると、橋姫と逆方向の位置になり宇治橋を渡りません。
国道7号線になるのでしょうか、大きな通りの脇にあり、宇治十帖(六)の東屋碑と隣り合っています。
残念ながらこの周辺の環境からは、いにしえの風情を想像するのはかなり難しいです。
宇治十帖(三)の総角(あげまき)の碑は、宇治上神社の隣にあります。
難しい漢字ですね。とても「あげまき」とは読めません。
調べて見ると、髪型に由来しているようです。
このような名前の結い方があるようです。
宇治十帖(三)の総角の内容からすると、薫と大君の長き契りをあらわしているようです。
この総角碑の道では、碑の位置を道路標示されています。
些細な気配りですが、分かりやすいですね。
しかし、宇治は京都と比較すると、行政として観光には余り力を入れていない印象を受けます。