加茂町にある海住山寺も岩船寺同様に聖武天皇ゆかりの寺である。
神童寺、蟹満寺と加茂町近隣の寺院は聖武天皇にゆかりが深く、南都奈良の影響を大きく受けているようである。
三上山中腹に建てられた海住山寺は、さすがに池を伴う庭は作られなかったようである。
まず大きなインパクトを受けたのは、参道代わりともなる道路の狭さである。
急勾配の狭い道幅は、車一台がようやく通れるものである。
そして道路の両側には民家が建ち車もあるのである。
この道路はどのようにして使われているのか、不思議に思うのは至極当然の事である。
いまだに疑問のままである。
海住山寺は別名南天寺とも呼ばれるようで、境内の所々に朱色の実をつけていた。
創建は天平であるから、かなりの年代を経ている。
境内に入るとまず鎌倉時代の作とされる五重の塔が目に飛び込んでくる。
国宝指定であるが、均整のとれた趣のある塔である。
極端に古さを誇張しているわけでもなく、修復による新しさが目につくわけでもない。
塔の特徴は初層目に裳(もこし)を持つことである。もこしとは早い話がスカートである。
そのため屋根の数だけを数えると六枚有るように見える。
また、心柱が初層内部になく、初層の四天柱といわれる天井に支えられたところから設置されるという珍しいもののようである。
残念ながら初層の特別公開は終了との事で実見する事はできなかった。
本尊の十一面観音菩薩立像は目の前で見ることができる。
この本尊様は国宝ではないが、実によい表情をしておられる。
参拝者がいなかったため、しばし本尊様の前でご尊顔を拝顔させていただいた。
本堂の中が明るければよいのだが、これは贅沢というものかも知れない。
この後、加茂町はずれにある普賢寺(いまは観音寺)に向かい、国宝の十一面観音立像を見ることになるのだが、まさに甲乙つけがたいものである。
なぜ海住山寺の本尊様が国宝でないのか不思議なくらいである。
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