南山城をゆく 岩船寺

2010年12月16日 | 日記

浄瑠璃寺から車で十分ほど東へ行くと岩船寺がある。岩船寺も浄瑠璃寺同様奈良との県境にほど近い。車窓から見え隠れする外の景色は、京都というよりは奈良である。

 

岩船寺の創建が729年とされるから、平安京健都より65年、聖武天皇が都を奈良平城京から恭仁京に移した時期より10年ほど古い事になる。

 

寺伝によると聖武天皇の勅願によって創建されえたと有ることから、この頃すでに聖武天皇の視野には都替えがあったのかも知れない。

 

岩船寺の寺観は京都市街地にあるような寺院とは全く趣を異にする。山間に地に、こじんまりとした本堂、そして三重塔が建つ。

 

 

三重塔の建設時期は創建より年代が新しいため、創建時は本堂のみであったであろうが、周りは広葉樹が多く豊かな緑に包まれた閑静な寺であった事がうかがえる。

 

 

夏にはアジサイが咲き乱れるというが、訪れたのは秋、三重塔にかかる紅葉が緑から朱へのグラデーションを奏でていた。年代以上に新しさを感じる三重の塔は、おそらく近々に修復でもされたのであろう。

 

 

 

本堂に安置されている阿弥陀如来座像はかやの一木造りで、朱の衣をまとっているという。確かに、剥落した色彩からはかろうじて朱の色が見てとれる。

 

阿弥陀如来を守る四天王像は寄せ木造りであるが、像との間を遮るものはなにもないため、寄せ木の隙間まで間近で見てとれるのは貴重である。

 

本尊様の裏手には、白象に乗った普賢菩薩様が厨子に納められている。すぐ横手にあるガラスケースにも幾つかの象が納められているが、とても好印象のものばかりである。

 

よく庭の京都、仏像の奈良と耳にするが、これらの仏像を目にするとやはり岩船寺は、南都奈良の影響を大きく受けているようである。

 

これら国宝級の像を間近で見るなど、京都の寺院ではなかなか難しい。

 

このような、おおらかな地域性は、いわゆる京都とは少し趣が異なる印象を感じとれる。当初、岩船寺から浄瑠璃寺まで当尾の道を石仏を探しながら散策する予定でいたが、雨模様のため急遽取りやめる事にした。

 

この行程でも結構疲れがあったので結果オーライなのであるが、それにしても体力の衰えを身に滲みる年になったものである。

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