現在も出版されているのだろうか? 山と渓谷社かの「京都」という本がある。
写真をメインとした内容であるが、もう随分前に購入し時折眺めていた。
この本の中で紹介されている浄瑠璃寺には、購入当初から興味を引かれていた。
いままでに幾度と京都を訪れたが、悲しいかな浄瑠璃寺まではどうしても足が伸びなかった。
それは浄瑠璃寺が奈良に近い加茂町にあったからである。
どうしても京都の市街地からは遠いとの観念を拭い去ることができず、つい手軽にまわれる寺社に足が向いてしまうのである。
ようやくこの秋に、その浄瑠璃寺を訪れる事ができた。
今年の京都は紅葉の当たり年と、巷で噂された紅葉であるが、やはり異常に暑かった夏の影響は隠しきれないようであった。
色こそはきれいであるが、どこの箇所を取って見ても、色づきの変化はまちまちであり、当たり年と大見得を切れるような状態でないと感じた。
さて肝心の浄瑠璃寺であるが、その庭園は想像以上にしなびた印象を受けた。
だが、けっして悪い印象ではない。
私の感覚でいうならば、京都というより奈良に対して持っている印象に限りなく近いものである。
浄瑠璃寺庭園は発掘調査に基づき再現されたもののようであるが、人手による過度な整いも無く、いわば自然に近い状態で整備されているようである。
浄瑠璃寺自体は南北朝時代に三重塔を除き一度焼けているようであるが、平安末期の浄土庭園として貴重なもののようである。
庭園の東に三重塔、池越しの西には九体の阿弥陀様を置き、それぞれが過去、現在、未来を表しているようである。
つまり三重塔は此岸、本堂は彼岸となるわけである。
ところで、唯一残ったとされる三重塔であるが、途中で修復したのか意外と傷みがないのが気にかかりました。
国宝であるので、おそらく人手は入っていなと思うのですが、それにしてもきれい過ぎます。
本堂に並ぶ九体の阿弥陀様は、もちろん一体毎に表情が異なりが、さらに一体毎にお堂の正面がどうやら開くようです。
こうして発遣から来迎となるのでしょうが、お堂正面の九枚の扉が開いたものは、いままで写真でも目にした事がありません。
三重塔から、阿弥陀様の九体の姿が一斉に見えたならば、目が点になりますね。
そして西方浄土へのこだわりがもうひとつ。
東と西、三重塔と本堂前には石灯籠が置かれています。どうやら彼岸の中日の太陽軌道は、この燈籠から覗き見える軌跡を描くようです。なんとも驚くべきこだわり様です。