新しい年が無事に明けたようで、おめでとうございます。
更新が滞るブログですが、お暇な方は時々お寄りくださいませ。
早いもので、一月も11日目になりました。
11日というと鏡開きですが、気まぐれに由来を調べてみると、これが意外に適切な事をかかれた記事が見当たらないようです。
鏡餅は歳神様へ供えます。
すなわち正月とは歳神様をお迎えし、新しい年が無事に、平穏で、幸福でありますようにと、欲張りいっぱいにお頼みする儀式のようです。
しかし、いつまでも正月正月と浮かれている訳にはいきません。
そこで、歳神様のお迎えのために飾り付けた松等を外し、歳神様を送り出すわけです。
これで松の内が終わり、正月気分の終わりと一区切りにするわけです。
で、この松の内、七日もあれば、十五日そして二十日と地方によって日にちが様々です。
関東では七日、関西では十五日とやはり文化の違いがあり、日にちにも違いがあるようです。
また、関東もその昔は二十日正月となっていたようですが、二十日は徳川三代将軍の祥月命日にあたることから、その後日にちが変えられ現在の七日になっているようです。
そこで11日ですが、将軍の命日で松の内の日にちが二十日から七日に変わったので、鏡開きが十一日との説明が大変に多いのに気づきます。
でも、これって、なんで11日なのか、なんの説明にもなっていませんよね。
なかでも、これはそうかも知れないと納得の説明が一件ありました。
私はこれに一票を投じます。
その説明は、商家では十一日を仕事はじめとして蔵開きを行い、歳神様へのお供え物をいただく事によって、その年の無病息災、家の繁栄を祈願する日本文化。
日本文化というと、このような言い伝えは、年々薄れていってます。
私は節句などが来ると、そのいい伝えの中身を、孫によく聞かせています。
先日、たまたま見たTVで桃太郎のいい伝えを解説していました。
やっとこのレベルかと思って見ていましたが、一例を取ると、鬼の姿は、方角の鬼門、昔の時間でいうと、丑寅の方角、だから鬼は牛の角、虎のパンツを着けた恐ろしい架空の化け物なんですね。
おとぎ話は、話だけではなく、教訓が隠されていることを知る人が少なくなりました。
と、いうことで、神様つながりで、今年初めの近江八幡は日牟禮八幡宮からです。
立派な門構えをもつ大きなお社です。
神社というよりは、一瞬見た感じは山門かな?と思いますので、伽藍かと勘違いをしそうです。
門をくぐると、これまた立派な本殿そしてサイドに能舞台と、どう考えてもお宮らしからぬ造りです。
境内を進むと、山伏の恰好をした人達とすれ違いました。
何かなと?思っていると、本殿前でなにやら槙でしょうか?松でしょうか?いぶしながら行事を行っています。
この時期(11月20日)前後に、日牟禮八幡宮としての行事はありませんので、飛び込みの行事でしょうか?
煙に巻かれながら見物していると、なかなか手馴れています。
いつもこの八幡宮で行われている行事なのかと思ってしまいます。
周りには護摩がいっぱい積まれています。
本殿前に積まれた槙、松からは煙が上がってますので、炎がでてそこに護摩を投げ入れるのかなと思いましたが、どうも違うようです。
この位置で燃え上がると、危険ですよね。
大日大聖不動明王との大きなのぼりがあるのを見ると仏事ですよね。
神仏習合の見本みたいなものかも知れません。
まぁ、お不動さんつながりの儀式のようです。
大日大聖不動明王とありますから、おそらくは真言宗つながりなのでしょうね。
親しみを込めてお不動さんと呼びますが、大日如来の化身とされ煩悩を断ち切り厄を払うとされているようですが、実は実はお不動さんには恐ろしい一面もあるようです。
真言というと密教。
秘密の教えとなりますが、不動明王には人を呪縛により殺傷する能力もあるとされているようです。
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