十三参り 法輪寺

2010年03月14日 | 日記

法輪寺(ほうりんじ)は、京都市西京区にある仏教寺院。山号は智福山。通称嵯峨虚空蔵。

名勝嵐山の中腹に位置する。本尊の虚空蔵菩薩が、「嵯峨の虚空蔵さんとして親しまれている。奥州会津柳津の円蔵寺、伊勢の朝熊山(あさまやま)の金剛證寺とともに「日本三大虚空蔵」と称される。

古くは、今昔物語集、枕草子、平家物語などにその名が見え、知恵、芸事の上達、また丑寅年生まれの守り本尊として信仰を集める。

また、十三参りや針供養、うるし祖神の寺としても著名である。さらに、境内には、電気・電波を守護する鎮守社である電電宮が祀られている。

寺伝によれば、行基が元明天皇の勅願により、五穀豊穣、産業の興隆を祈願する葛井寺として建立したとされる。その後、空海の弟子にあたる道昌が、虚空蔵菩薩像を安置し、寺号を法輪寺と称したという。(Wikipediaより引用)

 

京阪奈では、東大寺二月堂のお水取りが終わると春がくるといわれる。時期を同じくして京都嵯峨の虚空蔵さんでは、十三参りが始まる。私的にはこの十三参りが始まると京都も春近しと思える。

法輪寺へはかなり年数を経ての再訪であるが、参道と石段の景観が当時とは違う印象を受けた。当時は電電宮が石段のすぐ傍にあったように思うが、現在は少し離れたところにある。記憶違いでなければ、おそらく整備がなされたのであろう。

法輪寺の佇まいは、けっして派手なものではない。京都有数の観光スポットである嵐山のなかにあっても、普段は静かな境内のように思える。

法輪寺の桜は早咲きのようで、三月中というのに境内の桜が開いていた。また、法輪寺は嵐山の中腹に建てられているため、境内から近隣をも一望できる。

以前訪れたのは息子の十三参りの時である。この時は参道の石段を野猿が横切ったのに驚いた。昨年は、その息子の孫娘を連れて十三参りで訪れた。

年行事の十三参りである13日より少し早めのためか、境内は静まり返っていた。虚空蔵菩薩の前に座る事30分程度、無事にお参りは終了したのであるが、それまでの過程に「ふっ」と頬がほころぶような事があった。

この時、お参りの受付には若い僧侶の方がいたのだが、お参りまでに少しの間待ち時間が出た。「どうぞ」と言われて本堂の中へと進むと、受付にいた方が袈裟に着替え出てこられた。思わず同行していた息子夫婦と顔を見合わせたが、この早変わりに何ともいえぬ親近感をおぼえたのである。

昨今、京都の寺院では檀家は別としても、観光客などはあまりにも事務的に扱われる事が多い。この時の法輪寺のような営みには久しく出会った事がない。古きよき時代といえば語弊があるが、寺本来のありかたに触れた感じがしたのである。

十三参りの帰路、渡月橋を急ぎ足で渡る孫娘の後ろから声を掛けたのだが、一度も振り向かずに渡りきった。渡りきった後、くるりと振り向き両手でピースサインを出した。お参り前に話していた言い伝えをしっかりと覚えていたのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする