関西思い出旅日記

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根本中堂と文殊楼 延暦寺

2010年03月11日 | 日記

東塔
延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域である。根本中堂(国宝):最澄が建立した一乗止観院の後身。現在の建物は織田信長焼き討ちの後、徳川家光によって再建されたものである。1954年(昭和28年)に国宝に指定された。土間の内陣は外陣より床が3メートルも低い、独特の構造になっている。

内部には3基の厨子が置かれ、中央の厨子には最澄自作の伝承がある秘仏・薬師如来立像を安置する(開創1,200年記念の1988年に開扉されたことがある)。本尊厨子前の釣灯篭に灯るのが、最澄の時代から続く「不滅の法灯」である。この法灯は信長の焼き討ちで一時途絶えたが、山形県の立石寺に分灯されていたものを移して現在に伝わっている。

文殊楼:二階建ての門で、階上に文殊菩薩を安置する。根本中堂の真東に位置し、他の寺院における山門にあたる。(Wikipediaより引用)


 

比叡山の山内は、東塔、西塔、横川と呼ばれる三つの区域に分かれている。 残念だが、私は東塔しか見た事がない。西塔、横川を拝観するとなると、おそらくまる一日を費やする事になるが、惜しいかなその時間をなかなか作れないでいる。

延暦寺には、いわゆる山門と呼ばれるような建物がない。その代りをなすのが文殊楼といわれる。この文殊楼はしっかりと滋賀の方向を向き、京都には背を向けている。名のごとく二階には文殊様が祀られているが、その階段は梯子といった方がとおりがよい程急なものである。

文殊楼が山門の代わりをなすため、その背後には延暦寺の総本堂である根本中堂がある。文殊楼は相当高い位置に建てられているため、文殊楼からは根本中堂を見下ろす形になるが、根本中堂を見るには絶好のアングルとなる。

ただ、この位置から見る根本中堂はそれ程大きいといった印象は受けない。しかし、根本中堂の前に立つとその建造の大きさに驚く。文殊楼と根本中堂は直線的にはそれほどはなれた距離ではなく、高低差を利用した目の錯覚をうまく利用しているように思える。このあたりは寺というよりむしろ城造りの印象を受ける。

数年ぶりに根本中堂を拝観したが、回廊の塗りに剥離が目立つなど傷みが進んでいるのには驚いた。しかし、お堂のなかは以前と変らぬ凛とした佇まいである。このお堂だけは他の寺院では感じられないどこか違う空気で包まれている。

根本中堂は屋根の葺き替え修復を行うようで、堂内には銅葺きの浄財を募っていた。ご利益は分からないが、銅版には自分のメッセージを書くことができるようである。銅版は意外と薄いものであったが、重さは結構あるようである。

根本中堂の出口で手に血がついているのに気がついた。中指の先に細い赤い筋が一本。この時は何処で怪我をしたか思い当たらなかったが、よく考えると銅版に触れた時、確かに一瞬鋭い痛みが。思いもよらぬ出来事であるが、お叱りを受けたのか、ご縁を結んでいただけたのか、果たして。