日時 2月5日まで
場所 小田原飛鳥画廊 ←クリックして下さい。
32年にわたり、ご指導いただいている私の俳句の師匠、小澤多留男先生の「俳画展」を開催しています。
先生は、俳句の他に絵画も親しまれ、しばしば私達弟子に俳画の色紙を下さいました。私だけでも、50枚近くあり、画廊に展示しきれない程です。
日時 2月5日まで
場所 小田原飛鳥画廊 ←クリックして下さい。
32年にわたり、ご指導いただいている私の俳句の師匠、小澤多留男先生の「俳画展」を開催しています。
先生は、俳句の他に絵画も親しまれ、しばしば私達弟子に俳画の色紙を下さいました。私だけでも、50枚近くあり、画廊に展示しきれない程です。
「インパールわが生涯の夏野かな 多留男」
以前、紹介されていた素晴しい句。ノートに書き留めておりました。
issyoさんは 素晴しい俳句の宗匠に出会われたのですね。こんなに素晴しい俳句の大宗匠に出会われたのは一生涯の宝です。
私事で恐縮ですが、私の住む島に一人の名も無い俳人がおられまして、昨年93歳で亡くなられました。
この方は昭和13年徴兵により、中国戦線で4年間、その後は内地勤務でした。
中国から帰って来た時に、こっそりと軍隊手帳を持ち帰っています。
そこには、びっしりと俳句が書き込まれ、何時何処に行ったかも書かれています。
中国内陸部の武漢に居た時に、そこの司令部で俳句会が開かれていたそうです。軍医部の人達が多く、自分を含めて10人ほどだったそうですが、見たことも無いような左官・尉官の上官ばっかりで、一等兵は自分だけだったそうです。
俳句会はすべて俳号で呼び合う自由で闊達なもの。自分一人が巷の句会の経験者なので、意見を求められ、可愛がられたそうです。そのせいか、軍隊では一度もイジメに会わなかったなどと、話をされていたのを思い出しました。
私は病気で寝ていたので、一度も句会に行ったことが無く、今頃もう少し話を聞いて習えばよかったなと後悔しています。
あの時代を生きられた方は、壮絶な体験をされていますよね。issyoさんは 大宗匠にしっかりと習われているので、羨ましいし、素晴しいことだと思います。
そういうことで、また・・・・。
どんな人にも、人生にチャンスOR幸運が,必ず何度かはあると思います。
多留男先生との出会いは、私の幸運の最大のものだと思います。
その他の全ての私の不幸を足しても、ものの数ではありません。
感激して読みました。
多留男先生の俳画の写真もとてもきれいに撮れているのに驚き、いいカメラです。腕前も。
照れまんさんの『俳人』も私の師匠もほとんど同い年のようですね。「芸は身を助ける」という言葉がありますが、本当ですね。
写真、お誉めいただき恐縮です。コンパクトデジカメなんですが・・・・、素人にしては、結構うまく撮れます。