一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

541  春荒れや尊徳永久に書を読める

2012年03月31日 | 

(はるあれや そんとくとわに しょをよめる) 

  二宮尊徳は、天明7年~安政3年の江戸幕府末期の人。全国には、二宮尊徳を祀るいくつかの神社があり、小中学校を中心に相当数の尊徳像がある。帝国主義の明治政府が、軍国少年少女を生産するための道具として全国にばらまいたのであろう。

 しかし太平洋戦争、敗戦後となっては、あんな銅像で子供たち全員に勉学の重要性を説くことは、到底できるはずがない。

 だからだろう、少年時の私は、書を読みながら歩く尊徳の像や大人の訓示的押し付けに、少なからず反感を感じた、と記憶している。 

 勉学に向く子は、ほっておいても勉学をするはずだし、向かない子はどんなことがあってもするはずがない。日本も早く画一的教育から、個性を見極めての個別教育に変えた方が良い。

レンギョウ(連翹) モクセイ科レンギョウ属


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