一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1960   哀しみの砂場に沁みるぶうらんこ   正太

2018年06月05日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 鞦韆・ぶらんこ・ふらここ・は、公園など一年中どこにでもあるが、春の季語である。季節感の薄い季語の代表かもしれない。さて、この句の作者の哀しみが、どのようなものなのか、想像する術はない。

 しかし、一般論として、多くの他者である人々に思いを馳せてみれば、公園などのぶらんこに乗って涙を流した多く人々がいただろう歴史は、間違いなくあるに違いない。それを世界中の様々なぶらんこにまで想像が及べば、涙を流した人々の数は計りしれない。(小坂雲水記)

 正太さんのこの句は、第200回岩戸句会で、雲水先生の(天)をいただいたものです。句会報のご批評文を転用させていただきました。正太さんは、自然に囲まれた岩戸窯での句会の雰囲気が大好きで、毎月、遠くから熱心に参加されていました。(天)をいただいて、嬉しそうな笑顔が思い出されます。(石川  薪記)

 

藍瓶の冬日に醸す匂いかな

埋み火の灰足してゆく初あかり

料峭やどれも海向く駅の椅子

壺焼のなぜか男の匂いする

独り膳殻の音する浅蜊汁

 

晩年や眩しきばかり濃山吹

夕ざくら散り急がずに散っている

目覚めれば妄想こなごな梅雨鯰

迷い道遠くにとばす枇杷の種

父の日や母の日失くした子等の来る

 

バス停の風のすきまの祭笛

退院や荒んだ庭に秋の蜘蛛

破蓮や古武士のすがた垣間見る

冬晴や十指ほぐして陶土積む

立ち向かう老いの孤独に玉子酒

 

さし伸べる掌に冬虫のあとずさり

夕凍みや人が沈んでゆくように

初不動厄なき齢となりにけり

元朝や風葬の国はるかなり

匂い立つなべの潮目の新若布

 

リハビリの喉にほっこり春の粥

薫風やなぜか昔の傷うずく

癌告知友起きあがる遠花火

多摩の堰風ふところに藍浴衣

切株は男の椅子ぞ赤トンボ

 

(岩戸句会第五句集「何」より 小宮正太)

バイカウツギ(梅花空木)


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