一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

510  しらす丼半分食べて悲しくなる   敏子

2012年03月01日 | 

  シラスは、カタクチイワシの子供でスーパーには一年中あるから、歳時記で調べないと・・・・・確かに春の季語のようである。ちなみにイワシは秋の季語。

 

さてこの句、しらす丼を半分食べて悲しくなったそうだ。その心は如何。

 

「このドンブリには、たぶん百~数百匹の茹で上げシラスが乗っている。こんな小さな生まれたてのような子供たちを私は食べている。

生きるためとはいえ、私はなんて残酷なことをしているんだろう。半分食べてから気が付いたのでは遅すぎるのかもしれないけれど、もう喉を通らなくなったのだ

 

 「ちょっと待って、ちょっと違うんじゃない?そんな解釈は理屈っぽくて陳腐よ。あの白いシラスは、見ただけでなんか悲しい感じがするじゃない。理由はそれだけで十分よ」

 

「だったら、どうして半分食べてから気付いたんだい。最初から気付いても良さそうじゃないか」

 

「私はねえ、もっと別の個人的な理由だと思うわ。例えば一緒に食べたかった人がいなかったから、とかじゃないかしら。その人のことを思って胸が詰まったんだと思うわ」

 

「つまり、シラス丼が原因ではなく、半分食べた時に偶然ある個人的なことを思い出して悲しくなった、という訳だね。これは意外と説得力があるなあ。但し、それでは季語であるシラスの存在が軽くなってしまうけどね」


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