世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の中のひとつである、「高野山町石道(こうやさんちょういしみち)」を歩いて高野山を目指した。雪で銀色に光る山道を歩くのは幻想的でよかったが、途中で雪が激しくなってきたので迂回し、結局電車とバスを使って到着。
高野山ではさらに雪が深々と降り積もっていた。
高野山町石道とは、弘法大師(空海)が816年に高野山を開山した際につけられた参詣道で、紀ノ川沿いの「慈尊院」という寺から始まって弘法大師のスピリットが眠る高野山奥の院まで、約23キロほど歩くことになる山深い道だ。
道端の109mごとに五輪塔型の石柱が立っていて(そのほとんどが鎌倉時代に立てられたもの)、それを辿っていけば迷わずに高野山にたどり着けるようになっている。
聖地へは、歩いていくほうが断然面白い。というか実は、歩いている道中に、より充実感を覚えることの方が多い。いうなれば、五感を開放して自然の中を歩く口実として、聖地という目的地はすっごくいい材料なのである、と言えば怒られるだろうか?
高野山に到着すると、さすが世界遺産ということだけあってか、外国人がよく目立った。白人系とあわせて中国系の人も多かった。で、日本人の観光客よりも、仏教文化に対する知的好奇心が強いように見受けられた。
埃をかぶっちゃったような古い文化的遺産というのは、その国の人はもとより、外国の人から見て浮上する価値というのも多いのかもしれない。そしてそんな外部からの視点が、新しく命をつないでゆく原動力になったりするのかもしれない。
外部の人々の豊かなる誤解が新しい風を運んでくる。どんなジャンルにしろ、そういうのはある。だから世界遺産というのはとてもいいと思う。