プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

野性の炎

2011-06-14 11:03:11 | インポート
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 先日の湯浅湾一周35キロツアーは無事終了しましたが、湯浅~田辺湾50キロツアーは悪海況のため中止としました。

 35キロとか50キロとかいうと何やら体育会系ノリのように思われるだろうけれどそうではなく、こういう長距離を漕ぐってのはまさに旅の真髄の感覚ですね。岬一つ一つ超えるごとに風景がガラッと変わり、それに応じて世界もガラッと違って見えてくる。天候・海況の変化を敏感に捉えるアンテナを常に張り巡らせながら漕いでいるうち、だんだんだんだん風や波や雲の流れといった自然の脈動の中に溶け込んでいく感覚に変わってくる。
 こっちの世界に属しているオレ、という感覚。

 もちろん今の日本社会に属している一個人のオレだが、
 それだけじゃなく、大自然や宇宙に抱かれ、
 悠久のスケールの海の世界にも属しているオレ、という意識も、
 こんなおかしな世の中で自分自身を気高く保つためにも、大切なことだと思っている。

 漕ぎ続けるうちにやがて、心の奥底に何かが揺らめき始めるのを感じる。
 静かに揺らめく野性の炎。
 そいつが灯された時、なぜか無性に音楽を聴きまくりたくなってくるし、詩的かつパンチの利いた文学作品を読みまくりたくなってくる。

 同じく奥底に揺らめくやつがあるからだ。
 たとえばヘンリー・ミラーやウォルト・ホイットマン、ルイ・フェルディナン・セリーヌ、エドゥアール・グリッサン、エメ・セゼール、ル・クレジオとかの文学作品の奥底に揺らめく野性の炎と、シーカヤッキングのそれとは激しく共振するものがある。またロックンロールやジャズやインド音楽やアフリカ音楽のエッセンスともギンギンに通じるものがある。
 そんなのを通じて内的世界を押し広げていきたい、日常生活と同時にハートの世界も豊かにしていきたい、片方だけでなくその両者のフィードバックこそが人生だ、というのがぼくの中にはずっとある。
 
 と言っても別にぼくは知的な人間というわけではないが、シーカヤックとはフィジカル・体育会的な側面よりも、知的、感性的、ハートの世界に訴える部分により面白みが濃い乗り物だと実感している。だから仕方がないのである。またそいつを他人に押し付ける気もさらさらないが、ぼくがアイランドストリームを始めた動機も、これからも続けていく動機も、結局はそこらへんにある。
 おもろい世界だ。

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