昨日、ナイトカヤッキングしようか否か迷っていたが、結局面倒くさくなってやめた。で、そのときの心の動きを思い起こすと、どうも保守的な感じのする面倒くさがり様だったので、これはあんまりよくない精神モードに入ってきてるな、少々修正する必要があるな、と反省。
別に取り立ててする必要ないことなどしなくてもいいのだけれど、ソウルの深いところが求める好奇心よりも、ハートの表層部分の打算やめんどくさがりが上回ってくると、それがいろんな小さな行動に積み重なりってきて、心身に脂肪がたまり、やがてオッサン化する。他人の目はごまかせても、自分の目はごまかせない。いわば自分の中のロックンロールの部分はいつまでもギザギザさせておかなければならない、と我に返ったのだった。
己の中に宿る永遠のマイルス・デイビスやジミ・ヘンドリクスや矢沢永吉やピカソやボブ・マーレイや岡本太郎は、大切にしなければならない。
今日は穏やかな小春日和だった。空気の質感や色彩など微細なところに春の気配すら感じられた。特に夕暮れの、時の流れが止まったような時間帯。その、ゆるゆると過ぎてゆく穏やかな凪の海上には、シーカヤッカーにしか味わうことのできない極上の春の萌芽が高級感をともなって、香り漂っていた。