プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

ムサンダム半島3 クムザール

2009-04-21 08:46:04 | オマーン&UAE編(南アジア&アラビア半

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 ※オマーン、UAE編(南アジア、アラビア半島カヤックトリップ)の続き記事。

 ペルシャ湾からアラビア海に抜ける際に最もせまくなるホルムズ海峡に面したムサンダム半島。岩山の断崖絶壁がひたすら続いていく海岸線だけに一度荒れるとえぐいクラポチス(返し波)がガンガンに発生しドエライことになるのでいつまた強風が吹きだすか常に恐れながらも、入り組んだ深い湾にはいり込んだり途中でシュノーケリングしたり色々遊びつつ、3日がかりでようやく最果ての村・クムザールにたどり着いた。ちなみにこの海岸線は近くにオマーンの軍事基地がありまた潮の流れが速い場所で、それゆえ手つかずのシュノーケリングスポットが多く、特に半島の最先端周辺は浅い場所まで生き生きしたサンゴ礁が展開されていて凄いことになっていた。

 さらにホルムズ海峡を40キロほど漕いで渡るとイランに行きつく。ちょうど紀伊水道を和歌山から徳島まで渡るよりも短い距離なのでカヤックでも渡ろうと思えば全然渡れる。もちろんそんなことするとさすがにヤバいので渡らないけれど地元の商売人たちは毎日のようにパスポートなしでイランとこのムサンダム半島とを往復して取引している。一応密貿易にあたるけれど誰もそんなこと気にしない、もちろんオマーン軍も警察も知っているけれど全く意に介さない。おそらく1000年以上前から続く、まるで日本人が毎朝味噌汁を吸うようなのと同じノリの、平々凡々たる日常の風景なのである。そういう連中はハッサブの港でも見たし、海上でも頻繁にすれ違った。ここですれ違う連中はイラン人だろうとオマーン人だろうと漁師だろうと商売人だろうとみんなフレンドリーで、こちらを見ると必ず手を振ってくる。近寄ってきて魚をくれた人もいたし、イランまで乗せってってやるからカヤックごと乗って行け、なんて普通に言ってくるおっさんもいた。非常に面白いなと思った。

 日本で「ホルムズ海峡」って聞くと、ほとんどきなくさい話しか耳にしない。反米のイラン政府あたりが怒って海峡封鎖するとペルシャ湾を行き来する原油タンカーが行き来することができなくなる。で色々状況が連鎖的に巡り巡ると、最悪第三次大戦の火種になるとか、核戦争がもし起こるとすれば突端はこのホルムズ海峡に端を発することになるだろうとかいろいろ恐ろしげな話もしばし耳にする。しかしそこに住む普通の庶民の日常はの~んびりゆったり流れていてなかなか他の場所では見ることのできない平和感が漂っていた。ソマリアやマラッカ海峡のように海賊も出ないしね。

 ムサンダム半島の再果て、陸の孤島・クムザールに無事たどり着くと、ガキどもが珍しそうにぞろぞろ集まってきた。次に若者、次に中年、つぎにジイサンと寄ってきた。確かに陸の孤島だけれど英語がある程度分かる人も多い。日本から来た、ハッサブからこのカヤックで漕いできたというと、「まあまあお疲れ様でした、こちらへどうぞ」という感じで浜の横の村人寄り合い所みたいなところに案内され、おまけにご飯まで出してくれた。カレー味に焼いたアジのような魚が乗ったビリヤニ(焼き飯)にサラダ、腹が減っていたのでものすごくうれしかった。

 で、その一連のホスピタリティの流れがすごくナチュラルで、前々回の記事でも書いたようにやはりここは大昔の海のシルクロードにおける道の駅のようなところでかつ陸の孤島なだけに、その時代のエッセンスの断片みたいなものが未だにどこか残っているのかなあと思ったりした。もっとも、これがカヤックのような個人的な手漕ぎ舟だからそうなるのである。観光船やクルーザーで行ってもよそよそしいだけなのにカヤックならば不思議な親近感を生みだすことができたりする、というのは日本の海岸線で数々経験づみだ。カヤックという古くて新しい舟が生みだすマジックフィーリング、おおげさに言うとその土地の精霊を呼び覚ますフィーリングだ。ぼくの心の中で1000年前のこの「海の道の駅」を行きかう人々の活況がパンパンパ~ンとフラッシュバックした。ああ、カヤックトリップほど面白いものはない。

 さて、さまざまな出自の人たちが往来した名残が真空パックされたクムザール語・・・、英語、ヒンドゥー語、スワヒリ語、アラビア語、ペルシャ語、ウルドゥー語など多言語のミックスしたこの地独自の言語というのは、そもそもぼくがアラビア語が全く分からないので比較しようがないけれど、確かにニュアンスが違う不思議な響きのする言葉だった。一瞬英語に聞こえる単語、フレーズなども耳についた。なお、顔つきも普通のオマーン人やアラブ人とちょっと違うというか、南アジア系が入っている面構えの人が目についた。日本人みたいな顔したガキもいたし、「ドラゴンボール、スーパーサイヤ人」と日本語で書かれたTシャツを着たガキもいた。それらガキどもと仲良くなり、指を組み合わせて作る猿とかサメの形を教えたり、日本の名曲「カエルの歌」を教えたり、カヤック遊びしたりしながら2時間ほど遊んだあと、再びクムザールを後にした。あんまり長居せずそれゆえ自分の胸に刻んだイメージをそのまま真空パックして持って帰ることができたのだった。

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