北九州市立大学の原田和明氏から夕張調査の続報および資料が届きましたので、ご報告します。
なお、前回の報告書<第1回 危険なタイムカプセル>はこちらです。
(以下、転載)
第2回 2つの埋設候補地
紅葉が始まっていましたが、北海道とは思えない、暖かいというか半袖でもよさそうな陽気でした。9月27日午後、事前に案内をお願いしていた北海道森林管理局(札幌市)と地元空知営林署の職員さんと夕張市内で待ち合わせ、現地に向かいました。ところが、さっそくトラブル発生。案内役の営林署の方が道に迷ってしまったのです。何の目印もない林道で年に2回しか来ないのですから、迷子になるのは仕方のないことです。改めて、林道のゲートまで引き返し、およそ10分で目的地に到着しました。おそらく、1984年にも同じことが起きたのではないかと思いました。1986年4月11日の衆院環境委員会の議事録に、夕張市の埋設枯れ葉剤のことがでてきます。 (議事録は青色表示)
竹村泰子(社会党 北海道1区選出)「夕張営林署管内の真谷地というところ、ここにはダイオキシンが含まれるという2・4・5T系粉剤が一度に六百キロも埋設されているわけです。御存じのとおり、ダイオキシンの処分については一カ所に埋め込む量は『三百キログラム以内』、それから『十倍量程度の土壌とよく混和したうえ、セメント一、水〇・六、土壌四~五の重量配合で練り合わせ、コンクリート塊としてビニール底の上に埋め込む』こと、こういう規定まであったのですね。ところが、私たちはその当時の作業員を証人としてお願いをしました。そうしますと、北海道の十二月、雪もちらちら降ってくる寒い季節、夕暮れになって作業を急ぎ、慌てて穴を掘ってそこにほうり込んだという事実が証言されたわけです。」
はっきり明言しているわけではないけれども、「土壌とよく混和」した形跡はなく、245Tを紙袋のまま穴に投入したような印象を受けます。「三百キログラム以内」のルールを守っていないのに、「十倍量程度の土壌とよく混和」という面倒なルールの方は守られていると考える方が不自然でしょう。竹村の質問は続きがあります。
「営林署が埋めたとおっしゃるところとこの証人が埋めたと言っているところとは六百メートルも差があった。そして(営林局は)あくまでもそちらですと言って頑張られる。私たちの強い要求で、後日、営林局はこの証人の言った場所を掘りました。そうしますと、そこから、ダイオキシンこそ出てこなかったけれども、2・4・5Tとおぼしき塊が出てきた。そういう事実があるのです。」
今回の調査の目的は、この「六百メートル違いの埋設ポイント」の問題が営林局の中で、どのように整理されているかを確認することでした。埋設ポイント特定の誤りを認めるのか、それとも、「六百メートル違いの埋設ポイント」の問題は最初から存在しないことになっているかのどちらかだろうと思っていました。ところが、担当者の説明はどちらでもありませんでした。
(北海道営林局課長補佐)「埋設地の六百メートルの違いは、地図上だけのことで、現地に行ってみたら、こちらの証人も、社会党の証人も同じところを指し示したのです。それがここです。」
見事に「埋設地の六百メートル」問題は解消されたかのようです。ところが、GoogleEarthで現場周辺を確認すると、今回案内していただいた埋設ポイントから北東に六百メートルのところに、同じような草地があり、どうやら、その草地が、当初営林局が認定した埋設ポイントではないかと推測しました。今回同様、スタート地点を間違ったまま、似たような草地に出くわすと、場所を取り違えることは十分にありそうだと思いました。ましてや、13年前の、雪に埋もれる直前の景色の記憶を、夏に探したわけですから、間違ったとしても誰も責められません。
そもそも、山の中で、今いる場所を地図上に指し示すのはなかなかむつかしいものです。よその埋設地を訪ねたときも、その場で地図上に印をつけたものが、あとでGPSと照合してみると、谷ひとつ離れたところだったということが私もしばしばありました。
現在指定されている埋設地で、発掘調査がされないままの場所には実は埋まっていない、指定が間違っているというところが他にもあるのではないか?という疑念は深まったというのが、夕張の現場を訪れた私の感想でした。(続く)
こちらは北海道広尾山中の245T剤埋設地に関する記事(ここは撤去済み)
夕張245T剤埋設地、真谷地(国土地理院地図に記入)
※真谷地では、1971年12月に埋められたのち、1984年に調査のため掘り起こしたあと埋め直している
この報告書は2019年11月19日に届いたものです。