yamanba's blog

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福岡空港未来基金条例案

2017-02-26 10:00:57 | 福岡空港

議会が波乱の幕開けとなった。福岡市が議会に提出した「福岡空港未来基金条例案」を巡り、高島市長と自民党の意見が真っ向から対立、バトルが繰り返されていたが、23日、条例案は自民、市民クラブ、共産など与野党による反対多数で否決された。市が提出した条例案が否決されたのは9年ぶりで、高島市政では初めてのこと。ところが、当の本人は動じるどころか強気の姿勢を貫いている。西日本新聞は『与党自民が市長に反旗』という見出しで、その様子を伝えていたが、肝心な部分は報じていない。そこで、自民党阿部議員の質疑を検証しながら、問題の本質を追及することにした。

福岡空港の運営が民間委託されることに伴い(平成31年4月予定)、福岡市は先月、第3セクター「福岡空港ビルディング」の株式を会社側に売却し、約64億円の売却益を得た。そこで市は、空港と周辺のまちづくりを進めるための基金を創設するといい、議会に条例案を提出した。64億円のうち7億8000万円を基金に、残りの56億円を子育て支援や教育などのために使うという。ところが、阿部議員によると、先月10日、市が自民党会派に説明した内容はこれとは異なり、56億円は子育て支援ではなく、空港周辺の基金創設になっていたという。まちづくりについては空港周辺以外にも課題を抱えた地域があり、全体的なバランスを考慮すべきだと自民党が意見すると、2週間後、今度は空港基金はやめて、広く市民に還元することにしたと伝えた。しかし、それ以上の説明はなかったという。高島市長は、こどものためにお金を使うと市民にアピールしているが、何のことはない、急遽思いついた”策”だったのだ。こどものためと言えば議会が反対しないと読んだのだろう。阿部議員もそう述べている。ところで、7億8000万円を原資とする基金の使い道の中に、空港周辺住民のNHK受信料を助成する計画がある。なぜ一部の市民の受信料が援助されるのか。今後、議論を呼ぶことになりそうだ。

対立の原因は、福岡空港を運営する新会社に市の意見を反映させるため出資を求める自民党に対し、財政リスクが伴う出資はしないと高島市長が譲らないところにある。が、見逃せないのはこれまでの経緯だ。阿部議員によると、平成26年11月、福岡市は福岡県と共に国に対し、民間委託に関する要望書を提出している。これを受けて国は、平成28年7月、民間委託後の運営会社の経営に地元の意見が反映できるようにと10%を上限に地元自治体の出資を認めた。そこで福岡県は、直ちに県議会に諮った上で新会社へ出資することを決定した。ところが、福岡市は昨年10月、高島市長が出資しないことを発表。議会へは事後報告で、議員は報道で事実を知ることとなった。自民党が怒るのも無理はないだろう。(このあたりの詳しい経緯はこちらで)時を同じくして、新会社の顔ぶれ(七社会)が決まった。これが何を意味しているのか言わずもがな、高島市長が七社会に配慮しているのは想像に難くない。財政リスクというのは建前で、本音は七社会の金儲けのために口も金も出さないということなのだろう。

高島市長はブログで「こどものためにお金を使う、福岡市は間違っていない」と訴えている。しかし、これは問題のすり替えに過ぎない。やっていることは独裁者と変わらない。市民の負託を受けた議員や議会を蔑ろにするということは、つまり市民を蔑ろにするということ。それがわかっていないのか、これまで多くの案件が議会を通さずトップダウンで決められてきた。今回、福岡市議会は条例案を否決しただけでなく、出資すべきとの決議案を可決した。にもかかわらず、高島市長は耳をかさない。財政リスクというが、その説明も納得できるものではない。第一、出資がリスクになるのか。議員からは出資しない場合のリスクが明確にされている。そもそも、財政云々を口にするのなら、まずアイランドシティへの年間数百億にも上る企業交付金を止めるべきだろう。売れない土地を売るために、企業へ税金をばら撒くのは止めて、それこそ「こどものため」に使うべきだろう。

それにしても、ここまで独善的でいられるのは、やはり安倍首相や麻生氏の後ろ盾があるからだろうが、いつまでもこの状態でいられるとは思えない。自民党との間にできた溝は今後、少なからず市政運営に影響を及ぼすだろう。来年11月は市長選。果たしてどうなるのか。このまま悪夢は続くのか、それとも国政進出か、、 

 

《追記 2017.2.27》

今朝の西日本新聞によると、高島市長が副市長に指示をし、自民党に新年度当初予算案の勉強会を中止することを通告したという。理由は、自民党が条例案に反対し、阿部議員が23日の質疑で市と自民の間で行われた事前協議の内容(上記)を全面公開したから。(こちらとしては阿部議員のおかげで事実を知ることができたが)自民の働きかけで条例案に反対した市民クラブとも中止。一方、条例案に賛成した公明党、みらい福岡とは勉強会を開く。これを受けて自民党は今日27日、会議を開き、与党路線を変更するか否かを協議するという。もはや高島市長と自民党との亀裂は、ほぼ修復不可能な状態になったようだ。ますます目が離せなくなってきた。それにしても高島市長、自分の思い通りにならなかったことが余程悔しかったのだろう。ここまで露骨な態度をとるとは。

ちなみに勉強会とは、福岡市が議会に議案を提出する前に、事前に与党会派と擦り合わせ(根回し)をするもので、福岡市では慣例化している。そのため、これまで市が提出する議案が否決されたことは殆どない。これ自体が問題なのだが。

福岡市長と自民、亀裂拡大 市が予算案説明中止、市議団は与党路線の是非協議(西日本新聞 2017.2.27)  

 

 

 

 

2月23日議会閉会後、記者の質問に答える高島市長。(写真:高島市長公式ブログより)

 

 

《関連記事》

福岡空港:西鉄と九電が地元連合で新会社へ 七社会そろう (毎日新聞 2016.12.3)

福岡空港未来基金を創設 福岡市条例案まちづくりに活用(西日本新聞 2017.2.14)

福岡市長と自民の亀裂露呈 空港基金条例案、市議会委で否決 議会対応、かじ取り難しく(西日本新聞 2017.2.23) 

揺れる福岡・高島市政(政治ニュースHUNTER 2017.2.23) 

 

《関連資料》

【動画】第1回福岡市議会定例会(2月20日本会議) 

福岡市議会HP。平成29年第1回福岡市議会・議案及び議決結果(2.24) 

 

 


博多駅前陥没事故から3ヵ月

2017-02-11 11:28:00 | 博多駅前陥没

博多駅前陥没事故から3ヵ月。今年に入って、ようやく福岡市が事故の発生状況や施工経緯などの資料をホームページに公開した。それにあわせるかのように、新たな事実が報道されはじめた。以下に主な内容をまとめてみた。

まずは、トンネルを支える鋼材にかかる圧力が基準値を超えていたにもかかわらず、大成JVが市に報告していなかったというもの。事故前日の7日午後から圧力の異常な上昇が始まり、同午後6時頃、市への報告が義務付けられたレベル1を記録。8日午前1時頃、軽度の対策工事を要するレベル2、同1時半頃、工事停止が必要なレベル3に達していたが、市には報告せず工事は続けられ、陥没事故に至った。これは事故後、市がJVに要求した資料から判明したという。高島市長は先月24日の定例記者会見で、JVへのヒヤリングを行う考えを示していたが、先月末に実施されたようで、今月9日、ヒヤリング結果が公表された。それによると、現場員は7日午後7時半頃、定時観測で注意喚起が必要なレベル1に達したことを把握していたが、予測範囲内と考え、市には連絡しなかった。その後、計測値を確認しないまま9時間作業を続け、事故が発生した。超過の事実を知ったのは事故後だったという。これについて、交通局は「事故を未然に防ぐ機会を逸した可能性がある」と述べている。また、掘削後にトンネルに吹き付けるコンクリートにかかる圧力も、8日午前1時ごろに基準値を超過していたが、市への報告は事故後だった。(下図参照)

次に、トンネル天井部の岩盤を補強する鋼管(先受け鋼管)の一部を、事故前に切断していたというもの。昨年8月、市とJVは事故現場付近の岩盤の厚さ(岩かぶり)を2メートル程度確保するため、トンネル天井部の位置を1メートル下げるように設計変更。これに伴い、鋼管が重なる長さを伸ばし、薬液の密度を高めて岩盤を強化するように見直していた。ところが、陥没直前にJVが撮影した写真に、数本が切断され重なっていない状態の鋼管が写っていた。市が写真を調査してわかったという。(下写真参照)JV側は第三者委員会に「トンネル施工の支障になったため切断した」と説明している。さらに、岩かぶりが2メートルに達していない部分があったという報道もある。

 

事故から3ヵ月が過ぎ、当時の状況が明らかになってきたが、そもそもどうしてこれほど時間がかかるのか。事故直後、福岡市は情報公開を頑なに拒んでいた。公開できない理由を、第三者委員会で審議中だからと委員会を盾にして逃げていたが、市民や議会から批判を受け、態度を変えざるを得なくなった。事故から1ヶ月半のことだった。ヒヤリングの結果、大成JVに重大な過失があったことはよくわかったが、それでは市に問題はなかったのか。コスト削減のため、岩盤が脆いことを知りながらNATM工法を押し進めたのは市ではなかったのか。そのため現場は過酷な状況を強いられていたのでないのか。これらを封印し、大成JVを批判して終わらせることは許されないだろう。

ところで、第三者委員会はJVから聞き取りをしていながら、公開中の資料にはこれらに関することは一切掲載されていない。高島市長は事故直後、原因究明には客観性が必要だといい、第三者委員会に事故検証を丸投げした。これは工事を早期に再開させるための手段ではないか。平成32年度の開業は難しいといわれはじめているが、東京オリンピックには間に合わせたいとの思いがあるに違いない。

 

《追記 2017.2.13》

先程のNHK福岡ニュース。福岡市がボーリング調査など行って地質を詳しく調べたところ、より深い地層の土砂も流出していて、陥没で落下した土砂の規模が当初の想定より大きいことがわかった。このため福岡市は陥没のイメージ図を修正したと。確かに1月16日に公開された資料(P10)を見ると、いつの間にか新しい横断図が描かれている。(下図右)しかし、具体的な説明はない。相変わらず。

画像は陥没の規模 当初の想定より大  NHK福岡ニュースより

 


 

切断された先受け鋼管(1月16日公開:交通局資料より)

 

 

 

 トンネル施工時の計測データ(2月9日公開:交通局資料より)

 

 

  

  

 

《関連記事》

博多陥没兆候2回計測 JV、市に伝えず工事(西日本新聞 2017.1.25)

博多陥没:前日兆候 数値異常、施工業者報告せず(毎日新聞 2017.1.24)

トンネル補強の鋼管切断 JVが事故直前に 博多道路陥没一因の可能性も(西日本新聞 2017.2.9)

博多陥没 岩盤厚さ想定未満(読売新聞 2017.2.8)

コンクリ異常値も報告怠る、福岡 陥没直前、強度測定でJV(西日本新聞 2017.2.10)

異常値、推移確認せず JV工事中、停止レベルに 博多道路陥没(西日本新聞 2017.2.10)

博多陥没:防止機会、逸した恐れ JV聴取結果公表 (毎日新聞 2017.2.10)

 

《関連資料》

福岡市交通局。道路陥没事故前の計測データに関する施工業者へのヒアリング結果及びナトム大断面トンネルの施工における計測管理について

国立研究開発法人 土木研究所HP。福岡市地下鉄七隈線延伸工事現場における道路陥没に関する検討委員会


《参考》

荒木市議ブログ。地下鉄工事陥没事故から見える福岡市政の課題  

 

 


すべてが沈む前に

2017-02-04 18:54:54 | 五ケ山ダム

すべてが沈む前に「小川内」へ入りたい。その思いが捨てきれず、ふたたび五ヶ山へ。かつての大野集落あたりはすでに沈んでしまい、今はまもなくダム湖となる、小川内地区の基盤整備が慌ただしく行われている。そこへ入ろうというのだから、まずは責任者と交渉しなければならない。早速、現場事務所へ向かい、現場監督に思いを伝えた。結果、十分注意をした上でということで立ち入りが許可された。

およそ1年半ぶりに「小川内」に入る。五ヶ山ダム建設に伴う埋蔵文化財の調査が長く行われていたこともあり、あたりは一変していた。その中をありし日の風景を思い出しながら、一歩一歩前へ進む。小さな橋を渡ると荒れ果てた雑木林が見えてくる。確か住居があったところだと思うが、そこから下へ降りてみると、村を流れる那珂川に出た。川は昔と変わらず、きれいなままだった。しかし、その流れの先にあるのはダム湖。ここも間もなく消えてしまう。

村道へ戻り、さらに進む。しばらくすると、こんもりとした竹藪が見えてくる。そこにはかつてうどん屋さんがあった。地元の猟師さんが採ったイノシシと脊振山の清流を使った「イノシシうどん」は絶品だった。清流のそばには鎮守(山祗神社)の森があった。そこには村のご神木「小川内の杉」があって、、などと思い出しているとたどり着いた。しかし、立ちすくんだ先にあったのは、清流でも森でもなく、死んだように動くことのない、ただ深くて暗いダム湖だった。これが現実なのだと、足元の沈みかかった道をじっと見つめていた。山手側を見ると、「小川内の杉」の移植された跡が生々しい姿で残っていた。土嚢は積まれたまま、この状態でダムの底に沈んでゆく。

帰り道。あたりをキョロキョロ見まわしながら歩いていると、赤いものが目に留まった。寒椿だった。かつて住人が植えたものだろうか、見てくれる人もいないのにけなげに咲いていた。しばしその場に立ち止まり、名残を惜しみつつ、ふたたび来た道を歩きだした。やるせない思いを振り切るように、もうこれで悔いはないだろうと自分に言い聞かせながら、最後の「小川内」を後にした。

 

撮影日:2017.2.3

小川内へ

 

 

 

 

 

思い出す

 

 

 

 

 

ここを下りると

 

 

 

 

 

川は生きていた

 

 

 

 

 

きれいなまま

 

 

 

 

 

勢いよく流れて

 

 

 

 

 

上から見る

 

 

 

 

 

ふたたび村道へ

 

 

 

 

 

村のシンボル

 

 

 

 

 

最後まで生きる

 

 

 

 

 

 徐々に近づく 

 

 

 

 

唯一、集落の痕跡が(写真右)

 

 

 

 

 

 

ダム湖はすぐそこ

 

 

 

 

あの場所へ

 

 

 

 

 

着いた 

 

 

 

 

 

 

 道はここまで

 

 

5年前、同じ場所 

 

 

 

ただ呆然と

 

 

 

 

 

変わり果て

 

 

 

 

 

「小川内の杉」移植跡 このまま沈む

 

 

 5年前、同じ場所

 

 

 

ふりかえる 

 

 

 

 

 

 

けなげに咲いて(寒椿、原種はヤブツバキ)

 

 

 

 

 

 

足元に咲いて(オオイヌノフグリ:ゴマノハグサ科)

 

 

 

 

 

歩いた道が見える ここがすべてダム湖に(下地図に撮影位置を記入)

 

 

 

 

 小川内及び大野位置図

国土地理院図より(新倉谷七曲道路と五ヶ山ダムはまだ描かれていない)


 

 

 

 こちらは昨年10月、現場で入手した計画図(水色に塗られたところが沈む)