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宇土市245T剤、4月撤去開始~次は吉野ヶ里か

2024-03-27 09:43:47 | 245T剤埋設問題

いよいよ245T剤撤去がはじまる。トップは宇土市。7月中旬までに同市国有林に埋設されている粒剤2055㌔の約4割を掘削して処理する。今回の撤去は北側部分。掘削物が雨水などで流出しないようテントで覆い、作業員は防護服で作業する。掘削物は粉砕し、ドラム缶に詰めて搬出。県外の民間処理施設で高温焼却して無害化する。残る南側部分は、今回の撤去後に事業化するという。(半分残したままなのか)

林野庁は、令和3年度(令和4年3月)、全国46ヵ所の埋設地のうち佐賀県吉野ケ里町、熊本県宇土市、高知県四万十市、岐阜県下呂市の4ヵ所をモデルケースとして撤去に向けた調査を開始した。令和4年度(令和5年3月)には調査報告書を公開し、撤去へ向けた準備に入った。昨年4月、吉野ヶ里町245T剤、5月以降撤去へとの報道が流れたので、いよいよかと思いきや動きはなかった。林野庁ホームページを見ると、工事請負業者がなかなか決まらなかったようで、先月15日、ようやく落札。一方の宇土市は、昨年12月27日に落札している。

宇土市が最初に撤去されることになったのは、宇土市議会が積極的に動いていたことが背景にあるのではないだろうか。一方の吉野ヶ里町の埋設場所は脊振山中(佐賀と福岡の県境)にあり、福岡市民の水源である五ケ山ダムからわずか1Kmのところにある。にもかかわらず、福岡市議会は動かなかった。吉野ヶ里がモデル地区に選ばれたのも田村参議院議員の強い要請があったからで、そうでなければどうなっていたかわからない。福岡市民の健康に関わる問題なのだが、、

 

 

宇土市の245T剤埋設地(熊本日日新聞より)

全国46カ所の埋設地で初めて

 

 

 

林野庁・令和3年度報告書より

 

 

調査対象地(モデル地区4ヵ所)

次は吉野ヶ里町か、、

 

吉野ヶ里の事業期間は今年9月27日までとなっているので、そろそろ動き出すかもしれない。現地へ行ってみなくては。

 

 

《関連記事》

ダイオキシン含む除草剤、4月撤去開始 宇土市の国有林から搬出、無害化 全国初(熊本日日新聞 2024.3.25)

 

《参考資料》

林野庁HP。埋設・管理している2,4,5-T系除草剤

 

 


福岡県西方沖地震から19年~警固断層帯の脅威

2024-03-25 22:15:50 | 災害

福岡県西方沖地震を振り返る

早いもので、福岡県西方沖地震から19年が過ぎた。記憶が薄れていく中、全国では地震が絶え間なく発生している。またいつ福岡で地震が起きるかわからない。実際、警固断層帯北西部では小さな地震が今も続いている。備えは怠れない。

振り返ると、2005年3月20日10時53分、福岡市西区玄界島から北西約3㌔の玄界灘海底でM7.0、深さ9kmの地震が発生。震源域は警固断層帯北西部。地震メカニズムは東西方向に圧力軸を持つ左横ずれ断層型。福岡市中央区、東区、糸島市、佐賀県みやき町で震度6弱を観測。福岡市で死者1人、重軽傷者は福岡市内で1039人(福岡、佐賀、長崎、山口県の4県で1204人)。福岡市内の住宅被害は5220棟。玄海島の被害が大きく、博多湾沿岸域では液状化が多数見られた。なお、当時、玄海島には地震計がなく震度は不明、推定6弱~7とされている。

地震発生時、仕事でアメリカシアトルへ向かうため福岡空港にいた。建物は大きく揺れたが短かった。空港内は騒然となった。どうなるかと思ったが、滑走路の安全確認後、飛行機は飛んだ。上空からは大きく崩れた建物や火災などは見られなかった。被害の程度もわからないまま、後ろ髪を引かれる思いで日本を離れた。帰国後、被害状況を知って驚いた。なんと亡くなったのは、知人(飲食店オーナー)のお姉さんだった。そうとは知らず、帰国直後にお店に顔を出した時、亡くなった方が多くなくて…と言ってしまい、知人が、実は…と俯いた。返す言葉がなかった。その時のことは今でも忘れられない。

 

地震翌日の西日本新聞記事(福岡市HPより)

 

 

警固断層帯の脅威 

今月20日の西日本新聞「福岡沖地震19年」に注目した。志賀島付近でひずみがたまっている可能性があることが、西南大学新原俊樹教授の分析でわかったという。志賀島付近では地震活動の特徴を表わす指標「b値」が低く、大きな力が加わっている可能性がある。ここで大きな地震が起きると、警固断層南東部(陸側)の断層に影響する恐れがあるという。アイランドシティ付近でもb値が低い所があるらしい。そういえば、今年1月末頃、志賀島付近(同じ場所)で小さな地震が頻繁に発生していたので気になっていた。

※b値とは、地震の発生頻度(n)と規模(M)の関係を示す指標(傾き)。Mが大きな地震ほど発生頻度は少なく、逆にMが小さい地震ほど頻度は多い。Mが1大きくなると頻度は10分の1になる。

 

2024年3月20日の西日本新聞「福岡沖地震19年」より

青い部分がひずみの大きいところ

 

 

 

1月26日~29日までの震央分布図(気象庁HPより)

 

まさに青い部分で地震が発生している(地震は1月22~23日頃からはじまっていた)

 

 

 

こちらは最近1年の福岡県周辺の地震活動(九大地震火山観測研究センターより)

警固断層北西部は相変わらず多い、なかでも志賀島あたりが目立つ、南東部は少ない

 

 

もう一つ、地震周期について。玄海島では全壊した住宅が107棟に上ったが、最大震度6弱を観測した福岡市では、中央区と博多区各9棟、東区6棟など、地震規模が大きかった割に多くなかった。その理由について、京大防災研の境有紀教授は「周期1~2秒の揺れが強く出なかったから」と指摘。地震波には、さまざまな周期(揺れが1往復するのにかかる時間)の波があり、周期1秒以下が強いと屋根瓦のずれ、ブロック塀の倒壊、斜面の倒壊が起きやすい。一方、周期1~2秒が強いと木造建物や10階建て以下のビルに大きな被害をもたらしやすい。西方沖地震では、0.5秒程度の揺れが最も強かったため、全壊を免れた建物が多かった。能登半島地震でも、震度7を観測した石川県志賀町(周期0.2秒)より、震度6強の輪島市、穴水町(周期1~2秒)のほうが全壊した建物が多い。Mが小さいからと安心してはいけない。

 

 

2024年3月20日の西日本新聞「福岡沖地震19年」より

阪神大震災と比較(能登半島地震と比較してほしかった)

 

 

西方沖地震では、警固断層帯北西部の活断層が動いた。しかし、南東部(陸側)の活断層は動いていない。地震調査研究推進本部の評価によれば、警固断層帯南東部は推定M7.2程度の地震が発生、今後30年の間に発生する確率は0.3%~6%。主な活断層の中でも最も高いレベルである。活断層の位置について、10年前の防災の日の講演会で産総研活断層評価チーム長の吉岡氏が、天神~大橋(博多温泉付近)~春日市(筑紫野インター付近)までと話しておられた。(ちなみに、うちのすぐそばを通っている)都心部を貫く活断層で地震が発生すれば、どれほど大きな被害がでるのか。想像はしたくはないが、想定はしておかないといけない。ところが、福岡市の想定がトンでもなく甘い。どれほど甘いか、西日本新聞が「福岡市 避難者想定に穴」と題し、報じていた。

警固断層帯南東部で地震が発生した場合、防災科学技術研究所は福岡市などで最大震度7と予測をしているのに対し、福岡市の予測は6強。震度6強が7になれば全壊する建物は4~5倍増える。さらに、避難者数の想定も問題がある。福岡市は住居が全壊か焼失したのみを想定し、半壊や危険な建物、断水や停電により生活できない人の数は入れていない。九大塚原健一教授(防災計画)は、福岡市の甘い想定に警鐘を鳴らしておられる。にもかかわらず、市は見直す予定はないという。20年近く大きな地震が起きていないので危機感がなくなってしまったのか。警固断層帯の脅威はすぐそこにあるというのに。

 

 

2024年3月22日の西日本新聞より

福岡市、穴だらけ、、

 

 

《関連記事》

福岡沖地震19年、警固断層帯北西部で依然続く活動 「ひずみ」たまっている可能性(2024.3.20 西日本新聞) 

警固断層、福岡市の想定甘い? 国予測は震度7、全壊率4~5倍に 九大教授が警鐘(2024.3.22 西日本新聞)

能登半島 揺れ周期の違いが建物の被害割合に影響か 専門家分析(2024.1.13 NHKニュース)

 

《参考資料》

福岡市HP・福岡県西方沖地震記録誌(2011.3.1)

地震調査研究推進本部HP。警固断層帯

 

 


那珂川護岸工事はじまる

2024-03-15 15:05:00 | 災害

昨年7月の九州北部記録的大雨によって崩壊していた那珂川の護岸工事がようやく先月からはじまった。損壊箇所がだんだん大きくなっていたので、どうなることかと心配していたが、どうやら出水期までに間に合わせるつもりようだ。それは良かったが、、

帰福してみると、桜並木の一部が無くなっていた。復旧工事で邪魔になるからだろうか、桜が9本も伐採されていた。樹齢20~30年くらいだろうか、株だけが残っていた。なんとも無残な姿。もう少し早く着手していれば、これほどの木を切らずに済んだのでは、、というか、ここまでバッサリ切らずにできないものか。

ところで、tenki.jpの桜開花予想日を見ると、全国トップは高知と東京の3月19日、福岡市は3月20日となっている。天気予報はというと、今週末に気温は上昇するものの、来週はふたたび下がる。どのタイミングで開花するか、あとは桜の気分次第といったところだろうか。

 

※下に更新しています。

 

撮影日:2024.3.11

那珂川の護岸工事現場(福岡市内)

 

 

 

桜の木が、、😢

 

 こちらは大雨直後(昨年7月13日撮影)

 

 

崩壊が進んでいる

 

 こちらは大雨直後(昨年7月13日撮影)

 

 

5月31日までの予定

 

 

 

こちらの桜は健在

 

 

桜の様子

まだまだ蕾

 

 

2日後

ザックリ抉られ、、

 

 

 

《追記 2024.3.15》

今日午後、山口へ行く予定が急遽、明日早朝になったので、桜の様子を見るついでに現地へ行ってみた。偶々、現場の方がおられたので、お話を伺うと、桜の木は倒れそうになっていて、ブロックに過重がかかって、危険なので伐採したとのことだった。土砂を撤去したあと、新たに大型ブロックが整備される。護岸の位置(川幅)は変わらないとのことだった。

 

撮影日:2024.3.15

測量中?

 

 

 

工事が終わるまで大雨になりませんように

 

 

 

桜の様子

少し膨らんできたかな(来週末、福岡へ戻った頃には咲いてるだろうな)

 

 

 

《関連記事》

桜開花・満開情報 2024(tenki.jp 2024.3.11)

 

 


大山梅まつり2024

2024-03-03 18:30:00 | 日記

太宰府の筑前国分寺で友を弔った後、梅まつり開催中の日田市大山へ。

3月に入った途端、季節が逆戻りしたようで、この日、大山も風が冷たく寒かった。おおくぼ台に到着して遠くから梅を見ると、まだ半分程度しか咲いていないように見えた。ところが、車から降りて近くで見ると、花はすでに散っていた。梅を販売している方に話を伺うと、今年は開花が早かったとのこと。開花後に気温が上昇したため、一斉に咲いて、その後の雨で散ってしまったとのことだった。いつもの年だと、今頃、満開の状態になっているのだが、、今年は天候不順が大きく影響したようだ。

3月3日はひなまつり。日田市ではあちこちでひなまつりイベントが催されているが、おおくぼ台でも梅まつりイベントが開催されている。おそらく多くの人で賑わっただろう。梅のあとは桜、季節はどんどん進んでいく。

 

撮影日:2024.3.1

おおくぼ台梅園  ちょっと寂しいかな

 

 こちらは満開の状態(2021年2月28日撮影)

 

 

赤っぽく見えているのはガク、花は散ってしまっていた

 

 

 

河津桜は満開🌸 下を見ると梅の苗木がたくさん

 

 

 

日田おおやま梅まつりは3月17日まで

 

 

 

そういうわけで、満開の梅を見ることはできなかったけれど、茶屋で立派な竹籠をゲット!茶摘みのときに使っている竹籠が古くなったので探していたところ、ちょうどよいのが見つかった。今年9月に宮崎へ移住する予定なので、大山の梅を見るのもこれで最後になるかも😢これからは茶摘みをしながら、大山の梅を思い出すことになりそう。

 

 

 

 


筑前国分寺へ

2024-03-02 21:30:20 | 日記

親友をようやく弔うことができた。従妹さんから太宰府の筑前国分寺に納骨されていることを教えていただき、1日、相方とお参りした。親友の死から7ヵ月経っていた。(今年亡くなったことを知ってから従妹さんに辿り着くまで時間を要した)

筑前国分寺は四王寺山(しおうじやま)の麓にあり、聖武天皇の詔によって全国に建立された国分寺の一つである。これまで金堂、経典を納めるための七重塔、講堂などの建物跡が見つかっており、現在、その一部を見ることができる。また、国分寺の本尊は薬師如来であり、今から1300年前、奈良時代の名僧・行基菩薩によって作られたもので、国の重要文化財に指定されている。

太宰府天満宮にはよく行っていたが、ここを訪れたのは初めてだった。友を弔った後、本堂(かつての金堂)そばの国分寺跡(七重塔跡)にしばし佇んでいた。目の前には四王寺山があり、見晴らしも良い。いつしか涙は消えて、不思議に心穏やかになっていた。人はいつかは死ぬ。歴史がそう諭してくれているように感じた。近くには、国分寺の屋根瓦を焼くために造られた国分瓦窯跡など史跡がいくつもある。またいつかお参りを兼ねて散策してみようと思う。友も「そうしたらいいよ」と言っているような気がする。

 

撮影日:2024.3.1

筑前国分寺

 

※国分寺の総本山は奈良の東大寺。筑前国分寺は大宰府が管轄した西海道(九州)の中では最も早く、756年までに完成したとみられています。

 

 

本堂(ここに金堂があった)

 

 

 

外門

 

 

 

筑前国分寺跡(ここに七重塔があった)

 

 

 

これまで金堂、講堂、七重塔、回廊など堂塔跡の遺跡調査が行われ、整備されている

 

 

 

史跡とロマンのまち、散策してみよう

 

 

 

《参考資料》

日本遺産太宰府~古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点 

九州四十九院薬師巡礼・龍頭光山 筑前国分寺