■夫の無念継いで発言/鹿沼市職員殺害事件
栃木県鹿沼市の小佐々守さんが急に姿を消したのは、01年10月31日のことだった。
当時57歳、市の環境対策部参事。廃棄物処理施設で業者への許認可や指導を担当し、長年にわたって市から不当に便宜を受けていた特定業者との関係を改めようとしていた。
行方不明になった日の翌朝、職場と自宅の間にある田んぼで愛用の眼鏡がみつかった。事件に巻き込まれた可能性が高まった。
「だれが考えたって、『だれかに連れていかれたんだろう』と市民は心配しております」
4カ月後、議会で市議(64)が市の見解をただした。すると翌日深夜、何者かがこの市議の自宅裏にあった重機に油をまいて火をつけた。重機が全焼した。
「口封じだ、とピンときた。はっきりものを言ったからねらわれたんだ」
行方不明から1年3カ月後、暴力団関係者の男らが逮捕された。小佐々さんは、廃棄物処理業者の役員=事件後に自殺=の意を受けた男らに拉致されていた。男らは「拳銃で殺害した」と供述した。
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「本当は怖いんだ」
拉致される前、小佐々さんは妻の洌子(きよこ)さん(61)に何度かこう漏らしていた。
本来、持ち込みが禁止されている市外のごみを大量に持ち込んで利益を上げていた業者に対し、小佐々さんは搬入を拒否したり、ごみの排出元に詳細な報告を求めたりして不正をただそうとした。
「業者ににらまれたよ」。帰宅後にそう話す夫を、洌子さんは「気をつけて」と気遣った。事件後「なぜあのとき『警察に相談して』と言わなかったのだろう」と悔やむ。
男らが逮捕された翌年の04年、まったく面識のなかった岐阜県御嵩町の前町長、柳川喜郎氏(76)から「お会いできませんか」と地元紙の記者を通じて打診があった。
柳川氏は96年10月、2人組の男に襲われ、頭蓋骨陥没骨折の重傷を負った。犯人は分かっていないが、町長就任後に一時凍結を決めた産廃処理場の建設問題が背景にあると言われている。
自宅を訪ねてきた柳川氏は仏壇に手を合わせ、洌子さんに「当事者として声を上げてください」と強く勧めた。「これは言論の自由にかかわる問題。暴力におびえ、自由にものを言えなくなるのはまずい。この風潮を何とか止めないといけない」
2カ月後、柳川氏の招きで洌子さんは御嵩町で講演した。「行政も住民も事件を風化させないでください」。大勢の前で話すのはこのときが初めてだった。以来、全国で暴力追放や被害者支援を訴えている。昨年は、山形から松山まで14カ所を回った。
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「私も本当は怖いんです」と洌子さんは言う。今も顔を正面から撮影されるのを断っている。しかし「気に入らないからといって拳銃で人の命を奪うなんて、民主主義のいちばんのルールに反する。それがまかり通る世の中が許せない」と話す。
自宅の戸棚に、夫の眼鏡をしまっている。「これが私の原動力」。時々手に取って眺め、夫の無念さを思うのだという。
【関連ニュース番号:0905/08、5月1日】
(5月7日付け朝日新聞・電子版)
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000905070002