観戦記部門大賞の白鳥士郎氏。「3年前、『りゅうおうのおしごと!』で文芸部門優秀賞をいただきまして、感動的なスピーチをした白鳥です。
実は、その3年前は祖父が他界しまして、受賞の2ヶ月後には、母が亡くなりました。
私は井口昭夫さんの観戦記を読んで、世の中にこんな凄い観戦記があるのかと感嘆しました。今回の観戦記では、それが血肉となりました。
今回、相崎さんには将棋データベースで棋譜を検索してもらい、それがあって観戦記が書けたと思います。
『りゅうおうのおしごと!』を上梓したあと、ある書店が売り場に将棋盤を展示してくれまして、それを銀杏記者がツイートしてくれました。この書店は日本でいちばん私の本を売ってくれた店員さんがいまして――」
ほう、と私たちは先を注目する。「それが今の妻です」
司会のOsada氏が促し、ここで奥様とお子さん(1歳前後)も登壇した。こういうケースは意外に初めてではなかろうか。
「これから家族も増えて、また観戦記を書けたらと思っております」
優秀賞の田中幸道氏。「今回は身に余る賞をいただき、ありがとうございます。
私は観戦記を書いて10年目になります。将棋ペンクラブ大賞受賞は目標にしていたので、感無量です。私は福井から来たんですが、たじろいでおります。
昨年も最終選考に残ったんですが、選考委員の方から厳しい言葉を頂戴し、受賞には角1枚足りないなあ、と痛感しました。でも今回は温かい言葉をいただき、恐縮しました。
豊島名人が棋聖を獲ったとき、諦めずにやってきてよかったと思います、と談話を残しましたが、私もその気持ちです。
今回は優秀賞をいただき満足でしたが、時間が経ってくると欲が出てきて、来年はできることなら大賞を獲り、またこの場でお話できたらいいと思います」
田中氏は一局の観戦記にテーマが内包されており、濃密な取材とあいまって、読み応えがある。私が好きな観戦記者である。氏の力量なら賞受賞は時間の問題だと思っていたので、今回の受賞は私もうれしい。むろん大賞も狙える書き手なので、来年以降が楽しみである。
文芸部門大賞は、野澤亘伸氏。「今回は大賞をいただけるとは思わず、皆様に心より感謝いたします。
私はカメラマンとして、26年間、いろいろな現場を踏んできました。今回はシャッターを切る手を文章にしたわけです。
私は文章力も語彙力もないし、洗練した文体に比べると劣ります。ただ、必ずしもいいカメラ機材で撮った写真が人に何かを伝えるわけではなく、たとえばスナップ写真でも、人に伝えられるものがあると思います。
多くの人が、関心がなく通り過ぎてしまうものを、私は掬いたい。棋士の先生が指すなにげない一手にも、棋士の人生がにじみ出ていると思います。
今回の受賞のよろこびを、今後精進するための糧にしたいと思います」
野澤氏の名前は存じ上げなかったが、アイドルを撮影する時、自らもパンツ1枚になるカメラマンを見たことがある。その風貌が野澤氏にそっくりだった。
仮に2人が同一人物だとして、生粋のカメラマンにこれだけの文章が書けるだろうか。
いや、書けるのだろう。才能があふれる人は、一人何役でもこなしてしまうのだ。
優秀賞は北野新太氏。Osada氏が、「北野さんは第26回の将棋ペンクラブ大賞を受賞しております」と紹介した。
「今回の受賞を光栄に思っております。今回はいつもと変わった文章を書こうと思いました。新しい何かを書きたかった。それには斎藤慎太郎王座と中村太地前王座の協力が必要です。あの2人なら、自分の思ったスタイルで書けるんじゃないかと思いました。中村前王座、斎藤王座に感謝いたします。
現在はあらゆる世界で閉塞感に満ちています。でも将棋界は違う。今回は中村前王座が私の取材に徹底的に付き合ってくださった。成功はしていないが成立はしていると思います。その信頼関係は些末なものですが、それがあって書き上げられた。
その背景に何があるか。戦後70余年、多くの書き手が遺してきた、1日1話の観戦記、圧倒的な文量による信頼が、現場をたらしめている。将棋のペンを握る者は、その恩恵の中にあるのです」
北野氏はなかなか渋い声で、嶋田久作みたいな声だった。
同じく優秀賞は、佐川光晴氏。「私は54歳、1964年生まれです。受賞者で最年長なのでビックリしました。私は中高とサッカーをしていますが、将棋を精進したことはありません。
内藤國雄先生の本を買って、長男と次男に将棋を教えたのは5年前のことでした。
将棋を一から覚える親としては負けるわけにはいかない。入玉とと金の作り方を覚えました」
ここで佐川氏の奥様と2人の御子息が登壇した。先の白鳥氏に続いて、2組目の身内登場である。これも異例だ。「ところが1月も経たず次男に負けまして、あとで次男に、(父さんが)いくらでも負けてくれたんで、指していて楽しかった、と言われました。
だけど私は、将棋小説をこわごわ書いていました。7つ作品があったが、息子に読んでもらって、この将棋用語の言い方はこれでいいのか、訊きました。息子は、半分はオレの話じゃねえか、と言っていました。
妻は学校の教員をやっていて、私が子供をよく見てきました。
子供が将棋を覚えて、少し強い子が次の世界に踏み込んでいく。素晴らしいことです」
技術部門の大賞は、杉本昌隆八段。「入玉の本を書くにあたり、なんてマニアックな本なんだろうと思いました。
実戦が少ない上、あんまりやると嫌がられる。
だけど入玉にこそ将棋の本質があり、自分も楽しみながら書きました。
会報には書かなかったことを言います。金底の歩、というのがありますね。金底の金、というのもあるんです。これはどちらも連結してるんで取られないんですが、両者は全然違います。金底の金は、お互い連結しながら、上のほうに逃げられるんですね。
藤井聡太君は両者とも同じと言ったんですが、注意しました。
私は2年連続で賞をいただいたわけですが、来年はPHPさんから本を出す予定があります。それでまたペンクラブ大賞をいただければ3年連続。永世ペンクラブ大賞を狙っております」
若干言い回しが違っているところはご容赦いただく。とにかく、6氏とも味のあるスピーチで、私は笑いながら唸るばかりだった。
(つづく)
実は、その3年前は祖父が他界しまして、受賞の2ヶ月後には、母が亡くなりました。
私は井口昭夫さんの観戦記を読んで、世の中にこんな凄い観戦記があるのかと感嘆しました。今回の観戦記では、それが血肉となりました。
今回、相崎さんには将棋データベースで棋譜を検索してもらい、それがあって観戦記が書けたと思います。
『りゅうおうのおしごと!』を上梓したあと、ある書店が売り場に将棋盤を展示してくれまして、それを銀杏記者がツイートしてくれました。この書店は日本でいちばん私の本を売ってくれた店員さんがいまして――」
ほう、と私たちは先を注目する。「それが今の妻です」
司会のOsada氏が促し、ここで奥様とお子さん(1歳前後)も登壇した。こういうケースは意外に初めてではなかろうか。
「これから家族も増えて、また観戦記を書けたらと思っております」
優秀賞の田中幸道氏。「今回は身に余る賞をいただき、ありがとうございます。
私は観戦記を書いて10年目になります。将棋ペンクラブ大賞受賞は目標にしていたので、感無量です。私は福井から来たんですが、たじろいでおります。
昨年も最終選考に残ったんですが、選考委員の方から厳しい言葉を頂戴し、受賞には角1枚足りないなあ、と痛感しました。でも今回は温かい言葉をいただき、恐縮しました。
豊島名人が棋聖を獲ったとき、諦めずにやってきてよかったと思います、と談話を残しましたが、私もその気持ちです。
今回は優秀賞をいただき満足でしたが、時間が経ってくると欲が出てきて、来年はできることなら大賞を獲り、またこの場でお話できたらいいと思います」
田中氏は一局の観戦記にテーマが内包されており、濃密な取材とあいまって、読み応えがある。私が好きな観戦記者である。氏の力量なら賞受賞は時間の問題だと思っていたので、今回の受賞は私もうれしい。むろん大賞も狙える書き手なので、来年以降が楽しみである。
文芸部門大賞は、野澤亘伸氏。「今回は大賞をいただけるとは思わず、皆様に心より感謝いたします。
私はカメラマンとして、26年間、いろいろな現場を踏んできました。今回はシャッターを切る手を文章にしたわけです。
私は文章力も語彙力もないし、洗練した文体に比べると劣ります。ただ、必ずしもいいカメラ機材で撮った写真が人に何かを伝えるわけではなく、たとえばスナップ写真でも、人に伝えられるものがあると思います。
多くの人が、関心がなく通り過ぎてしまうものを、私は掬いたい。棋士の先生が指すなにげない一手にも、棋士の人生がにじみ出ていると思います。
今回の受賞のよろこびを、今後精進するための糧にしたいと思います」
野澤氏の名前は存じ上げなかったが、アイドルを撮影する時、自らもパンツ1枚になるカメラマンを見たことがある。その風貌が野澤氏にそっくりだった。
仮に2人が同一人物だとして、生粋のカメラマンにこれだけの文章が書けるだろうか。
いや、書けるのだろう。才能があふれる人は、一人何役でもこなしてしまうのだ。
優秀賞は北野新太氏。Osada氏が、「北野さんは第26回の将棋ペンクラブ大賞を受賞しております」と紹介した。
「今回の受賞を光栄に思っております。今回はいつもと変わった文章を書こうと思いました。新しい何かを書きたかった。それには斎藤慎太郎王座と中村太地前王座の協力が必要です。あの2人なら、自分の思ったスタイルで書けるんじゃないかと思いました。中村前王座、斎藤王座に感謝いたします。
現在はあらゆる世界で閉塞感に満ちています。でも将棋界は違う。今回は中村前王座が私の取材に徹底的に付き合ってくださった。成功はしていないが成立はしていると思います。その信頼関係は些末なものですが、それがあって書き上げられた。
その背景に何があるか。戦後70余年、多くの書き手が遺してきた、1日1話の観戦記、圧倒的な文量による信頼が、現場をたらしめている。将棋のペンを握る者は、その恩恵の中にあるのです」
北野氏はなかなか渋い声で、嶋田久作みたいな声だった。
同じく優秀賞は、佐川光晴氏。「私は54歳、1964年生まれです。受賞者で最年長なのでビックリしました。私は中高とサッカーをしていますが、将棋を精進したことはありません。
内藤國雄先生の本を買って、長男と次男に将棋を教えたのは5年前のことでした。
将棋を一から覚える親としては負けるわけにはいかない。入玉とと金の作り方を覚えました」
ここで佐川氏の奥様と2人の御子息が登壇した。先の白鳥氏に続いて、2組目の身内登場である。これも異例だ。「ところが1月も経たず次男に負けまして、あとで次男に、(父さんが)いくらでも負けてくれたんで、指していて楽しかった、と言われました。
だけど私は、将棋小説をこわごわ書いていました。7つ作品があったが、息子に読んでもらって、この将棋用語の言い方はこれでいいのか、訊きました。息子は、半分はオレの話じゃねえか、と言っていました。
妻は学校の教員をやっていて、私が子供をよく見てきました。
子供が将棋を覚えて、少し強い子が次の世界に踏み込んでいく。素晴らしいことです」
技術部門の大賞は、杉本昌隆八段。「入玉の本を書くにあたり、なんてマニアックな本なんだろうと思いました。
実戦が少ない上、あんまりやると嫌がられる。
だけど入玉にこそ将棋の本質があり、自分も楽しみながら書きました。
会報には書かなかったことを言います。金底の歩、というのがありますね。金底の金、というのもあるんです。これはどちらも連結してるんで取られないんですが、両者は全然違います。金底の金は、お互い連結しながら、上のほうに逃げられるんですね。
藤井聡太君は両者とも同じと言ったんですが、注意しました。
私は2年連続で賞をいただいたわけですが、来年はPHPさんから本を出す予定があります。それでまたペンクラブ大賞をいただければ3年連続。永世ペンクラブ大賞を狙っております」
若干言い回しが違っているところはご容赦いただく。とにかく、6氏とも味のあるスピーチで、私は笑いながら唸るばかりだった。
(つづく)