一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

関根茂九段、逝去

2017-02-24 00:09:43 | 男性棋士
2月22日、関根茂九段が亡くなった。享年87歳。
関根九段は1953年四段昇段。農林水産省の技官からプロになった異色の経歴だった。
1968年A級八段。その期に降級したものの、1973年に再びA級に昇級し、その期は6勝4敗の好成績を挙げた。A級は通算3年。このころの「近代将棋」に、パイプの煙をくゆらせながら順位戦を指す関根九段のグラビアが載っていたのを憶えている。
関根九段を語るうえで欠かせないのは1964年・第4期棋聖戦五番勝負の登場である。七段でのタイトル戦登場は史上初で、大きな話題になった。時の棋聖は大山康晴。当時大山棋聖はすっかり振り飛車党になっており、関根九段は後輩の山田道美八段(当時)らと振り飛車破りの研究会を行い、万全の態勢でタイトル戦に臨んだ。それが図に当たり、3局を終わって2勝1敗、大名人をカド番に追い込んだのである。いずれも急戦のキビキビした将棋で、関根九段の名局であった。
ところが大山棋聖もさる者、第4局で矢倉に作戦をチェンジしたのだ。ここで大山棋聖が勝つと、続く最終局も矢倉となり、こちらも大山棋聖が勝ち。文字通り薄氷の防衛としたのだった。
関根九段は残念だったが、大山棋聖に振り飛車を捨てさせた棋士として、負けても名を大いに挙げたのだった。
では、その第3局を載せよう。

1964年(昭和39年)7月9日
第4期棋聖戦五番勝負第3局
▲七段 関根 茂
△棋聖 大山康晴
於:滋賀県大津市「芳月楼」
持ち時間:7時間

▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲5八金右△8二玉▲3六歩△7二銀▲9六歩△9四歩▲2五歩△3三角
▲6八銀△5二金左▲5七銀左△6四歩▲5五歩△4三銀▲5六銀△1四歩▲4六歩△1三香▲3七桂△4一飛▲4五歩△同歩▲同銀△5一角▲2四歩△同歩▲7九角△3三桂
▲5六銀△2一飛▲2五歩△5四歩▲同歩△同銀▲5三歩(図)

△5三同金▲2四歩△4七歩▲同銀引△2五歩▲5六銀△3五歩▲同角△6二角▲5五歩△4三銀▲5七角△7四歩▲2五桂△同桂▲同飛△3七歩▲2三歩成△3八歩成▲1三角成
△4八と▲同金△8四角▲4九歩△5四歩▲9五歩△同歩▲9三歩△5五歩▲同飛△4四銀▲2五飛△4七歩▲5八金寄△3九角成▲5七香△8四歩▲4七銀△5五歩▲2二と
△5一飛▲3二と△5二飛▲5五香△9三香▲4二と△同飛▲5三香成△同銀▲2三飛成 △5一香▲5四歩△同銀▲9四歩△同香▲8六桂△8三銀打▲3一馬△4三飛▲6四馬
△7三銀▲3二竜△4二歩▲同馬△同飛▲同竜△6二歩▲9三歩△6四角▲5三歩△7五歩▲9四桂△7二玉▲9二歩成△同銀▲6六香△1九角成▲9一飛△8三銀▲9二金
△同銀▲同飛成△8二香▲8三銀△7一玉▲8二桂成△同銀▲7四香
まで、135手で関根七段の勝ち。

2002年引退。87歳は大往生であろうが、いくつであっても亡くなられるのはさびしいこと。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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