イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その89☆箱根の霊地「精進ヶ池」探訪記☆

2011-11-25 20:22:08 | ☆パワースポット探訪☆
                      


 箱根といえばわが国でも指折りの観光地---早川のせせらぎに沿ってつづいている17湯に、あと、寄木細工に富士屋ホテルに旧街道---観光客を満載した箱根登山鉄道や観光バスが山間や山道をたえず行き交い、湯元、宮ノ下、強羅、姥子に仙石原と、とにかく、どこにいっても終日ひとがあふれてるにぎやかな土地だというのが、多くのひとの抱いている最大公約数的なイメージなんじゃないか、と思います。
 実際、そのイメージは、あながち外れでもない、箱根には、たしかに「そのような」顔もあるのですから。
 ただし、それが箱根という土地のすべてだ、といいきってしまうのは短絡なんでせうね、やはり。
 観光地というのは、あくまで箱根の一面でしかありません。
 今日、このページで僕が紹介しようと思っているのは、そうした表の箱根とは別の相の裏箱根---古来からつづいてきた「霊地としての」箱根の横顔にちょいとスポットをあててみたい、とまあ思ってるわけなんです。
 さーて、この目論見がうまいこと日の目を見れるのかどうか---いささかなりとも興味のある方は、お急ぎ途中のおみ足をとめられて、さあ、しばしのお立ちあい、お立ちあーい!(^0^)μ


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 箱根は僕の地元である横浜からわりに近いので---距離走行距離95キロ、時間にして述べ1時間半ってとこかなあ?---以前から僕は、あき時間ができるとすぐにクルマを飛ばして、箱根の各所を頻繁に訪れたものでした。
 都会に長くいると、息、つまっちゃいますから。
 深い呼吸がしたくなると、手近な場所は、僕にとっちゃ箱根だったんですね。
 まず温泉。そして、なによりオゾンがいっぱいに充満した、瀟洒で美しい箱根の山々。
 よく訪れたのは、第一に姥子にある姥子温泉「秀明館」さん---こちら、温泉チャンプのあの郡司さんがナンバーワンに推したこともある、自然湧出の名湯なんですわ---それから、湯元の有名な日帰り施設「天山」に「一休」あたり---あと、大平台の共同湯「姫の湯」や宮ノ下の共同湯「太閤湯」なんか---などが主な目的地だったのですが、たまにはそういったお決まりのコースから外れて、気のむくままの周遊ドライヴを楽しむことなどもありました。
 で、そういった無軌道ドライブのとうちゅうで、ある日見つけた場所が、ここ「精進ヶ池」だったんですね。
 ほんと、予備知識もなんもなく、たまたま、トイレがしたくて停めた場所がここだったんです。
 ここには旧街道散策のための解説小屋みたいなのが建ってるんですよ---結構大きくて立派な建物、そのなかにトイレもあるの---せっかくきたんだからと小屋のなかの懇切丁寧な解説の類いも読んで、池のほうに何気に降りてみたら---
 そしたら、池のほとりにでた途端、なんか空気が変わったの。
 静謐感。
 空気がすごくひんやりしてる。
 なに、いきなしこの別世界感覚は? と思った。
 なんだか怖くなって、いままで自分がクルマを飛ばしてきたルート1の道路をつい振りかえっちゃった。
 そこを見知らぬクルマが何台か流れていくのが見えると、心なしか安心したりして---なんというか、反射的ににぎやかなものが見たくなったんですよ---ということは、すなわち、日常との絆がそれだけ途切れやすい場所なんでせうね、ここ「精進ヶ池」っていう場所は。
 言葉を換えれば、この場所は、とっても非日常な場所ってことになる…。
 ぶっちゃけていうなら、いわゆる「異界」ってやつ?
 含みをこめたマイルドな表現を使えば、諸々の地霊っていうのかな。
 ここに足を踏み入れたとき、そうしたものの気配が濃く感じられたんですね。
 ま、でも、そのときはそれだけの印象でしかなくて、それ以上どうこうしようっていうのはありませんでした。
 イーダちゃんには霊感ありませんし、ここ、たしかに静かでひんやりしてるけど、凶暴でおっかない、なんて印象は皆無でしたから。こちら、場所的に芦の湯の湯さんの近くにあるんで、近郊の芦の湯さんを訪れたときなんかには、ああ、そういえばこの近くにはあのふしぎな池があったっけ、と思いだしついでに寄ってみたりすることはときどきあったけど。
 僕と「精進ヶ池」との縁(えにし)の結びはじめは、ま、そのような感じだったのでありますよ---。


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 そんな風だった「精進ヶ池」と僕との関係が変化しはじめたのは、たしかおととしくらい、神田の神保町で入手した一冊の古本が契機だったように記憶してます。
 それは、「霊能者・寺尾玲子の新都市伝説“闇の検証”第二巻(朝日ソノラマ)」という本---残念ながら現在は廃刊---なのでありました。
 寺尾玲子さんってご存知?
 彼女、少女向けの怪談漫画雑誌「HONKOWA--旧名:ほんとにあった怖い話(朝日新聞出版)」に連載されている人気レギュラー漫画「魔百合の恐怖報告(山本まゆり作)」に登場する、実在の霊能者さんなんですよね。一部では有名なひとなんだと思う---世間的な認知度があるかどうかはべつとして。
 いい年をした中年男ながら、僕はこのまゆりさん描くところの寺尾玲子さんのひそかなファンなんでありまして、彼女関連の企画本がでると大抵購入していたのでありますよ。
(ちなみにイーダちゃんは、過去のマイ・ブログ<徒然その58☆鎌倉・恐怖の「百八やぐら」探訪☆>と<徒然その27☆カレーと皇居のパワースポット☆>において、この玲子さん関連のページを編んでます。興味のある方はそちらも参照あれ)
 といっても「闇の検証」というシリーズは、山本まゆり先生の描く漫画ではありません。
 これは、実在の霊能者・寺尾玲子さんというキャラを日本各地の霊場へ赴かせて、その各地各所でさまざまな「霊視」を行ってもらうという、「ほんとにあった怖い話」の雑誌編集のスタッフが企画したシリーズ本だったんですよ。
 実在する歴史的な霊場を、寺尾玲子の霊的視点から新たに見つめなおしてみる、みたいなアングルが売りなわけ。
 うーん、じゃっかんキワモノっちゃあキワモノなのかなあ。
 でも、僕としては案外こーゆーの好きでして、古本屋で見つけたりするとけっこうマメに買い集めたりしてたんですよ。
 で、その帰りの地下鉄の席で買いたてのその本をひらいていたら、あらら、なんと箱根のあの「精進ヶ池」のページがあるじゃないですか。
 びっくりしました---喰い入るように読んじゃってましたね。
 この記事についてたコピーがまたふるってた---「箱根の山にミニ恐山を見た!」だもん。
 そして、実際に、ここ「精進ヶ池」まで足を運んだ玲子さんの感想はといえば、

----うん、そうね、似てる。恐山とそれから鎌倉の葛原ヶ丘を足して二で割ったような所よ…。(寺尾玲子談)

 恐山フリークのイーダちゃんとしては、これは黙っているわけにはいきません。
 よし、それじゃあ今度の休みあたりにまたいってみるか、と意気ごんでいたところ、降ってわいたようなリストラ騒ぎがもちあがりまして---それは、2010年7月のこと、イーダちゃんはふいのリストラを喰らってしまったのおじゃります---それにつづいて退職やら北海道旅行、苦難の求職活動などもあいだに挟まざるをえないはめになり、結局、「精進ヶ池」再訪の夢がかなったのは、ようやく先月末のこととなってしまったのです。 
 なんと、意識してからくるまでに1年以上! てなわけでえらい手間暇かかっちゃったわけなんですが、うん、ここは行くだけの価値のある場所でしたね。
 以下は、その検証レポートです---。

 まずは、ページ冒頭のフォトを御覧になってください。
 これが、「精進ヶ池」の全景---時刻は、午後の2時すぎ---なのに、人影がまったく見当たらないでせう?
 これは、僕が意図してそう撮ったわけじゃなくて、ここっていついってもひとの姿があまり見つけられない場所なんですよ。
 淋しい、というか、厳か、というのか、そのへんの区分はわからないけど、天下の箱根だというのに、とにかく人気がないの。
 なんともいえない冷涼とした空気---それは、ここにくるたびに僕が感じていたものです。この地を離れるとすぐに忘れてしまうのに、再訪するとすぐに「ああ、これは…」と思いだすの---が、この池近郊の地全般に漂っているように僕は感じました。
 この1枚の写真から、貴方にもそれを感知してもらえるでせうか?
 「精進ヶ池」は、箱根でもっとも高所の芦の湯の、すぐさきのところにあるの。
 湯本からバスでいくなら3番のバス停から乗って20分ほど---料金にして800円あまりかな?---蘇我兄弟の墓というバス停で下車してすぐさきのところ。
 ルート1号を歩いていくと、むかって右のほうにしんと静まりかえった池が見えてくるから、すぐにわかるはず。
 そこの空間だけ雰囲気がまったくちがうから---うむ、論より証拠---ここらで追加写真を2枚ほど挙げてみませうか。


    

 左上のフォトは「精進ヶ池」の全景の遠景ね---ルート1号から見ると「精進ヶ池」はこう見えるの。
 うん、たしかに! たしかに、これは、寺尾玲子さんいうように、あの「恐山」の雰囲気に似ています---ある意味、ミニ恐山と呼びたくなる気持ちもわからないじゃない---たちこめている静けさの質が、なにやらしんとした凄みをたたえていて、なるほど、恐山境内のの宇曽利湖のあの空気を思いださせるんですよ。
 ルート1号を隔てたところには、六道地蔵の祠がぽつんと建ってます。
 それが、右上のフォトね---ちなみに、これは、左写真の池の向こう岸から、こちらを振りかえったときの1枚---この六道地蔵のアップの写真もここにUPしておきませうね。


      


 左上のこれ↑が、精進ヶ池の六道地蔵ね---で、右手のほうは青森・恐山境内の慈覚大師堂。
 いかが? ねえ、なんとなくこの両者、似てません?
 これ、実際にいってみると、目に見えないすぐさきのところにもうすぐ死者の世界がひらけてて、そのちょうど境界の部分に、これらの祠が建てられているんだなあ、みたいな生々しいイメージが、どちらの祠からもビンビンに伝わってくるんですよ。
 アタマからじゃなくて、なんというか、もう肌ごしに---。
 スケール的には、それはもう恐山のほうが圧倒的に巨大で深いのですが、張りつめている空気の質はやはり同種のものなのでは、と感じます。
 ええ、「死」の香りと、それを悼む「鎮魂」の気配がいまも漂っている土地柄っていうのかな?
 案内板を見ても、「地の池」とか「死出の山」とかの、不気味な地名がやたら多いようですし。
 さらには、こちら、以前の正式名は「生死ヶ池」といっていたそうなんですよ---死者の霊は、池のまわりを3度まわって、死出の大山・駒ヶ岳におもむくというのが、いわゆる当時の死後の旅立ち用マニュアルだったとか…。
 しかし、よくよく考えてみれば、それ、当然の助動詞なんですよね。
 むかしむかしの箱根---しかも、こんな最高峰の深い山中といいますと、コンクリート舗装された道も自動車もなかった当時の人たちにとっちゃ、まさに人跡未踏の超・僻地だったわけですから。
 ひとの通わぬ、めったに足を運ぶこともない、さぞ恐ろしい場所だったにちがいありません。
 当時のひとたちにしてみれば、この世ならぬ異界---妖怪変化の跋扈する場所として認識されていたとしてもまったくふしぎじゃない。

----…浄化はしてるけどね、この辺一帯、死体の捨て場所だったんじゃないの…?(寺尾玲子談)

 ぞくぞくっ。だとすれば、この「精進ケ池」が人里離れた特別の霊地として育っていったのも、ある意味、歴史的必然だったのかもしれません---。

 イーダちゃんは、この「精神ケ池」のまわりを徒歩で一周してみました。
 平日の午後のいい天気の箱根です---とちゅうで誰かほかのハイキングのひととかがくるだろう、と高をくくっていたんですが、いくら歩いてもなぜか誰ひとりやってきません。
 とっても静か---やや心細い心持ちで、叢のなかの道を歩きます。
 池のまわりは舗装こそされていませんが、踏み固められた50センチ幅ほどの細い道ができてまして、ゆっくりとこの細道を歩いていきますと、いまさっき記述した六道地蔵さん、それから八百比丘尼の墓、平安期の武将である多田満仲の墓なんかを、散策がてら見ることができます。
 ほかの観光地でいきなりそういうのに出会うと「ギョッ」となっちゃうかもしれないけど、こちら「精進ヶ池」のなかで彼等と出会いますと、案外そうでもない、というか、なんかかえって落ちついて和めるような気さえしてきます。
 彼等のまえで、一応合掌して、許可もらって、何枚か携帯写真を撮影させてもらいました---。
 

          


 左が、ルート1号を隔てた丘のうえにある六道地蔵---その祠のなかの六道地蔵さんの本体ね。
 中央は、池周辺の元箱根石仏軍の磨崖仏---そうして、右端のが八百比丘尼の墓---。
 だーれもいない、平日の箱根で、午後のうららかな光に照らされて、彼等・石仏と時空を超えた会話をかわすのは、なかなか楽しゅうございました。
 あ。これも追加---これは、「精進ケ池」のいちばん奥の向こう岸から、こっちに向かって撮った一枚ね。


                       


 この写真はちょっと気に入ってるんだ---向こう岸に見える小屋は、箱根旧道の案内小屋ね。
 あと、池のこっち側ってね、道、ないんですよ。
 踏み固められた草葉が、結果的に道らしい跡を作りだしているだけでね。
 湖と岸とのあいだのけじめもないの。柵もない。一歩進んだら、そのまま足首が池にちゃぽんなわけ。
 ほかの地方ならいざ知らず、天下の箱根でここだけが、この「精進ケ池」だけが、いまでもそうした未開の印を残しているんですよ。
 人間どもの十八番である、あの浅ましい「開発」とやらも、まだここには届いていないんです。
 なぜ?
 そうさせまいとするなんらかの力が働いているから?
 これは、追求する価値のある問題だと僕的には思えるんですけど。


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 ええ、そんなこんなで、僕はこの午後「精進ケ池」の探索を楽しんでやれたわけなんですが、これは、天候に恵まれたせいもきっとあるんでせう。
 もし、黒くて厚い雲がごーんと低く垂れこめた、肌寒い冬の夕刻にここにきたら、とってもそんな余裕めいたことをいえる余裕はなかったでせうから。
 季節と時刻と天気によって、いくらでも表情の変わるとこなんじゃないのかな?---夜叉の残酷顔から地蔵の柔和顔まで、あらゆる表情ヴァリアーションを実はもちあわせていて、そのときの気分と相手のカルマによって、 敏感な猫みたいに手持ちの表情をころころ変えていく---この「精進ケ池」ってとこは、もしかしてそんなコワイ場所なのではないのかしら?
 今回、たまたま僕は「精進ケ池」の柔和な面のみを拝ませてもらったというわけなんだけど、それってひょっとして結構ラッキーだったってことなんじゃないかな?
 さわさわさわ。風の歩みにあわせて草の葉先がそよぎます---。
 そのささやきに何気に耳を傾けながら、イーダちゃんはそんなことを考えたのでありました…。(^.^;> 

 
 



 
 


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1 コメント

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葛原ヶ丘 (田代郁夫)
2012-03-30 15:36:53
恐山とそれから鎌倉の葛原ヶ丘を足して二で割ったような所よ…。(寺尾玲子談)
最高にできのいいコメントで笑えました。
コメント書いている間も笑っています。
ちなみに、葛原ヶ丘には源氏山公園があるのですが、あの公園整備のとき、ちょっとした発掘調査があり、14世紀ぐらいの埋葬遺体が検出されました。中世の埋葬場所(葬送の場)だったんですね。そんなこと知ってるもんですから、なおさら笑えました。時々、ホームベージ訪問させていただいて楽しませてもらってます。
ますますのご活躍を!

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