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梅毒病院 とか 梅毒専門医 

2014-01-15 | 毎日いんふぇくしょん(編集部)
最近はその説にいろいろ疑義の出ている「コロンブスの一行が新大陸から持ち帰った」梅毒。

コロンブスの一団がハイチに到着したのが1492年( 意欲に燃えるコロンブス、と覚えました )。

ヨーロッパでひろがっちゃったよ!?が1495年 ( そんなにすぐ広がる? )

で、中国で記録されたのが1505年( 飛行機ない時代に? )

日本には1510年の記録があるそうです。
倭冦→日本の港町(遊女)→博多や堺の商人/琉球人と広がったのではないかと下で紹介する本に記載されています。

今で言うアウトブレイク!となった記録は、室町時代(1512年)。京都の竹田秀慶の記録『月海録』にあるそうです。

だんだんと交通網等も発達し、街道沿いには宿場ができ、旅人をもてなす施設もできました。
そこから一般の人に性感染症と広がったのでは、と歴史の専門家はかいています。

かかる人が増えれば、それを診る医師も必要になるわけで、黴医(梅毒専門医)として有名なのは大阪の船越敬祐がいます。

専門書だけでなく、一般民衆向けの啓発書を作って(すごい~)、しかも字だけじゃ伝わらんだろうということで絵をふんだんにつかっていまして(よく売れて「財を成した」らしい)、その本、読みたいなからと探したら、なんとオークションで格安で販売されてました!
(知らなかった。参加したかった!)

いえ。それだけではありません。このドクター船越、自ら梅毒の体験を語ってます。

「若くから悪性梅毒と思われる筋骨疼痛を有する劇症の梅毒を発症し、水銀による九倍駆梅法(七宝丸)を受けたが、はげしい口内炎を主とする副作用に苦しみ抜いた」
「その後、梅毒の特効薬 延寿丸を発明、自分の梅毒を全治されたという」 →誇大広告じゃ・・・

なにせ、
「自ら遊郭に赴き、接種実験を試みて、梅毒の二期疹が発症したことから、梅毒が遊女を通してまん延することを実証した」医師です。

まだ民衆はあまり問題視していないときに、外国からやってきた医師たちはその流行レベルと、皆の無頓着ぶりに驚いています。

シーボルト「梅毒は日本で深く根を下ろしている病気になっている」
ポンペ「梅毒の恐るべき深刻な事態が拡大している」

(しかし、なんだか、日本人が平然としている、なぜ?という不安とセット)

なんとかせねば!?となったのはもう少し後です。

1860年 長崎に来航したロシア船。ここの船長が娼婦の検診を求めます。
1868年 横浜に駆梅院(梅毒病院)ができます。これは英国軍隊の性病予防のため。

明治新政府の内務省は、明治9年4月に梅毒の取り締まりの通達を出し、駆黴規則を布告。
梅毒と診断された人は「梅毒病院」に入院させられました。

治療はどうしたかというと、、、今~思えば効かないでしょう的なもので対応していた時期が長く、
サルヴァルサンの発見は1909年。
そして、ペニシリンが発明されたのが1929年。
第一期梅毒患者に使って素晴らしい効果が確認されたのは1943年。

(すごい最近、の話)

たまたま「仁 JIN」という漫画で、花魁(高岡早紀)が「おさらばえ~」と死んでしまうシーンを見たのでありますが、
その前あたりでペニシリンの製造なるシーンもあったそうです。
この回についての感想や解説を描いているブログなどはいろいろあるので、関心ある方は是非チェックしてみてください。
たとえばこちら


日本梅毒史の研究―医療・社会・国家
クリエーター情報なし
思文閣出版


本邦「梅毒」500年史

日本疾病史考 ー「黴毒」の医学的・文化的概念の形成ー(On The Medical Culutural Hisotory of Syphilis in Japan)
William D.Johnston(ウィリアム D.ジョンストン) 米国・ウェスリアン大学歴史学部助教授
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