感染症診療の原則

研修医&指導医、感染症loveコメディカルのための感染症情報交差点
(リンクはご自由にどうぞ)

松本財団「感染症に負けない人と街」 (10月28日 港区伝統文化交流館)

2020-10-28 | Aoki Office
海外出張が多いため、常に空の上にいるんじゃ?「空飛ぶ怪鳥」?とよばれるサクラ グローバルホールディングの松本謙一会長
新型コロナの関係でしばらく日本で活動中。

 *事前登録制で満席になっています

松本財団は、次世代のグローバルヘルスを担う医療関係者に海外研修の機会を提供する等、人材育成にもとりくむ団体です。

サクラ精機の顧問をしている青木編集長も、海外からのゲスト対応や、各国で開催する感染症関連のセミナーなどをお手伝いしています。

このイベントは感染症対策関連なのですが、シンポジウムやセミナーではありません。そこには本来ターゲットとする人たちはこないのと、それをやって何かがかわる仕掛けではありません。
今回は新型コロナの感染拡大場面である「マスクをはずすとき」に着目し、マスクをはずすときの飛沫拡散防止としての扇子の紹介をします。

別に扇子でなくても、手・ハンカチ・アクリルパネルなど、好きなもので飛沫バリアをすればいいわけですが、この日は扇子に注目しようということです。

お互い2m離れて食事とかアクリルパネルよりも、日常的・現実的なんじゃない? お互いどんな扇子もっているのとかちょっとした楽しさもありますから。

企画を練っているうちに、扇子を持って踊るプロフェッショナルが協力してくれることになったり、せっかくだから江戸時代から続く和菓子屋さんのお菓子を扇子を用いながら食べてみようという話になり、「え?じゃ着物きていく?」などもりあがっていきました。

注:この会場に扇子を持って和服姿の青木編集長がいるという意味ではありません。

会場は港区の歴史的な建物の「伝統文化交流館」。
ここは、外からの見た目は「千と千尋の神隠し」的なかんじです。ガチでSNS映えします。港区のビルの合間に突然あらわれる和風の建物。
1Fでは喫茶サービスもあるので、デートや散策の際には是非お立ち寄りください。

プログラムの内容は・・・
第一部  感染対策ヒストリア  江戸時代の感染症
今から思えば謎対応。当時は本気対応。

第二部  「文化を楽しむ」   赤坂芸者衆による踊り
めったに生で見ることができません。参加できる人はラッキー。
写真も一緒にとってくださるそうです。

第三部  茶話会 「扇子で予防」 の紹介
赤坂青野の「感謝の喜もち」(気持ち)をご用意しました。

もともと、芸者さんたちは食事の席やお話のときに口元に扇子をもっていって上手に食事の時に会話をしていたのだそうです。
扇子使いのプロフェッショナルに優雅な仕草を学ぶ企画です。

扇子で飛沫を飛ばさない工夫は、各地で提案されています。
今回のイベントでも、とっておきのMy扇子をご持参いただく、あるいは会場で配られる #飛ばしま扇子 を使ってみます。

市川市議会議員の岩井清郎さん・そのお仲間のみなさんが考案したシート式の #飛ばしま扇子 は終わったら捨てることもできて便利です。
多くの方が真剣に会食時の感染予防のことを考えてくださっていてありがたいことです。

感染症ヒストリア・・・ですが、江戸時代には麻疹・天然痘・コレラなどが流行してこまっていたわけです。
ちなみに、松本会長の生家は江戸時代すでに医療機器メーカーだったわけですが、「番頭さんがコレラになって幕府から怒られた話」(言い伝え)とかも面白いです。

こちらの論文の15ページには現在もよくある質問(ウイルスや菌はテーブルや紙の上でどれくらい生きているですかぁ、それってうつるんですかぁ)に通じるエピソードが紹介されています。事実かは不明

「八丈島の海岸に「錦絵」や土人形(*注 当時の魔除的なもの)などが入った枕箱のようなものが流れ着いた。それは痘瘡( 疱瘡)病人の使ったものであったが、そうとは知らない島人が拾い上げたために、島に疱瘡の大流行をみた」という話。

当時、麻疹魔神的ものとか、療養の心得などについての絵があって、それを枕元に貼っておまじない的に回復を願うとか、疫病退散!的なことをしていたわけですね。
治った際にはそれを神社とかにもっていったり、海に流すとかそういったお話もある。

「暫定的な推定にすぎないが、麻疹絵が文久二年( 一 八六二)の江戸に集中するのに対して、疱瘡絵は江戸後期の長らくにわたって出版され続け、全国的に流通した可能性があるのではないか」

興味深いですね。

今回は企画に入っていませんが、青木編集長の御先祖の青木得庵さん(1814-1866年)ご活躍も江戸時代。
こちらのネタもいれたかったですね。

・青木得庵は漢方医太田覚庵に医学を学んだ
・得庵は牛痘接種による天然痘予防術を学び痘苗を持ち帰った
・そして痘苗を末子桃吉に接種
・当時「疱瘡の膿を植えるのだ、牛になる」などと流言が飛び交っていた
・得庵は多摩、津久井などの農民に対し、天然痘の予防には種痘がどんなに必要かを、ねばり強く説き広めた

御先祖さまも感染症スペシャリストです😊
また江戸時代企画があったら詳しく紹介します。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 応援 ハンセン病文学作品集1... | トップ | 風疹児・教師たちの記録を綴... »
最新の画像もっと見る

Aoki Office」カテゴリの最新記事