鎌倉に住んでる

うまいものを食べて飲んで、のんびり暮らしたい。

甦った西本願寺「伝道院」と伊東忠太

2012-02-29 23:30:00 | 日記
靖国神社遊就館

下岡蓮杖(1823-1914)という、

幕末の写真家が描いた「箱館戦争」の絵を見たいので、

行ってみた。

諸外国では「戦争博物館」といえる内容。

そのせいか、外国人の見学多い。

ガイドブックに、そう書いてあるに違いない。

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多くは語りたくないな。

境内は、お花見の準備に忙しい。

ソフトクリームを食べながら、まだつぼみの桜を見た。

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「のらくろ」の手ぬぐいと、

戦前の朝鮮全土の地図を買う。

いまはハングル表記の地図しか手に入らないので、

これは貴重。

口直しに、東陽町の竹中工務店東京本店の

『「伝道院」と伊東忠太展』に行く

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東陽町なんか来たことないが、

駅をおりて、すぐに竹中工務店の建て物はわかった。

ええなあ、というビル。

玄関ホールの一角が展示スペースになってて、

西本願寺の伝道院の保存修理工事のほか、

伊東忠太のおもな建築物のパネル展示。

伝道院、解体じゃなくて修理でよかった。

国立の一橋大の兼松講堂とか、

忠太ワールド炸裂の妖怪&霊獣、

パルテノン木造起源説などの解説。

わざわざ行くだけの価値ありです。

竹中工務店東京本店内GalleryA4

『甦った西本願寺「伝道院」と伊東忠太』展

426()




石子順造的世界

2012-02-17 23:30:00 | 日記
府中市美術館

「石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行」

もう終わった、226日まで。

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石子順造(1928-77

美術評論家にして、

当時は「美術」の範疇には入れられてなかった

「マンガその他」を評論の対象にした人。

ということらしい。

↑このポスター、つげ義春の「ねじ式」。

原画全点が、まるまる展示されてるので、

ぜったいに見ておくべきだ!という人がおり、

粉雪の舞う午後に行ってみた。

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いろんな「キッチュ」なものが陳列。

撮影もご自由に、という部屋があったので

撮ってみた。

だれかが残しとかないと、

永久に消えてしまうものは多かったろう。

いまだと、

こんなホームページ上の見え方など、

のちには貴重な「風俗資料」になるのかもしれない。

正直、グロいマンガは苦手。

だから、

“庶民は本能的にグロテスクなものを求めている”

というような記述があったのには異を呈したい。

府中市美術館

「石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行」





メモ魔の展覧会 ウメタダとコンワジ

2012-02-15 23:30:00 | 日記

お台場の日本科学未来館

「ウメサオ タダオ」展

に行ってみた。

大阪万博の跡地にある

国立民族学博物館こそ、

わたしの原点。

計画段階から完成後20年間、館長を務められたのが、

梅棹忠夫氏(19202010)。

知の巨匠である。

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会場をぐるっと円周に細かい年表があって、

真ん中には、膨大な資料の整理法が展示されていた。

大学院生の先輩がやっていた「カード整理法」。

ウメサダ流は「こざね」式。

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旧制中学時代の山歩きから、

とにかくメモにスケッチの量がすごい。

これはいい!と思って、

次の瞬間、わたしには整理するほどの情報を

持ち合わせていないことに気がついた。

日本科学未来館

ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-

220()まで

まだ明るいので急いで「ゆりかもめ」で新橋へ戻る。

続いて汐留ミュージアム

「今和次郎 採集講義」展へ行く。

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「いまわじろう」ではなく「こんわじろう」。

大学に入るまえに、

『考現学入門』という本を読んで、

「衝撃」を受けたことがある。

20年の時を越え再会。

この人もメモメモメモに、

スケッチスケッチスケッチだ。

こんなことメモしてどうするの?も、

積み重ねれば「資料」になる。

こういう世界に身を埋めたいと思ったものだ。

いつの間にか忘れてしまってた。

採集を再開させます。

汐留ミュージアム

「今和次郎 採集講義」展

325()まで




弥生時代のかながわ

2012-02-11 23:30:00 | 日記

下駄を履いた高杯があるというので、

見に行かねばと思いつつ、

いよいよ最終になってしまった。

神奈川県立歴史博物館

「弥生時代のかながわ」

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縄文文化が色濃く残る弥生前期の関東平野、

その西端、酒匂川や金目川の流域に

畿内から稲作文化がドッと入ってくる。

しかし、その後平野部からムラが消え、

なぜか三浦半島の海岸線から遺跡が出る。

続縄文文化でよく見られる「回転離頭銛」が

たくさん見つかっているので、

北方から大型の魚を取る集団が入ってきたのだろうか。

その後、中期以降はふたたび東海地方から、

多くの土器が流入し

関東平野も畿内と同期する、

と言ってしまっていいのかな。

下駄を履いた高杯は、

土器が2点と、それに先行する木器のが1点。

4脚の青銅器を模倣したのかな、

と思ったりした。割高台みたい。

ついで、

館蔵赤羽刀から「甦る名刀」

をみる。

「赤羽刀」はなんぞや?と。

くわしくはホームページを。

「甦る名刀-館蔵赤羽刀から-」は

325()まで

長年、研磨されずに保管されていたので、

錆が深く入って修復できないものもあるという。

もったいないね。

上階の常設展示もじっくりみて、

たっぷり2時間半も過ごしてしまった。

神奈川県立歴史博物館

弥生時代のかながわ-移住者たちのムラと社会変化-

県立歴博での展示は終わってて、

218日から26日まで小田原郷土文化館、

229日から311日まで厚木市郷土資料館へ巡回。




東洋陶磁の美

2012-02-10 23:30:00 | 日記

サントリー美術館

「東洋陶磁の美」

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大阪市立東洋陶磁美術館が

改装工事中なので、

中身をごっそり出開帳。

言わずと知れた

中国・朝鮮の青磁を集めた、

最強の安宅コレクションがメイン。

本館へ何度も行ってるしなあと思ったが、

研究者の方が案内してくれるというので。

やはり専門家の解説を聞きながら見ると

ぜんぜんちがう。

あの展覧会場の入り口で借りる音声ガイド、

傍若無人な客を発生させるなど諸悪の根源と思ってたが、

おもしろいのかもしれん。

サントリー美術館

「悠久の光彩 東洋陶磁の美」

41()まで




三代山田常山

2012-02-09 23:30:00 | 日記

行ってみるべきだ、

と勧める人がいるので行ってみた。

出光美術館「三代山田常山」

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三代山田常山(19242005)は、

常滑の陶芸家。

代々、急須作りの名人だそうだ。

青木木米の弟子だった初代以来、

煎茶道具に朱泥、紫泥、烏泥の急須。

むっちゃきれい。

とくに梨皮という、地にこまかい石を混ぜた肌が。

ふだん中国茶を淹れることが多い。

が、こんな小さな急須では間に合わない。

紅茶用のポッドに沸騰したお湯をガッと注いで、

大きなマグカップで飲んでる。

これって向こうの人が見たら、どう思うのだろうか。

後半は、まん丸の実用的な急須や、

中世常滑の巨大な壷の写しなど。

どれも欲しいものばかり。

東京・出光美術館

「三代山田常山」-人間国宝、その陶芸と心-

219()まで